2018年07月05日

近くの同年代の人は要支援なのだろう (金がなくて援助が頼めない)


近くの同年代の人は要支援なのだろう

(金がなくて援助が頼めない)

介護施設を利用する際にかかる居住費・食費は保険対象外の全額自己負担となり、これを理由に特養への入居をあきらめる人が増えたという。

要介護状態の利用者が、要支援状態の利用者が多すぎて、本来のサービスが受けられなくなることへの対策という部分が強いように思われます。

要支援が要介護に統合されるのではありません。
介護予防サービスが市区町村の自主サービスになり、介護保険サービスから外れるのです

その人は近くで同年代でありその親と自分の親とは親しかった、でも死んだ
その時はヘルパ−がきていた、農協関係なので来ていた
その後その人は脳梗塞になり足が悪くなった、買い物でも車が運転できるので一人で足をひきずりきている
その人も一人暮らしだが弟が隣の市にいてめんどうみている
でもうまくいかないとか言っている

そして自分のことを一人女性に手伝ってもらっているからうらやましがっている
その人はその女性の前の夫とかと仕事をして知っていたのである。
何か手伝ってもらいたいことがある、でも金がないからできないとかいう

でも自分にしても手伝ってもらうにしてもその女性は三日に一回皿を何枚か洗うだけなのである、その他は一切何もしない、でもその人自体が貧乏だから金をせびられる
あんなふうに遠慮なく金をせびる人もいるのかと思う
その人に自分は手伝ってもらう必要はない、家事は今は全部できる
でも誰も来ないよりはいいと思って金を出している
ただ外から見ているとあの人は金があるからお手伝いさんを雇えるなのだとみる
その人はそう見ている
それは足が悪くて苦しいからそう見るようになる

考えてみれば確かにもし市町村から支援を受けるとしたらその人は優先される、家事を多少手伝ってくれる人が派遣される、要支援になっている
でも要支援が廃止されたから援助が受けられない
ただその人には弟がいるとき今はその弟が支援してくれ介護してくれとこれからなる
介護は誰かに押し付けられそれがやはり兄弟となるとそうなる
現実的には誰も他人が介護したりしない
そしておそらく弟もやっかいだからもめているとなるとこれから重症になったらどうなるのか?

「金があればできるのにな」というがその金でも相当な金持ちでないとお手伝いさんすら頼めない、皿二三枚洗って…円も払わなければならないのか?
自分はやめたいと思っている、その女性も年でありいつもどこが痛いとかいい医者通いであり貧乏なのである。障害者もかかえてその世話に追われている
第一金がないのだから金のない所には行かない
その人のことは知っていても声をかけるが行かない、その負担を背負いようがないからだただ自分のしていることくらいはできる、でも金にならないから行かないのである。

こうして金がないと皿二三枚すら洗ってもらいないというが自分の所に来た親戚というものではないがその人たちは自分が苦しい時でも皿二三枚も洗わなかったのである。
なんの援助もしたくない、借金した人は金を要求して脅迫するまでになる
あとは金をとろうとして現実にそうなって大金を失った
そこに金目当てしかないのである。だから金があっても非常に家に入れることは危険極まりないとなる、へたするとその金のために殺されるともなるし現実にそうなっている
和歌山のドンファンが殺されたのもそのためである。
金の恐ろしさがそこにあった

介護保険とは金のあるなしでなく公平に援助するという制度である。つまり金のある人はある程度お手伝いさんを頼める,でもそれは今では大金持ちしかできない
そしてお手伝いさんを頼むにしても現代では危険がつきまとっているのである。
だからこの世は金だけではなんでも解決しない,一見確かに金をやればなんでもしてくれるではないかというがそうでもない,金だけならその金をねらわれるからだ
動機が金だけになるからそうなりやすいのである。
そこに何かそもそもあわれむとか助ける気持ちがないからである。
福祉とは営利だけではやれないことでありそこに問題が生じている
でも貧乏な人は金が欲しいからするのである
それが動機にならざるをえない、金にならなければ貧乏な人は生活に困っているのだから他者を援助できないのである。

つまり福祉とは確かに金ではあるが金だけでは解決しないことがある
でも金だとみんな思っている、介護士がたりないのは給料が安いからだとなる
なんにも得られないなら人はなにもしてくれないというのも現実なのである。
また介護の仕事をしてそこで得られものは何なのか?それも問題になる
仕事がいろいろあり若い内ならスキルを磨く、仕事に生きがいを見出すとかあるが介護にはないとしたら仕事そのものがつまらない得るものがないとしたらやる人もいない
では金をもらえばやるというとき福祉にはその動機だと勤まらないとなる

福祉が金の世界になるとどうなるのか?
極端な話、水一杯やるから10万出せとかにもなる、これを運んでやるから10万やれとかなる、なにかちょっとしたことでもしてもらうのにそうなる、
お前にはそれだけの金があるから払えるだろうと脅迫されるのである。
福祉が金だけが動機だったら極端でもそうなるのである。
そして逆に金の払えない奴はなにもしないとなるのである

ただ別に元気な老人はいくらでもいる、パ‐クゴルフ場ではそうした暇な老人であふれているし復興住宅に入っている避難者でも遊んでいる
仮設の時も自分も介護だったがそんなこと関心がなく毎日パチンコ通いだった
つまり人材がいないわけではない、きつい仕事ができないにしろ元気な老人はいる
でもその人たちはそうして要支援のような人を助けるかといったらしないのである。
介護は誰もしたくないのである。ただ軽い内ならちょっと手伝うことくらいはできるかもしれない、でもそれすらしない、自分の所に来た人たでもそうである
借金しているからパチンコ屋で働いていて余裕がない、自分の家に来てもなにもしない
ただ金をくれというだけである、その人も余裕がないからそうなる
第一他人の家に来て皿を洗うとかなると普通に暮らしている人はしない
特別貧乏な人がやむをえなくしているのである。
だからそういう人は問題あるにしろありがたいともなるのだ
なぜなら誰も他人の家に来て皿二三枚でも洗ってくれないからである。

これまでこんなことは考えもしなかった、なぜなら食事は三食常に用意されていたし
家事もしない、買い物はしていたが後は何もしなかったからである。
だからこれもつくづく自分のカルマだと自覚した
何か自由に旅行したが今は家に誰もいなくなるのでできない、誰も家を守るものもいないからだ、留守にできないからだ、これも何か自分のカルマだったなと思う
楽していることもやがて必ず苦となりカルマを自覚するのである。

ともかく福祉というとき本当は競争社会に生きてきたのとは違うものが要求されている、助け合いとか相互扶助とかが要求される
それを立派な施設に金をかけたりそこで今度は介護士を雇うとか金がかかる、要支援段階くらいだと相互扶助の近隣とかの助け合いでやれるかもしれない、でもそれすら今はない、共同体とかがない、するとすべて金頼みとなる
結果的に国でもそんなに金を払えないとなるのである。国の金はまた国民の税金なのである。
国民もすると税金をそんなに使わないようにするには要支援とかの軽い段階で助け合いした方が節約になる
ただそんなことを考える人はいない、そもそもみんな自分のことしか考えない、そして金の社会だから金を得ればいいとしかない、


posted by 老鶯 at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 認知症半年の記録

激動する地球(Turbulent earth)

          
激動する地球(Turbulent earth)

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irregular forest

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enlrage

崖と滝の絵はどこかにある写真のように見える、でもオリジナルな写真から変形したのである。でもそのオリジナルなものとはにているようで違っている
こうしたシーンは地球にあるようでそれを写真にはとれないだろう
だから想像された地形だとなる、それが私自身がソフトで変形させて作り出している不思議がある、これを見たら誰でも実際の写真だと見るからである
でもこういう風景は写真にとられてもいないしないと思う

The cliff and waterfall picture looks like a photo somewhere, but it has been transformed from the original photo. But it seems that it is in the original one and it is different
These scenes seem to be on the earth and it will not be possible to take photos of it
So it will be the imagined terrain, it is a wonder that I myself created by deforming with soft, because everyone sees it as an actual photograph when I see it
But I think that such landscape will not be taken by photography