2018年07月24日

異常な暑さは地球温暖化なのか? (武田邦彦氏の意見も納得する)


異常な暑さは地球温暖化なのか?

(武田邦彦氏の意見も納得する)

この辺は35度とかになっていない,6、7年前になったような気がする
毎年はつづいていないのである。
ただ子供の時からこんな暑さを経験していない
40代の人も経験していないという,ここ十年が異常なのである
でも毎年ではないのである。
テレビではヒートアイランドで二度地球温暖化で一度上がっているという
日本はアスハルトの道路がしきつめられている、ここでも暑かったとき
アスハルトの舗装道路から家の中に熱気が入ってきた
アスハルトの熱気が影響している、都会だとそれが倍加される

ただ福島県の浜通りはもともと海からの風が吹いてくるから涼しいのである
福島市から来た人が駅にきて風が涼しいという、駅には海からの風が吹いてくる
でも暑い時はそれでも駅も暑かった
やはり舗装道路が相当に影響している、ヒートアイランド現象が田舎でも舗装道路にはある、ただ福島市は盆地であり蒸し風呂のようになるのは前からである

今夜の深層ニュースでは地球温暖化のことを言っていた、その対策が必要なことを言っていた、でも武田邦彦氏は地球温暖化はないという
世界の都市でもすべてが暑い訳ではないからだ
自分は科学が苦手だし科学的には何も言えない
ただなぜこの地球温暖化で疑問をもったのかというとマスコミでも一方的である
みんな地球温暖化を言う、民報でも言うしNHKは指導的立場で言っているからまず地球温暖化に反対する人は呼ばないのである。
するとみんな地球温暖化のせいだと科学も知らない人は思ってしまうのである。
それを作り出しているのは政府とマスコミと御用学者だともなってしまう

それは原発と同じ仕組みなのである、「安全神話」を作られたのは政府と御用学者とマスコミだったからである。
それに異論を唱える人は異端者になったのである。
原発を東京に作るべきだという主張は今になると正論だった
その時原発に反対する者はテレビにもマスコミにも出れない、本は出していたがそれは片隅に追いやられて異端の本として置かれていた
そしてそれがSFの世界のように架空のものとして見られていたのである

日本人はまず議論を嫌う、デベートなどもしないし苦手である
同調圧力が強い、しきりに武田氏もみんなが同調することをマスコミも放送する
みんなが地球温暖化を言えばそれに同調する
そしてそれが世論ともなりそれに疑問をもったり反対できないようにする
それは原発と同じでありそれが大事故につながっていたのである。

日本ではみんなで赤信号わたれば怖くないのである。
でも民主主義は少数派でも反対意見でもともかく議論してその意見を聞くという過程をへることが民主主義のルールなのである。
でもそれは守られない、みんな同じことで言いそれが世論となりそれに逆らうことはできなくなる
だから地球温暖化ではありませんよということを言わせないことが問題なのである

私は科学的なことはわからない、だから地球温暖化もあるかもしれない、でもその反対意見も必ずありそれも聞くべきなのが民主主義だとなる
それがマスコミでは全くないということが問題なのである。
それは「安全神話」を作り上げた時と同じでありそれが変わっていない

一人の科学者が地球温暖化はないというときそれにも耳を傾けるべきなのである。
私は科学のことはわからないにしても科学でも必ず見方が違うことがある
それは科学でも一つの答えにならないからそうなる
地球のことを科学者がすべて知っているわけではないからそうなる
すべては解明されていないからそうなるのである。

日本人は反対意見を聞かない、同調するものだけが集まりそれで世論を形成する
正反合とかでアウフヘーベンするとかの論理がない
正があるとしても反がある、この反が否定される、そして表には出てこない
この世のことは科学的なことでも正があり反がある
それを止揚するのが弁証論だとなる、それは民主主義の基本としてもある

だから科学者でも双方の意見を見解を言わせて視聴者に判断させる
その材料を提供するのでありマスコミがまず地球温暖化ありでそれに同調するものだけを呼ぶのは不公平であり民主主義のルールに反するのである。
ただ自分でもそうだがマスコミに反論する人はインタ−ネットにいくらでもいる
ただ目立たないだけでありインタ−ネットでは言論の自由がありマスコミも批判の対象になるのである。
マスコミが主導することが正しいということはない、あくまでもその材料を提供するにとどまるべきなのである。
マスコミも今や絶えず批判の的になる時代でありもはや世論を作る時代は終わったのである。

おそらくあと数十年後とか百年後かもしれないが日本列島が44度とかになるとかはあくまでも予想なのである。その根拠もないのである。
むしろ寒くなるということもあるしこの暑さがつづく保証もないしまたこの暑さは地球温暖化のためという科学的根拠も解明されていないのである。
つまり科学的に証明できないことなのである。
だから科学的に解明されもので不安をあおることはするべきではない
そういう点で武田氏の論点とか警鐘はマスコミを鵜呑みにしないということで役に立つ
それはやはり科学者だということが科学者の良心がありまた文系の知識もあるからそういうことができるとなる
現代ではまず科学的知識がない者は論議もできないようなものとなっているからだ
だから私はただ科学的なことではなく、民主主義は正反合の弁証法的なものとして機能する、それがないとただ一方的になり判断を誤り原発事故の「安全神話」がまた形成されて大事故になったり誤った認識でそれが社会に大きな影響を及ぼすから危険なのである。

posted by 老鶯 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年07月25日

冬の知床、斜里岳の短歌十首 (北海道は冬を知って本当にわかる−万葉の時代に帰る場所でもある)


冬の知床、斜里岳の短歌十首

(北海道は冬を知って本当にわかる−万葉の時代に帰る場所でもある)


知床の雪にそ脚を踏み入れて蝦夷鹿の鳴く声ひびきけり

知床に蝦夷鹿鳴きてその奥に消えしも足跡雪に残れり

知床に雪深く積もり誰か入る月影さして獣の足跡

流氷の知床によりそそりたつ巌やここは日本の果てかも

夕日さし雪おおいにけり斜里岳の今も穢れず神し思ほゆ

斜里岳の雪の衣をまといつつ聖なるものや国の果てかも

斜里岳に至純の心純白の雪のおおいて汚点(しみ)もなきかも

流氷のよりし斜里の町その宿にクマゲラの木を叩く音かな

あかつきや白鳥の鳴く声ひびき凍りし沼に北の果てかも    

オホーツクに流氷閉ざし厳しきやかなたロシアの凍えけるかも


北海道は十回くらい行った、それも一か月とか長いのである。
それだけ旅行していたのは恵まれたからである。
家を留守にしても家族がいて安心だった、今確かに旅に行けるけど家を留守にするので行けないということがある、これもやはり自分のカルマだった
あんたはそれだけ旅したのだからもういいだろうということになる

なぜこれほど北海道に魅かれたのだろう、それは北海道は本州とは違う、自然の状態がそのまま残っている、原生環境が残っているためだったろう
苫小牧に降りるとそこから何か空気まで違っているのである
最初は電車の旅だったがものたりなくなり自転車の旅になった
最初は自転車で旅できると思っていなかったのである。
そう考えたのが失敗だった、人間は何かできることでも自分はできないなと思う
自転車旅行は40代からはじめたができたし海外旅行は50代からはじめたけどできた
ただ海外旅行では悔いが残った、早くからしていればもっとできたしヒマラヤなどにも何回か行けた、自然を見る点では失敗した

また海外留学でもできないことはなかった、それは30代でもすればよかった
ただその時海外旅行は高くついていたので無理だと思っていた
海外旅行は40歳の頃からしやすくなっていたのである。
つくづく人間はやれることをやらないと後で後悔する
特に若い時はそうである、経験を積むことが大事だからである
ただそういうことをすることに恵まれている人は少ない
親でも金持ちだとそういうことができる
留学するとなると相当な金持ちしかあの時はできないと思った
でもしている人はいたのである
ただ旅ばかりに明け暮れて終わった自分は普通の人生ではなかった
今でもそうしている人がいるがそれで後で後悔する
何か人生にとってたりないものが生まれて苦労する
旅だけが人生というのではもう普通の勤め人にはなれない、社会からはずれたアウトサイダーになるからである

これもその時代によるのである、今なら留学するのが普通になっているからだ
この時代の差が大きいのである。まだまだ団塊の世代で留学した人は特別恵まれた人だったからである、北海道に開拓に入ったいわき市の猪狩満直なども詩人だったが力尽きて病気になり若くして死んだからである
それも過酷な時代故だったのである。時代でどうにもならないことがあるのだ
それから比べると自分は時代的にも親でもずっと恵まれていたのである。
なぜ北海道に魅了されるのか?それは本州にはない原生環境があるからだとなる

アイヌが住んでいてそこを常にカムイなるものとして神居として意識していたことでもわかる、その感覚は日本の古代からあったが現代ではあまりにもその環境が失われてしまった、富士山は神なる山だがその前景がもうまるで違っている
大都会であり家が密集しているし富士山が映えないのである。
知床とか斜里岳とかあるところは何もないから自然がそのまま原初のままに映えている
だからそこに神々しいものを感じた、その現実に見たものが心に残っていたのである
北海道は冬を知ってこそその真実を知る,それはほかでも四季があり四季を知ってその土地のことがわかるのである 

秋の雑歌(ざふか)

崗本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製歌(おほみうた)一首

夕されば小倉(をぐら)の山に鳴く鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寝(いね)にけらしも

大和(やまと)へに君が立つ日の近づけば野に立つ鹿(しか)も響(とよ)みてそ鳴く

これは鹿と人間と自然が一体となった歌である
岡本宮がある天皇が住んでいる場所の近くでも広い深い自然が背後に広がっていたのである。
いつも裏山で聞こえる鹿の声が今日は鳴かないというときいつも鹿の声を聴いているからである、すると聞こえないということで自然の奥深さを感じて一体化しているのである
鹿というのは大きな自然の中に生きている、鳴かないことで深い自然の沈黙を感じたのである。
現代ではもうこういう感覚はありえない、都会の騒音とビルの谷間に生きていたら聞こえるのは車の騒音だけでありごちゃごちゃした都会のネオンとか雑踏とかむんむんとした人の熱気しかないのである

まず万葉集時代なら日本全国でも数百万しか住んでいないのである。
ということは自然に覆われていた世界なのである。岡本宮とあったとしてもそこには一軒の宮が建っていただけだとなる
これは妻を呼ぶ声にたとえられるがただそれだけではなく深い自然の中に鳴く鹿がいつも鳴いているのに鳴いていないということでかえって自然の奥深さとか沈黙を表現したのである、この歌は秋の歌だから余計深みを自然の寂寥も感じるのである
人を送る時鹿が鳴いているというのもいかに自然と人間が鹿と人間が一体化していたかわかる
鹿も人間となり見送っていたのである

この時代はまず自然と人間は一体でありだからこそ万葉集ができた
それを深く理解できないのはもう現代ではそういう環境がありえないからである
まず現代では宗教でもなんでも都会から生まれてくる、自然から生まれないのである
だからすべてが政治であり経済であり科学であり工業であり商売しかないのである
宗教が神道でもそういうものではない、現生の自然の中から生まれたのである
そこで万葉集が神道の起源になる、「真直」なるまなおなるものとして自然を見て接した心がある、それが北海道ではなお感じるから北海道は日本にとって最後の神秘的な領域として貴重なのである、そこはまだ本州のように開発されていないからである

ともかく蝦夷鹿がいるということで普通に見れるということで貴重である
知床でも冬に見たのはその鳴き声でも聞いたのは貴重だった
雪に埋もれた知床に踏み入ったのは貴重な経験であり今になると思い出すのである。
斜里岳は荘厳であり神なるものを感じたのである、それは冬に一層そう見えたのである。これはその時その場でしか感じえないものである。
それが心に残っていたということである。オホーツクとか知床は日本の果てだから特別な地域だともなる、そこからロシアに通じている
アムール川に通じている、そこでアムール川を見たのも貴重だった
だがそこでは大変な失敗をしていた、ロシアは一人旅はしにくい場である

今は暑い盛りだけどこれで涼しくなるということもあるのか?冬の北海道は魅力的である
ただ相当に寒い、その時は比較的暖かいから助かったのである。自分は体が弱いから暑さ寒さに弱いから助かったのである

2018年07月26日

山の抽象画(abstract mountains)


山の抽象画(abstract mountains)

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mysterious flower
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High speed rotating gear

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雲の峯とは雷雲のことである、俳句の夏の季語である
この写真の雲がそうである、雲が湧きあがり高くなってゆく
その勢いが夏らしいとなる
私は俳句を作り短歌を作っている、それは日本の伝統的文学である

日本の気候は変化が激しい、今年は異常に暑く二三日後には台風が来る
何か日本の気候はここ十年変化が激しい、津波もこの辺を襲ったり天変地異が起きている私は原発事故が起きた30キロ地点に住んでいる

Cloud peak like a mountain is a summer season word of haiku which is thunder cloud
Clouds in this photo are so, clouds spring up and it gets higher
That momentum seems to be summer
I am creating a haiku and creating a tanka, it is a traditional Japanese literature

Japan's climate is changing rapidly, this year it is abnormally hot and a typhoon will come in a couple of days
Something's climate in Japan has been changing drastically for the last ten years, the tsunami striking this neighborhood and a natural disaster happening

I live in the 30 kilometer area where nuclear accident happened

目を強く押したら角膜損傷 (薬は節約できない)


目を強く押したら角膜損傷

(薬は節約できない)

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朝に顔を洗ってタオルで押したら目を悪くした、涙がでてくる、こういうときいつもインタ−ネットんでまず調べる、何か涙腺とか難しい説明がでてくる
全然わからないよりはいい、ただ前はインタ−ネットで病気のことを調べて自分なり判断して失敗した、その時死ぬ場合があった
胃腸が悪いと思って胃腸の開業医にみてもらったら腎臓だった
胃カメラで調べて腎臓が悪いことがわかってすぐに入院した
腎不全になるところだった、その時暑い時で塩分が不足しているとかで食欲もなく
塩分を多くとっていた、それも悪かった

またその時庭を作るとか大工さんが来ていて忙しかった
何か家族が年をとり弱るようになり一人は死んだり自分の体をみる人がいなくなった
誰も心配してくれない、それより家族のことを心配するのだから自分のことすらかまっていられない、医者に行くのがめんどうになっていたのだ
それで自分で調べていたのが命取りになるところだった

病気は軽いのならいいが自分で調べて判断するのは危険である
インタ−ネットは参考にはなるがそれで判断はできない
ただ医者にかかるのがここだと原町まで行かねばならないので不便である
タクシーも利用するようになる
それで時々ドラッグストアーに行って一応聞いてみる

「目を洗うとき強くおしてつけて涙が出てとまらないのですが」
「これは角膜損傷ですね、ほおっておくとまずいですよ、角膜が修復しないと危険ですよ」                                    

なにかこんなことを言われると怖いとなる、この薬がいいですとして紹介された
それは1500円で高かった、でも買わざるをえなくなった
放っとおくと修復しずらくなりますよと言われたので怖くなった
たいしたことがないから自然に修復するものだと思ったがそれを聞いて薬を買わざるを得なくなったのである。
だからこの薬とか医療の問題はどうしても金がかかっても薬でも飲まざるを得ないし医者にかからざるをえないのである

別に自分の場合、目が悪くなっていない、ただ強く眼球を顔を洗うとき押してそうなったのである。たいしたことがないから日にちを置けば直ると思ったが薬屋でそういわれたから薬を買わざるを得なくなったのである。
つつり薬は節約できないのである、医療でもそうである
ここが人間の一番の弱点なのである、命にかかわるとかあるし目が悪くなることは怖い
その薬屋の人は脅すようなことを言った

「目が悪くなると困ることになりますよ、薬は飲んでいた方がいいですよ」

確かにそういうことが前にあったから買わざるを得なかったのである。
ドラッグストアーは医者の代わりになる場合があるからどこでも必要である
二つも一万くらいの町にある、なにかこの辺は外から入ってくる人が増えたからだろう
浪江の人が家をたてた、それは姓を見ればわかるからである
この辺にはない姓であり浪江でそういう姓の墓を見たことがあるからだ

いづれにくしろ人間一番弱いのは病気である、病気になって気丈夫でいられる人はいない老人はなにかと故障が多くなるから困る、ただこれは年とは関係ない
白内障とかではないからだ、ただ目の病気が老人で多くなると書いて自分が角膜損傷とかなるのも因果だったとなる

2018年07月27日

頼む人によって損したり得したりする (頼んだ大工は修理しても直っていなかった)

頼む人によって損したり得したりする

(頼んだ大工は修理しても直っていなかった)

雨漏りして大工に頼んだ、その大工を紹介した女性がいた
結果はどうなったか?
あとから何度も金をとられた、請求された
ちょっとした仕事でも金がかかった
高い所だから危険だからと金を請求した
そんなふうに後から後から金を請求されるのも困る
普通は見積もりを出して引き受けるのが普通である
ただ今回はそうしたまとまった仕事ではない、一部を直すものである
それで頼む人がいなくて頼んだ
結果はこの前雨になり同じようにだらだら雨もりして水浸しになった
何にも直っていなかったのである

するとそれで金を払ったのが損だったとなる
その大工は直すことができなかったのである
また交渉もできない、ただ金をとるだけだったともなる
そうなったら半分くらいこちらでもらいたいともなる
実際に直っていないのだから仕事はできていないからである

そして頼んだ女性にも問題があった、そういう人を頼んだからである
頼む人でも中継ぎになると連帯保証にもなる、その中継ぎになって頼んだ人にも責任がある、なぜそんな人を紹介したのだともなるからだ
大工にも相当に腕の差があるのかもしれない
とにかく人に仕事を頼むときその頼む人によって損したり得したりする

事業は人なり」と言われるが、これは全くその通りである。どんな経営でも適切な人を得てはじめて発展していくものである。いかに立派な歴史、伝統を持つ企業でも、その伝統を正しく受けついでいく人を得なければ、だんだんに衰微していってしまう。経営の組織とか手法とかももちろん大切であるが、それを生かすのはやはり人である。

いくら会社でも人が仕事するのだから人による、AIとか機械はあくまでも人間の補助にしかならないだろう、それを利用するのも活かすのも人だからである。

庭作りした小高の大工さんは一人親方もできるから優秀だった、まず話がうまいし交渉もできる
大工の腕もいい、そういう人はめずらしい、職人気質でとりつきにくい人もいるからだ
ただ小高と鹿島がうまくいかなくなりつきあわなくなった
近くの一軒だけの自転車屋の人も交渉がうまい、そして他で買ったものでも差別なく修理してくれる
原町の自転車屋はとそういうことが全くなくな断った
これも人である、だから人によって医者でもそうだが何でも損したり得したりする
ただ田舎だと選ぶことができないのである。
都会だとすでに原町辺りだと何でも選べるからいいのである。
選べないということはその人がどうのこうのとか文句も言えなくなるのである。

銀行でも自分は投資のことがわからないから銀行員に頼んだ、まかせた
そんなに時間をさけないからである。
つまり投資のプロだと思い頼んだのである。
ところが銀行や銀行員は投資は素人並みだったのである
何もわからないにしろ投資なら株なら安い時に売り高い時に売ればいいとなる
それから基本は分散投資していればいいのである。
それを株が上がっていたのに投資信託に回したのは手数料がとれるということで回した
それで損した、それは銀行では今稼ぐことに苦労しているから投資信託を売りつける
投資信託は銀行にとってはいいものなのである。絶対に損することがなく手数料がとれるからである
これも銀行という組織であれ個人であれ頼んだのが失敗だった
銀行員はノルマが課せられているからとにかく銀行にとってもうかるものをすすめるからである

人間は何か頼むときその人にも組織にもよる、それで損したり得したりする
ただ人でも銀行でも選定がむずかしい、信用して雇った人も泥棒だったとかなる
家に入る人は本当に危険である、それも結局頼んだ人が悪いからである。
不用心に頼んだからである。
おそらく会社運営でもまずそうして社長一人ではできない、社長を支える信頼できる人材を集めなければならない、頼まねばならないのだ
その頼む人が悪いとうまくいかずに倒産したりする

自分の場合なんでも頼んだ人が悪いからあらゆることで損したのである。
病気で介護の時もそうである、そこに来たのは悪い人ばかりだったから損して苦しんだのである。
だから頼む人がどう選ぶか会社でもどう選ぶかが大事である
ただ田舎では銀行でも数少ないし選びようがないのだ
東京辺りだと大手の銀行とか証券会社があり頼める、聞くこともできるだろう
それがないから選びようがないからそうなる
医者でも町でも三軒くらいしかない、ただ原町には眼科医でも三軒くらいある
だから原町だと医者を選べるのである。それび評判のいいところは繁盛している
でも糖尿病で白内障の手術した人は仙台の医者にかかった
糖尿病で手術できるのは仙台にしかないというからだ
難しい病気になるとここではお手上げになる、それが田舎の一番の問題なのである。

posted by 老鶯 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

野馬追いの旗は分類できない (どこの家から村から出るのかわからないから)


野馬追いの旗は分類できない

(どこの家から村から出るのかわからないから)


鹿島(北郷の旗)
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鹿島村


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屋形村


原町(中の郷の旗)

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小高郷の旗

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鳩原村

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鬼百合や小高よりも野馬追いに
                                                        
いきりたつ馬4頭や日の強くさして肌光り野馬追い迫る

いづこより野馬追いの旗ひるがえる雲雀が原に会しけるかな

今日は涼しいので小高まで行った,どこの家に旗がたつのか見たいと思ったができなかった、なぜなら野馬追いは500騎出るとしても相馬藩内で人口でも所帯数でも多い
500騎は500所帯なのである。
1000所帯の1パ―セントが10所帯である、一万の一パ―セントが百所帯である
すると5万所帯で500所帯となる時、一パ―セントなのである。
だからそれだけた野馬追いに出る家は少ないのである
何か野馬追いに出る家が多いように見えるが実際は野馬追に出る家を探すこと自体むずかしいとなる

そして野馬追いの旗は種類が多いし数が多いし分類できない
家に立つ旗でも他の村の旗が混じっている、だからわかりにくい、何本か立っていてせ他の村の旗の場合もある、原町では「八」の旗は大内村にもあったからどこの村なのかわからなくなる、津波や原発事故で家自体が移動していてまたわかりにくくなった
小高の人の旗が鹿島に家を建ててそこに旗が立っていたからである

いづれにしろ野馬追いは行列の前に家に旗がたったときからはじまっている
でもその家を見て歩くことはできない、広いしできない、みんな旗を立てているわげでもないからだ
とにかく野馬追いの旗はどこの家から村から出るのかわかりにくい、神旗争奪戦が終わって帰り馬を追って行けばわかる、でもみんなそれぞれ違った方向に行くのだからわからなくなる

鹿島では街中に三軒くらい立った、わかりやすいのは只野氏は霊山から南北朝の争いで逃れた武士の末裔である、只野氏は郡山の多田野村が由来であり杉の紋が旗印である
あとは菊の紋は天皇に由来するから南北朝時代のものである
それはわかりやすいのである。後は本当にわかりにくいのである。

小高の鳩原村には牧場があり馬が四頭いた、白い馬もいた、神馬なのかもしれない。
鳩原村には何軒かで人が住んでいた、前よりは人が住んでいる、もう三年くらい行っていなかった、今日は涼しいので行くことができた

野馬追いは旗祭りなのだけどその旗の由来がわからない、どこの家から出てくるのか?
どこの村から出てくるのがわからない、広いしわからない、それも一年に一回だからほんの一部しかわからない、それが問題なのである。
posted by 老鶯 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年07月28日

蝉の声(小高まで行く-前より人は結構帰っている)


蝉の声(小高まで行く-前より人は結構帰っている)



小高へ
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鳩原へ

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煙が立っている
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日新館は必ず野馬追いに来る

フォルダのスライドショーで見ると大きく見えます


浜街道木立の繁く蝉の声

鬼百合や小高よりも野馬追に

この道や車もまれに芙蓉かな

峠越えかなたに望む夏の山   

夏草や罵頭観世音に羽倉へと

ひまわりや畑広々と耕やしぬ


大岩の据えて家あり人住まぬ帰るを待ちてここを動かず
                                                  
街中に根づきて古りぬ樹のありぬ帰りて住める人も少なし

街中に五輪塔古り守る寺蝉鳴く声の真昼ひびきぬ

帰り来ぬわずかの家に蝉の声真昼ひびきぬ小高の街かな

人住むもわずかや小高の街通り真昼静かに蝉の声ひびく

煙たち住む人あれや夏草に田畑のうもれ久しくなりぬ

この家に人帰らざり夏草の高く伸びにつ久しくなりぬ

羽倉へと碑に記されて分かれ道夏の日遠くめぐりゆくかな
          

涼しいから小高まで行ってきた、小高では確かに住む人が増えた
街中でも医者でも二軒開業するとか店もいくつか開いている
でもそれで商売になるのかとなる
通りに高齢の女性がいたのでたずねると私は鹿島に住んでいるんですがここに立っていても知っている人と会わないですよ、郵便局に来るのはここに住んでいる人ではないです
郵便局に用事があり外から来ているんですよと言っていた
車の往来も前よりは増えているけど外部から入ってきている、ここに住んでいる人たちではない、それでも三年ぶりくらいに来たから増えていると実感した

それでも何かこういう街は不思議である、人がいないから一段と淋しく感じる
ただ蝉の声がしんとした街にひびいていたのである
街中だと騒々しいところがあるからそんなに蝉の声がひびかない
でも蝉の声がひびいている、前もそうだったがこういう世界は江戸時代なのである
江戸時代を知りたかったら車がないとそういうことだけで江戸時代はこんなふうだったのだと実感する、だから車の影響がいかに多いかわかるのである

浄園寺の中に古い五輪塔がある、これはいつの時代のものなのか?
あの墓を守っているのか?あそこは寺という感じがない
普通の家の庭にただ墓があるだけに見えた
それから古い樹があり街中にも古いものがあり今やそれを帰った人たちが守るのかとなる
鳩原の方に行ったら牧場があり煙が立っていた、人が住んでいるのだとほっとした
前は草ぼうぼうだが蝶々が十羽くらい盛んに舞っていた、その前の家は草にうもれて帰らない、もうあの家には住まないとみた
でも広い庭の農家でも帰っている人がいる
だから前とは違って人の営みがあるのだと見た、ただ道路にしても車はたまに通るだけである、車が通らないということは江戸時代に帰ることなのである
芙蓉がそこに咲いていて花が映えるのである
ただ放射性廃棄物になっているところが広いからあれをかたづけないと元にもどらない
この辺でもまだそういう場所がある

それから碑があり羽倉へとか記してあった、そこから原町の方へ馬事公苑の方へ行くと
広々とした畑をトラクターで耕す人がいた、その相違も大きいと思った 

とにかく今日はかなり走ったけど涼しいから疲れなかった
こんなに疲れないのも不思議である、筋肉も疲れていない、これなら結構長距離行けるなとも思った、このロードではないきで疲れないのかもしれなしい、ロードは早くても疲れる、前かがみになるから疲れる、やはり年になれば楽な自転車がいいと思った

野馬追いは前は暴力団が参加して活気があった? (伝達式を金沢から見に来る人がいた−鹿島(北郷)での儀式)


野馬追いは前は暴力団が参加して活気があった?

(伝達式を金沢から見に来る人がいた−鹿島(北郷)での儀式)

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これは街内から出ていた只野氏だった
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横手での行進
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これは菊池氏なのか?
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北郷の旗とり(杉の旗は只野氏、あとは御家とあるのは小高の人が
鹿島に移ってきてでているとかある、宇多郷の人も出ている)

 副大将は、他の郷にはなく、
唯一北郷に与えられた役付であることから、
謁見の際の口上や作法のやりとりは、
他の郷には見ることの出来ないものです

駅で地元の人が「伝達式」のことをしきりに言っていた
北郷と宇多郷が大将を迎えて合流する儀式はする
でもそれは12時頃であり11時頃に連絡かかりが伝える儀式がある
それが古いもの古式にのっとりするもので歴史的に伝えられたもので言葉も違っているという、その後に北郷と宇多郷が合流するそれは12時以降である
普通見ているのは合流する場である
その前の方が重要な歴史を伝えるものだという、金沢の人は野馬追いのことを調べて来たとなる、鹿島に来るのは少ない、ただフランス人が二人きていた

その人が言うには野馬追いはもともと暴力団が参加して活気があったという
暴力団だから荒っぽいから喧嘩もするし行列で意気盛んになったという
そんなことがあったのか?
確かに何十年前になるのか野馬追いは熱気があった、地元の人でも食い入るように見ていた時代があった、今はただ行列するだけでおとなしいからつまらないという
そういうこともあった、野馬追いは馬が暴れたりして危険な面があった
それには暴力団がかかわっていたのである
暴力団のとりしまりがきつくなり排除されておとなしくなった

暴力団というとき昔は子供の頃は近くに親分がいたのである。
その親分が死んだとき周りの人は参列者が多いので驚いた
その親分は立派といえば変だが大物の親分だったのである
暴力団は親分子分の関係が厳しいから親分が野馬追いに出て子分が補佐する
だからかえって野馬追いには向いていたのだ

そもそも侍とは武闘から戦争から生まれた人たちだか荒っぽい人たちが多かったのである時代劇で盗賊団が村を支配したりすることがあるがそういうことと似た面もあった
武力で村を支配するのだから似ているのである
だから暴力団がヤクザが支配者だったということもありうる
ただそれが後に洗練されて侍となり支配するものとなった

野馬追いは活気がなくなったというときそれはずっと前から言われてきたことである
野馬追いは歴史の保存だから勝手に出れない、野馬追いに出れるのは由緒ある侍の出でないと出れない、その家には旗とか甲冑が伝えられていて認可されているのである。
スコットランドのタートン模様ともにている、勝手に旗を作って出れないのである。
でもそうした歴史と伝統の保存を残して工夫はできる、その後ろに自由参加で踊りでもなんでもさせてやる、それがないので地元の人すらつまらないとなるし盛り上がらないのであるそのことはもう何度もみんな言っていることだが変わらないのである。
何かそうしたことをしたいとしても上の人が許さないとして変わらないと言っている

ともかく野馬追いに来る人は写真を撮る人が多い、地元の人でも自分でも写真がうまくとれない、それは野馬追い行列でも過ぎるのが意外と早いからである
毎年見ていても過ぎるのが早いからうまくとれないのである
動いているものでありそれが早く過ぎるからうまくとれないのである
野馬追いはどうしても絵になるからいい写真をとりたいのだがうまくいかないのである




posted by 老鶯 at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

駅でフランス人と話する (野馬追いなども国際化が迫られる)


駅でフランス人と話する

(野馬追いなども国際化が迫られる)

駅にフランス人が来ていた、日本に三週間いるというし二回目だという
小学校の先生だった、何か日本のことを知りたい熱意が感じられた
それは先生だから知的好奇心があったからだとなる
日本語も少ししゃべれていた、英語で話しした、英語といっても自分の英語は会話まではいかない、でもなんとか通じるというだけである

その人はフランス人でも知識階級だと普通英語はしゃべれるのである
何かその人は平泉のことも知っていた、いろいろ日本のことを知りたくて来ていたのである
何かわからなかったが平泉でししている「曲水の宴」のことを言っていた
つまり杯がながれてくるとき短歌を即興で作る、そのことを言っていた
俳句のことを言ったら短歌のことだったが短歌を知らなかったのである。
説明書を出してその絵を見たらわかったのである。
それだけこの人は日本の文化と歴史に興味をもっている
前にも韓国へわたる船でフランス人とあった
その人は退職した人で日本の祭りを見て歩いていたという、それも何か月もである
民宿を泊まり歩いていたというから驚いた
今になるとインバウンドで外国人が増大した、前はフランス人の女の人が原発事故が起きたことで一人で来ていた、フランス人とは結構会っているなとふりかえる

それで思ったことはやがて田舎に外国人が増えてくる、すでに増えている場所がある
辺鄙火て温泉に外国人が集まっているとか放送していた
都会だけではない、日本の田舎に興味を感じる人がでてくる
また祭りでもそうである、つまり観光は国際化してくる、すでに国際化しているのだが
田舎になるとまだ波及していない、ただ野馬追いなどはそうした日本を知りたい人にはいいとなる

説明するのにフランスでは城が多いとか侍はナイト(騎士)だとか言った
ヨ−ロッパには城が多いから日本と共通性があるのだ
ただ東京は城がないからつまらないとなる、自分が外人と話せるようになったのは英語ができるからではない、外国に旅行してから外人慣れしたのである
外人と別に言葉ができなくても多少でもわかりをえるということを経験から知ったからである、言葉の前に相手も人間であるということで外人に慣れる必要があったのだ
今でも外人に田舎の人を嫌がる怖がるのは慣れていないからなのである
それでアルプスの白馬町の民宿の年配の女性が外人でだきあって別れを惜しんでいた
それだけ外人が増えたからである、日本人は貧乏になり来ないとなると外人を相手にするほかない、それが嫌でもそうするほかなくなったのである。
そうなると言葉すら覚えるのである。人間は食べていかねばならないとなると必死になるから言葉以前にそういう態度が身についたとなる

野馬追いにも国際化が必要になる、そのフランス人は漢字がむずかしいと言っていた
確かに漢字は苦手だとなる、中国では日本人は漢字が読めるから有利だった
ただ外国人は漢字が読めないから困る、それで英語の表示が必要だとなる
野馬追いでも国際化が迫られる、英語で説明する、アナウンスも必要になる
まだそれだけ外国人が増えていないがこれからは外国人を集める必要もある
外国人はかえって日本のことに異常に興味を持つ人がいるからだ
つまらない日常のことでも興味をもつのである
かえ、こんなことを面白いのかということで興味をもつ
ただ今は都会中心であり東京−大阪間がメインであり後は田舎にはまだ来ない
でも都会にあきたら日本の田舎にくる、でも田舎では外人慣れしていない
そのことからが言葉の前に問題なのである。

今日は駅で案内することが多かった、普通は今はほとんどない、外人が来たことも案内することになった、ボランティアのガイドだがそれもオリッピックで必要になる
東京とか大阪や京都になったら今や外国人だらけである
それがかかって今度は日本の情緒を壊すとまでなるし日本人が旅行しても宿がとれないとかなる、それも問題である。自分が旅行した時はそういうことがなかったからである
ただ京都では修学旅行生が売るうるさかった、今は外国人がこれだけ多いともうそんなところではなくなった、日本人が日本を旅行しにくくなったのである。
東北辺りはまだそういうことがないがいづれはなるかもしれない、都会はあきて田舎の方に移るかもしれない、そのフランス人は長野にも行っていた
東京に来ても田舎を回って歩いていたともなる、どうしてもまず東京に来てそこから日本全国に行くからである

国際化の時代は大学でもそうだが英語がコミ二ケーションの言葉として重要になってくる銀行でも国際化するから英語でやりとりできないと外国にも仕事が広がるから今の上司は外国が経験ないということで若い人からうとんじられるし重要な仕事がまかせられないとかなりはずされているというのもわかる
庶民レベルでもそれだけ国際化してしまっているからである
田舎にいると仕事でも外国と関係しないとわからないが実際はインタ−ネットとかも普及してグロ−バル化しているし国際化は否応なく迫られる
それがどうのこうのといっても現実なのだからもうどうにもならないともなる

駅前の自動販売機は一番売れている、店もないし駅で休むことが多いからそうなるのである、そのフランス人も飲もうとしたが青森のリンゴジュースをすすめた
フランスとかヨ−ロッパではみんな葡萄でありワインであるが果物はあまり生産できないらしい、リンゴジュースはめずらしかったのかもしれない、自動販売機だって外人にはめずらしいのであり食べ物でもそうである
別に知的文化的なことだけではない、食べ物は一番わかりやすいものだからである
ただ今はいくらでも外国から食べ物は入ってくる、自国でとれなくても外国から入ってくるからヨ−ロッパでも食べ物は豊かなのである。
確かにイギリスなど寒いから果物はとれない、でも外国からいくらでも入ってくるのである。

そのフランス人は宿は仙台にとってあり明日は雲雀が原の旗とりを見にまたくる
やはり宿をとるのは地元ではむずかしいから仙台になった
仙台でも今は外人でホテルがこんでいるかもしれない、その小学校の先生はサマーバーケーションで来ていたのである。
ホテルでもこむと日本人の旅行者は困るのである
日本はただ貧乏になるとカジノとか観光とかをすすめるほかなくなる
おちぶれるとそうなるのである。外国人を相手にするほかなくなる
それで長野県の白馬の民宿のおばさんが外人と抱き合って別れを惜しんでいたのである。それが現代を象徴していたのである、一部では観光地は外人だらけだとなってくる
それで温泉とか人気になり雪のない国から東南アジアでも今は裕福になってくるのである日本人でも外国に一時ブームになったように異常に興味を好奇心をもつことがあるからだだから人間が外国に異常に憧れることがある、それが日本で旅行が解禁されたからそうなったのである。

2018年07月29日

原町の雲雀が原へ(野馬追い短歌十首) (黒い顔のイスラム系のモハメッドの姓の人が出ていた)


原町の雲雀が原へ(野馬追い短歌十首)

(黒い顔のイスラム系のモハメッドの姓の人が出ていた)

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イスラム系の騎馬武者





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ナマズの旗印は面白い




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北郷の旗印
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只野氏の旗印
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雨しとと舗道をぬらし大将の母衣(ほろ)の赤くも進み来たりぬ(鹿島−北郷)


鬼百合の朝日さし映ゆ野馬追いの騎馬武者そろい雲雀が原へ

夏日さし旗ゆらめきて野馬追いの行進続く雲雀が原へ

大声の時にあげにつ野馬追いの一年に一度晴れ姿かな

旗印そろい三つや同族の頼もしきかな行進続く

原町の昔の街道練り歩く騎馬500頭の勢揃いかな

原町の昔の街道松古りぬ騎馬武者の兜誇らしきかな

朝日さし兜光りぬ手綱とり馬も誇らし昔思いぬ

小高郷神社の旗は黄色かな雲雀が原へ入りゆくかな

北郷の旗印一つ我が見つけ雲雀が原へ武勲あれかし

総大将の後につづきぬ奥方の紫の旗ついてゆくかな

野馬追いにモハメッドの姓黒き貌国際化する時の変わりて

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原町の野馬追いの行列を見に行った、すでにはじまっていた、今年の野馬追のニュースはなにか?
モハメッドというイスラム系の黒い顔の人が出ていたのである。
これはめずらしいと思った、確かに前にも外人で出ていた人がいた
今回はイスラム系の人なのである。イスラム系というと東南アジアにも多い
中東ではないだろう、なぜ出ていたのか?
東南アジア系の人が野馬追いに出る家の女性と結婚したのだろうか?。

中村神社の神輿をかついでいるのは東京電力の会社員だった、これも原発事故で被害を与えたのであえてそうしているのか?会社員が担いでいることは聞いたが東京電力だとは思わなかった

野馬追いはやはり旗が何を示しているのか?それをある程度わからないと深く見れないかもしれない、基本的に小高郷と中の郷(原町)と北郷(鹿島)と宇多郷(中村)が一体となり雲雀が原に合流している入ることは知らねばならない
標葉郷(しめは)浪江も参加するが基本的にはこの四つの郷が一体となり原町の旧街道を行進する、その時相馬藩の歴史が再現されて一体化するのである
小高からも出るということは原発事故で避難区域からも出たとなると復興のための野馬追いがつづいているとなる、野馬追いは相馬藩を再現する一体化する祭りだからである。

野馬追いも国際化することはさけられないだろう、外国人は日本の侍に憧れる、それを目の当たりにするから魅力を感じるだろう
侍の国でも日本ではこうして侍の時代をリアルに再現する祭りがないのも不思議である
例えば会津藩などは30万石とか大きいのにそういう祭りが残っていないのも不思議なのである。会津武士道の日新館の車が必ずきている、でも武士道は会津に残っているが相馬藩ではそうした藩校などはなかった
でもなぜ野馬追いがこれだけの規模で残っているのか?。
それが相馬藩の特殊性なのかもしれない、代々殿様が変わらずつづいたのもめずらしい
必ず代替わりを他ではしているからである。殿様が継続して変わらずつづいたことが野馬追いを残したともなる

野馬追いの見方として旗印だが三つそろったりするのは同一の一族であり村も同じだろう北郷(鹿島)では副大将の紫の母衣9ほろ)の武者がいる、これも特徴である
小高の神社の旗は黄色だとか見分けることも必要である
そして総大将の後ろに紫の旗がありこれは奥方の旗なのである。奥方も旗印をもって総大将についていたのである。奥方も城では力をもっていたのである。

原町の雲雀が原に行く道は昔の街道である、その絵も残っている、宿場町だった
木戸があり許可なしでは通れなかった、いい松があったがそれほど古いものではないだろう、ただ通りに松があるだけで違うなと思った
ただ家だけがあると景観としてものたりないものとなるからだ
並木道として松があるのがふさわしいとなる、松がもっともふさわしいのである

いづれにしろ国際化して外国人が大勢来る時代になると英語で説明することが必要になるそれを自分でもグーグルの翻訳で試みてみよう、あの翻訳は本当に優れている
外国人でスマホがあればある程度は基本的なものは通訳できるかもしれない
どうししても単語が出てこないからだ、日本では話す機会もないから最近英語で通じにくくなった、でも絵や写真を通じてだとわかりやすいのである。
それをスマホとかですると通じるとなる、まず言葉だけでは今は通じにくいのである。
言葉だけで説明することはわかりにくいのである
ただそこで問題なのは説明の仕方だとなる、外国人にわかりやすい注意をひくものとしないと通じない、外国人に日本をどう紹介するのかということにもなってくる
ただ説明する時ヨ−ロッパだと城が多いからにているから説明しやすいとなる
東南アジアとかなると説明しにくいのである。 

今回は雲雀が原で旗とりは見なかった、行列で盛り上がるのは雲雀が原に入る時である
だからあそこで写真をとるのがいい、曇っていたりちょっと雨がふったり台風が来て変わりやすい天気だったが晴れあがったから写真をとるにはいい天気になった
やはり野馬追いは暑くて晴れて夏の雲が湧きあがるときあっているのである。
ただ雨の時でも風情はある、雨しととふり大将が行進してくるのも良かった