2018年07月19日

山の立体性の追求 (幾何学的に分解できる山) ( geometrically Mountains)

山の立体性の追求

(幾何学的に分解できる山)

abstract pictures about solid body

( geometrically Mountains)

mmmmtop111.jpg

mmmmmref11111222.jpg

summitsss12.jpg

topblueee123.jpg

bluetwilightmm1.jpg

valliyriver123.jpg

gizagizamm1.jpg
hiddenshadowmmm11.jpg
隠された山−hidden mountains

hiddenshadowmmm11222.jpg
twined stones in the sea

●立体の追求

●色の追求

●流動性の追求(水とか風)

絵画は基本的に立体の追記稀有とと色の追求と流動性の追求がある
立体というとき山がその象徴でありそれを分解すると立体的な幾何学的な構築物として分解できる、ピラミッドのように山を現せる
分解すると山は幾何学的な立体なのである

山とはまた精神的に意志である、強い強固な意志を示している,それは山頂を形成する
立体的であることは建築的なのである。
山は一つの強固な自然の建築物であり建築なのである

私は写真を変形して作ったりしているが建築物を作っているような気分になる
自然は人間から見るとき幾何学的構成として見れると思った
いづれにしろ絵画はこの三つの作用でできていることは確かである


● Pursuit of solid body

● pursuit of color

● Pursuit of liquidity (water and wind)

Paintings basically have rare additions to solids and pursuit of color and pursuit of liquidity
When a solid is called a mountain is its symbol and when it breaks down it can be broken down as a three-dimensional geometric construct, it can show a mountain like a pyramid
When decomposing the mountain is a geometric solid

Mountains are also mentally willing to show strong strong will,
 it forms a summit
Three-dimensional is architectural.
The mountain is a strong natural building and architecture
I am deforming photos and making it but it makes me feel 
like building a building
I thought nature could be seen as a geometric composition 
when viewed from humans
It is certain that paintings are made of these three actions in any case

すべてがグローバル経済に巻き込まれる (麦が輸入されて癌になる、サンマがとれなくなる)


 すべてがグローバル経済に巻き込まれる

 (麦が輸入されて癌になる、サンマがとれなくなる)

gendai7-19.jpg
日刊現代−7月19日号

小さな畑がある、そこでとれたものを近くの農協がかかわる販売店で売ろうとする
すると農協から肥料とか薬を買えと強制され金をとられるという
売るほどのものがとれないのに農薬代とか肥料代とか種代で金がなくなる
その金をまた自分に要求されるのは困る
趣味でやる畑は自分でとさたものを食べるかとか回りの人にくれるとかでいい
とてもそれを売るとなるとハードルが急に高くなる
そこでは全国の競争にさらされグロ−バル経済もかかわってくる
野菜でもアスパラガスなどでもメキシコからと入ってきたからである

農業は全国的にも世界的にも競争にさらされている、すると昔のような自給自足のような農業は成り立たない、米だって全国規模になりブライド米として売れないと成り立たないトマトでもまず種類が多いし安くなっていた、それだけ全国的にもトマトを栽培している農家が多いからである。トマトはそれだけ売れればもうかるからそうなる

現代文明とはグロ−バル経済だというとき輸送文明なのである。輸送力が格段に発展した社会である。それで外国からも食料でも野菜でも入ってくる社会である
だから田舎でトラック運転手が意外と多いというときそうして東京とかに運ぶ輸送を担っているからである、そしてトラック運転手な過酷な労働が問題になる
一分でも遅れないように輸送を強いられているのである。
市場のせりにまにあうためとか九州からでも東京の市場に運ぶのである

それで今日の日刊現代の記事に興味をもった、麦を運ぶのに薬を使っている、船で運ぶにしても時間がかかるから腐敗しないように薬を使う、それが癌の原因になるという
つまりそれだけ食料となると運ぶということで問題が起きる
それだけ遠くから食料などを運ぶことは無理がある、でもその無理を克服して技術力があるからそうするようになった,それでもそうした問題が起きているのである。

基本的に人間の社会は日本だったら戦前まで地産地消だった
その土地でとれたもので生活していた、第一そんなに遠くに運ぶ技術がなかったからだ
冷凍して魚を運ぶとか新鮮なものを運ぶとなると容易ではないしコストがかかるからだ
だから東京なら江戸前であり新鮮な魚は江戸の前の海でとれたものなのである。
江戸前とはまさに百万都市の江戸でも新鮮な魚が食べられた象徴した言葉だったのであるこの辺でも新鮮な魚が食べられていた、港がありそれが豊かさだった
漁師の人は二三日過ぎたら魚を食べないとなっていたのだ、魚は新鮮さが勝負なのである江戸というとき東京をイメージするが江戸前は今はない、全国から食料は運ばれて一千万人の胃袋を満たしているのである。だからそのエネルギーは膨大なものとなる
そのために運ぶためにトラック運転手が苦しみ一分争って運んでいるのである。
だから東京一極集中は異常な世界なのである。
福島に原発を作ったのも東京にエネルギーを供給するためだったのである
別に原発は東京に作れたのである。その方が効率的だったのである。

江戸だったら練馬大根でも回りが農家であり野菜も近くから供給されていた
ただ米だけは地方から特に東北の伊達藩では江戸の米の三分の一を運んでいたという
江戸ではいつも白米を食べれるということで贅沢だとなっていたが脚気になった
でも麦飯と粟飯でも五穀を食べていた人はならなかったのである。
それで脚気は江戸患いとなっていた、江戸に生活して白米を食べているとなった病気だったのである。
これもやはり本来なら白米だけを食べない、雑穀を食べる、食べ物でも一つの種類だけに特化して食べることは危険だとなる
なぜそうなったのか?
それは船で米を輸送する技術が生まれたためにそうなったのである。

グローバル経済というとき世界的株式市場のことのように思い関係ないともみる
でも現実はまず食料からしてグロ−バル化しているし巻き込まれている
石油があがればトマトを作るハウスでも石油を使うから値段を上げるとかなる
農業も石油と関係しているし電気とも関係しているようになった
食料自体が工業製品のようにもなるし農機具を使うので機械化もする
そして常に世界的競争にもさらされているのである

例えば漁業でもサンマが今年はとれないから一匹400円とか500円とかもっと高くなるといかいうときどうしてそうなるのか?
その原因は不明でも台湾や中国の大型船が日本の排他的領海より外で大量にとるためだともしている、これまでは中国ではサンマは食べる習慣がなかったが日本で食べるようになりそれまねて食べるようになった、サンマは旬で食べるのがいいのだが中国などではそうした文化はなくまだ成長しないうちからとって食べるという
つまりサンマを食べる習慣は文化はなかったが最近日本をまねて食べるようになったのである。
そうすると中国の人口は多いから魚だって獲りつくされる恐怖がある
それも結局グロ−バル経済の結果なのである

地産地消の経済が言われるけどもともと自給自足の経済であり地元でとれたものは地元で食べてそんな遠くから来たものは入ってこなかったのである。
自分の家でも店をしていたとき野菜は近隣の農家から買って売っていたのである。
遠くから来るものは少なかったのである。
卵でも農家から売って買っていた,子供の時卵を買いに行かされたからである。
その時自転車でありその自転車もいい自転車ではなかった、だから必ず糠に入れた卵が割れていたのである。
野菜でも姉が自転車で運んでいた、大きな箱を後ろの荷台につけて野菜を朝に運んでいたのである。それは相当に大きいから持ち上げるのに運ぶにも力がないとできない
でも姉は力持ちだからできたのである。車などないからそうなった
梨農家では相馬まで前の中村までリヤカーで運んだという、後はまだ馬車の時代であり運ぶに苦労したのである。

輸送する技術が生まれたときグロ−バル経済が成り立つ、でもその時地産地消のその土地にねづいた文化は失われる,世界の株式市場をいつも四六時中気にしている投資家と同じになる、漁業にしても小規模な漁業は中国や台湾の大型船にかなわないとなる
すると小さな港で地元を地盤にして生活も破壊される
それで漁業でも小規模ではやっていけないとか跡継ぎがいないとかで東電に漁業権を売り渡して補償金で暮らした方がいいとなり現実になったのである。

サンマがとれないというとき高くなると庶民の魚ではなくなり庶民の魚文化も食文化も失われる、つまりグロ−バル化は文化を破壊するのである。
文化というとき食料とか料理も文化だからである。
原発事故でその農業でも漁業でも林業でも一番放射能で汚染された
そうし人が住めなくなった、一番影響したのがそうした自然を基に生活していたものだったのである。
そこでは誰も跡継ぎがないとか金にならないとかでやる気がなくなっていたところに原発事故で壊滅的な被害になったのである

グロ−バル経済は食文化も破壊するとき深刻なものになる
なぜなら本来は日本人は肉と牛肉は本来食べていない。穀物中心の食文化だった
だから日本人は腸が長いのである、牛のように胃袋が四つもあるというとき穀物を消化するためにそうなる、それで不思議なのは欧米人は肉を消化する酵素が日本人より出るというときこれもその食文化は長い間に文化として定着して体まで適合するように作られていたのである。

逆に今日本人の食文化はサシミでもサンマでもスシなも世界に普及した
日本人の食文化は料理は体にいいから長寿なのだとして世界でも普及したのである
これも食のグロ−バル化として起きている
肉食文化より魚と野菜と米中心の食文化が体にいいとなった
実際に癌とかアルツハイマーの原因はわからないにしても食文化が変わるとわからない病気が増えることはありうるのである、やはり食が健康の基だからそうなる

いづれにしろ移民問題にしろ食でもなんでもグロ−バル化した世界がもたらした問題である。そのグロ−バル化に組み入れられて巻き込まれているからそこから離れられない
グロ−バル化からは離れてありえなくなったのである。
グローバル化やエネルギー問題の深刻さはこの辺のように住めなくなることなのである
これほど深刻なことはない、人間はまずその土地に住むことを目的として生きるからである、その土地に住むためにどうするのかということからはじまる
その土地に住めないことはもうすべてが終わりなのである。
現実に街すら廃墟となり放置されて人は住まなくなったからである。
そうしたことは電気は必要だとかいろいろ理由を言ってももうその理由も成り立たない
それで大熊辺りでは蝋燭で家族一緒に生活できた方がいいとか極端なものになったのである。住めないということほど深刻なことはなかったのである。

グロ−バリズムの終焉(経済学的文明から地理的文明へ)
関廣野、藤沢雄一郎著

これは自分が追求してきたものと重なる、地域に根ざして土に生きてきた人だから自分より説得力がある、農業を実践してきたからである
この著者も原発に疑問を抱いて前から原発に反対して運動していたのである。
ただ左翼関係かもしれないが原発に関しては別に右左はないのである

この本では著者は住むことを一番大事にしている、住めための経済学である
貿易とかにも疑問をもっているし銀行でも支配者のためにあり金持ちのためにある金融支配のものだと批判している,確かに銀行は何しているかわからないのである
株とか投資信託でもうけるとなるともう証券会社であり地銀の役割はになっていないからだ

ただこれだけグロ−バル化とか資本主義とかが世界を支配するときそれを否定して生きることは不可能に近いともなる、エネルギーにしても炭を使って木炭で車を動かすとなると百年前にもどるのかとなるからだ、ただこの本は自分の思想と一致するので深く検討する必要がある

posted by 老鶯 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年07月20日

コメントの返信は遅れることがあります


コメントの返信は遅れることがあります

コメントの返信はは三日の後とか一週間後とか二週間後とか一か月後とかになることがあります

なぜかというと自分のプログにはほとんどコメントがないので見ていないのです
私はプログを書くことに専念しています
それでコメントを見ていないことがあるのです

だから遅くなっても返信はあるのでプログを見ていてください

今回の深野の人のコメントは興味深いものでした
ただこれも三日後とかなったので遅れました

一週間後くらいまで余裕をみて返信がありますので見ていてください
これからは一週間を目安にして返信はしたいと思いますのでよろしくお願いします

なぜ人は移住するのか? (深野の佐藤氏を例にして歴史的に考察)


なぜ人は移住するのか?

(深野の佐藤氏を例にして歴史的に考察)

大阪府高槻市樫田杉生の旧和田村(かつては京都府 明治初期まであった地名)から、都の戦乱を嫌い、富山県礪波市上和田に移住し、江戸時代の真宗移民で相馬藩領内に移住して代を繋いでいます。母は、白石片倉家10代景貞の末裔です。
(深野の佐藤氏のコメントより)

●言葉の伝播から

江戸時代の文献に「織田信長が京都へ来てから、京の言葉遣いに名古屋のことばが多く混じるようになった」という記述があり、これを記した松永貞徳(まつながていとく)は、自身が幼い頃とその後では京都の人の言葉遣いは変わり、尾張の方言が京ことばに多く混じったと伝えています。

晩のあいさつを
「オバンデス」(京ことば)、「オバンニナッタナシ」(山形方言)、水に浸して水分を吸収させる
ことは京ことばも山形方言も「ウルカス」など、行為や食や衣に関する 46 の言葉を掲載してい
る(山形県・河北町 1996:60-61)。

前述の「おみ漬け」は、近江商人が考案した漬物「おうみ漬け」から転訛して「おみ漬け」に
なったと言われる2

海と山が醸成するアジアの文化
file:///C:/Users/yuichi/Downloads/k-kenkyuzyonenpou15_3-9.pdf

琉球方言は古い時代の日本語をもとにしているものが多く、たとえば「いらっしゃいませ」の意味の「メンソーレ」は、「参(まえ)り候(そうら)え」が変化した言葉だといわれている。
 また、琉球方言の中には、たとえば沖縄本島などで使う「あけづ」(=とんぼ)のように、本土ですでに使われなくなった言葉(死語)も多くのこっています。本土方言と沖縄方言は、別の様にも見えるが、よく比べて見ると、もとは同じ言葉だったことがわかります。

 
 言葉の伝播がなぜ起きるのか?それは人が移動したり移住したりするからである
言葉自体が勝手に移動しない、言葉も文化も人が移動しているから遠くの国でも同じような言葉となって共通性が生じる
なぜ青森県とか沖縄にでも古い日本語、京言葉が残ったりするのはなぜなのか?
それはかえって京言葉がそうした辺境の地に化石のように維持されて残されたのである

なぜ深野がふこうのなのかというときこのフコウノとはもともと大阪の言葉で大阪弁だったのだろう、それが全国に広まったのは大阪出身の人が深野の佐藤氏のように移住したからだとなる、深野とあるとき普通はフコウノとは言わないからである。
言葉は名古屋弁が京都に入ってきたのは信長が京都に入り影響したのである。
言葉から方言から歴史を見るのもは身近だから面白い
いつも言っているが仙台弁の語尾のだっちゃというのは相馬藩からすれば変わっている
相馬藩内ではんだとかなるからだ
でも丸森は伊達藩と相馬藩が入り混じった所である。
その金山城は伊達藩と相馬藩が交互に支配した城だったのである。
その城の麓に住んでいる人が相馬総合病院で同じ病室だったけどんだちゃと言っていた
これは相馬藩のんだ+だっちゃが結合したものだったのである。
おそらく相馬藩の人が城に住んだからその麓でもその影響が残ったとなる
今はなかなか方言は聞けないが国の訛り(なまり)は消えないのである。

●政治的戦乱とかのための移住

人間の歴史をふりかえると移住の歴史である、なぜ人は移住するのか?

●新しい生活の場を求める
●戦乱などから逃れる
●飢饉などの影響
●職を求めて移住する

一般的には経済的理由が多い、新しい生活の場を求めるというとき農業中心の時代では
開墾開拓のために近辺に土地を開墾して農業をする、その移動は狭い範囲になるから移住とも言えない、生活圏の拡大である
そして意外なのは戦乱とかから逃れることのために移住するということが多い
それで全国に落武者伝説が残る
鹿島の只野氏は古い家柄であり南北朝時代に霊山が炎上して逃れてきた武士の末裔なのである。その歴史は明確にたどれる、それで野馬追いに杉の紋様の旗印として出ているからわかりやすいのである、日吉神社のお浜下りの祭りではおつづら馬という荷物を運ぶ先導役を代々受け継いでいるから古い家柄なのである。

深野の佐藤氏でも大阪が戦乱にありそれを嫌って富山に逃れてきたというとき何かそういうことがあり移住した
これは今は世界的に起きている難民の問題なのである。政治的難民は歴史で常にあった
それは強いられてそうなったのである。
人間は住み慣れたところに住むのが普通である、そこを離れたくないのが普通のなのである、でもやむをえず政治的混乱とか戦乱になり逃れる、それが世界的規模で起きているのが現代なのである。飢饉などもそうである
なぜ戦後満州に移住したのか?それは広大な土地を求めて移住した
その時は農業が生活の主体であったから土地を求めて移住した、満州の寒い土地で米作りをしようとしたのである。
その結果として満州という土地にこだわって太平洋戦争と発展した
アメリカとかの権益で争うことになったからである
                                              
政治的難民の場合は強いられて移住したのである、その場所に住みたいといっても住めないから逃れ移住する、だから貧乏だからと経済的理由で移民を受け入れるより優先されるなぜなら命にかかわるからである

●征服のための集団的移住

歴史を見れば常に戦争とかがありその時集団的に軍隊が移動する、するとそこで征服した地に移住する、支配者となり移住する、それは民族の移動ともなる
民族の移動が戦争にもなっているからだ
モンゴルは広大な世界を一時支配した、するとそのモンゴルの末裔が今もチベットとか山岳民族に残っていたりするのはそのためである
そこで混血する、ベトナム戦争で韓国人がベトナム人の女性を強姦して混血させたとか問題になる、ただ混血は人種でも民族でも常に移動して移住するから世界で起きている

蝦夷というときこれも混血した人たちだった、最初は縄文人がいたとして外来の人が渡来してきた混血したのである。
蝦夷にはだから朝鮮系の人たちが鉄を作る技術者が早い時期から入ってきていて地元の原住民の縄文人と混血したのである。伽耶(かや)はいち早く入ってきた
その伽耶とはそこから天皇が移動してきたとかある、伽耶の謎はそこは今度はインドの商業の民が移住して作られてタミール語を話すドラビダ族がいてそれが日本語の起源だといういう説もでる
伽耶は謎であり何か特殊なのである。そこは大和民族が支配していたともいわれる
前方後円墳が発見されたが実は大和からの伝播だったという説もある

征服のための移住というとき相馬氏がそうである、ある意味でモンゴルのように騎馬軍団が移住して相馬野馬追いにつながっているともなる
相馬氏がこの地域を征服して支配したから相馬市となっているからだ
相馬藩はまさに相馬氏の移住によって作られたものだからである。
相馬野馬追いの旗印は相馬氏一族に由来しているからである
ただ南北朝時代の只野氏の旗印もあるからそれだけではないが大方はそうである

ただ相馬氏が一族が一団として移住したのは征服のためでありもともと支配していた千葉県とかの相馬領内では家臣団を養えないからまだ未開の地がある移住したとなる
移住と征服はセットになっていることがある
人間の歴史は移住の歴史であり混血の歴史である。
この混血することによって人間の種は強固になった
混血すると美人が多いとかかえって優秀な人間が素質的に生まれとかなる
黒人と結婚した女性が世界陸上で活躍するのもそうである。日本人にはない先天的遺伝的特質が備わったためだとなる
つまり異質なもののとの混血は文化でも豊かにする
ヨ−ロッパの歴史はそうした人間でも文化でも混血した混合した結合した結果なのであるそれでルネサンスが生まれたのである。イスラム文化も結合して生まれたのである。
人間の歴史は混血の歴史でありそれがないと世界的に見たら停滞するともなる
ただルネサンスとかはあくまでも文化の混血であり人間そのものが今のように移住したとはならないのである。そこが今の移民とは違っているのである。
人を取り入れる経済的難民を取り入れることの問題がここにあるから歴史から学べともなる

●経済的理由で移住するのが一般的

何も戦乱がなくても経済的理由で移住するのが一般的である
貧しい国からさ豊かな国に移住するのは人間として普通だからである
今の移民はたいがいそうである、政治的難民より経済的難民が圧倒的に多いのである
ただわからないのはなぜ富山県であれ越中であれ困窮していた飢饉で三分の一も減った相馬藩に移住した人がいたのか?
そんなところに普通は移住しないだろう、でも当時は土地を得られるとういことで移住した、,農民にとって土地が一番大事だからそうなった
満州に移住したのも広大な土地が得られるということで移住した

移住するというときやはり経済的困窮が理由になる、出稼ぎが江戸時代でもあるのは働く場所がないからそうなる、江戸時代ではないが自分の父親が葛尾村から双葉の新山に酒屋に丁稚奉公に出たのは山で暮らしていけないからである。
これも強いられてそうなったのである。本当は葛尾(かつろう)村で暮らしたかったのである
そして出稼ぎというときなぜ双葉や大熊で原発を誘致したかというと出稼ぎをしたくない故郷で生活したいということで原発を誘致したのである。
仕事がないからうそなった、それが裏目に出たのである
人間はその土地に住みたいし移動したくない、移住もしたくないのが普通なのである。

高度成長時代になり東京が人手不足になり金の卵として中卒で集団就職する人たちがクラスな三分の一いたというときもそうである
田舎に仕事がないから移動したのである、本当は東京には行きたくなかったとなる
移住するとかなると強いられたからするのであり積極的にする人は少ない
自分の場合は田舎から離れたいという願望があり東京の大学に入った
それは仕事を求めてではない、だからこれはまた違った動機だったのである。

いづれにしろ移住するというとき強いられて移住するのが多い、この辺でも原発事故で移住したのは強いられたからである。故郷にいたくてもいられなくなったからである。
その住めなくなるということは最大の被害だったのである。
そして補償金が手厚かったから余計にそうなったのである。
もし補償金が少なければ放射能被害があるにしろ生活するために故郷にとどまったかもしれない、皮肉な結果として補償金が手厚かったから外に流出したのである
もし補償金がわずかだったらそううい決断は簡単にできないと思うからである
それでいち早く外に家を建てた人も多いからである
子供が名取に家を建てて親の部屋まで作っているからそこで暮らしてほしいと親に言っているが親は小高にとどまっているとかなる
それは故郷に愛着があるからそうなっているのである

posted by 老鶯 at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年07月21日

養う(やしなう)という言葉の意味 (原発であれ今は会社や科学技術が養っている)


養う(やしなう)という言葉の意味

(原発であれ今は会社や科学技術が養っている)

養う(やしなう)とは社(やしろ)のやしからきている、養うとは狭い社を範囲にして養うということが生まれたのかもしれない
日本人の世界観は村が起源になっている、だから狭い範囲で生きてきたからそうなった
働くという言葉も端を楽にするということは家族単位から生まれた言葉なのである
なぜ養うということを問題にしたかというと村で暮らすときその周りのものを活かしていくほかにそこに住むことはできない、人間は村でありそこで住むことがまず優先されたのである、そこに住むためにいろいろと苦労してきたのである。

そこに住むためにはその土地にある資源をすべて活用しない限り生きていけない
だからその土地にあるものなら何でも利用することになる
肥料がないから糞尿を利用するとかもそうである、それは江戸時代なら江戸でもそうだったのである、あらゆるものを捨てないで利用していた、そこでもったないという言葉が日本から生まれたのである。

海でも平地でも森でも山でもそこにとれるものを何でも利用する、すると人間はどういう感覚になるのか?
その土地に住みその土地のもので生きるとなれば海で魚がとれれば海に感謝する、山で木材をとり炭を作れば山に感謝する、平地で米がとれれば感謝する、神にそうした恵みがあることを感謝する、つまりその土地に養われていたからこそ社(やしろ)中心の生活となり養う(やしなう)になったのである。養われるという感覚になったのである。

そういうふうにして生きていた時どうしてもそこに今の感覚とは相当に違っている
つまり今をそうした時代と比較すると今は何に養われているのか?
その時の感覚では魚がとれれば貝でもとれれば海に感謝していた、平地でコメがとれれば米がとれて生きられるとなり米がとれてその土地で生きる養われるという感覚になっていた、山でとれるものでもそうである。すると山に感謝していたのである。

それが現代になるとどうなったのか?
グロ−バル化経済になるとどうなったのか?
みんな田舎であれ金に養われているという感覚になる
日々の生活は買う生活なのである。自分自身も一人で家事をするとき毎日何を買うかが問題なのである。その種類が多いからわからないのである。
何を買うかを知ることが日々の糧を得ることである、糧(かて)という感じでも米の量となっているが米と密接に結びついていた

そして買うということは金が必要になる、今はみんな金に養われているという感覚になるそれだけグロ−バル化して世界の商品が入ってくるからである。
その土地のもので生活している人は田舎でもわずかなのである。
膨大な商品を買う生活なのである。そのためには金が必要だとなる
そこで金の比重が増大化してゆく、みんな金が一番大事なものであり金に養われているという感覚になる
本当は米なしでは生活できないとなるのだがその前に金なしでは生活できないとなっているのが現代なのである
ただそういう感覚は現代になってから極端化したのである

村の社に祈る時それはその土地のもので養われるから祈っていたのである。
今はそう思っている人は田舎でも農家でもいない
例えば漁民でも本当は海に養われているとなっていた
でも魚は取るだけでは生活できないとなり東電に漁業権を売り渡した
養うのは海ではなく東電という大企業なのである
他でも農家は農業だけではやっていけないから田舎でもみんな会社員になっている
すると会社に養われているのであり村の社とは関係ないのである。

田舎でも何が生活の糧になっているのかとみると農業ではない、土木建築関係の会社に雇われるものも多い、すると田舎で養われるものはそうした会社であり農業ではないとなるそこが現金収入を得る場だからそうなる
田舎でもやはり収入がないと現金を得ないと生きていけないからそうなる

自分自身の一身上の利害を度外視してもし村長とか町長とか市長の立場で考えると
この市町村をどうしてここに人を住むようにできるか?
何をもって養うことができるのか?
それを考えると農業では金にならないから土木建築関係で金を得る、そのためには仕事が必要である、それで国に公共事業の費用をだしてもらい道路などを作りすぎたのが現実なのである。それは金にならないと田舎でも生きていけないからである。

ただ人間はこうして自然から離れ自然に感謝しなくなった、また自然も畏れなくなった
人間を養うのは石油であり電気であり科学技術だと思うようになった
そうなると東電に感謝しろとかなったり科学技術を産みだす科学者が神官となったのである。原発はまさにそうだった、それは石油で動いているのではない
科学技術の力で動いていたからである。
だからその原発が神のごときものとして崇拝するまでになる
そして「安全神話」は作られた、科学者でも技術者でも神のごとくに崇拝されていたからである、医者が今神様のように崇拝されているのともにている
科学技術が養うというときそこには自然はない、海にも山にも人は感謝しないのである。山に木材があっても外材で無用化されて炭にもならずただ無駄なものとしてあるとなる
その時人は山にも感謝しないし羽山信仰なども過去のものであり祈ったりしない

しかしその時何が起きたのか?
原発事故が起きてそうした海のものや大地のもの山のものがみんな汚染されたのである
そして住めなくなったのである。住むということを第一にしていたのが人間である
その住むことができないということはそもそもその土地のもので養われているという社会でなくなっていたからである。
だからこそその土地に愛着することもなくなる、みんな別に農民でもないからである
だから浪江の人は二本松に工場を移転してその人も移住したとなる
つまりその人も会社に養われていたのであり別に故郷のものでその土地のもので生きていたわけではないからそうなった
養っていたのは会社なのである。

そうした社会には実は危険なものがひそんでいた、一旦科学技術の粋を集めた原発でも事故をおこせば壊滅的被害になりその土地にも生きていけなくなることであった
まず住むことを第一にして人はその土地のものを活かして生きる
それがなくなりただ科学技術こそ神となり原発ともなるとき危険があった
人間はもはや原発に養われ電気に養われているとなったからである。
その事故はプルトニウムが二万年消えないとかになってしまったのである。

ただ人間はその土地で生きるということは何か養うものがないかぎり生きていけない
もし市町村の長になればそれをどうするかと強いられる
そこで金がなければ養えない、金を稼がなければ養えないとなる
それは膨大なものを外部から仕入れて買う生活だからそうなっているのである。
そうなればどうしても金を稼ぐことが強いられるからである。
農民でも実際は今は買う生活である。だからみんな金を求める生活となる
糧が米なら米の量によって養われる人数でも決まるとなる
でも米ではない、金があることによって養われるというときその金をいかにして稼ぐのかということが問題になるのである。

ただ養うとは何か日本語として英語とかにはない意味がある
言葉はその国の民族の歴史から生まれているから意味がある
養うとはいい日本語だと思う、養うとは人を養うということとかその土地で養われるとかもともとは社を中心とした村社会から生まれた言葉である
だから養うというとき食料だけではない、その土地で養われることは美的にもそうであるその土地の景観でもそうであり自然に養われるということがある
その時その土地の自然を通じて心も養われるのである。
自分の場合は食料よりそうした自然とか文化的なものに養われるということになった
でも現実問題としてはその土地で養われて住みつき生きることこそ第一でありそれがなくして養われることはありえないのである。

ただ金に養われるということそれで安心なのか?それで住めるのか?
そういう不安はあるだろう、物価が倍になれば金の価値は半減するし金の価値は一定ではない、紙くずにすらなる
だからその土地に住み養われるということは本当は金だけでは不安なのである
それを証明したのか原発事故で現金収入を得ていたのが一挙破壊されてしまったからである。科学技術は金を産みだすがそれも一挙に事故で崩壊したようにそうした科学技術の産物は一時的なものとして消失する危険があるのだ

だから何に養われるのか?それを問い考えることになった、それを追求してきた
でも時代を逆戻りして炭で暮らすわけにはいかいない、その方策は何なのだろうとなる
ただ養うというとき昔だったら一応村という単位で考えていた
今は会社とか工場とか東電のような大企業でありそこで現実に多くの人が働いて金をもらっているのだから養っているのはそうした会社だとなる
だから戦前から江戸時代のように海から魚をとれたり貝をとったりし米を収穫したり山の材木を利用したりして生きている感覚がないから自然に感謝したりしないのである
でも事故が起きたりするとその頼ったものが一挙に崩壊して住めなくなったのである。
タグ:養うの意味
posted by 老鶯 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年07月22日

組織化団体化の利権追及が社会を歪める (民主主義が機能しない訳)


組織化団体化の利権追及が社会を歪める

(民主主義が機能しない訳)

日本ほどシロアリにたかられた国はない!米国、官僚、企業、政治家政党(共産党を除く)国民の税金にたかっている! マスメディアもシロアリである!政治がダメなので、その結果、日本ほどシロアリにたかられた国はない。そのため国民は、日本史を知らないのみならず、シロアリ天国の日本の現実を知らないのである!兵頭正俊氏…

巨大な農協が、小さい農家から利益を搾取

農家は小さいが農協は巨大だ。取り扱う農作物は十兆円を超え、貯金も六十兆円以上だ。こんな巨大企業に独占を許していたら、弱い立場の農家は搾取され放題になる。
・農家が農協から購入する農薬や肥料などの資材はかなり高額で、例えば、全農を通じて国内メーカーから購入する肥料の価格は、同じメーカーが輸出する肥料の価格の三倍もする。

農協とはそもそも、農地解放と言いながら地主達が特権を継承する場として、作られました。しかし本質は、農家=小作という存在であり、農家の儲けの上前をはね取る搾取対象であるという意識が残存しています。

koumeiiiii111.jpg

大成建設と創価は密接な関係がある
創価大学の就職枠があり利権化している



この利権のことを追求したら限りないだろう、民主主義がなぜうまく機能しないのか?
それは一票というのは何の力もないからだ、それが組織化団体化すると力を持ち利権となる、社会は利益の追求だというとき利権の追求なのである。
利益の追求と利権の追求の相違は利益は公正なものとして利益を得る
農民が汗水たらして米でも野菜でも果物でも作る,それを売るとして利益をあげるのは別に悪いことではない、利益をあげることがみんな悪いとしたら社会自体が成り立たなくなる

ただ混同しやすいのは利益と利権が違っていることである。具体的に小さな畑で野菜を作りそれを地域の販売店で売ろうとしたら農協がかかわり高い肥料とか薬を買わされるという、第一その畑は趣味のものであり売るほどのものはとれない、結局赤字となりその分を自分が払わされているのである。
ただ荒地にしておくよりはいいとして払っている、農協を通じて売るほどのものは全くとれていないのだからそのために金をはらうことはそもそもできないのだ
自分でとれたものを食べるとか周りにあげるとかするくらいである

利権というときあらゆる団体組織が利権団体なのである。
団体組織でも会社もそうだからまず利益をあげねばならない、それは悪いことではない
ただそこに利権がかかわると社会がゆがめられる、ところが団体組織化することは権力化することなのである。権力をもてば利権化する、一個人が商売しても利権にはならない
そして現代社会はみんな会社員だとするとそこは利権化する体質を備えている

それは原発事故で追求してきたけどそこには現代の大きな組織権力がかかわっていたのである。東電は莫大な利益をあげる会社であった
すると官僚でも政治家でもマスコミでもその利益にあずかろうとする
例えば東電だけではない組合も利権団体なのである。
電事連があるとしたらそれも利権団体でありマスコミに800億円もの宣伝費を払っていたのである。それだけの払う金があるからできた、そうなるとマスコミでも東電を原発を批判したりできないから強固な「安全神話」が作られたのである。
それはそうした組織団体が利権をもっているからである。
マスコミは報道するという権力もあっていて第3の権力と言われていた
電波利権をもっていた、テレビの報道は六局でしかできないとなっていたからである

原発では漁業者のことを漁業権の悪用として追求してきたがここも利権団体になっていた漁業権は東電に売り渡すために与えられていない、資源の保護とかがあり東電に売り渡す権利などなかったのである。
でもそこも組織団体化すると誰も逆らうことはできなくなる、暴力団のようになる
実際原発事故前でも多額の補償金をもらっていたが知る人はその近くに住んでいる人たちだった、原発御殿が建っていたとうらやましがっていたのである。
でもそれを知ることすら地元でもできなかった、報道されないからである。
原発に関しては報道管制がしかれていたからできなかったのである。
もし一個人がプログで批判しても原発事故前だったら怖いことになったと思う
そこは利権化した団体でありもし批判したら攻撃される、暴力があったかもしれない、
だからそれを近くで知っていても何も言えないとなっていた
そういうことは今の社会でありふれているし常態化している
だからマスコミではそのことで気を使い何も言えなくなる、差別だとか常に障害者でも団体があり同和利権とかもありそういう団体は暴力団のように怖い存在なのである。

利権と利益は違う、利権は公正な競争の原理が働かない、官僚は権力をもっているから東京医科大学でも予算を配分してやり子供を裏口入学させるとかある
官僚とか公務員でも検察でも警察でも組織団体でありそこは強力なた権力をもつからである。原発で東電で明らかにされたことが海上保安庁から検察から警察から官僚から天下りしていた、それが利権構造を作り原発事故に結びついたともなる
そういう権力組織団体が「安全神話」を作ったからである。マスコミもそうである

それは今の社会のあらゆる面にある、医療でも医師会の団体は強力な力を持つ、自民党はその組織に頭が上がらないとかなる、医師会も利権化して報酬でも引き上げようとする
そして薬剤関係も会社も医師会とかとかかわり利権化する
そして必要のない飲ませたり医療もゆがめられる,その金も膨大なものとなりそれが国民に跳ね返ってくる、税金として払わされるのである。

利権というとき公明新聞にゼネコンの宣伝がのる、するとそれは公明新聞の収入になる
それで社員を養うことができる、カルト宗教団体は巨大な利権組織なのである。
だからこそその活動は一票を確保することでありそれ意外なにもない
信仰としてもそれは御利益利権追及のため毎日祈っているのである
宗教というときそれが組織化団体化したときヨ−ロッパの歴史でもカトリックが巨大な利権化したしいかに仏教でも日本でも利権化したか?
仏教というのは強大な利権団体だった、僧坊は城でもあり僧兵もいたからである
だからこそ信長がその利権団体を潰すために戦争になったのである

この世とはそもそもそうした利権化の歴史だったともなる、利益追求でもそれが利権の追求となる、それが政治闘争ともなる
ではなぜ利権が悪いのか?
それが社会を根本的にゆがめてしまうからである。
それが具体的に原発事故で明らかになったのである。
漁業組合の利権−官僚の利権−マスコミの利権とかが一体となり事故につながりとりかえしのつかないものとなってしまったからである
そもそも明治維新以降は会社組織が生まれそれは利権団体化する

例えば地域でも農協は身近であるが利権団体化するし漁業組合もそうだったし銀行もそうである、銀行も利権団体だというとき資本主義社会では銀行は大きな役割があり利権化する、国債を国から買って利子をもらっていたがその利子がもらえなくなり苦しくなり今度は投資信託を売りつける,これは全く銀行では手数料が確実に入るから損しない商売なのである。それで自分も損した、銀行も利権化しているから国債を買って国から利子をもらっていたというとき利権化しているからである。その利権を失って投資信託とかもともと銀行ではしない商売をするようになった

とにかくこの利権を正すことは本当にむずかしい、ただその利権を正さないとまた甚大な被害が国民が負わされるのである、利権で動くことは本来の正当な活動とは違うからである、利権によって正当な活動がはばまれるのである
それが社会に甚大な損害をもたらすから怖いのである。ただそれに歯止めをかけることは今回の原発事故のように困難を極めるのである。
検察とか官僚が利権にかかわるとそもそも利権を正すことはもうできない
原発には検察と国がかかわっていたからできないとなっていたのである。

いづれにしろ利権化するとうまい汁が吸いる、天下りで何もしないでも高額な収入を得る利権を得るには組織化して団体化することである、それが大きければ大きいほどいいのである。すくと政治でも官僚でも会社でも動くとなるのである。
ただ権利はrightてあり正しいから与えられる、漁業権でも資源の保護とかのために与えられるのだから権利が悪いとはならない、権利を反対にすれば利権になるから共通性がある、権利は利権となりやすいのである。
誰でも利益を得たいだから権利を得たい利権を得たいとなる、ただこれらが混同されるのである、正しい利益は否定できないし権利も必要だが利権は違うのである
それが一体化しやすいのである

報道する権利は今まではマスコミしかなかった、でもそれがインタ−ネットで万人に与えられたことは権利をrightを得たということである、ただ力が弱いから利権にはならない
もしマスコミのように力を得れば利権化する、例えばこうしてプログで報道したとき何万人から何十万にとか読むようになれば力を得るがそれは一握りの人しかインタ−ネットではいないのである。
そうなると大衆化して本来の役割を果たせないともなる
報道するにも権力がないとできないということはある、第一官僚でも警察でも情報を得るには権力がない限りできない、重要な情報を得ることはできないからである。
そしたら追求もできないとなるからだ
NHKは巨大な権力組織集団である、だから影響力も大きい、それで利権にもなるから月給も高いとなる、第一視聴料を強制的にとる権利をもっているから利権団体だからである。そういう権利が与えられたのは利権のためではない、国民に公正な報道してもらいたいからである、でもそれをしていないから視聴料を強制的にとるのはやめろとなる


タグ:利権の悪

雲の峰(灼熱の中の俳句)


雲の峰(灼熱の中の俳句)

cloudsunsettt123.jpg

cloudsunset1.jpg

tohight2.jpg

クリック拡大

フォルダのスライドショーで見ると大きく見えます
クリックしないと見栄えしないのがあります


真日さして夏野の広し蝶の舞ふ

蝉一つ落ちて死にしや呆気なし

鬼百合や野馬追い近し旗かかぐ

夕日さし湧きあがる夏の雲見上ぐ

雲の峰崩れてさしぬ夕日かな

裏の森山鳩隠れ合歓眠る


今日も暑かった、外の熱気が異常である、こういうときはクーラーである
でもクーラーの部屋に長くいることは体に悪い
やはり暑くても外に出て汗をかくのいい、体温調節になる
この辺でも外で40度くらいになっている場合がある
ただ家の中だと30度くらいである
暑い場所が家に帰るとクーラーの部屋に入るので気持ちいいとなる

暑くてもやはり活動しないと暑さに負ける
昨日は雲の峰が夕べ湧きあがり夕日がさしていた
雲は絶えず変化する、それで写真をとった
夏野というときこの辺は田んぼが草原化している所が結構まだある
日本では夏野というけど田んぼが多かったり広々とした夏野の景色があまりない
だから草原化して自然にもどった景色も不思議であり今もつづいているのである
ただ一面に草原化しているのはいいが畑の回りが草ぼうぼうになっているのが困るのである。
田んぼが草原化したところは地区の人が草刈していたから草原になっている

野馬追いが近く玄関など旗がたつのは野馬追いに出る家である
そこから野馬追いを見るといい、どこの村から出たかわかるからである
野馬追いは旗が家にたつときから始まっているのである。
この時、鬼百合などが咲くのがあっている

蝉が一つ道に落ちていた、人間は死ぬと本当に呆気ない、認知症になった姉はおしゃべりだから死ぬまでしゃべりつづけたが死んだら呆気ないなとつくづく思った
他でも人間は生きている時は何かその存在が大きく気になる
でも一旦死ぬと呆気ない、死ぬまでワーワー騒いでも蝉のように鳴いても死ぬとパッタリと鳴きやむ、こんな呆気ないのかと信じられないとなる

裏の森に山鳩が隠れた、そして合歓が咲いて眠りにつく、今は平和である
自分も介護や看取りや家族との死別で消耗した
この消耗は体力だけでなはい、精神的に相当に消耗する
でも最近なんとか回復してきたのかもしれない、熱中症にもなったがなんとか運動もできているからだ、やはり汗をかかないと体温調節できない、運動は夏でもした方がいいのである、一日三会は回は外に買い物でも散歩でも行く

threetownn1.jpg
原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る

 


 


続きを読む
タグ:雲の峰

2018年07月23日

鹿島駅で三か所の工事 (電気関係で金がかかる)


鹿島駅で三か所の工事

(電気関係で金がかかる)

kkkks44.jpgstationkkk1223344.jpgstationkkk1.jpg
stationkkk122.jpg

stationkkk12233.jpg


今日は三か所で工事する、電気関係が二か所であり一か所は新しくでき設備の小屋であり車が三台来て荷物を運んできた
もう一か所も電気関係であり電気工事である
それから市の方で自転車置き場を直すためにまた見に来ていた

まず鉄道は設備に金がかかる、保守点検に金かかる、その中で電気系統が金がかかる
それでローカル線は乗客が少ないからやっていけなくなる
デーゼル機関車なら電気系統はない、北海道はそうなっている
でも廃止になるのは保守点検が手間であり金がかかる

なぜ復興するにも道路はいち早く復興したが鉄道は6年とか時間がかかっている
津波で駅が流されたりしたし鉄道を高架橋にしたり大工事になった
それで400億円もかかったのである。
それはJRで出した、常磐線は原町から仙台は通勤圏であり廃止になるような路線ではなかったからである

鉄道はどっちかというと中距離とか長距離に向いている
仙台に行くとかに向いている、近くだと車を利用した方が便利なのである
なぜなら駅からの足がない、自転車置き場に自転車を置くとかしないと帰れない
それから隣の市に買い物に行くにもイオンとか離れているから足がない
病院に行くにも足がないのである。タクシーだと高くなるから使えないのである。

ただ震災以後常磐線が復興したとき三倍に収入が増えたというのは工事関係者がきて仙台まで利用する人が増えたからだろう、乗客数は増えない、地元では一定しているし増えないからである。
ただ車のない老人は利用している、後は通学の高校生だとなる

鉄道には市でも金をかけている、トイレも市営だし自転車置き場も市営なのである。
そこで新しくするとまた予算がかかるのである。
鉄道はこうして設備でも保守点検でも金がかかる
今日は鉄道路線でも踏切の方でも仕事する人がいた
15,6人仕事に来ていたのである

世の中表と裏がある (カジノも容認されるし組織団体の悪徳がまかりとおる)

世の中表と裏がある

(カジノも容認されるし組織団体の悪徳がまかりとおる)

カルト教団というとき創価とかなれば信者5百万いるんだから社会で信用されているというより怖いともなる、宗教を看板にしているのだから信心深いいい人がいるのかと見る
他でもエホバの信者だといい人の集まりだとかいう
それは宗教を看板にしているからそうなる
でもそこに集まっている人たちがどういう人なのか?
そしてその目的は何なのだろうとなる
創価の場合は利権団体であり議員とかになるために入るというか利用する人たちもいる
だからカジノとかに賛成なのは議員とか上の人たちに金が回るからなのかもしれない、

なぜ宗教団体なのにカジノに賛成したのか?
実際は会員でも反対している人たちが多いのにそうなったのか?
公明党の国土交通大臣が許可したというのも不可解だとなる
そこには利権がからんでそうなったのだろうとも見る
原発でもそういうことがあったからだ
博打というとき別に昔から寺で博打が開かれていた
そこで寺銭として寺が受け取っていたというのも信じられないとなる
寺とはそうしてまで金を得る場だったのかとなる

一応表の顔は宗教なのだが裏の顔は利権を権力を追求する団体であることが多い
そもそも組織とか団体はそれだけですでに権力を追求しているのである。
日蓮とか予言者がいたとしてもそういう人はもともと一人だからである
そんなに組織集団で威嚇するようなものではなかったからである。
組織化集団化したときすでにそこは権力を志向する団体になっている
だから政治化するのである、創価の場合はあからさまにしている
政教一致の団体だから政教分離に違反しているが放置されているのは自民党が利用するにのにいいからである

こうしてこの世の中わからないのはそうした偽善的組織団体が堂々と社会を支配するまでになることである。
それは宗教団体だけではない、あらゆる組織団体がそうして権力をもち権力をふるい搾取する団体ともなる、ただ会社でも組織団体でもその悪は明確に見えないのである。
だから闇になっているだけなのである。裏の顔は隠されている
農協でも肥料でも農薬でも農家に高く売りつけるのである
でも農協も権力をもっているから農家は従わざるを得ないのである。

銀行でも硬い真面目な人たちが働く場所だと思っていた、証券会社とは違うものとして見ていた、それも変わってしまった
収益が得られないことで自分たちが確実にもうける手数料がとれる投資信託をうりつけるしかし投資信託のことなど地銀では知らない、素人なのである。
ただはやりのものをすすめるだけである、あとは手数料をとればいいとしかない
そして銀行は前はサラ金と消費者金融ともかかわっていた、金を出していたのである。
だから表の顔は真面目な硬いものとして見ていても裏ではそういうことをしていた

銀行はあこがきな金貸し、農協は過酷な小作を搾取する地主、宗教団体は宗教を商売にする悪徳僧,国がギャンブルの胴元....とかなる、ただ表の顔は善人であり善人面しているのである
だからなぜそういうことがこの世にまかりとおっているのか?
そんな社会で世の中でいいのかと疑問になる
みんな真面目に働いているのが社会ではないか?
ただ別にそうして真面目に働いている人はいる、いろんな現場で働いている
その人たちは別にそうした悪はないのである、真面目な人たちなのである
ただ組織化団体化したときそれらが権力をもち悪として作用する

なぜそうなるのか?それは組織化集団化すると権力化するからである
すると社会に対して自分たちの利益でも利権でも要求しやすくなるからである。
それは国でもそうである、国は最大の権力をもっている
するとカジノでも実はアメリカの実業家が日本人から金をまきあげるためにトランプ大統領に働きかけて法案を通したとなる
アメリカや中国という国が最大の権力なのだからそれに逆らうことはできない
すると悪はその国にあるともなる、ただその国を動かしているのが大金持ちでありアメリカ人が全部日本にカジノを作りたい訳ではないのである

この辺でわからないのはなぜ次から次と大東建託のアパ‐トが建つのか?
20ケ所くらい建っているのである
原発事故で避難した人たちが入るからだとみていたがそれにしても数は多い、まだ建て続けているのである、その数に驚くのである

大東建託は儲かりすぎて利益ありすぎて お金を使わなければいけないのです。 2012年度の決算の話ですよ。
儲かりすぎると節税対策としてお金を全部使わなければいけません。これが大変なんです。決算という締めでただのそれだけのためにです。
大東建託は、将来に向けての計画性は全くありません

こんな事情があるのか会社のために人が入らなくても建て続けているとなるのか?
その営業にノルマがあり増やしている、銀行でも投資信託のノルマがあり売りつける
何かそうした会社にとがめることもない、金融庁では銀行に投資信託でも説明責任をもてとか通達はしたが実際は何もしない
そんなのは買う方の自己責任だとなる、知らないものが買うから悪いのだとなるだけである、でも銀行は真面目な人がする仕事だと思っていたから頼むことになった
まず素人は投資のことは知識が膨大でわからない、そしてそんなに時間をさけないからプロに頼んでいるのである。でもそうなると相手は何も知らないとカモにされるだけだったとなる

この世は利益と利権で動いている、権利とはrightだけで正しさでは動いていないのである。その結果何が起きてくるのか?
原発事故とかとりかえしのつかないものとなって大被害になり故郷にも住めなくなる
カジノでもそこには確かに経済的効果があったとしても韓国でも他でもその市は荒廃してしまう、でもそうなってからでは遅い、もうそこは回復不可能になる
原発事故でもそうなったように放射能汚染で回復不可能となったからである
だから安易に利益と利権ばかり追求してゆくと取り返しのつかないことになる
ただ飯館村でも馬券売り場とか鹿島でも競輪のサテライトがある
反対したものもいたが結局作られたのである。
それで原発避難民が入り浸りになっていたのである。

ただ国レベルでカジノを招請して作るとなると国自体が博打場になるのか?
日本はそれだけ経済でも停滞しておちぶれてそうなったのかとなる
日本には日本の良さがあったがそれも失われる
貧しくても心清らかに生きている人たちが江戸代にはいたがそれも失われた
ただ利益と利権と金をもとめるガツガツした人たちしかいなくなった
すでに日本自体が荒廃している、だからそうしたものも容易に入りこんでくる
それが支配者層の利益となり利権となり下層の人たちはギャンブル依存症になり金をまきあげられるともなる
何か会社でも権力をもつとこうして金をまきあげるものとなる
官僚は税金で金をまきあげるし自分も金を巻き上げられるだけだったとなる
ただ自分の場合は家族が公務員でありそれで得したから巻き上げられたのか、カルマだったのかともなる

事業仕分けで枝野さんの「公営ギャンブルの天下り利権はつぶす」という頼もしいお言葉を聞いたと思ったら、週刊文春で若林亜紀さんが「小沢が理事長になってる競走馬育成協会もちゃんとつぶせよ」とつっこまれ...

利権を得ているものは利権をつぶすとしてもつぶせないからこの腐敗の根は深いのである

カジノ利権を警察が狙う、天下り先激減で

警察も利権の場となりやすい、一番の実質的権力をもっているのが警察であり検察官僚だからである。
パチンコ屋が天下りする場だったからである。

おそらく貧しくも清く正しく生きようとしている、カルト宗教団体に入ってもそうであるオウムに入った理系の優秀な青年は純粋だったというときもそうである
別に農協であれ銀行であれそういう場に入り悪をなして働くとは考えていないのである
でも上からの命令で強いられるのである
ただではそうした組織団体がすべの悪の根源なのか?
そうともいえない、この辺で個々人を見たらまずあくことなく欲望が限りなく求めていたのである、借金してい家を建てる、高級の車をもつ、様々な欲望を求めるから原発でも何でも金になるらならいいしかないのである。
だからカジノでも金になればいいとしかそこでみんなも考えないのである。
下々になると掃除の仕事ができるとか食堂で働けるとかいう
そういう人は原発でも金になればいいしか考えないのである
だから金をばらまけばいいと上の人たちは考えて御しやすいとなるのである。

貧しくも清く正しくなどは死語になった、現実問題として電気や水道やガスでも石油でも金がかかる、それでしょっちゅう電気を止められたとか、水道を止められたかと訴える
人がいる、そういう人たちは原発でもカジノだろうが金になればいいしかなくなるのである、現代では貧しく清く正しくは成り立たない
確実に最低限電気や水道代は払わざるをえないからである、清貧が成り立たないのである節約するにしても基本的な部分は節約できない、通信代も節約できないからである
すると今年金が10万以下というのが半分以上もいるということは驚きである
それでやっていけるのかとなる、もうぎりぎりなのである
日本はやはり貧乏国になったからギリシャのように観光でもうけるとか後はカジノとかになってしまった、江戸時代に戻ることはできないからである
ただ日本の国の在り方を今や根本的に見直す時がきている
それは教育でもそうでありあらゆる分野で組織機構でも錆びついて腐敗してしまった
やはり明治維新から百五十年も過ぎたのだからまた大きな改革の時期にが来たのである
こういう時に原発事故が起きたり天変地異が起きたりするのである。


タグ:カジノ

2018年07月24日

高齢化社会で目が悪い人が増える (老眼鏡や補聴器は高齢化で確実に売れる商品)


高齢化社会で目が悪い人が増える

(老眼鏡や補聴器は高齢化で確実に売れる商品)


家に来る人は目が悪い、まだ70前でもそである、前に知った人は緑内障だった
今度来た生協の人も60以上であり注文することで聞いたが目が悪く教えることがすぐにできなかった、明るい所でないと見えないと言った
80の人は白内障の手術をする
生協の人は相馬市から来ていて営業に来た人も老人だった
ここでも老人社会になったということがわかる
60代で目が悪い人が多いとなと思った

自分は近視で眼鏡をかけているけど毎日パソコンしているけど目が悪くなっていないのは不思議である、パソコンは目に相当に悪いからである
スマホなども字が小さいから目に相当悪い、若い人でも悪い、何かスマホは視野狭窄になるような気がする、パソコンは画面が広いから字見るのでも違っている

今日注文したのはサングラスで透明のものである、それが2000円で頼まれたのである女性用と男性用を頼まれたのである。
畑で仕事するから日ざしを受けるから必要なのである
今年は暑いからこうした暑さ対策のものが売れるだろう
自分は6リットル入るタンクをアマゾンで注文した,冷凍機能もあるらしい
氷をいれておくとか麦茶を作るにはいいらしい
何しろ水道の水は使えないのでペットボトルを使うからめんどうになる

この辺は35度とかにはなっていないからなんとかしのげる
暑いとか寒いとかこれは住む場所に影響する
浜通りは暑からず寒からずでいいのである。気候だけは推奨できる場所である
一山越えたら福島市になると蒸し風呂である、そんな所に住みたくないのである
体力的に弱い人は気候を選ぶことが大事である
老人になって移住するにも夏の暑さとか冬の寒さを考慮しない失敗するだろう

このように高齢化社会は目が悪くなる人が増える、するとそこで消費が生まれる
眼科医とかが繁盛するようになる
眼鏡類でも老眼関係が売れるとかなる
まず老人は消費力がなくなる、自分も登山しようかとかザックを買ったが行けないので損した、自転車で遠くに行くために電動自転車の長距離用を買いたいと思ったが体力的にも家の関係でも留守にできないとかで行けない
つまり今までしていたことができなくなる
そしてつくづく今のはやりのものでも買うことがむずかしいなと思った
それが何なのかわからなくなり使いこなせないのである
パソコンしていてもスマホはまた別で使いこなせない
それで老人は不利になるのである
今回の西日本の洪水でも死んだ人は7割以上は60歳以上とかだった
津波で死んだ人たちも老人が多かった、何か機敏に老人は反応できないからである

視力が弱まることで周囲の状況が見えづらくなり、適切な判断ができなくなることです。また、反射神経も衰えるので、素早い反応ができずに慌てたことが原因で、ブレーキとアクセルを踏み間違うというケースも増えてしまうのです

高齢化社会で売れるものは何なのか?
老眼の眼鏡とかは売れる、,確実に目が悪くなる人が増えるからである
前にも5万で家族に買ったがそれは使いないで終わった
それは耳が悪くなるからと補聴器を買ったがこれもうまく合わないのである
これは高いから気をつけるべきである、高いのでも10万とかするものでも合わないものが多いからである
ただこういうものは高齢化で需要がありどうしても金がかかるとしても買わざるを得ないから売れるのである   

生協は冷凍のオカズだから何かオカズを用意できないときレンジでちんだから便利であるまずオカズを用意するのがめんどうなのである
ただたいがいスーパーに売られているものでだぶる、値段も安くない
でも冷凍食品は料理するのに簡単だからそこに利便性がある
電気も生協で売るようになった、いろいろな電源を利用するから安くなるという
ただ一年で2000円安くなるだけでは変えるのもめんどうだとなる
その後のサービスも心配であるが修理とかはみんな東北電力でするというからどうなっているのかわからない、生協は配達にくるからそれも相馬市の人だから何か頼めるということがあるかもしれない、やはり家に来る人は意外と一人暮らしでは頼もしく感じる
そこが家に来る人が銀行でも回って歩くと違ったものになり信頼したりする
でもそれを銀行では利用して投資信託をうりつけたのである。
だから必ずしも家に直接来る人が信頼はできない
ただ生協などは注文したものを配達するだけでありいつでもやめることができる

銀行なども信頼関係が大事である、でも投資信託などを売りつけるということで信頼できなくなった、そうなると直接来てもこの人は信用できないとか銀行でも信頼できなくなるのである。
もしかしたら生協は配達する者営業する者も老人だから老人関係に特化するものを売れば売れるかもしれないとなる、老人にサービスするものが売れる時代だともなる
老人が貧乏だとしても需要があるから売れるとなる
どうししても必要なものは買うことがあるからだ