2018年06月24日

東京一極集中が社会を歪めている−江戸時代との比較 (トラック運転手の過酷)


東京一極集中が社会を歪めている−江戸時代との比較

(トラック運転手の過酷)

 トラック過酷な労働−トラック列島3万キロ
                                              

一極集中の東京を考えるとき江戸八百八町の百万都市からはじまっている
その時も江戸は日本の中心としての機能があり栄えた
政治都市であり文化都市ともなる、江戸の日本橋を渡ることは日本の中心に来たという感激があった、それは天皇のいる京都が日本の中心だという同じであった
でも江戸時代の江戸百万都市と今の東京の相違はその規模でもそうだが景観でもそうであり全然違っている、だから同じ大都市なのにその様相はまるで違っていたのである。

江戸の回りは農民が住んでいた、それで江戸の町にきて肥料とする糞尿を運んでいたのである。そういうことは農民が深く江戸の町にかかわっていた
食料をどうしていたかというと回りの農民から供給されていた
ただ米は地方から運ばれていた、地方が飢饉のときも米は地方から運ばれていた
江戸では白い米が食べられるとなっていたのである。
それは現代の矛盾とにている,地方は江戸のために犠牲になったとなるからだ
でも野菜は遠くから運ぶことができないから近くでまかなっていた
それで練馬大根とか近くの野菜のいいものが売れることになる
米以外の食料は江戸の回りの農家から買っていたのである。
長崎から大根を東京まで運んでくるのとはあまりにも違っていたのである。

 吉宗が、鷹狩のため、享保4年(1719年)に小松川村を訪れた際、香取神社が御膳所となりました。
 この時に、香取神社神主の亀井和泉守が、地元で採れた青菜を入れた餅のすまし汁を吉宗に差し上げたところ、吉宗はたいそう気に入り、土地の名をとって「小松菜」と名付けたと言われています。

こういう話が伝わっていること自体いかに将軍ですら農民と関係をもつし近くで野菜がとれていたことの証拠なのである。

野菜は、タネの形で参勤交代などの際に全国から江戸へ運ばれてきたといいます。各地から集まったタネは江戸近郊で栽培され、よりおいしく育てやすい遺伝子を残すべく、原始的ではあれど選抜育種も行われました。こうして江戸とその近郊の土地の名前を冠した野菜が確立されていったのです。小松川(現江戸川区)の小松菜、亀戸(現江東区)の亀戸大根などが、その代表といえるでしょう。

 やがて街道沿いにはタネ屋が林立し、手軽な江戸土産として、江戸で確立した野菜は地方へも運ばれていきました

これでわかるように農業が主な産業の時は種は大事であるし肥料でもそうである。
だからこそ地方から種の多様な品種が集まり江戸でも品種改良されたりその多様な種が参勤交代などで地方へ伝播された
このことからちわかるように都市とは交流の基点とてり市場となりそこに農業技術を発展させた
つまり農業が主な産業の時は江戸は都市は世界的にもそうした機能をもって必要不可欠となっていた
つまり江戸に来れば地方では買いないものが買えるし見れないものが見れる
それは本でもそうだった、地方では置かれている本がわずかであり買えなかったのである。
それで仙台に一か月に何回も行っていたのは本を買うためだった

でもその本でも本の種類は膨大だから手に入れることができない、古本でもそうである
すると古本だったら古本屋街がありそこで買うほかなかったとなる
アマゾンでボタン押せば買える時代ではなかったからだ
そこに東京と地方の差が歴然としてあった、他にもありそれで田舎は嫌だとなって脱出したいとなったのである。
今は買い物でもなんでも困らない、東京に行って何か新しいものがあるのかとなるともうないように思う
だから東京に行きたいということがなくなったし仙台にすら去年一回行っただけで行っていないのである。
これはと年のせいもあるが田舎でも4,5万の都市が近くにあればそれなりに不自由しないのである。

地方創生とか盛んに言われるがこれだけ流通が発達していれば何も困ることがない、ただ物を買うにしても金がいる,その金になる仕事が地方にないということで地方創生になっている
原発事故のことで避難区域になっことを書いてきた、それが現代の問題を象徴したように起こった、それを社会学的に追求してきた
原発事故を様々な見地から研究できる,まず科学的な面から当然研究できる
でもここで起きたこことは社会学としても見本となったのである。
村や町が一挙に人がいなくなり住まなくなることはどうういことなのか私は追求してきた
それは放射能汚染だけではない科学的なば問題だけではないものを感じたからである。
なぜ簡単に共同体が崩壊したのかというのもそうである、それはやはり共同体が田舎でも喪失していたからではないかと追及した

このトラック運転手の過酷な労働を取材したユーチューブの放送でもそうである。
長崎から築城の市場にまにあわせるためにとか運ぶ眠ることもできずに運ぶ過酷な労働である
それは江戸時代などから比べるとあまりにも異常である
その距離も江戸時代とは比べようがないのだ、だから何かここに現代の文明の異常性に気づく
その過酷な労働を生んだのはまさに文明であり東京という肥大化した大都市だったのである。
地方はまた金を得るためにその奴隷となる構造ともなっていた
ただ東京という大都市にも様々な問題をかかえているからそうなる

原発事故だって東京で膨大なエネルギーを消費するからこそ危険でも必要になる、でも東京では誰も賛成しないから離れた福島に作ったのである。その時地方では出稼ぎが問題だったからである。
特に原発が作られた地域は過疎地域であり金になるもの仕事ができるものが欲しかったのである。
現実に浪江の前の親戚の人は原発関係に就職した、それで原発関係で仕事になっていた人が多かった
それが飯館村の、、、でも原発で働いていたのである。
川内村では三分の一が働いていたとか経済的効果が大きかったのである。
漁業関係者は漁業権を売り補償金で原発御殿が建っていてうらやましがられていた
だからこそ原発事故以後でも東電を責められないとか言っていたのである。
これも東京という大都市が近くにあることでそうなった
東京の問題が地方に波及してまた逆に地方の問題が東京に波及するのである。
それは江戸時代の江戸のように種を品種改良して東京−地方の流れでいい面もあったが
悪い面として現代では作用したのである。

明治維新以降は文明開化は鉄道の開始とともに新橋から汽笛一声ではじまった、歩いていた時代から鉄道という輸送がはじまり東京が一極集中になったのである。江戸もそうであったが明治以降は文化でも東京中心になった
なぜなら方言では意志疎通できないからと標準語東京語にしたからである。
文化も東京中心で発信される体制になった、出版でもそうであり最近のテレビ局が六局しか許可できないのも東京中心のためだったのである。インタ−ネットが普及するとそうした情報の一極集中も変わり地方からの情報の発信ができるようになったのである。

田舎でも仕事としてトラック運転手が多いということに気づいた、すでに四人くらい出会っている
それはなぜなのか?やはり東京の築地などの市場に地方から食料でも野菜でも運ばれるからである。
この辺だと石鰈などが運ばれて高く売れていたのである。地元では高くても買わないとしても東京だと買う人がいくらでもいるからだでも別に漁業関係者は東電から補償金を事故前も事故後ももらっていたから生活には困らなかったのである。

ともかくなぜトラック運転手が長崎から大根でも運ぶ、それは別に東京だけではない、全国的に運ぶ、それで過酷な労働となる
でもそうして広域経済が成り立っている、全国のいいものを食べられるとなっている
そのために過酷な運ぶ労働がトラック運転手に課せられているとなるのだ
こういう経済は何か自然ではない、文明とは自然なものではない必ず無理する、自然から発生した村はまさに自然村であり自給自足である,地産地消である、それが本当は自然な生活だったとなる
もちろん経済にはそうした物流が不可欠である、でも生鮮食料品となるとやはり地元で近くでとれたものでまかなうというのが自然なのである。長崎から大根を得るために運ぶというのは無理が生まれトラック運転手にそれが課せられることになる
そこに現代の異常性がある、いづれにしろこうした東京一極集中の時代は終わりつつある

実際は東京には人口は集中していないし若い人も減っている、そして意外と問題なのは東京が高齢化して老人が地方より増えてくるのだ,それが東京の重荷となってくる,逆に地方では老人が減ってゆくのである。そういう現象はすでに起きているのである。
それで今度は東京では老人を地方に移住させる,地方で面倒見させるとなるのも勝手だと思う
なぜなら若いときは積極的に若者を呼んで年取ったらめんどうみない、やっかいだから地方に帰りめんをとみてもらいとなるからだ
人間はやはりその土地で生きた場所に人生を過ごした場所が故郷になるからだ
そういうのもなにか東京一極集中の矛盾だったのである。ただ労働力がたりないとか会社や企業のためであり人間の人生のことなど考えていない結果だったのである。会社や企業の都合で人間がその一生を有意義に老人まで一貫したものとして過ごせないという矛盾を作り出していたのである。
老人だけが原発事故でも避難区域に帰っているというのは理解できる、なぜならそこで定着して死にたいとなるのがまさに自然な感情だからである。
なにか現代社会は経済は確かに全国と交通で結びつき物資の流れが盛んになったとしてもまたそのために矛盾を作り出していたのである。それが高齢化社会にもなりその矛盾が噴出してきたのである。



  

posted by 老鶯 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題