2018年06月23日

金のことまであけすけに話す復興住宅に住む浪江の人 (補償金で老後は金で困らない)


金のことまであけすけに話す復興住宅に住む浪江の人

(補償金で老後は金で困らない)


浪江の復興住宅に住んでいる大工の人は話すきである
だからなんでもあけすけに話すのである。
金のことまであけすけに話している

「俺は3千万円くらいもらったんだよ,それで金があってもしょうがないから新しい車買ったよ」
「車買った人が多いみいだ、それでねたまれたこともあるからな」
「俺も気をつけているよ,この前ジュースのぺットボトル盗まれたからな、それで警察に行ったけど相手にされなかった」
「警察は大きな盗みで証拠がないと相手にしないよ、この辺でも貧乏な人がいるから気をつけたほうがいいよ、近くでも今は安心できないよ」

その人は金のことをあけすけに言う

「この復興住宅は7年間家賃払っていると自分のものになるんだよ」
「そうなの,相馬市の津波被害者の復興住宅もこれとにているけど1200万とかで宇わなければ自分のものにならないと聞いた」
「でも電気でも水道料でも払わなきゃならない、俺は毎日風呂に入るからガスの風呂だと金がかかるんだよ、8000円とかかかるな」
「でもそのほか年金もらっているのか」
「大工していたからその時積み立てていたからもらえるよ、11万だよ
その積立ししていたとき高いとは思っていたがな」
「国民年金よりはいいよ,原発で補償金ももらったから金に困ることはないな」
 「知っている人だけだよ、妾もって暮らしている人いるよ」
 「ここでもフィリピン人の女を仮設に呼んでいた小高の人知っているよ、金回りが良くなってそうなった、厚生年金の上に補償金だからな」

何か金では補償金では浪江の人の方が恵まれている、浪江の人はまた小高とも違う、全部避難者にされたからである

「今度町長選挙あるけど浪江町長は病気だったんだ」
「癌だったんよ,外から来る人が町長候補になる,後は地元の農協の人だな」
「こうなるとかえって外部の優秀な人がいいということがあるな、何かとめんどうだからな、ここでも南相馬市長に不満が多かったからな
「浪江は町の通りをイノシシが歩いているよし家は荒らされている
ハクビシンとか他の野生化したものも増えている、復興住宅が建って帰った人もいるけど買い物に原町まで来るのが大変だと言っていた」
「買い物できないと生活できないよ,小高では小さいスーパーできるらしい、浪江はその点厳しい、原町まで車でも30分かかるからな」

最近その復興住宅がある近くの小高が住んでいた復興住宅は壊されて整地されている

「あそこにコンビニできるらしいよ」
「ええ、本当なの,ここにも家が増えたからそれを見込んでらしい」
「シシドのスーパ−できたのも鹿島は人口も減らないし新しいが今でも作られているからな、寺内で仮設が建ったときすぐにセブンエレブンができたんだよ」
「ここからは近くていいよ,歩いて行けるからな」

こんな話をしたが金のことまであんなにあけすけに言う人はいない
あういう状態だから原発避難者は仕事はしないのである。
でもあそこを見ていても中のことはわからないなと思った
車持っている人が少ないというが車が前に置いてあるのが多いとみていた
実際は老人がほとんどであり車を運転できない人が多いという
その人は娘と一緒に暮らしているがほとんど老人なのである。

浪江町の復興住宅でも住んでいるのは老人だし飯館村でも立派な復興住宅に住んでいたのは老人だったのである。
若い人たちは子供とともに方に移り住んで帰ってこないのである。
何かこの辺でおかしなのは前にも書いたが補償金をもらいすぎてもう仕事はする気ないのは浪江町の人でも同じである。特に老人ならしないのである。60代以上ではしない
こんな状態で復興などできるのかと前から書いてきたのである。
この大工さんなら一応年金をもらっているしその上に補償金をもらうし娘とも暮らしているし楽だとなる,老後の暮らしに困ることはないのである。
小高より補償金では恵まれているのである
ただそれが移り住んだところで貧乏な人もいるから良くは見られないのである。

とにかく原発避難者は恵まれている、相馬市の松川浦近くの復興住宅はにたような作りであり安物である。その大工さんもわかっている、これを作ったのは東京の会社であり復興住宅の見本として作ったとある
安上りに作る見本だと言っていたからだ
それでも7年間家賃を払って住んで自分のものになるのだから恵まれている
津波の被害者にはそういうことがないからだ
浪江と小高の人たちはにたような状況なのだが浪江の方がもっと復興することがむずかしい、ほとんど人が住んでいないくてイノシシが街を歩いているとなるからだ
そして帰るのは老人だけなのである。
まるでゴーストタウンに老人が住んでいるだけだともなっているからである

何か疑問なのは小高の人は一応南相馬市だから別である
浪江の人たちの問題は南相馬市民ではない,とすると介護でも市民サービスでも南相馬市でするほかなくなる
でも浪江町民だからそれがどうるなのか?
南相馬市民になればいいと言っても補償金とかの関係でなりにくいこともある
でもそこも何かわからない、南相馬市ではこうして老人ばかり残されても介護関係などで金がかかる、ただ別に浪江の人でもわずかでも若い人たちもいる
現実にその大工さんは娘と暮らしているからだ、他にもそういう人はいる
だから南相馬市の力になることはありえる
ただ行政的にはかなり問題をかかえているのである。
posted by 老鶯 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

近くの人呆気ない死 (死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)


近くの人呆気ない死

(死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)

一週間前くらいその人を家の前でみかけた、一時体が悪くて歩けなくなり姿を見なかったが歩けるようになり元気になったと喜んでいた
それから話していない、一週間前くらいに家の前に出たとき話していればよかった
なぜなら死ぬと思わなかったからだ

でも一週間前ほどに家の前歩いていた人が死ぬだろうか?
普通寝たきり何年とかで死んでゆく
どういう病気かわからないけどそういう死に方もある
その人の夫も急に体が悪くなり一週間ほど入院して死んだのである
その前まで仕事していたのである。

その女性のことは子供の時から知っている人であり世話になったこともあった
身近なのだけど体良くなって歩いているのだなと見ていた
だから別に気にもしない,死ぬなど思いもよらなかったのである。

人間の死に方はいろいろある、何年も介護されてなかなか死なない人もいる
何かこんなに呆気なく死ぬのかという人もいる
ただ何か近くで死ぬ人がいると呆気なく死ぬものだなといつも思う
80歳くらいだったのか?まだ平均寿命にはなっいないのか?

だんだん身近な人がこの年になると死んでゆくことは確かである
同級生でも60代一割が死んでゆくとか70代と二割が死んでゆくとかなる
そうなると常に死者に接する年となり死ぬのもめずらしくなくなる
その人はすぐ近くだからびっくりしたとなる

死者のことを自分も家族が全部死んで常に考えるようになった
若いとき死を毎日のように考えていた,父親を早く亡くしたのでそうなった
その時は死そのものについて考えていた
それで宗教とかに入ったがそこはカルトでありそんなこととは何の関係もない政治団体だった、宗教の最大の問題は死の問題であり死の問題の解決なくして宗教はありえないと思う、その他に無数の問題があるが死の問題を解決しなければ宗教はありえない

ただ老人になって両親とか家族を亡くして死者のことを考える思うというのはまた別である。
死の社会的意義なども考える、あの人は生きて何だったのか?何のために生きたのかとか社会的に何を残したのか?何かそんなことを死とともに考える
不思議なのことは自分の場合家族が死んでから死んだ人のことを考えるようになった
生きているときはさほど考えなかったのである。
これも不思議だなとつくづく思う
それもやはり人間の生は死んで断絶しないからである。

死者は死んで勤めを終えぬ
生者は残され死者を思う
そして生者の勤めは
供養してその死を意味あらしめること

人間の営みはねそういうものだった、一代だけで生は終わらない、継続しているのであるそれが人間の生の営みであり歴史となる
だから先祖というのを重んじない社会は浅博なものとなる
死者は生きつづける、しかし忘れることもできる、死者を活かすのは生者の勤めなのである。
原発避難区域の悲劇はもう死者は重んじられない、若い世代が去ったとき継続するものがなくなり死者は本当に捨てられる、誰も省みないとなる 
だからその時死者は行き場を失い幽鬼のようになり彷徨い成仏しないとなるのだ

ただ現代は死というのが社会的意義あるものとなりにくい,死を考えるとき共同体の中での死がなくなったからだろう、村のような共同体での死なら別である
それで日本では死んだ先祖が春には山から下りてくるという信仰にもなった
それは死者が先祖が村の中で生きているということなのである。
村全体で死を先祖とつながりをもっていたということなのである。

現代は先祖と断絶している社会である。それは共同体が喪失したからそうなった
死そのものの問題が先にあるが社会的意義としての死がその後にある
現代では社会的意義あるものとしての死が喪失した
そこに生の継続がなくなり歴史が断絶することにもなる、今死者が省みられない、社会的意義が与えられないことは結局今生きている人でも死ぬのだから省り見られないとなる
それは今生きている人の問題でもある