2018年06月13日

米朝会談は成功したのか? (国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)


米朝会談は成功したのか?

(国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)

米朝会談にくいて武田邦彦氏は平和に向かっているからいいではとないかと指摘しているなぜそんなに水をさすような破断を望むようなことを言うのか?
アメリカでもトランプを批判する人たちがいる
一方的に妥協させられたのだとアメリカは損しただけだとアメリカのマスコミでも騒ぐ
日本でもそういう人たちがいる
アメリカと北朝鮮は一触即発の方がいいという人いる
アメリカは攻撃することを期待していく人達もいた

ネットだとそうして無責任にあおって面白がっている人たちがいる
それが現実に戦場に送られたり面白がっていられないのである。
つまり北朝鮮がアメリカに爆撃されて焼野原になっていいというならその人も戦場で戦い死んだり傷つくべきだとなる
ただ無責任にあおるのは自分の身に直接ふりかかってこないからである

武田邦彦氏は右だけど北朝鮮が爆撃されて焼野原になった方がいいというのも過激な右なのである。でも武田邦彦氏は必ずし右とはなっていない
右はこんな言い方をしない、北朝鮮を信じてはならない、爆撃しかないと言っているからだ
右にも実際はいろいろある、一つではないのである。
心の青雲の都築詠一氏もそうだった、死んだけど昭和天皇をあれほど批判するのか?
それも右だとすると理解しかねるものがあった、だから右でもいろいろあるのだ
第一右だ左だと分けることはできない、右でも左でもあることには同意するし同感する
原発には自分は反対でも賛成する人もいる,でも左は原発反対であり反対でない人は話し合うこともできない、受け入れられないというのもおかしいのである。

日本でも外部から国際的に公正にみれば戦争で原爆で悲惨なことを経験したがそのあとはアメリカに守られて冷戦の中で得したのである。
鉄くず拾いした子供の時を書いたがソレで財を成したのが和歌山の野崎氏であった
朝鮮戦争があり日本は特需で復興したのである
朝鮮戦争で鉄でなんでも日本から調達することで復興した
でもそのとき朝鮮半島は分断されたのである。民族は分断されたのである
それが冷戦が終わってもそうだった、北朝鮮は経済発展からも取り残されていたのである北朝鮮は忘れられていた国にてっていたのである
それで核をもちだして世界にその存在をアピ−ルしていたのかとなる

日本は戦後高度成長できたのはアメリカに敗北したが守られていたということもある
自立して守るということはなかった、それで経済だけに専念して高度成長を遂げたのである、ベトナム戦争でもそうである、日本はここでも特需がありベトナム人が苦しんで死んでも関係なく経済に専念して成長できたのである
そういう歴史的カルマを国は個人と同じように持っているのである

ただネットでは常に過激な北朝鮮でも批判しかない、それも一理ある
でも日本にもそうしたカルマがあることを言わないのである
もちろん慰安婦問題などは過剰であり韓国にも問題がある
そういうことは日本では受け入れられないのである。
そういうことはしこりになってただ反駁しあうだけだとなる
韓国でも北朝鮮でも常に日本を標的にして陥れるだけだとなっているから徹底的に対抗すべきだかとなる
それはdarkness tigaでもそうである、徹底して対処すべきとだと絶えず主張している
同じ右でもこのように違ったいるのである

自分にしてもイラク戦争を見ているあのように一方的に難癖つけて戦争するのは疑問だった、そこでアメリカには不信だったのである。
アメリカでは軍需産業が盛んだから武器を売る会社が戦争を欲しているという
トランプはその軍需産業の会社と距離を置いているという
それでその方面からの批判があるのか?マスコミも軍需産業の息がかかっているから反対するのかとなる
だから反対する声が大きくなるにはマスコミが利用される、どうしたら大きな声なるかというと依然としてテレビでありマスコミがまだその力をもっているからだとなる

ただ冷静に見るにはやはり右でもいろいろあり見方がある
その多様な見方がで可能になった、その都度テレビの様にリアルタイムで放送されるのが強みである。
ただユーチューブでも何百チャンネルも千チャンネルとかあると見切れないんとなるのも問題なのである。
そうなるとやはり人気がある人は読まれがある人は読まれないとなり選別される
ただマスコミとは違って独特の意見を言いやすいのである。
でも見られるのは和歌山ドンファン事件とかに注目が集まる
そこでは見る人が何十万とか百万人にもなっていたのである。
それだけ注目されるのに見る人が集まるのはマスコミと同じだったのである。

とにかく一触即発から平和に向かう作業はいいことでありこれを否定するとまた悪化するどうせ裏切られるだけだと右の過激派が言うときそうなのかとも思う人はいる
でも戦争を回避する方向に向かっているのだから日本でも後押しすべきだとなる
ただ右の強硬派はアメリカ軍が撤退すると日本が危機にさらされるとして反対しているのだろう、それも確かにある、常に日本は反日で批判されているからアメリカ軍が撤退すれば中国が韓国が北朝鮮が一体となり攻めてくるという恐怖におののいている
だから中国でも韓国でも北朝鮮でも過激な敵対感情を抑制すべきだとなる
でもそれができないから日本は断交すべきだとしている

そうなるとやはり敵対がエスカレートするだけだとなる、北朝鮮でも経済援助を受けるとそれなりに融和してくるのではないか?
ただ拉致問題は解決していないから問題である。
日本も戦争で悲惨な目にあったのだがやはりカルマがあり朝鮮半島が分断されたけど日本もそうなるところだったのである。
朝鮮半島は大国の対立の中でシリアのように犠牲になったのである
そういう点では武田邦彦氏の意見に同調するのである。
posted by 老鶯 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高齢化社会で車に乗らない人が増えている (電車とかバスの利用も必要になる)


高齢化社会で車に乗らない人が増えている

(電車とかバスの利用も必要になる)


その人とは良く駅で会う,この前は仙台の方に温泉巡りに行っていた
その人は大型トラックの運転手だったのである
東京にトラック運送していたのである
でも運転したくないと言ってやめた
そして自転車を買っていたのである

トラック運転手となるとぐったり疲れて一日働くと後二三日働くことができないとか言っていた、前にもトラック運転手にあったことがある
その人も同じようて仕事をしていた、それで水戸街道とかのかとを良く言っていた
標識のことをよく言っていた
その人も今は仕事はしていない,何か孫に金をふるときだけ喜ぶんだとかボケたようなことを言っていた

これでわかることは田舎でもトラック運転手が多い、田舎だと農業のように思うが実際は違う、農業だけで食べている人はわずかである、一割にもみたない、
つまり金にならないからだ、その人は今は温泉とか回りで金回りがいいみたいだ
もうトラック運転手で根詰めて働いたから車にも乗りたくなったとなる
それがやはり老人になると同感する

自分は遊びで旅行していただけだけど何かふりかえると旅行も乗り物は疲れるなと思った電車だって長く乗ると疲れるしバスは一番疲れる、自転車旅行はもう最高に疲れる
それ以上に疲れたのが登山だった、だから登山は早い時期にやめたのである
そして自分も今は乗り物にも乗りたくないとかなった
旅に行きたくないというのも不思議である。
それは介護十年して気力が喪失したのである

だから老人も働けというけどできない、その人は十分に働いたからである
だから老人も働けというのは酷だともなる、それはみんながそうではない、自ら遊んでいるのも良くないとス−パ−で掃除している人もいるからである
ただ事故で死んだ人もいた,やはりなれないところだとどうしても反応が鈍くなるからどうしても危険になる
なぜ原発避難区域で復興できないかというと残るのは老人だけだからである
老人はこの人のように十分働いたからである。

確かに80過ぎても90でも運転する人はいる,でもこの前も80歳の女性が危ないからと運転をやめた
その人も駅に電車を利用してきていた
つまり高齢化社会はこうした車を運転しない人が増えてくる
すると鉄道とかバスなどの交通の便が必要になる
車というのはいくら老人より若者が事故の割合が多いとしても負担になるからだ

老人向きの社会は車社会とは違ったものとなるのだ
老人に向いた社会は住みよいのは田舎であるが田舎は交通の便が悪い
そこが問題なのである。車なしだと暮らしにくいからだ
電車も利用するのだが駅からの足となるものがないことが最大の欠点なのである
ただイオンのように郊外でなく駅の回りにあると便利なのである。
そういう駅中心に老人も住める街を作った市もある
原町クラスの街ならできるが一万くらいだとできない
コンパトシティである

駅は鉄道を利用しなくてもこうして人が集まり情報を交換するのにいい
その人はスマホをもっていてドコモのがいいと言っていたので自分も聞いてみようかと思った
自分はこうしてその人が何をしたかと聞くのが楽しいのである
それが一つの郷土史にもなるからだ
前は馬車の仕事をした人にも出会った、ただなかなか気軽には話せないのである
駅のような場だと外からの人でも話せることがある、それが面白いのである。
何か老後の楽しみとはいろいろあるがこうしていろいろな人と話すことが面白いとなる
ただその人は話しやすい人だからできた、気さくな人だからできた
ともかくあの人とは駅では暇だから会うのである
何かそうして老人は暇でありそういう人が集まる場が必要になる
その一つが駅だともなる

楽で終わらない人生 (苦は楽の元)


楽で終わらない人生

(苦は楽の元)

その女性は5歳まで娘と一緒に生活していた
でもその家に厳しい姑がいて家を出たのである
その事情はわかる、その姑は普通の人ではなかったからである。
それで自分の母親が継母になったからひどいめにあった
ただそれなりに気丈夫で家を支えたということはあった

それで家を出たというのも理解できる、でも家を出て苦労したかというとしていない
金持ちの家の後妻に入ったのでずっと楽していたのである。
そして認知症になったとき頼るものがなくその5歳の時別れた娘に頼ってきたのである。認知症なる前に頼ってきてその後に認知症になった
施設に入れたのは金があったからである。
地位ある人の後妻になったからである

でも長い間5歳の時別れた娘とは会ってもいなかったのである
その後娘は新しく嫁に来た女性に育てられた、その女性はずっと母親になっていたのである。でも何か理由がわからないが反発してその母親にもひどいことをした
病気になったとき放置したのである
ただその病気になってすぐ死んだから良かったのである。
介護などとてもできる女性ではないからだ
その育てた母親は「ひどい娘だわと最後に自分に言って死んだのである。
自分の家でもその娘の母親とは家とはうまくいっていないからそうなっていたことに意外だったのである

それが自分の母親が病気になったとき
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」
と血相変えて去って行った
それでその女性の異常性に気づいたのである。
自分の家の場合はいい関係でないからしかたがない面があった
でもなぜ一番長く母親としてあった育ての親にそこまでするのか?
別に愛情がないのでもない,ただかわいがりすぎて母親の意のままにしたということで反発したとかはあった
でもあまりにもひどすぎたのである。
何か異常化した人間の心まで失った人に見えたのである。

こうして実の母親は娘に頼ったが後妻に入った家の子供と財産争いになっている
後妻の家でも子供は金にしか関心がないからだ
そういう状態でもう誰も金しか関心がない,それで認知症になっているからしょっちゅう電話来るとこぼしていた、自分は何も介護などしないがそこで苦しんでいる
なら自分は何もしないで施設にあずけて金さえもらえればいいと思っているからだ
実の母親でも全く愛情がないからである。

結局このように人生の最後にその人のカルマ(行為)の総決算を強いられる
それは自分でも書いてきたがそうだった、青年時代は20代は苦しんでいた
それも強いられたのではなく自ら苦しみを求めたともいえる
若いうちは望んでも苦労しろとかかわいい子には旅させろとういのは今もそうである
若いとき楽して高い地位についたりしたら傲慢になってしまう
なんらか傲慢さを打ち砕かれないと人格形成はできないのである。

ただ30以後は旅ばかりしていて楽したのである。
楽することもカルマとなっていたのである。
金あることもないこともカルマとなる、楽することもカルマとなる
社会性の欠如もあり七転八倒したのである。
介護で自分も病気になり誰も助けてくれないという苦境にあった
そういう時来たのは犯罪者とか借金に苦しむ人とかこの女性のような異常な人だったのである。それもつくづく自分のカルマだったのである。
だから自分はそのことについてひどいめにあったが恨んだりしない
人間はなんらかで苦しむのもカルマなのだ、それはもう逃れられないのである。
生きている限りカルマがある、そのカルマの故に苦しむのである。

ともかく人間は楽では終わらない、どんな金持ちでも恵まれていてもその恵まれたことで後で苦しむことになる,金持ちの娘が社会性がないとかで財産をとられたとかあった
それも社会性がない社会でもまれていないからそうなったのである。
自分も社会性が欠如しているから苦しんだのである。
旅ばかりしていては社会性は身につかないからである。

若いときは苦しむのはいい、また肉体的にもきついことは若いときしないとできなくなる登山などは特にそうである。海外旅行だって自分は50歳ではじめたから苦しんだのである。
大学で武道部に入って苦しんだのも良かった、体力がないのに良くやれたなとふりかえるそれは体力なくても若いということでできたのである。
若さはそれだけのことを成すということである。

ともかく苦は楽の元なのだ、苦しまないものは後で必ず苦しむ、それは人生の公式のようなものである。自分の母親は大正生まれで苦労の連続だったけど最後は百歳まで生きて楽に死んだ、眠るように死にたいと口癖のように言っていたが実際にそうして死ぬことができたのである、最後だけは願いがかなったとなる
それは苦労した結果として最後に神様が楽させてくれたともなるのだ

人間はだから楽ばかり求めるのも問題なのである。
原発避難区域とかで復興できないのはもう楽しか求めないからである
それは時代であるがそのために復興などできないのである。
一方であまりに苦労ばかりていると自分の母親のように庭はいらていと何にも興味もない人になってしまう、それも問題なのである。

ともかく人間には時代が変わっても変わらない教訓がある,それはことわざとしても活きつづけている

(鉄は熱い内に打て)(楽は苦の種)なのである