2018年06月09日

高平(タカヒラ)地名と貝餅地名の謎(他に曲田の由来)


高平(タカヒラ)地名と貝餅地名の謎(他に曲田の由来)

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名取(なとり): 「ナ」は古代語で「土地・地盤」のことで、また「トリ」は「洪水や津波などによる欠損や崩壊」を意味し、「ナトリ」とは洪水や津波で土地が削り取られた土地を表す。

平泉(ひらいずみ)

(1)「平」は斜めに平らな土地のことで、北上川氾濫原の平地、泉地 
(2)方言「ひら」泉で、逆芝山の山麓の清泉 
(3)伽羅御所などの奥御館の南隅に湧く平地の湧井


平安時代以降、とりわけ江戸時代以降の新田開発に
関係しているところばかりです

宮古島の平良市を調べて、「宮古島では、ピラは『坂』という意味の言葉だという。」(65頁)、「石垣島のコンピラは、
まさに坂で、 通称コンピラ坂と呼ばれていた。」、「いまはアスファルト舗装
されているが、 舗装される前、この坂を登るのは容易ではなかったと地元の
人はいう。」(同66頁)、石垣島の川平(かびら)は「海に突き出て崖状になった所であった。」(同67頁)、宮古島でも、「ひら」が崖として使われている、
file:///C:/Users/USER/Downloads/j19_05.pdf

名取が津浪と関係した地名なのか?名取の被害も大きかった,そういう地形にあったのか?

平泉は平はやはり傾斜地であるがここでは斜めに平な土地としている,泉があるところは人が住むから多い,ヒライズミというときヒラ+イズミであり一体化しているところが地名としてある,ヒラタイというときまさにそうである。ヒラという地名は一語ではあまりないだろう
なぜならヒラはアイヌ語のピラ(崖)から来たというが本当にそうなのか?
もしそうだとしたら日本中がアイヌ語が基となりアイヌが住んでいてアイヌは縄文人だとなる,それは解明されていないし日本の地名をアイヌ語で解明することは危険なのであるアイヌと縄文人はまた違っているし縄文語とアイヌ語もまた違っているのだ
このヒラにしても日本語でちゃんとヒラク(開く)という動詞がある
日本では山が多いから傾斜地を開いて生活してきたのである。
野が傾斜地を意味しているのもそのためである。日本には大陸のような平坦な土地が少ないのである。
だからこそヒラタイというとき開くとタイ(平)が一体化しているのである。
そこに先人の苦労が言葉に残されているのだ

だから高平とは高いということがまずある,どうしてそこが高いのだろうか。
そこは低い場所としてしか見えないのに高いのだろうか?

高平という地名はまず傾斜地があり斜めに平な所があり開く,開墾する,開拓する,そういうことで名付けられた,順序として金沢の方の高台がありそこから斜めに平らな所を開いて人の住む場所が広がった,何故なら低い場所は日本ではほとんど湿地帯になっていたからである。川の側も氾濫するから住むに適していないのである。
だから新田川付近は住むに適していない,ただ桜井古墳のあるところは一段と高くなった場所だった,古墳があるところは鹿島でも寺内と小池であり高い場所である。
横手の古墳は低い場所にあるがそれは時代的には寺内小池の古墳より新しいのである。

ともかくここで引用した学者でもヒラをアイヌ語のピラ(崖)から解釈するのは危険である。縄文人とアイヌが同一民族だというということは証明されていないからだ
あくまでも推測だからである。


●貝餅地名の謎

「度重なる飢饉や旱(ひでり)の連続で人びとはみな飢え、路傍で餓死するものが続出した。食うものもなく、やせ衰えたわが子のためかい餅三個と先祖伝来の美田一枚を交換した故事を地名とした」(『医王山物語』)。

私が育った越中散居村ではボタモチを「かいもち」と言ってました

高平地区に貝餅とあるのは何なのか?
これも不可解である。貝と餅でありこれは単なる当て字ではない
ここの伝説では貝餅とは単なる餅のことであるという,餅ならわかりやすい
貝餅坂というのはこの伝説から生まれた
ただ貝というときカイがカウ(買う)からきているかもしれない,餅を買うとなればわかりやすいからだ,ここの伝説では餅三個と美田一枚を好感した,買ったということで買った餅が貝餅と当て字になったともなる
なぜここに貝がでてくるかわからないからだ
貝とつく地名は貝戸とかあり場所的にはいい場所ではない,ここで貝餅とあっても貝は関係ないかもしれない

気になるのは

私が育った越中散居村ではボタモチを「かいもち」と言ってました

相馬藩内には三分の一が越中などからの移民で構成されている
天明の飢饉のときに相馬藩に移民として入ってきた人達なのだ
するとボタモチとこの辺では言っていたが越中の移民は貝餅といいそれが地名化したのだろうか?
そこには越中などの移民が住んでいたのかともなる
餅は持ち運びやすいから貨幣の役割もしたかもしれない,交換するものとして持ち運びできるからである。
でも越中の移民が来てそこが地名化したということはほとんど聞かない
ただ言葉は入ってきた,ノバというとき裸という意味であり子供の時使っていた
だから言葉は人とともに移動するのである。
西殿をニシドンというときもその基は京都とかにありやがて九州にも伝播して関東にも伝播する,それで蘇我殿というときソガドンになったとかなる
千葉県は相馬氏の発祥の地だからその一族が西殿に住んだからニシドンという言葉も移動したとなる

原町区の地名については解説した人がまだいないみたいだ,相馬市にはいた
地名は誤解が多いかあてつけが多いから問題がある
人によっていろいろと勝手に解釈しやすいから学問になりにくいのである。
ただ地名はいつも使っているから最も親しみやすいものなのである。
だから当然興味をもっても不思議ではない
自分は全国を旅行して最初鉄道だから駅名に関心をもった
地名から歴史とか郷土史に興味をもったとなり遂に
陸奥の真野の草原(かやはら)の歌の草原(かやはら)は地名だと考察したのである。
それはずっと地名に関心があったからである。

●曲田地名

曲田とあるのは田の形が曲がっているから名付けられた,扇田とか丸田とか三角田とか細田とか田に関する地名が多いのは当然である。
まず正方形と長方形にするのが文明のはじまりである。
でも田でも正方形と長方形に作ることはできない,どうしても曲がる田になってしまう
日本には無数の田がある,その田も小さいのである。わずかの土地を開き(ヒラ)きヒラタイものにして田畑を作ってきた

それで例の家が壊された広い土地をもつ人の話を聞いたらあそこがまっすぐな道路になっているがあれはまっすぐでなかったという,まずまっすぐな道路は日本では作りにくいのだ,いろいろな障害があって作りにくいのである。
それには相当な技術が必要なのである。
だから日本では曲がった道が多いのである。

ともかく最近この辺を見ると金沢へ行く坂もソーラパネルになった,あそこも小さい田が多かったのである。
今やそうした小さい田を維持できない,するとそんな土地をもっていても役に立たない,金にならないからソーラパネルにする,他でもそういう土地が多い
荒地になっている,するとそこはソーラパネルになりやすいのである。
でもそうなると景観が壊されるのである。
家の前が田んぼだったがソーラパネルになっている所をみかける
あれは夏にるなと光りの照り返しがあり暑くなる
環境破壊でもあるのだ,でも何にもならない土地をもっていても無駄だからしかたがないとなる
田畑をやめた人がかなりいるからだ,田畑を維持すること自体後継者もいないとか原発事故前からなっていたからそうした半端な田畑はみんなやめたとなる
ただ菊畑であったところもソーラパネルになったし何かそこで月が出ていい感じだったがソーラパネルになるとそんな風流もなくなったのである。

ともかく自分は相当に地名には興味をもちつづけていた,それは旅行したときから始まっていたのである。
人間は何か興味をもつ,ただそれをもちつづけないと成果がでない
雑学でもだからそれを成果に結びつけるには日頃からずっと継続して勉強していないと成果は出ないのである。
つまり能力がない天才でなくてもそうして継続していると何かしら専門家として通るようになる
「継続は力なのである」だから雑学でも学問であり馬鹿にできない
人間は雑学すらものにしていないからだ,それは継続しないからなのだ

タグ:高平 曲田 貝餅
posted by 老鶯 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

岩沼-仙台間で車両事故で約一時間ほど遅れる(2) (仙台行きが岩沼行きになっていた)


岩沼-仙台間で車両事故で約一時間ほど遅れる(2)

(仙台行きが岩沼行きになっていた)


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一昨日だった,東北電力に仕事に来た人がタクシーで鹿島駅に来た,その人は前にも来ていた
それでまた自分がいないかと言っていた,待ち合わせ時間に時々話し合える人と話すからである。
その時も自動化した無人駅のことで話していたのである。
その時車両が仙台-岩沼間で故障していたのである。
それで約一時間遅れた

そして今度来たらその人は岩沼でおりて東北線にのりかえたという,仙台-岩沼間は不通になっていたのである。
だから岩沼行きになっていた
でも確かに自動化された電子掲示板に岩沼行きと出ていた
でも自分は毎日その電子掲示板を見ていたのだがそのことに気づかなかった
岩沼行きになることはない,仙台行きなのである。
いつも表示されるのは仙台行きなのである。

英語で行き先はforである toだと途中でおりてまた次の駅に行くとなる
forだと終点なのである。目的地なのである。
だから岩沼行きとあれば岩沼でとまり終点になっていたのだ
だから
これはおかしいと原町駅の人にインターホンで聞けば良かったと後悔している
困らないように自動化しているのだがそれをよめこめないことがある
人間は自動化してもなんでもできるものではないと思った
未だにはじめく来るような人は仙台行きの乗り場と原町行きの乗り場,ホームがわからないのである,そんな簡単なことがわからないのかというがはじめての人にはわからないのだ
なぜなら何度も聞かれたからである。
それで表示するものを作ってもらったが以前としてそれが見ない人もいるし気づかない人もいるのである。
いろいろ案内してあっても気づかない人がいる
タクシーの電話番号は駅を出た所にあるから気づかないのである。

とにかくその人は自分を覚えていたのである。だから駅にまたいると思った
そこに人間がいるということはロボットがいるとか自動化した機械がいるとは違うものとなる
ただ普通駅員がいてあまり話さないかもしれない,でも駅員がいるのといないのとではかなり違ったものとなる
駅に駅員がいるということは安心を与えるものともなる
自分は一時間もいないからいつもいるわけではないからそれほど役ににはたたない
普通はあまり案内はなくなった,ただこうして故障したり風が吹いて遅れたりすると案内が必要になるのである。

社会は常に優秀な人を求めてきた (一番優秀なのはAIになるのか?)


社会は常に優秀な人を求めてきた

(一番優秀なのはAIになるのか?)


人間社会は優秀な人間が常にどこでも求められてきた,ただ優秀だというとき時代によって変わる、侍として優秀なのはやはり武道ができる人だったり戦争で力を発揮する人である。
明治以降になると福沢諭吉がでてきて学問に優れた人が出世するとなった
それから理系の技術者がいたるところで必要になりそこで優秀な人が望まれた
戦争も核兵器などのように技術競争になったからである。

人間社会は会社でもそうだが国でもそうだが優秀な人がいるとその人によって会社でも国でも株があがる,アメリカを見ればわかる
コンピュターを発明した人がビルゲイツとかいたからこそアメリカは技術的に情報社会で世界を支配するとなる
そういう天才がいて優秀な人がいて国家でも株が上がり世界を支配する
ただ金融だけでは支配できない,紙を刷っているだけで世界を支配できるとなればこれほど楽なことはないからである。

ヨーロッパが世界を一時支配できたのはヨーロッパには天才が非常に多い,それで発明発見があり産業革命があり豊かになった
イスラムが遅れたのはイスラムから学ぶものが宗教しかないというときほとんどの科学技術でもヨーロッパで発明されたものである。
その差が歴然としているのだ,イスラムになにがある,アラーの神がある,他に何がある石油と砂漠しかないのか?そんなふうになっている
世界レベルでイスラムから学ぶものがない,それは芸術の分野でもイスラムから偉大な天才は出ていないのである
中国でも発展したがパクリ国家であり何も世界をリードするものを発明されていないのである。だから先進国になれないと言われる

なぜ最近AIとかがうるさく言われるのか?
つまり人間は優秀な人材を求めている,でも優秀な人材は簡単に得られないのである。
会社でも国家でもどこでも求めている,その優秀な人材を得られれば会社も国家も株が上がるからだ
例えば医者でも一人の優秀な医者がいると例えば手術がうまい医者がいるとその病院の株は上がる,南相馬市では脳外科で脳出血関係で手術がうまい先生がいてその人がいたから脇に専門病院ができた,その先生に習うために若い医者も来るという
つまり一人の優秀な医者がいれば地域にも医者来るとなっているのだ
他に銀行でも投資に関しては素人並だった,投資には相当な知識と専門性が必要であるが銀行にはそうした優秀な人はいないのである。
もしそういう優秀な人がいれば投資関係でも銀行はもうけられるとなる

人間は簡単に優秀な人は得られない,するとどうするのか?
AIに優秀な人の代わりになってもらいうということになるのだ
いくら優秀な医者でも手術がうまいとしてもその数をこなすのは限られている
優秀な人はものすごく忙しくなる,優秀な手術のうまい医者にみなしてもらいたいからそうなる
するとAIにその代行をしてもらうとなれば好都合なのである。
Aiだと休まず24時間働いても疲れないからである。

自分もプログを三つくら一日アップすると疲れる,家事もしなければならないしそんなに一人の人間ができないのである。助士が欲しいがそれも簡単にはできない
金もないし家政婦も雇いない,やはり一人でやれば忙しくなる
ただインターネットだと知識吸収とか発信のスピードが早くなり効率的になる
これを図書館で調べていたら一冊一冊本で調べると時間がかかってできなくなった
家事があるので余裕がないからだ
図書館に必要なのはアルバイトの司書ではない,本でも情報化したAI化したロボットなのである。
なぜならキーワードで郷土史関係の資料でも調べられれば効率的になるからだ
まずアルバイトとかの司書などはただそこにいるだけで役にたたない,案内役にもならないからだ

ともかく優秀な人間は忙しくなる,やることが多くなる
でも助士が欲しいとかなるとその人だって優秀でないと勤まらない
それは科学者が実験している時でも弟子が助士が優秀でないと役にたたないからだ
だからどこでも優秀な人を望まれているがそんな人は簡単に得られないのである。

ただAIがどういうものか今はわからない,まず翻訳には驚いた,そのレベルが高いから学校の先生に学ぶよりいいとなる,あんなにすらすら翻訳できないからだ
他にも自分のしている抽象画も実はAIとにている,AIが創作しているのではないがソフトで制作しているからにている,これも70から80人のアメリカの人が見ているのである。
だから評価されているのかとなる,これもコンピュターが産み出した芸術でありAIと関係しているのである。
AIは人間の助士になる,知的な分野で助士になる人も簡単に得られないからだ
手術するにもAIロボットを使うのもそのためである。
それは手術の優秀な助士なのである。

AI社会とはどういうう社会なのか?
人間は優秀な人を求めてきた,でも優秀な人は簡単に得られない,するとAIに代行してもらえばいいとなる,労働者でも簡単な仕事はロボットがする
そのロボットを優秀な人が発明すればいいとなるのだ
そして優秀でない人は社会で人類でいらないとなる
なぜなら高度な知的な仕事はAIを使うからである。すべてができないにしろ助士として優秀だからである。
そこでロボットが簡単な機械的にできる仕事をさせると単純労働者はいらないとなる
働く場がなくなるとなり格差社会ちなる
でもまずみんな知的にも技術的にも優秀な人間になれるのは極一部なのである。
その極一部でもAI化すればロボット化すれば社会は回ってゆくとなる
人間はそうして優秀な人間を求めてきた,だから必然的にAI化してゆくとなったのだ

今後の社会の歪みは人工知能を拡大させ、巨大ハイテク企業が世界を制する


posted by 老鶯 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題