2018年06月02日

南相馬市では補償金で分断された (他の地区のことは配慮しないのが問題だった)


南相馬市では補償金で分断された

(他の地区のことは配慮しないのが問題だった)


原町の人が鹿島に商売に来ている,鹿島で商売している,鹿島の人に買ってもらっているそれで原町の人は医療費とか高速はまだ無料になっていると言う
それは差別ではないかとか言うとそんなことしりません,私にはどうにもなりませんからなにかそっけない返事である。

それは小高の人達もそうだった,極端なのは私たちは買い物して鹿島の人を助けているのよ,と言っていたのである。
これには驚いたけどみんなそんなものだったのである。
私たちは何か鹿島の人に世話になっているのただ土地を借りてあとは金を使って助けているのよというくらいのものだった
だから小高の人に補償金のことを言うと怒っていたのである。
故郷に住めなくなったのだからそんなこと当然だから鹿島の人が不満を言うのはおかしいとなっていたのである。

それは原町の人が仮払い金と市の予算から財政から100億円を出すというときネットで凄く反対していた人がいるのである。
それはあまり目立たないものだったから知っている人は少ない
でも原町区ではそう思う人が結構いたのかもしれない
なぜなら市の財政となると直接影響するからである。
ただその時仮払金だから後で別に東電とか政府から支払われるものだったからそんなに反対する必要もなかったともいえる
ただ何か仮払金のことが自分はのみこめなかった
ただその時市の財政から金が出るということで反対だったのである。

その後原町区では30キロ圏内なので医療費とか無料であり高速も今まで無料だったのである。それはずいぶん長いものだった
なぜなら医療費など鹿島区では一年もみたないくらいで打ち切られたからである。
これも早かったと思う,高速も無料にならなかった
これも大きな差別だったと思う
それは30キロで区切ったから政府の責任だったともなる
それでここだけではない都路辺りでも30キロで分けられたからそこで補償金で争いになったのである。
だから政府が悪いといえばそうである。

ただなんというか原町でも小高でももらうのは当然でありそのことで文句は言うなとなっていた,そのことを言えば険悪なものとなる
でも鹿島とかで商売したり関係がある,それでなにかしら考慮していいとも思った
ただ一人あった真野川でシジミをとっていたばあちゃんはしきりに鹿島の人はかわいそうだと同情していたのである。
真野川までシジミとりにきていた,真野川は鹿島区に入るから勝手にシジミとっていいのかとも思った,ただその時は震災後まもなくであり何か管理するものがいなくなっていたのだろう
その女性は例外的な人だったろう,普通は鹿島の人が補償金で差別されたことなど考慮しているものはいないのである。

だからそのことはを言うと怒る人が多いのである。
30キロ内でもらうのは当然だということであり鹿島は30キロからはずれたのだからもらえないのはしかたがないとなっていたのである。
でも問題はそうだとしても何か鹿島の人に対して全く配慮しないし原町でも小高でももらって当然でありそれに文句言う奴は許せないとなっていたのである。
だからNHKでも飯館村の人が補償金をもらっているから相馬市のトマト栽培農家で雇わないというときそれはなんなのだと暗にそのトマト農家を批判させていたのである。

でも相馬市のトマト農家では補償金がもらえない津浪被害者を優先しただけなのである。その辺のマスコミの報道でも常に小高の原発避難者でも優遇されていた
だからなんで補償金のことで文句言うのだと怒るのである。
お前らは同じ相馬に住んでいるものなのに冷たいなとなっていたのである。
現実に毎日のようにボランティが原発避難民の仮設に来ていたからである。
すると外から来る人の方が同情してあたたかいなと思っていたのである。
そのこともあって余計に地元の人に不満だったのである。

でも地元の人でも鹿島でも自分でも苦しいことを書いてきた,病気でも介護していて苦しんでいた,でも介護でも小高の人達が優先だったのである。
だから迷惑かけたということもあったがそんなこと関係ないとなっていた
何かそうして鹿島区は除外されたし配慮されなかったのである。
何かそういう気持ちがなかった
自分たちは苦しいのだから鹿島の人達は同情して助けるべきであり補償金もらえるのも当然でありそれをとやかく言うのは許せないとなっていたのである。

小高でも原町でも今では浪江でもそうして原発避難者には何か回りの人への配慮が欠けていたのである。
自分たちは被害者でありかわいそうであり同情されるべきであり補償金もらって当然でありいくらもらっても足りないとまでなっていたのである。
それだけの被害を受けたのだから当然だとなる
でも原町区となると一旦避難したが割と早くもどった
鹿島区でも避難した人達が半分ほどいたのである。
だからそれなりに被害があったし今でも自分は水道の水は飲まないでペットボトルを飲んでいる
それを言えば相馬市でも同じである。原発避難者には常に不満を言っていたからである。現実には毎日バチンコ通いでありギャンブルだったのである。
だからそんなふうにして遊んでいるのが何でかわいそうなのかということになったのはまた当然だったのである。

確かに原町は30キロ内であり小高は避難区域になったのだから補償金をもらっても当然だったしそう政府で決めたのだからどうにもならないということはある
でも原町区のばあちゃんでも鹿島はかわいそうだとよとか配慮していた人はいたのであるだから問題は補償金問題もあるし医療費高速無料とかの問題もある
しかし最も大きな問題は鹿島であれ回りの人への配慮がなかったのである。
それでいわきでは原発避難者を排斥するいたずらなどが起きた
その時は混乱していてもう原発避難者様様になっていたからである。
原発避難者の言い分は何でも通るともなっていたからである。
それに何かを言う奴は非難されたのである,マスコミもそうしたから余計にそうなったのである。

それでも混乱していたから二三年はしょうがなかったかもしれない,でもその後7年間とか同じ状態だったのである。
やっと回りの人に配慮して仮設を出るときモチを配ったというのはよかった
それがたいしたものでくてもそういうことを配慮できるようになったと思ったからだ
鹿島にも金をよこせといわないにしろ何かしら配慮が必要だったのである。
同じ南相馬市民としての配慮が必要だった
そういう気持ちが全くなかったということが問題だったのである。
少しでも原町区の人とか小高でも鹿島の人には補償金などで申し訳ないことです
何かそうした気持ちが少しでもあれば良かったのである。
そういう気持ちが全くなかったことが問題だったのである。

また鹿島の人でもそれを押しつけることは出来ない
だから表立って言う人はいなかった,でも不満が鬱積していたのである。
やはり人間は気持ちが大事でありそれが争いの元になる
他者への配慮がないと人間関係はうまくいかない
これは行政にも問題があった
なぜ鹿島区の議員が仮設の小高の人を応援して選挙の時回って歩いていたのか?
南相馬市だからそうなったが鹿島区の人達の不満をないがしろにしていたのである。
ともかくこれも南相馬市として合併したからこそ生じた問題でもあった
同じ南相馬市民じゃないかとなり協力せねばならないとなっているのだからそうなったのである。

posted by 老鶯 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

田舎の少子高齢化 (田舎の生活が逆に見直されることも?)


田舎の少子高齢化

(田舎の生活が逆に見直されることも?)


自分の組の10家族

一人暮らし 4人
老夫婦の二人暮らし二家族
子供のいる家なし
60歳以上 10人

これだと活気がなくなる,一人暮らしの人はやがて大きな家に住んでいるが空家になるかもしれない,子供がいないとなると街から離れた農家の部落では祭りが維持できないとかテレビで放送していた
そこは新地の福田というところであり丸森から神楽が伝わっていたのだ
それは子供だけでする神楽であった
でも後継者がいなくなるとか言っていた,こういうことはもうどこでも起きている
それよりその神楽はあくまでも農業の農家の祭りである
五穀豊穣を祈る祭りだとするとき現代に合わないものとなる
それは昔の村だったら成り立つものである。
今は村でもみんな農業しているわけではないからである。
田んぼも委託して何もしない農家が多いのである。

隣が空家になっていて近くの人が新築するためにそこを借りた
その家には子供がいる,めずらしいなと思った
孫と遊んでいる祖父母がいる,そういう姿も見ていないからだ
その家は若い夫婦がいて祖父母がいるから大家族である。
そういう家族が普通だったのだろう

近くでも知っている人が自転車屋でも娘が東京にいるが後継者はいないからいづれはやめることになる
そうすると町には一軒も自転車屋がなくなるのである。
するとかなり困ることになる
同級生の人も娘は東京にいる,地元に住んでいる息子や娘が少ない
するとどうなるのか?
やがては空家となり墓を守るものもいなくなるのである。
それで墓じまいとかなる

そして田舎に故郷に帰ってくる老人も増えてくる,そういう人と駅でもあったし他でもあった,つまりまた老人が増えるのである。

商工会で街を良くしようとして集まるとしても50以上とか多いだろう
すると将来を考えるより老後を考える,30代まで40代までならなんとか将来を見る
50以上になると無理になる
それで女川とかでは復興するのに老人は口ださないことにしたというのもわかる
老人はどうしても新しいことについていけないのである。
変化に対応できなくなっているのだ

そして老人が求めるのは安定であり安心である
何か例えば土手を毎日歩いている
そこに桜並木がありそこを毎日通る
その桜は太いのである。もう大分前にこの地区の人が植えたものだからである。
その木を見ていると何か心が安定する
そこで求めるのは信頼とか安定とか安心なのである。
それはこの土地に長く根付いて成長したものである。

そうして変化しないものを老人は求める
それは別に悪いことではない,そういう生活もまた現代では求められているからだ
めまぐるしく変わる世界がいいとは限らないのである。
大地にその土地に深くねづいた生活を求める
そういう時代の変化もある,東京などの若者が田舎志向になっているのもそのためであるだから老人の志向するものがすべて悪いとはならないのである。
若い人が志向するのはすべていいとは限らないのである。
結局高度成長時代は若い人向きの社会だった
若い人が多いから一面活力ある社会だったとなる
でもその高度成長が終わったとき今度は成熟社会になる
すると社会のモデルも変わってくるのである。

理念における二つのモダン(近代)なモデル(模型)のモード(流行)があります。ちなみにモダンとモデルとモードとは、語源にあっては同根です。つまり近代とは「最近の時代」などというカレンダー上のことではなく、「模型が流行する時代」ということを指します。

西部邁

モダンとは模型のことであり型にはまった模型的思考のことである。つまりそこに新しさはないのである。誰かの真似ごとがモダンなのである。

西部氏に共感することは古いものが必ずしも古いものではない,新しいものが必ずしも新しいものではない,すべてのものは歴史的生成されたものであり全く新しいもはないという考え方である。

何か自分は自然とアイディンティティ化することをもとめてきた
木があるとき木と一体化する,すると心も安定して安心するとなる
その傾向が年がとると余計深まってくる
人間もやはり自然の中に生きる自然に生きる生物だからそうなるのがまさに自然なのである。

根を張る木

深く深く
強く強く
大地に根を張る
信頼の樹々よ
そこに安らぎがある
木は大地に根を張り
深い影をなして
ここに静かに成長してゆく
その時は長い
そうして信頼を深めてゆく
信頼は時間によって作られてゆく
偽らざる木よ、正直な木よ
そこに安らぎがある
人間はそのように
落ち着く場が必要
精神的に安定する場が必要
そこで仕事も成就する

treehome11.JPG
こんなふうになってゆくのが自然なのである。
仕事をするにも成すにしてもそうした安定する場がないとできないのである。

posted by 老鶯 at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

駅前に電気系統の小屋完成 (駐車場の舗装工事始まる)


駅前に電気系統の小屋完成

(駐車場の舗装工事始まる)

stbuil1.JPG
新しく出来た小屋

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駅前の駐車場の工事


あの小屋は電気系統の信号などを操作するものだろう。
ホームの埋められた電線も工事することになった
水戸から来た人がその電線を通っているのを見ていた
鉄道の保守管理は意外とこの電気系統がめんどうなのである。
車だとかバスにはこういうことがない
だから鉄道を維持することはコストもかかり手間がかかるのである。
電気はまた危険な面があるから保守点検が大事になるからだ

駅前のはずれたところにある駐車場は舗装するらしい,あそこもわかりにくい,
長時間はとめられないが一応駅前よりは長くとめられる
でも知らない人が多いのである。
知っている人は利用しているが遠くから来た人はほとんど知らないのである。
それでキクチスーパーにとめたという人もいた
車をもっている人にとって駐車場は常に問題になる
それで駐車場がない街の通りは不利になったのである。

あとは駐輪場を市の建設課の人が来て調べていた
JRの土地になっているところで問題があり調べていた
新しく駐輪場を広くするらしい
ここでも市がかかわっている
外のトイレは市で運営していて障害者の施設に毎日掃除をしてもらっている
それでぴかぴかなのである。
あのトイレは遠くから来る人や鉄道を利用しない人も車で来て利用している
やはり道の駅がないからそうなる

ホームにあるトイレはJRが他の会社に頼んで掃除してもらっている
あとは商工会の女子部がゴミのかたずけをしている
これも金を払っているのである
このように駅を維持することは金がかかるのである。
だから乗降客が少ないのに減っているのに駅を維持するということは
なんらかJRだけでは維持できない
それでローカル線が廃止となりコスト削減として無人駅にする

ただ常磐線で原町駅と相馬駅は半分くらい減ったのはいわきまでつながらないからだろういわきまでつながれば回復するだろう
乗客が三倍に増えたというのは工事関係者などがきて仙台に行く人が増えたのだろう
また名取から空港を利用する人で増えたのだろう
仙台までの乗客が増えれば収入増にはなる,近くではならないからだ