2018年05月27日

夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)


夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)

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原町の道の駅の公園

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夏菊にホースに水やしぶきはぬ

夏菊や風にゆれにつ走るかな

夏菊やスーパーヒタチ走り去る

夏菊に風のそよぎて流る川

夏菊や幼児の声のひびきけり

老鶯や松原の影釣りの人

老鶯や木蔭に休み声を聞く

老鶯や住み着く人のなじむかな

無口なる畑に人や菖蒲咲く

素足にてクローバー踏む少女かな

花時計道の駅かな原町に

公園の大木の日影また休む

大岩に山芍薬や広き庭


籬より庭の見えるや青き花中に赤き花目立つ夏かな

急がずに風車の回る夏の日や津浪の後の景色変わりぬ

津浪後二本の木のなおここに離れじと立ちて夏の日暮れぬ





原町の道の駅の公園は子供も遊ぶし親も一緒に来るから活きている
でも公園は子供が二三人いるとか少ないし活気がない
公園は何か規制が多くて誰も利用しないとかの意見もある
あそこの公園は利用されているから活きている
道の駅でもあり外部の人もよるしいい場所なのである。
人間はやはりその場が活きるというとき人がいなと死んでいるとなる
道の駅とかは活気がある
素足で少女がクローバーの上を踏んでいるのも見ていて気持ちがいい

右田の松原はなくなったがその時のことを思い出す,松原の影に自分は休み釣りの人が必ずいたのである。今でも釣りしているがあの松原がなくなったから残念だとなる
ただもう思い出の中にしかそれがなくなった
それも不思議だとなる,変わって風車が回っているがあれは風で回るから自然の作用だから悪い感じはしない,ソーラーパネルは景観を乱す
風車も実際はあそこに森を作っても合わない,風車が大きいからである。
とにかくこれだけ風景が変わることが信じられないとなる
スーパーヒタチが走っていたときもあった,もう走らないというのも残念である。

河岸の復興住宅に住む人もなじんでゆくのか?老鶯が鳴いている
河岸の道はいい道である。桜が咲き葉桜になり今は日影となり涼しい、老鶯が鳴いている山シャクヤクが咲いていた庭があった,あそこの家の庭の岩は見物である。
自分は庭を見て回っている,青い花が咲いている庭を籬からとった
それに加工して絵のようにする,今は絵の才能無くても絵のようにできる
まず写真の時代は写真と絵を出さないと芸術にならないのである。
その面ではパソンコとかインターネットで即座に出せるから便利である。
日々の変化を写真に出せることがプログの強みなのである。











タグ:夏菊 老鶯

西殿(にしどん)から方言を考える (訛りは国の手形だから地域性が残る)


西殿(にしどん)から方言を考える

(訛りは国の手形だから地域性が残る)

福島の郡山から相馬にかけての言葉と鹿児島弁のイントネーションが酷似しています。
子供が言い訳しているような、最後に語尾が上がる話し方です。

蘇我殿(そがどん)の田植え(千葉県)

出典:デジタル大辞泉(小学館)

[接尾]《「どの(殿)」の音変化》人名、または人を表す名詞に付いて、軽い敬愛の気持ちを表す。商家などで、同輩または目上の人が奉公人を呼ぶときなどに用いる。「お梅どん」「長どん(=長吉のこと)」
[補説]九州南部では一般の敬称としても用いる。

せごどん
(西郷さん)
むこどん
(お婿さん)
おやっどん
(お父さん)
※ 軽い敬意を表す接尾語。

殿をどんというのは広く使われている,どんというとき大阪では親しみをこめてどんと普通に相手を呼んでいる,どんはいろいろな使い方がある
ドンは・・・界のどんと言うと一番力をもっている人でありボスである。
殿はそういう人だったから庶民にその意味が受け継がれた

不思議なのはなぜ鹿児島のイントネーションが郡山から相馬にかけてイントネーションが酷似しているのか?これも不思議である。
何かそういう移動があったのか?明治維新ごには確かに薩摩長州が攻めてきたからあったのか?でも方言でも移動するにしても定着するには時間がかかる
簡単に九州の方言が定着することは考えにくい
ただ侍とか配階級の言葉が庶民に受け継がれることはある
だから支配階級の言葉が方言化することがある
そもそも日本語では京都が中心だから京都の言葉が全国に伝播した
それが沖縄と青森に残っている方言の基は京都弁だったともなる

訛りは国の手形というときこれは偽れないのだ,どうしても訛りがでてくる
それでこの辺では全国から労働者が来たから駅で話して面白かった
訛りがありこの人はどこの人だろうと考える
訛りはみんな違っているからだ,標準語を話しても訛りは消えないのである。
奇妙なのは東京に長くいると訛りが東京語になる,標準語とは東京語になっていたからである。
だからその人がここで生まれた人でもあまりにも長く東京にいたら訛りが東京弁になっていたのである。

方言は何かあたたかみ親しみを感じる,標準語は何か冷たいのである。
でも方言は消えつつある,全国が平均化する標準化する時代だからそうなった
常磐高速のセディティというのが連れて行ってという意味だがそれを使う人は今はほとんどいないと思う,前に使ったことがあるという年配の人はいる
今は使っていないからあそこの命名は現代に会っているとは思えない
外から来た人もわからないからである
それで自分はセディティを英語だと思ったのである。
何か英語にすることが何でも多くなったからである。
それだけ方言は地元ですら使っていないのである。

面白かったのは丸森の人がんだちゃという言葉を使ったことである。
んだは相馬弁でありだっちゃは宮城弁であり仙台弁である
その差は大きいのである。
それが結合したのがんだちゃなのである。
実際にその人は相馬総合病院に入院していたが丸森の人だった
金山城の近くに住んでいる人だった
その金山城は一時相馬氏が城主にもなっていて伊達氏もなっていた城だったのである。
だから丸森に二つの方言が合体しても不思議ではなかったのである。
ここに方言の面白さがあるなと思った

ただなぜ九州弁が東北に伝わったのか?それは相馬氏は千葉県の出身だとすると蘇我殿をそがどんと昔話で語られているように千葉県では殿をどんと言っていたからそれが伝わったのであり九州の薩摩から直接伝わったわけではない,殿をどんというのは広く伝わっていたのである。
だから相馬氏が下高平に館を屋敷を構えたとき西殿となりニシドンと呼ばれたのは不思議ではないのだ,回りの人たちがみんなそう言うからもともと在地の人もまねたとなる
方言から郷土史を探る人は全国にいくらでもいる
ただこの方言は直接聞かないとわからない,文字ではなく音で聞かないとわからないからなかなか詳しくはなれないのである。
しょちゅう全国を転勤するような人は音で方言に接するから詳しくなることはある
旅だと地元の人とあまりしゃべらないからわからないのである。
柳田国男のような人はそうして口碑を重んじたから地元の人から何かを聞き出して直接歴史を感じたのである。
何か地元の人から直接聞くことはなかなかむずかしいのである。
でも一言でも地元の人から聞かないと歴史がわからないのである。
相馬市の山上の金谷原に古い碑が集められていたがそこが寺の跡だったと聞いてわかったその一言でも地元については地元の人が詳しいから聞かないとわからないのである。

自分が下高平に興味をもったのはあそこは買い物で絶えず通っているからそうなった
やはり郷土史でもそれだけ頻繁に日常的に行く所は興味をもつとなる
要するに人間はそうして何度も直接行ってふれてたずねてその土地のことでも知るようになる
つまり何でも知るということはそれだけ時間がかかるのである。
ただ下高平辺りは原町区でも歴史がある場だと実感した
桜井古墳もありあの辺が原町区の中心地帯として発展した場だったのである。

タグ:方言 訛り
posted by 老鶯 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)