2018年05月22日

駅前の家一軒が壊される (老人が一人住んでいた)


駅前の家一軒が壊される

(老人が一人住んでいた)

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四角に囲んだ家が壊される

この小さな家に時々介護のため福祉の車が来てばあちちゃんが出てきていた
今日あった人は鹿島の小島田に5歳まで住んでいた人でありこのばあちゃんの甥子にあたる
一人なので引き取るほかない言っていた
その人は水戸に住んでいる,だから鹿島には良く来ているから鹿島のことを知っている
駅前に農業のスーパーあっこことを知っている人は相当に年をすでにとっている
40年前くらいにあったがその後自動車時代になり消えたのである。
水戸まで常磐高速で二時間で来れるからまた便利になった

あそこは小さな家だけど駅前通りを広くするために小さくなったらしい
土地は地主がいて借りていた,街ではそういうのが多い
だから家の中をかたづけていたが壊すだけである
小さいから壊すのが楽だと思った

駅前はさびれている,理容店も廃屋になっていて汚れているから何か印象が悪くなる
そして無人駅になっているとさらにここはさびれた街だという印象を外から来た人はもつようになる
駅で意外と良くあうのは鹿島町にもともと住んでいた人である。
この前は白河だと白石に嫁いだ人とあっている
でも街には昔の面影がなくなっている

鉄道を利用する人が多いときはもしこうして空き地ができれば何か商売をはじめる人が出てきた
人の流れがあったからだ、今は常磐高速のSAのセディティと比べるとあまりにも違いすぎるのである。
だからとても商売になりにくい,だからさびれる

水戸だと近いから鉄道で仕事している人はこの辺は水戸管理局内なので良く来ている
駅は外部の人との接点でもある
駅で会うのは意外と内部の人,前から住んでいた人ではない,震災以後移り住んだ人と良く会うのである。最近では浪江の人である
その人は浪江に通っている,土地と家があるから見に行っているのである。
ただ鉄道だと浪江は不便になるから困る
その人は車をもっていないからである。

いづれにしろ全国的にもそうだがこうして老人が住んでいてもやがて住めなくなる
後継ぎがいないのである。
だから空家が800万軒とかさらに増えてくる,それが縮小社会日本なのである。
隣の自転車屋でも娘はいても跡継ぎはいないからそこでやめると一軒も自転車屋が鹿島にはなくなる
東京に息子娘がいて跡継ぎがいないという人が多いのである。
ここのばあちゃんは甥子でもめんどうみてくれるからいいなと感心してうらやましかったともなる
甥子姪子になると離れていると疎遠になる
水戸はまた東京と違って行き来できる範囲にあったから良かったのである。

タグ:駅前の家

2018年05月23日

城の俳句二十句(九州中国関西東海道)


城の俳句二十句(九州中国関西東海道)


(九州)

晩秋や古木に日さし熊本城

晩秋に古木数本熊本城

湾の望み春の松原唐津城

春光や海の近きに福岡城

(山陰)

芒枯れ萩の城跡大ならじ

茶をたてぬ柳あわれや松江城

(山陽)

隠れ咲く椿や山城岩国城

花見客天守に上る福山城

春爛漫天守望むや白鷺城

春夕日船の往来明石城

(四国)

(洲本城)

花に月淡路の城の一夜かな

春の暮伊達氏の治む宇和島城

花めぐり城下に三日松山城

春の川遍路と歩み大洲城

(滋賀県)

秋の暮関が原近く彦根城


(和歌山県)

朝日さし白壁映えて菊花かな

秋日和和歌山城をたずねけり

秋の朝石段上る和歌山城

(大阪)

千本の桜咲き散る大坂城

燃え落ちる春の夕日や大坂城


(長野県)

晩秋や黒々として松本城

(東海道)

優艷に枝垂桜や吉田城

金の鯱夏の日射しや名古屋城

一夜城鋭く光る月をみる

海望み小田原城や花盛り

門多し江戸城跡や秋の暮


正岡子規の「春や昔十五万石の城下町」は有名である。でもこれは明治になって城を偲んだものとして作られている,なぜなら昔すでになっているからだ
城というのは意外と城があるとき城を俳句でも短歌でも漢詩にしても触れられない
ただこれも調べればあるのかもしれない,それを調べるにも大変だが俳句に関しても城の俳句でも城についての俳句は極まれなのである。

絶頂の城たのもしき若葉かな(蕪村)

これくらいしか目立ったものとしてわからない,ただほかにあるにしても目立ったものがない,ただこれは一つの研究テーマなのである。
城をいろいろふりかえるようになったのは明治以降なのである。
城があるときは城のことはあまり語られなかった?
ただ不思議なのは城は一番目立つものだから城に関するものを残してもいいように今では思う

國破れて 山河在り 城春にして 草木深し 杜甫

城は中国などでは庶民と一体化してあった,日本ではこれだけ城があるのになぜ城について俳句にも短歌にもなっていないのか?何かそこが謎なのである。
城の謎は江戸城というとき確かにその跡は残っているが日本の中心の城が何か何もない,石垣だけだというのも淋しい,江戸城は日本の政治を担った中心だったのかと疑問になるだろう,外国の人が来てもそうである。
外国では城というとき城壁からしてローマ帝国時代のものでも残っているからだ
石造りだから残ったともなる,日本の城は戦後新しく再建されたものがほとんどなのである。実際江戸時代から残っている城は松江城くらいでありあと三つくらいしかないという明治になったとき城は廃墟化したのである。

春高楼の 花の宴(えん) 巡る盃(さかづき) 影さして千代の松が枝(え) 分け出でし昔の光 今いずこ(土井晩翆)

城が廃墟化したからこの詩と歌が作られた,でも城があるときは城について何か目立って俳句でも短歌でも漢詩にもしていないとみる,ただこれは研究テーマだから他にあるのかもしれない。

江戸時代とか明治時代でも過去の俳句や短歌は当時の生活を知るものとして自分は見ている,貴重な当時の生活の資料なのである。

池田より炭くれし春の寒さかな 蕪村

ここでも池田とあるときその炭を作る場所を意識していたのである。それが江戸時代である,なぜなら狭い範囲で生活しているから生活で使用しているものはみなその産地が明確だからである。地球の裏側から来るのとは違うからである。
そして池田よりというとき池田に住んで炭を作っている人を意識しているのである。
その暮らしもイメージしているのである。

ここで俳句にした城には自分は実際に全部行っている,ふりかえると良く旅して回ったなとなる、ただその記憶があいまいとなっている
城の印象はいろいろある,萩の城はもっと大きいのかと思った、

関ヶ原で西軍総大将に担ぎ上げられ敗北、周防・長門の2国に減封される。その後、居城としてここ萩の地に新たに萩城を築城した

ここで苦しい生活を強いられてあとで徳川幕府に恨みをもつ明治維新で長州がその先導役となったとも言われる,ここを訪れたときの第一印象が芒の中に石垣だけがあるという何か無常を感じた,明治維新の中心となったと藩だと思っているから城も立派だと思うが
意外と小さいとか萩自体が田舎町だという印象になる
常に時代は錯覚しているのである。特に現代はドラマ化しているから時代をリアルに見ない,歴史の現実をドラマから小説家ら見ると歴史を見間違うのである。
それで司馬遼太郎が竜馬を小説化して英雄にしたてたと今では見直されている

やはり歴史はとにかくいろぽすわからなくても現場を踏むことである。
そこで感じるものがまず大事だとなる,秀吉の一夜城まで自分は自転車で寄ったことがあった,その距離は結構あってここがそうなのかと実感する
その時三日月が出て光ったとなる

城でいい城だと思ったのは和歌山城である。その時は秋であり朝に長い石段を上った
それが記憶として残っている,白壁が美しい城だなと感じた,その下で菊花展を開かれていたので菊がにあう城だと印象に残り思い出すのである。
人間は城があるとして昔をたどるとしても今はむずかしい
例えば吉田城は東海道にあるがここには市電で行った,そこは何か淋しい城であり城内に枝垂桜が咲いていた、でもここは東海道であり浮世絵にもあるように橋が有名であり
大名行列も通り庶民をその橋をわたるにぎやかな所だったのである。
市電で行ったときその当時のにぎわう姿を全く感じなかった
それはやはり東海道を旅していれば歩いてでもしていれば感じるものがある
東海道は混んでいるからもうその往時を偲ぶことはできないのである。

城は明治以降廃墟化して無常を示していた,城が江戸時代の象徴としてあったからだ
ただそれも明治になったとき逆に城を回顧するようになり桜を植えたりして公園化したのである,江戸時代が300年あり明治からすでに150年の歳月が過ぎたのである。
ただ観光するというとき城があり城を中心に今でも見ている
城がないとそさには歴史がないと感じる,ただ城は石垣だけが残っているのも多い
木造建築だから残しにくい,だからたいがい城は新しく再建されたものである。
でもその再建された城を見るとき博物館のように見えてしまうのである。
石垣だけになっているとただ無常を感じるのである。
だから石垣だけ残ってるとかえって歴史を人間の無常を感じるともなる
会津の城でも新しく再建されたが何かかえってそれが作り物のように見えてしまう
石垣だけだったら薩摩長州に滅ぼされた無常を感じるともなる
つまり現代は余りにもドラマの影響が大きすぎるのである。
ドラマとして歴史を見ているから本当の歴史のリアルなものとして見ることができなくなっているのだ。

城について語ることは尽きない,この俳句でも前に同じものを出している
ただ俳句は一句だけでは鑑賞できない,連作になると一つの文学として鑑賞できるようになる
観光にしても城めぐりをして全国の城を制覇するということが現代ではできる
自分は鉄道なら私鉄をのぞいてほとんど全線を乗った
城にしてもふりかえればもう90パーセントは回ったとなる
ただ旅でも歴史を深く感じることはつくづくむずかしいなと思った

彦根城が琵琶湖に近いということがわからなかった,なかなかこうして旅というのは見ないで終わるものが多い,後でそうだったのかと見る,それがインターネットで旅をふりかえるのには便利になった
彦根城は関が原の合戦で井伊家の赤備えで有名になり井伊家が築いた城である
ここの升形の旗印は野馬追いの旗にもある,ただそのルーツは定かではない
はっきりしているのは石田三成の旗印がかつて江戸時代にあった
それは万万とかでありわかりやすい,石田三成は鹿島の田中城に来ていた
相馬藩で親交があり三成の一字をもらって名前にしている藩主もいた
それで徳川家康からは相馬藩は敵対視されたが取りつぶしにはならなかった歴史がある。

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タグ:城の俳句

鹿島駅前に駐車場があった (近くのことが意外とわからない)


鹿島駅前に駐車場があった

(近くのことが意外とわからない)

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鹿島駅のすぐ近くに駐車場があった,駐車場のことを良く聞かれていたがあそこにとめる人がいたので今日見てみた
そしたら看板があった
ここは正式の駐車場ではないが長くとめておくことができる
駅前は一時的にしかできない

駅の案内をつづけているけどわからないことがまだある
灯台下暗しだなとつくづく思う
自分の弱点は車に乗らないから車のことがわからないのである。
それで原町の車でのりつけてハンバーグなどを買うモスバーガーのことを20年間くらい知らなかったことである。
いつも休む所を探していたがすぐ近くにあっても知らなかったのである。
まず車に乗らない人は現代社会で取り残されるというのは確かである。
それはインターネットとかスマホを使わないと同じなのである。
ただ別に仕事をしていないからやってこられとつくづく思う

駅でもこれだけ案内することがあった,改良することもあった
案内するには最低限知っていないと案内できないのである。
一年以上案内していてもそうだった
人間は情報というけどこうして身近なことがわからないのである。
それは郷土史研究してもそうである
すぐ近くのことがわからないのである。
すぐ近くの神社に「天明の碑」があったのもそうである。

世界の情報を知ってもすぐ近くのことを知らないというのが現代なのである。
世界を旅行して世界のことをやたら詳しい人がいるが日本のことを知らない人も多い時代なのである。
ただ近くでも知るということは限りなくある,細部にこだわればそうなる
近くの人でもこの人どこで働いているのかわからないのである。
その人だって20年とかいてもわからないのである。
だから今の社会は意外と近くが疎遠になっているのである。
物を買うにしても通販になったりしているから余計に近くが疎遠になりわからないということもある

ただ案内することはいろいす聞かれる,それでその聞かれたことで関心をもつ
地元の人なら原町行きのホームと仙台行きのホームを間違えることはないが外から来た人はわからないのである。
それを良く聞かれたので原町の駅に表示するようにしたらしてくれたのである。
何かこれは駅だけのことではない,意外と近くのことを知らない
その知らないことで日々生活することに支障をきたすことがある
原町になると広いから余計わかりにくくなる
原町の細部を知ることは広いからできない,そして利用しないと具体的にわからない
鉄道を利用しない人は切符の買い方すらわからないし乗り方もわからないとしきりに言うからである。
人間はある土地に長く住んでいても肝心なことすらわからないことがあるのだ

2018年05月24日

the sea and seabells (抽象画を70人くらいのアメリカ人が見ている)


the sea and seabells

(抽象画を70人くらいのアメリカ人が見ている)

Counting the ip certainly there are around 80 foreign nationals accessed by Americans

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ipを数えたら確かに80人くらいの外国籍の人がアメリカ人がアクセスしている
一部は自分の日本語の文を読んでいる
でもほとんどは抽象画を見ているのだろう
絵画の写真の有利な点は見ればわかるからグローバル化しやすい
言葉はわかりにくいからできないのである。

つまり世界中の膨大な写真がビッグデーターとしてインターネットで見れるから
その変化も無限になる
私は全く絵の才能はないけどそれでも写真は誰でもとれる時代であり膨大なものが見れる時代である,だからそれらを利用して加工してまたあらたなものを作る
そういうことがパソコンでしやすいのである。


Counting the ip certainly there are around 80 foreign nationals accessed by Americans
Some are reading their own Japanese sentences
But most of them are watching abstract paintings
It is easy to globalize because you can see the advantageous points of the picture of the painting
Because words are difficult to understand, they can not.

This means that enormous photographs from around the world can be seen on the Internet as big data
The change also becomes infinite
Although I have no talent for drawing at all, yet it is an era where anyone can take pictures and it is an era when enormous things are seen, so we will use them to process new things again
That is easy to do with a personal computer.

一度の失敗が致命的にもなる (回復することができないことも-人間は信頼が大事)


一度の失敗が致命的にもなる

(回復することができないことも-人間は信頼が大事)


一度失敗したら取り戻すのに二・三年かかります。

事務的なことでもこう言われる,失敗はなんでも尾をひく
失敗にもいろいろある,軽い失敗も大きな失敗もある
まず原発事故のような大事故があるともうその信頼は回復することは不可能である。
科学者が政治家が何を言っても信じられない,マスコミもそうだった
その人たちは「安全神話」を作ったからである。

だから原発にたずさわった科学者でも事故現場に行ってガレキを拾ってこいとネットで言われた
武田邦彦氏などは科学者であり原発の仕事にも従事していた
だから責任があった,その信頼は失墜したのである。

では原発をそれでも海外に輸出するとかするのもわからない,日本で失敗したのを外国に輸出するのかとなる
その信頼を回復することはもう不可能に近い
確かに一回くらい事故はあるだろうとなるが原発ではそれが許されなかったのである。
その被害はあまりにも大きすぎたからである。
だからどうしても日本で原発はできないということを証明した事故だった

一回の失敗でそれは決められないということはある
でも一回の失敗が致命的になることもありうる
原発の場合がそうだった,そもそも事故があってはならないから「安全神話」が作られたのだ,それが一回の事故でもろくも崩れさった
その信頼は回復できない

日本も戦争で負けて3百万人が死にうちのめされた,もう天皇が神だとか神国などと誰も信じない,天皇への現人神(あらひとかみ)信仰は完全に崩れ去った
天皇自体は自分は神ではないと宣言して国民の信頼を得るために歩いて回ったからであるこれだけの大敗北と失敗があれば誰ももう日本は日本が神国だとか強いだとか信じない
原発でもそうである。日本が技術が優秀だという奢りは打ち砕かれたのである。

人間は失敗すると何か信頼を失うとそこから立ち直ることが容易でなくなる
まず事業などは普通は一回失敗したら終わりである。
立ち直る人もいるがほとんどはできない
そして失意のなかに終わり死ぬともなる
それだけ一回の失敗の重みは大きいのである。
それを自覚されない,一回くらいどうってことないとも思う
でも人間にはチャンスは人生の中で何度もないのである。
何かチャンスは与えられても何回もはないのである。
ビジネスでもそうだし他の人でもそうである。
人生は長いから何度も挑戦できるとはならない
たいがい一回で終わりやすいのである。
だから逆に一回のチュンスで成功するということもあるのだ

銀行員でもそうだった,まかせられたがその能力がなかった
分散投資するのがいいというがその銀行員自体が銀行側のノルマ達成のために自分がもっていたリーマンショック前の株を売って投資信託に回して損させた
もしそれを分散投資しているのがいいからと投資信託に回さなかったらかなりの利益が出たのである。
つまり客をもうけさせて営業の銀行員も銀行ももうかる方法はあった
それは株を売らないことだったのである。投資信託に回すことではなかった
もしここでそうしていれば損した分の穴埋めもできたしもうけたとうことでまた投資に回した,投資信託に回した,そうすれば客でも銀行側にとっても利益をあげていたのである。
こうして投資で一回失敗するとあとはまかせる気分になれない
自分はまかせたがその金を有効に使い利益を出せなかったということで営業担当にも銀行側にも不信感をもつようになったからである。

もちろん知らないでまかせた自分にも責任があったが自分は素人だし知らないからまかせたのである。だから自分だせけに責任があるとはならないのだ
実際にまかせてくださいと胸を張ってすすめたからである。
その営業担当の人がもっとうまく説明していれば自分でも決めることができたし
その営業担当は客に説明してそうさせるべきだったのである。
分散投資といっていのにもっていた株を投資信託に回したからである。
そのことで信用できなくなった
もう二度と頼むことはできなくなったのである。

原発でもどうしても科学者でも政府でもマスコミでも信用できなくなる
マスコミでも広告費をもらって安全神話を作った方だからである。
そういう人達を信用できるのか?
戦争のとき朝日新聞が一番戦争をあおったとしきり言うときもそうである。
そういうことがあると信頼できなくる
信頼できないということがやはり致命的なのである。
アメフトでも一回の反則ですべてだめにしたとまでなる

人間は万能の神ではない,だから絶対ということはありえないけど「安全神話」が作られた,絶対に安全だと言っていたのである。
銀行員にしても私にまかせてくださいといっていた
その投資の仕方も素人とほとんど変わりなかったのである。
ただ分散投資の考え方は間違っていなかったがそれを破ったのである。
だからもう信頼してまかせることはできない

原発でもビジネスでも一回の失敗が致命傷になる,それを回復することは至難になる
だから人生に何度もチャンスがあると考えてはならない
チャンスは一度限りでありこれを逃したらあとがないとまで考える必要がある
一度成功した人は逆にまた成功しやすいのである。
ただこの世で失敗したとしても人間として失格することはない
事業に失敗しても別に人間として失格したわけではない
ただ社会が認めないというだけである
ただそういう人は世間体を一番重んじるから耐えられないのである。
どこまでも見栄を張ろうとしている
借金してまでも見栄を張ろうとしている,失敗しても認めない
そういう人は人を殺しても成功者になろうとするから怖いとなる
その人にとっては世間に認められることがすべてだからそうなる
つまり事業の失敗=人間失格とはならない
人間の存在価値は事業がすべてではないからである。


いづれにしろ人間は信頼が第一だというときどこでもそうだろう
家政婦とか家に入ってくる人は一番信頼が大事である。
だから本当はよほど信頼がないとまかせられない
現実に家捜ししていたり家政婦はその家の人となり悪いとなると相当な災いとなるからだそして信頼そのものが簡単には築けないのである。
それで十年とかある家に勤めている人は信頼できるとなる
また他でもその人は信頼できるとなる

会社でも最近信頼を失うことがいろいろある,信頼を失うとその信頼を回復するにはもう並大抵のことではできない,れだたけ人間というのは人間会計でも信頼が大事なのである人間社会はそもそも信頼関係があって成り立っている
それがなくなるともう商売でも人を雇うこともなにもできなくなる
「あなたは信頼できる人です」となったときその人にはやはりいろいろ重要なこともはまかせられて金持ちになる下地ができたともなる
信頼がなかったらまず重要な仕事でも何でもまかせられないからである。
だから本当は信頼を失うことは怖いことなのである。





posted by 老鶯 at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年05月25日

不幸はは誰のせいなのか? (みんなアベのせいにする,不満の捌け口を求める)

不幸はは誰のせいなのか?

(みんなアベのせいにする,不満の捌け口を求める)


その人は確かにいろいろと不幸である。まず容姿が悪すぎる,それが不孝にした原因である,女性は結婚する相手によって幸不幸が左右されやすいからだ

では容姿が悪く生まれたのは誰のせいなのか?

アベが悪いのか,政治のせいなのか?また障害者をかかえているからそれも不孝である。
その女性は絶えず今の政府を批判するとき饒舌になる,怒りが政府に向かうのである。
まず共産党とか創価とかエホバでもカルト宗教団体に所属している人は不満をもっているその捌け口としてそういう会員になる
別に宗教を求めているわけでもないのである。
不満の捌け口がないのである。

ただそういう人は自助努力をあまりしないで絶えず政府の批判をする,アベが悪いとなるでもその不孝の原因を探ると容姿が悪いとか障害者をもったとかそれは政治と関係がないのだが政治と結びつけているのである。
それで絶えず政府に要求するのである。その女性は市役所に絶えず注文しているからである。クレーマーでもある,それは常に不満をかかえているからである。

野党ではそうした不満層をとりこむために常にアベが悪いとなりアベが退陣することをもくろむ,それはマスコミと一体となってする
不満層はそうしたあるものが権力をもつものが地位あるものが特権階級が常に得していると見ている,それは陰謀論でもそうである。
人間社会には常にそういうことだがあった,貧富の差があった
でもすべてがでは社会は特権階級が悪いのかとなるとわからないのである。

社会には常に優秀な人とそうでない人がいるからだ
そうした能力を否定して平等にしたら悪平等になる,それで共産主義は失敗したとなる
浪江の篤農家の人は優秀だから娘三人を大学に出すことができた
そしてその人に習っていた人達がいたのである。
つまり優秀な人に習って自分も豊かになろうとしたのである。
だからすべてを政府のせいにするのは間違っているのである。
人間は何かしら自助努力しないかぎり豊かになれないし幸福にもなれないのだ

もちろんこの世には不公平がありそれは正すべきなのである。

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東洋経済5月26日号


このように何か特権階級がいてそれで無駄に金が使われて豊かになっている人達が常にいる,そのために医療費が増大してその金は国民の税金から払われる  原発でもマスコミに莫大な宣伝費が電事連からはらわれていたのである。800億円とかがはらわれていたのである。
税金の無駄使いでありサラリーマンなどは一番税金をとられるから不公平だとなる
天下りとかもあり特権階級はいつの世でもいる
貧乏人としてあえでいる人はそういう人には不満になるのは悪いことではない

ただすべてがアベが悪いとなるのか?
自助努力をしないでアベが悪いアベが悪いと盛んに言う,でもその人にも何か自助努力すべきことはある,ただ年取ってどこが悪いとかその医療費も国民に負担させる
それはアベが悪いというけど国民に負担させているのである。
税金でまかなっているからそうなる
とにかく創価とか共産や野党でもカルト宗教団体にはそうした不満層をとりこむ
エホバの証人などでもそうである。金もないのに猫十匹飼って金がないというのもおかしいのである。
カルト教団とかには何かそうした不満な人達の捌け口としてある
不満を訴える場所がないからそうなっているのだ

ただなぜその女性が障害者をかかえたり容姿が悪いとか金がないとか常に不満を言う
それがすべてアベが悪いとなる,障害者をもったのは政府の責任でもない
貧乏なのもみんな政府の責任でもない,なぜなら福祉で援助を受けているからである。
特権階級で利権を得ている人は悪い人だしそういう人達は常にいる
それは是正すべきである。
でもすべてが安倍が悪いとなり自分は何も悪いことはないと思っているのだ
ただそうして過酷な宿命の下に生まれた人は常にいた
江戸時代でもいたしいつの時代でもいた,でもそれが全部時の政府が悪かったのか?
一部のものが富を独り占めしていたのかとなるとそうでもないのである。
平等を目指した共産主義が失敗したのは自助努力するのを否定してただ平等を目指したからである。その平等こそ悪平等になっていたのである。
もちろんこの世の中はどんなに努力したって不満がなくならない
それがこの世である。

そこで悲しむ者は幸いなりとキリストが言った
この意味は何なのか?不幸な人が幸いなのか?これは簡単に理解できないのである。
まず特権階級はいいようにみえてもそういう人は天国には行けないことは確かである。
なぜなら悲しむ人ではないからである。
そういう人がクリスチャンになっているのも普通であるがそれは天国には入れないとなる別に今は誰でもクリスチャンになれるからである。教会に入ればそうなるからである。

ただみんな不幸な人貧乏な人は悪いのは自分ではない,アベが悪いとなっているのだ
そして不満の捌け口を創価とかに入り野党を応援するようになる
でもそもそも不孝の原因になっているのはアベがすべてではないのである。
容姿が悪いとか障害者の問題はいくら金があっても解決しないのである。
それはだから何度も言うようにカルマだとなる
その人のもったカルマだとなる
自分でも介護で苦しんだのはそうだった,自分の場合は余りにも楽した結果としてカルマを知らずに積んでいて苦しみとなって現れたのである。
楽していることもカルマになっていたのである。
自分の場合は親にそれだけ楽させてもらいやりたいことをやらせてもらったから苦しくてもそのカルマを自分で納得していたのである。
他の人はなかなか納得できないからその不満を政府にアベが悪いとなっているのである。



2018年05月26日

黙示録 666の恐怖 (6月が不安になる-末世に異常なことが次々に起きる)


黙示録 666の恐怖

(6月が不安になる-末世に異常なことが次々に起きる)

『また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。』(黙示録13:16-18)

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なぜ6月が不気味なのか?それは自分とも深く関係していた,自分が生まれと関係していた6月24日が世界の終わりの日とされている,これも怖いと思った
自分は実際こうしたことを信じない質である
聖書は信じても滅亡の日はわからないからである。
ただ今回恐怖なのは6月が何か自分の出生とも関係していて怖いとなる
ただこれはいつでも定番のようにネットでは出てくるから普通は何も感じない
でも自分の一身上のものと一致したから不安になる

世界が終わらないにしても何か大きなことが6月に起きるのか?

●天変地異

●戦争(外敵の侵入)

●経済破綻(株の暴落)

●大事故,大惨事,凶悪事件

戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。

注意していなさい、あわててはいけない。

それは起らねばならないが、まだ終りではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。

またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう
何かそういうものが起きるのか?
この辺は津浪や原発事故になったとき本当に世界の終わりが来たのかと思った
それほどの衝撃だった,原発事故も怖かったが津浪の方が怖かった
実際に自分の家は無事だったけど家族とか家が瞬時にして消えたとなるとこの恐怖は最大のものだったろう
だから津浪の方が原発事故より怖かった,原発事故では原爆のように20万人とか死んだわけでもない,放射線被害が実際は恐ろしいにしてもかえって避難した人は多額の補償金をもらって喜んでいた人達が結構いたのである。

津浪の被害者は補償金をもらえなかったら悲惨だった
ともかく津浪の被害は家も家族も根こそぎ一瞬にしてなくなるからその衝撃が大きかった津浪の被害を経験した人は本当にこの世の終わりだと実感したことは確かである。
原発事故は確かに爆発したのだがその時自分は何かわからなくて外を出歩いていたのである。
ただその時20マイクロとか放射線量が高くなっていたのである。
でもこの辺はそれは二三回で終わったのである。
飯館村とか福島市の方が長く放射線量が高かったのである。
だから放射線量からすると福島市の被害も大きかった,でも補償金はほぼゼロなのである
聖書は予言の書といわれる,道徳の書ではないことが他のものとその趣意を異にしているのだ,世の終わりを常に記しているからだ
だから世の終わりが来ることは間違いないのである。
ただそれがいつ来るのか?それは神のみぞ知るである
だからとても6月に世の終わりが来るというのは信じがたいとなる
ただ何か大きなことが起きるのではないかという不安はある
最近地震が多いというのも不安になる

天変地異というとき大きな地震が来る,戦争というとき北朝鮮とアメリカの交渉が決裂したから起きるのか?
経済破綻は常に言われている,株が暴落する
そして大事故となるとやはり原発事故がまた地震かなにかで起きるのかとなる

6月は不安だから外にあまり遠くに行かない方がいいかもしれない,梅雨の時期だから旅行には出れない,自分はここ十年旅行にはほとんど行っていない
ただネットでこうして不安をかりたてるのはそれで視聴率をとるためだとなる
週刊誌でも常にそうして不安をかきたてると売れるからである
人の不安につけいる商売なのである。
カルト宗教でもそういうことがある
だからこれも問題なのである。自分の場合はあまりにも自分の出生との一致があって恐怖になった
これもただの偶然の一致だともなる

そもそも666が危険だとなると6月6日が危険だとなるのか?
どうしてこの数字が出てきたのか?
6はムであり無になるの日なのかとかこじつけもできる

ただなぜ津浪や原発事故が起きて一身上でも異常なことが起きつづけたのか?
なぜ狂ったような人々が自分の介護や病気の時侵入してきたのか?
それも今ふりかえると不可解であり何かこれから起きる前兆だったのかとなる
人間は弱者化するとかえって凶暴な人が襲ってくる
国が弱体化すると外敵が侵入してくる襲ってくるからである。
食い物にされるのである,それは国と国の関係でもそうだった
獣として刻印された人達が襲ってきたのかともなる
その人たちはまさに獣そのものだったのである。
金しか求めるものがない,金に狂った人達である。
それは何もその人たちだけではない,みんな世界中が金に狂った時代だからである。

現代は末世にきているかことは確かである。
末世には信じられないことが起きてくる
もう世の終わりではないかということが起きてくることは否定できないのである。



posted by 老鶯 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

下高平の西殿はニシドンと言われていた (津浪に残された泉地区の田の神様を尋ねる)


下高平の西殿はニシドンと言われていた

(津浪に残された泉地区の田の神様を尋ねる)


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二十三夜塔は嘉永のものである

あとのものは年号がわからなかった

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南相馬市原町区高平の五輪の塔の謎 (南北朝に由来して西殿は相馬氏の館があった所)

 1848年嘉永1年
   
  1853年嘉永6年

  1868年明治1年

今日下高平から泉の方に行ったら日本の木が見えた,その下に碑があるのが見えた
それでそこに確かめに行ったらそこは社の跡であり碑がいくつもあった
津浪で流されたがこの碑と二本の木が残ったのである。
そこで近くで草刈りしている人に聞いた

「ここには神社があったんですか」
「田の神様です」
「神社というものではなく小さな社(やしろ)でしょうか)
「この地区には泉には七つあってみんな田の神様を祭っているよ」

この田の神様というのがどういうものか良くわからなかったが稲作の神であることは確かである。

「二本の木が残りましたね」
「他にも木があったけど枯れたんだよ」
「そうですか,五葉松は枯れなくて良かった」
「あれもわからないよ」
「枯れるということかな,松は強く根を張らないから津浪にも弱いし塩水をかぶると塩分にも弱い」
「そういうことかもな」
「鹿島の右田の松原の一本松も枯れて切られましたから」

五葉松はまだ枯れてはいない,だからまだ残るのか?あそこまで津浪が来ていたのである
ここは地形的にも津浪の被害があった,床上まで来たという
それより新田川の岸辺に家が結構あってそれが流されたのである。
それで自分のプログを見た人がその写真を見て自分の家だと言っていたことに驚いた
そこの家はすぐ近くだったのである。

「ここの家は古いですか」
「四代目です」
「そう古くはないのかな」
「私の家は加賀から来たんです」
「そうでしたか,真宗系統,南無阿弥陀仏系統はこの辺では多いです
萱浜には特に多いみたいです」

相馬藩の歴史となるとまず天明の飢饉のときその前の時代からも宝暦からも飢饉があり苦しんだ、その時加賀であれ越中であり富山県とか新潟県から福井県などから移民がきて
飢饉の跡に入り開墾して相馬藩は飢饉から立ち直った
相馬藩の歴史はこの真宗系統の移民によって成り立っている
そういう歴史がある藩だということである。
だから相馬藩の歴史をたどると三分の一はそうした移民で構成されているともなるのである。

「下高平の方に西殿(にしどの)とあるんですが」
「いやあれはニシドンとこの辺で言っていますよ」
「ニシドンですか」
「そう伝えられてきたんですよ」
「なるほどそう伝えられていたんですか,西郷どんとかもいいますから」
「ところであなたはどこの人」
「鹿島です」
「西さんが良く来てましたよ」
「歴史の先生でしたが死にました」

あの人も西だったけどこれとは関係ない,でもなんだか符号しているから奇妙だった
最近死んだのである。ただあの人の郷土史とかの研究で何か残したのか?
あの人は地元で生まれたのではなく他から来た人らしい
高校の時習ったことがあったがその時は自分は歴史に興味をもたなかった
それより自分は勉強とか学校が嫌でたまらなかった
まず勉強は興味をもたないかぎりだめであり無理やりしたら余計に嫌いになるのである。

それはともかく九州の方言で殿をドンと言っている,ではなぜここで西殿をニシドンと言っていたのか?
それはなんらかで九州方面の人がここに相馬氏の一族に入っていたのか?
相馬氏といっても実際は多方面な人がまじっていたのである。
だから方言も伝播する,どういうわけかこの辺に九州地方の名が地名化しているのがある小池に薩摩内とかもある,他にある
方言でも伝播している,深野はフコウノと呼ぶが同じ地名として大阪にありフコウノとはそうした方言が伝播したともとれる,これは大阪方面の方言なのである。

ともかく高平から泉には歴史の跡が地名として記されているし泉はもともと古代から役所があったのだから古い
そして今も西殿がニシドンと呼ばれていることは歴史が継続して生きていることを感じたただ書類から西殿とあればニシドノと読む
でも地元の人がニシドンと言っていたというとき明らかに西の方の殿ということである。それは親しみをこめたものなのか?
泉地区はまた下高平の西殿地区とはまだ勢力として違った地域にあったからだ
ただ泉に住んでいた人もニシドンと呼んでいたのである。
そこはなんらかの中心としてあった屋敷があったのである。

柳田国男が文書だけではない聞き取りから民俗学を起こした,口碑を大事にして聞き取りから歴史を探った,口碑にこそ生きた歴史があるとしてそうしたのである。
文書からだけではわからないものが生きた歴史なのである。
歴史は普通死んだものとして見ることがある,でも地元の人にはニシドンと西殿をまだ言っているときそれが地元でまだ生きていたのかと実感したからである。

津浪後二本の木のなおここに離れじと立ちて夏の日暮れぬ


posted by 老鶯 at 19:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年05月27日

西殿(にしどん)から方言を考える (訛りは国の手形だから地域性が残る)


西殿(にしどん)から方言を考える

(訛りは国の手形だから地域性が残る)

福島の郡山から相馬にかけての言葉と鹿児島弁のイントネーションが酷似しています。
子供が言い訳しているような、最後に語尾が上がる話し方です。

蘇我殿(そがどん)の田植え(千葉県)

出典:デジタル大辞泉(小学館)

[接尾]《「どの(殿)」の音変化》人名、または人を表す名詞に付いて、軽い敬愛の気持ちを表す。商家などで、同輩または目上の人が奉公人を呼ぶときなどに用いる。「お梅どん」「長どん(=長吉のこと)」
[補説]九州南部では一般の敬称としても用いる。

せごどん
(西郷さん)
むこどん
(お婿さん)
おやっどん
(お父さん)
※ 軽い敬意を表す接尾語。

殿をどんというのは広く使われている,どんというとき大阪では親しみをこめてどんと普通に相手を呼んでいる,どんはいろいろな使い方がある
ドンは・・・界のどんと言うと一番力をもっている人でありボスである。
殿はそういう人だったから庶民にその意味が受け継がれた

不思議なのはなぜ鹿児島のイントネーションが郡山から相馬にかけてイントネーションが酷似しているのか?これも不思議である。
何かそういう移動があったのか?明治維新ごには確かに薩摩長州が攻めてきたからあったのか?でも方言でも移動するにしても定着するには時間がかかる
簡単に九州の方言が定着することは考えにくい
ただ侍とか配階級の言葉が庶民に受け継がれることはある
だから支配階級の言葉が方言化することがある
そもそも日本語では京都が中心だから京都の言葉が全国に伝播した
それが沖縄と青森に残っている方言の基は京都弁だったともなる

訛りは国の手形というときこれは偽れないのだ,どうしても訛りがでてくる
それでこの辺では全国から労働者が来たから駅で話して面白かった
訛りがありこの人はどこの人だろうと考える
訛りはみんな違っているからだ,標準語を話しても訛りは消えないのである。
奇妙なのは東京に長くいると訛りが東京語になる,標準語とは東京語になっていたからである。
だからその人がここで生まれた人でもあまりにも長く東京にいたら訛りが東京弁になっていたのである。

方言は何かあたたかみ親しみを感じる,標準語は何か冷たいのである。
でも方言は消えつつある,全国が平均化する標準化する時代だからそうなった
常磐高速のセディティというのが連れて行ってという意味だがそれを使う人は今はほとんどいないと思う,前に使ったことがあるという年配の人はいる
今は使っていないからあそこの命名は現代に会っているとは思えない
外から来た人もわからないからである
それで自分はセディティを英語だと思ったのである。
何か英語にすることが何でも多くなったからである。
それだけ方言は地元ですら使っていないのである。

面白かったのは丸森の人がんだちゃという言葉を使ったことである。
んだは相馬弁でありだっちゃは宮城弁であり仙台弁である
その差は大きいのである。
それが結合したのがんだちゃなのである。
実際にその人は相馬総合病院に入院していたが丸森の人だった
金山城の近くに住んでいる人だった
その金山城は一時相馬氏が城主にもなっていて伊達氏もなっていた城だったのである。
だから丸森に二つの方言が合体しても不思議ではなかったのである。
ここに方言の面白さがあるなと思った

ただなぜ九州弁が東北に伝わったのか?それは相馬氏は千葉県の出身だとすると蘇我殿をそがどんと昔話で語られているように千葉県では殿をどんと言っていたからそれが伝わったのであり九州の薩摩から直接伝わったわけではない,殿をどんというのは広く伝わっていたのである。
だから相馬氏が下高平に館を屋敷を構えたとき西殿となりニシドンと呼ばれたのは不思議ではないのだ,回りの人たちがみんなそう言うからもともと在地の人もまねたとなる
方言から郷土史を探る人は全国にいくらでもいる
ただこの方言は直接聞かないとわからない,文字ではなく音で聞かないとわからないからなかなか詳しくはなれないのである。
しょちゅう全国を転勤するような人は音で方言に接するから詳しくなることはある
旅だと地元の人とあまりしゃべらないからわからないのである。
柳田国男のような人はそうして口碑を重んじたから地元の人から何かを聞き出して直接歴史を感じたのである。
何か地元の人から直接聞くことはなかなかむずかしいのである。
でも一言でも地元の人から聞かないと歴史がわからないのである。
相馬市の山上の金谷原に古い碑が集められていたがそこが寺の跡だったと聞いてわかったその一言でも地元については地元の人が詳しいから聞かないとわからないのである。

自分が下高平に興味をもったのはあそこは買い物で絶えず通っているからそうなった
やはり郷土史でもそれだけ頻繁に日常的に行く所は興味をもつとなる
要するに人間はそうして何度も直接行ってふれてたずねてその土地のことでも知るようになる
つまり何でも知るということはそれだけ時間がかかるのである。
ただ下高平辺りは原町区でも歴史がある場だと実感した
桜井古墳もありあの辺が原町区の中心地帯として発展した場だったのである。

タグ:方言 訛り
posted by 老鶯 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)


夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)

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原町の道の駅の公園

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夏菊にホースに水やしぶきはぬ

夏菊や風にゆれにつ走るかな

夏菊やスーパーヒタチ走り去る

夏菊に風のそよぎて流る川

夏菊や幼児の声のひびきけり

老鶯や松原の影釣りの人

老鶯や木蔭に休み声を聞く

老鶯や住み着く人のなじむかな

無口なる畑に人や菖蒲咲く

素足にてクローバー踏む少女かな

花時計道の駅かな原町に

公園の大木の日影また休む

大岩に山芍薬や広き庭


籬より庭の見えるや青き花中に赤き花目立つ夏かな

急がずに風車の回る夏の日や津浪の後の景色変わりぬ

津浪後二本の木のなおここに離れじと立ちて夏の日暮れぬ





原町の道の駅の公園は子供も遊ぶし親も一緒に来るから活きている
でも公園は子供が二三人いるとか少ないし活気がない
公園は何か規制が多くて誰も利用しないとかの意見もある
あそこの公園は利用されているから活きている
道の駅でもあり外部の人もよるしいい場所なのである。
人間はやはりその場が活きるというとき人がいなと死んでいるとなる
道の駅とかは活気がある
素足で少女がクローバーの上を踏んでいるのも見ていて気持ちがいい

右田の松原はなくなったがその時のことを思い出す,松原の影に自分は休み釣りの人が必ずいたのである。今でも釣りしているがあの松原がなくなったから残念だとなる
ただもう思い出の中にしかそれがなくなった
それも不思議だとなる,変わって風車が回っているがあれは風で回るから自然の作用だから悪い感じはしない,ソーラーパネルは景観を乱す
風車も実際はあそこに森を作っても合わない,風車が大きいからである。
とにかくこれだけ風景が変わることが信じられないとなる
スーパーヒタチが走っていたときもあった,もう走らないというのも残念である。

河岸の復興住宅に住む人もなじんでゆくのか?老鶯が鳴いている
河岸の道はいい道である。桜が咲き葉桜になり今は日影となり涼しい、老鶯が鳴いている山シャクヤクが咲いていた庭があった,あそこの家の庭の岩は見物である。
自分は庭を見て回っている,青い花が咲いている庭を籬からとった
それに加工して絵のようにする,今は絵の才能無くても絵のようにできる
まず写真の時代は写真と絵を出さないと芸術にならないのである。
その面ではパソンコとかインターネットで即座に出せるから便利である。
日々の変化を写真に出せることがプログの強みなのである。











タグ:夏菊 老鶯