2018年04月25日

禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し (悪いことは良いこととなり良いことも悪くなる)


禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し

(悪いことは良いこととなり良いことも悪くなる)

災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。吉凶は糾える縄の如し。

人間でもこういうことは人生をふりかえればみんな感じている
苦があれば楽があるというのもそうである。
みんな金持ちに生まれていいとか美人に生まれていいとかうらやましがる
ではそれがすべて人間にとっていいものに働くかとなるならない
金持ちの家に生まれた人がみんな幸福なのか?
金持ちには金持ちの悩みがあり金を持っていることで災いをもたらされる
だから貧乏の方がいいというのではなく金持ちをうらやんでも金持ちがすべていいとはならないのである。

では貧乏がいいのかというとそうではないが貧乏でもそこにいいものがあるということはいえる,貧乏のどこがいいのかとなると反論はあるし普通は認めない
あまりにも金持ちの家に育ったら贅沢を覚えてしまうから節約などできなくなる
金持ちのお嬢さんと結婚したら夫は贅沢をさせてやらないと満足しないとなるからかえっていいものじゃないともなる

金持ちの家では介護になっても子供は直接介護などしたりしない,金があるから施設でめんどうみてもらうとなる,でも貧乏な家でも介護となれば困るが子供は苦労して育ててくれたからと親を直接めんどうみるということはある
だから何か良く働くかわからないのである。
いいと思ったことは悪いことになり悪いと思ったことがいい方面に働くことはいくらでもある
だたら禍福はあざなえる縄のごとしとなる

人間個々人を見ても多様な人がいる,みんな不満が多い,頭が悪いとか体力がないとか不細工だとか不満が多い,でも人間は何かしらいいところがあるし悪い所もある
何か人間には神がいいものを与えてくれのかもしれない
頭が悪いとしても体力があるとかあり女性なら不細工でも何か女性でも力があるとかで力仕事ができるとかある,ある人はコミニケーション能力が非常に高いのには感心する
なにか金をねだるのだがその説明が納得いくものでありうまいのである。
あんなふうにして頼めることが不細工でも何か良くされることがある
美人は何もしないでも良くされるがそれでも苦しい時があり美人だからといって何もできない人もいる,頼むこともできない人もいる
それも能力だなとつくづく思う,金持ちのお嬢さんに育ったら苦しいとき頼むこともできないのである。
それで地主が金持ちだった女性の兄弟が餓死したという事件があったのもわかる
金持ちの家に育ち処世術をもち得なかったのである。

いいと思われていたことは悪くなり悪いと思われたことはいいことにもなる
人間には何か絶対的にいいということはないのである。
いい面と悪い面が交互に来るというのは確かである。
自分は家族に恵まれたが最後は認知症などの介護でさんざんな目にあった
これも良くしてもらったからこそまたそれで苦しめられたもなるのだ
何か人間関係でもいいことだけはない,必ず悪いことも引き受けることになる
夫婦でもそうだろう,良くしてもらっていたら介護になったらひどい目にあう
子供でも親に良くしてもらったら今は必ず介護をさせられる時代だからである。
親孝行したいとき親はなしの時代ではない,長寿時代は必ず親の介護をしなければならないのである。

ともかく人間の運命は生まれつきで決められたわけではない,確かに兄弟でも差があった同じ兄弟でも一人は大学まで出された,それも別に能力があるわけではなかった
ただ金があったので三流大学に入り遊んでいただけだとなる
一方は中卒で集団就職の時代でありその差も大きかった
しかしそのことで恨んでもどうにもならない,そういう運命を呪ってもどうにもならない別に東京に集団就職してその後どうなったのか,それなりに自立して生活をしていて家族をもっている人も普通にいる

今は大学を出ても文系の三流大学では高卒の方がいいし高卒に使われる時代だとなっている,だから学歴でもそうである。それが幸福を決める訳ではないのである。
だから人間は悪いことばかりに目を向けていないで悪いところにもいいことがあるということに目を向ける必要がある

そもそも世界中の国でも地域でも見ればわかる,必ずいい面と悪い面がある
日本という国土は狭いが海の幸に恵まれているとか狭いながら工夫して稲作して食べる工夫をしたとか島国でも良い点があり活かしてきたのが歴史である。
それはどこの国でもそうである。砂漠でなにもないと思ったら石油が与えられていたとか何か神は公平なのである。公平でないと思うのはやはりそう思う人間側に問題がある
悪いことばかり見ているのである。
その悪いことばかり見ていたらもういいこともなくなる

例えばこの辺で原発事故とかで悲惨な状態になった,それはみんな悪いことだとなる
でもいいこともあった,原発事故なら多額の補償金をもらったとかある
そのいいことと思っていた欲しいう補償金でもそれがまた悪いものとして働き市町村は分断されたとかある
つまりここでも補償金は個々人にとって家族にとっていいことなのだが逆にそれによって市町村も家族もばらばらになったとかあり復興もできなくさせているとういことがある
補償金もらえばいいし復興など関係ないともなっているからである。
それも補償金が必ずしもいい面だけには作用しなかったからである。

原発事故で避難区域になったところは住めない状態になった
でもそこでさえいいものがあるかもしれない,それが発見されていないのかもしれない
どんな悪い状態でもいいことがありそれが見いだされていないとういこともある
つまり避難区域などでは何もなくなったとか悪い面だけを見ているからである。
ただ何かいいことがあるのか?
それは言えるがやはり悪いことにもいいことはありうる
ボランティアが来てくれたとかいろいろ援助があったとか何かある
ただ悪い面だけを見ている取り上げるから悪いことしかないともなる

ただ人が住まなくなって町や村を見直すということはあった
様々な外部の人がかかわり援助もあった,そして何が大事なものだったのか再認識したこともあった,いい方面に目を向ければそうである。
悪い方面に目を向ければもうみんな悪いことしかない,だからこんな所を出て行くしかないとなったのである。
もう絶望しかないとなったのである。それがわかるがそこでいい面を見いだしてゆく
そうでないととても復興などありえていからである。
こうなると悪いことばかり目につくし真っ暗な世界になる
そこにわずかの光を見いだすことでいい面を見いだす,そこに復興がありうる
そんなこと外部の人が言ってもどうにもなちらないというのも確かである。
だから自分は何も言いたくないとはなる

でも悪い事ばかり見える,そういう中でもいいことを見いだすことがなければとても人間は耐えられなくなる,生きていけなくなることも確かである。
介護十年で苦しんだが終わればこれにもいい面はあったなとか回想する
実際はこれまで書いてきたようにさんざんな目にあったのである。
その傷痕は簡単に消えないしトラウマになってしまったのである。
他人を信用できないとか他人が求めているのは金しかないとかである
ただ一番良くしてもらった自分だから家族に恩返しできて良かったとは回想するのである何かそれは事故の良心の満足となっているのである。

いづれにしろ人間は悪い方面ばかりを見ていたらもう生きているのも嫌になる
だからどんな悪いときでもいい面がありそれを追及することはある
そういうふうに人間はある,ただではシリアのような戦争にまきこまれたような国はどうなるのか,どこにそこにいい面があるのかともなる
そこには地獄しかないともなる,でもあれだけひどいめにあっているとういことはそこに何かいい面も将来的にあるのかもしれない,償いがあるのかもしれない
ただそこには悪いことしか見えない,それでもいい面を見いださないともう生きることさえできないだろう。

そういう深刻な問題はさておき平和な国でもやはりこういうことはある
良いことでも悪くなり悪いと見えても良いことがある
だから良いことを見いだしてゆくことが必要だとなる
ただ悪い方だけを見ていたら結局絶望しかないし自殺するようになるだろう。
お前は楽だからそんなこと言えるとかはある
でも他者をいくらうらやんでもどうにもならない,いいことにはつながらないのである。それは個々人の人生でもそうだし他の街はいいとかうらやんでもどうにもならない
いい面を見いだしてゆくほかないのである。
それが嫌なら結局他の街に住むしかないとなり若い人はこの辺では流出したとなる
そういうひういう人でありひきとめることはできない
でもそういう人達がではこれからいいことばかりなのかというとまたわからないのである困難の中にとどまった人達が今度は逆に称賛されていい方向に向かうこともありうるかもしれない,将来のことは人間にはわからないのである。
だから禍福はあざなえる縄のごとしとなるのである