2018年04月23日

強引な営業マンは客に逃げられる? (人の話を聞かずに銀行側の利益だけを考えていた)


強引な営業マンは客に逃げられる?

(人の話を聞かずに銀行側の利益だけを考えていた)

人間関係から生まれる成功と失敗


投資は分散だという方針は間違っていなかった,それでカナダの国債を買って,USリートを買った,カナダの国債は石油が安くなりすぎて損した
為替差益が大きいのも失敗だった,それが重なって失敗した
次にUSリートはもうかっていたがトータルするとそうでもなかった
自分は何か投資を知らないから定期的に利子のように配分されるのかと思っていたのである。これが最大の誤算だった
ただ分散投資するということでは間違っていなかったのである。

一番の失敗はリーマショック前からもっていた株である。それが元の値段にもどり上がっているときその株を売って投資信託に回したことである。
今度は為替差益がないということでJリートに回した
ところがその後株はどんどん上がっていったのである
自分はその時株はそのままにした方がいいのではないかと内心思っていたが
銀行の営業の人が強引に投資信託にその株を売り回したのである。
その理由が今になるとわかる

投資信託は銀行側にとってもうかる

営業する側にとってノルマがありそのためにすすめる

自分はその時銀行は金融のプロだからとまかせたのである。
それも間違いだった,銀行は投資に関して株とかに関しても素人ととたいしてかわりないのである。

要するに分散投資する方針は間違っていなかった,だから株と投資信託とか国債に分散投資していればよかった,株は売る必要なかったのである。
それを自分は株を売るときとうかなと言おうとしたが強引に投資信託に回した
その投資信託はもうかっていないのである。損しているのである。

だから銀行の言いなりになって投資信託をするべきではない
投資信託は銀行側にとっていいものでも客にとってはそうではなかったのである。

まずなぜこうなったのかというとき銀行が今や追い詰められているからである。
それでスルガ銀行のように悪徳な金貸しにもなっている,犯罪にもなる
地銀は追い詰められている,マイナス金利でもそうである。
こうして追い詰められた個人でも会社でも危険なものになる
余裕がないからである。余裕をもって相談にのれない
まず余裕がない人は相談にのること自体できないのである。

自分が介護で必死になっているとき事業で失敗したからと借金にきてどうだこうだとなってもそんな余裕がこっちにはない、でもそういうとき借金をしやすいとなる
脅迫のようになり弱みをもっているからである
自分の所に来た人はそんな余裕のない追い詰められた人だけだったとういことである。
ある人は泥棒であり大金を失ったとかなる

ただ銀行もまさか追い詰められて詐欺的な投資信託を売りつけるものだとは思っていなかったのである。
人間は追い詰められれば善悪もない,今腹へって食べるものがなくなればわずかの金でも殺してでも得ようとする,だからそういう追い詰められた人と会ったら最悪だったとなるだから下手にそういう人を招き入れることは怖いことになる
格差社会でも追い詰められる人間が増えてくれば治安も悪くなるのである。

余裕がないというとき野球でも必ずボールが増えてカウントが悪くなると追い詰められるとどうしてもストライクを投げざるをえなくなり打たれる割合が高くなる
逆に打つ方でもストライクが先攻されると追い詰められてボールで打たざるを得なくなるのである。余裕をもって対処できなくなり負けることになる
結局人間余裕がないということはすでにそこで敗北に向かっているのである。
まず余裕がない人に相談をしてもなにもできない,それは金銭的だけではない,問題をかかえて苦しんでいる人に相談しても何もできないからだ

ただ銀行がまさかそういう窮地にあるとは思わなかったのである。
もう銀行は金の出し入れでも使用しなくなりスマホとかの決済になると余計に銀行の役割がなくなる,銀行は投資先もなくスルガ銀行のように消費者金融のようにもなる
それも追い詰められているからである。
だから投資の相談などすべきではない
すすめられるのは銀行にとって絶対に損しないもうけになる投資信託をすすめるからである。これは確実に手数料がとれる,銀行は何をすすめようと損はしないものなのである。だから銀行は今は客のことを余裕がないから客のために何かをしてやることなどできない客からいかにして金を巻き上げるということしか頭にないのである。
営業の人はノルマを課せられているから余計にそうなる
ノルマを課せられと余裕がないから自分の利益だけしか考えられないからである

ただ別に投資がすべて悪いとはならない,客のためにしている人もいる,それは特別な金持ちができることであり銀行などはしてくれないのである。
友各銀行は今や窮地にたたされて危険なものとなっている
特に地銀が苦しい立場に追い込まれている,それで福島銀行と大東銀行が合併するということも言われるのもそうである。
ただこれも両者ともクラスとして下位になるから合併のメリットは少ないというのもわかる

営業の人が直接くるということで考えたことはやはり人に直接接することはインターネットとかでやりとりするのとは違う,営業の人が若い人だから将来銀行にこのまま勤めていいのか,こんな銀行でいいのかとか心配する
何かどうしても対面的になると人間的情が生まれる
それで頼まれて嫌々ながら営業の人に応じたというのもわかる
だからこそ本当は営業の人はその頼む人に対しても情をもつことが必要になる
ただもうければいいということだと人間と人間の関係はもうありえないからだ

つまり人間と人間のやりとりとなると簡単にはいかない,強引な人が押しの強い人がいいとはならないと思った,そういうことの方が営業に向いているとされるが必ずしもそうではない,つまり本当は相手のことを考え相手の言い分を聞く相手のことを思いやるということが基本にあり自分だけ会社だけが良ければいいではな商売にならないだろう
それは病人に接する医者であれ看護師と同じである。
ただ自分のもうかることを利益なることを売りつけるだけなら押し売りと変わりないのである。
それでも人間は追い詰められたらそうなる,売れなければ力づでも売りつけてやろうとなってしまうのである。
営業で成功している人はそうした強引な人ではなく人間の機微に通じている人かもしれない,それは若い人では無理だろう
ともかく人間が直接やりとりするとなるとそこには複雑な問題がありただ強引な手法だけではだめだと思った
銀行がノルマを営業の人に課するとそうなりやすい,カルト宗教団体でもノルマを課して会員獲得して一票を獲得するために一軒一軒回って歩く
それが押しつけになり嫌われるのである。

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政経東北3月号


地域のコンサルタントであれとここで指摘している
地銀とは地域の経営者の相談にのり地域を活性化する,それが本来の役目だとしている
だから投資信託などを中心にして収益を上げるのは邪道なのである。
一時的にはいいとしても自分のように銀行に不信感をいだき信用しなくなる
銀行から金を引き上げるという人もでてくる
地銀とあるごとく地銀は地域密着型であり地域と一体化してある
それは地域の人ととも一体なのである。
東京の証券会社はグローバルに展開しているから違う,でも地銀はそうういうものではない、その設立の動機も頼母子講とか身近な人達の助け合いから資金を出し合ったことではじまっているからである。


posted by 老鶯 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題