2018年04月01日

春の俳句十句(近辺を回る(続)


春の俳句十句(近辺を回る(続)

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紅梅に鳥の飛びきてなお紅し

十羽ほどはや交差して燕来る

春草や馬駆け少女顔なでる

山に海春望一〇里里めぐる

里山に望む遠くや春景色

木の切られ根っこの残りスミレかな

芽吹きしも空家の庭や淋しかな

川の土手乳母車ゆくや春の雲

誰か住む柳に月や里古りぬ

我が家やなお我生きぬ春満月


紅梅に白木蓮の映えにつつ朝の日さして明るさの満つ

紅梅に鳥が飛んできてとまる,その時紅梅がさらに赤く映える,隣には白木蓮が咲いている,梅は散るも春の盛りである。
近くに牧場がある,その牧場は広い,この辺は野馬追いのために馬を飼っている
でも狭いのが多い,ここの牧場は広いから馬も気持ちいいと思う
その馬を少女がなでていたのである。馬と人間の交流がここにはある

近くの小高い山に登るとここでは山と海が見える,故郷とかどのくらいの広さなのか?
一〇里とすると四〇キロくらいの範囲なのか?
春の日に自転車でめぐってゆく,木が切られた小高い丘がありそこに上ると見晴らしがいい

近くに空家がありそれでも庭に芽吹く木がある,でも人が住んでいなと淋しいとなる
全国的に空家が多すぎるのである。
原発事故で避難区域になったところはまさに空家だらけなのだからあまりにも淋しいとなる
人が住んでいないといくら春となり芽吹いても活きてこないのである。

家族はいなくなったがなお我が家に自分は一人でいる,でもまたこれもいづれはいなくなる,まだ一人でも住んでいるからいいとなる
人間はつくづくいつまでもこの世にいないということを家族の死で本当に実感した
家族すらみんないなくなる,家もなくなる,そういう無常の世なのである。
いくらいようとしてもいられないのである。
結局仮りの住まいになる宿命である。








タグ: 紅梅

国家とは何か(2) (多国籍企業が国家を消滅させる?東電は国(クニ)を破壊した)


国家とは何か(2)

(多国籍企業が国家を消滅させる?東電は国(クニ)を破壊した)

トランプとアマゾンの対立の裏側にいったい何があるのか

ここのサイトは毎日読んでいる、一貫した主張があるから反対することがあっても読んでいる,何か主張するとき首尾一貫したものがないと訴えるものがなくなる
だから別に右でも左でも首尾一貫していることが大事なのである

ここでは多国籍企業が国家を消滅させる,それに反対しているのがトランプだから対立するとなる,アマゾンは世界中にあっても商売する国に税金を払わないと責める
そして多国籍企業はみなそうであり国家を越えて商売するから国家はもう消滅するという
それもそういうグローバル化経済の中で起きてきたことである。
国家の力が弱くなり多国籍企業が国家の役割をするともここでは主張している
ということは今国家とは何かがあらためて問われることになる

多国籍企業が国家の役割をになうことはできないと私は思う
企業とは車を作るとかいろいろな物を作り売るにしてもそれは全体から見れば一部のことである。
ただ宮城県のある町ではトヨタの部品など製造して半分が村の収入になる,するとトヨタ村になる,原発事故でわかったように浪江町でも双葉町でも大熊,富岡などその周辺の町は東電村のようになっていたのとにている
東電を多国籍企業として見ることもできるのである。

でも私の考えではそもそも国とは何かとなればそれはその土地の中で空間と時間の中で形成されたアイディンティティ化されたものである。
そこに多国籍企業が入り東電村と町になるのは人間の文化の破壊なのである。
結果的に原発事故で町とか村とかそのもの全体が破壊された,消失させられた
時間軸で築かれた歴史も消失した,代々受け継がれた土地でもそこは不毛の土地となり
先祖は見捨てられ荒地と化した

それは結局村でも町でも時間軸で形成された歴史がありそういうものが政府と一体化した東電によって破壊されたのである。
多国籍企業がまさに国家ではないが一地域の時間軸でアイディンティティ化された世界を一挙に破壊したのである。
それだけ一会社が多国籍企業も国家より大きなものとなり社会を支配する力をもったのが現代だとはなる

アメリカの軍需産業が巨大だから国家を左右する,武器をいくら作っても売れないとなれば戦争して消費してくれともなる怖さが多国籍企業が国家の代りになればそうなる
そこで国家とは何かということが問われているのである。
そのわかりやすい例として多国籍企業が国家の代わりをするとこの辺のように一旦事故が起きたら住むことさえできなくなる
それはあまりにも一企業の力が大きくなりすぎたからなのである。
政府自体がすでに電力会社の言うままであり電力会社の一部門のようになっていたのである。
政府の官僚や検察が天下り先として東電が有力なものとしてあった
それだけ東電は国並の力を持っていたのである。

国家というとき何なのか?経済だけから見たのが国家なのか?
地域から見ればその地域に積み重ねられた歴史がどこにでもある
だから国家の前は国(くに)が国家であり江戸時代になると藩が国になる
日本国とか日本人とは意識しにくい,そこに無理が生まれる
国を守ろうという時,国は江戸時代の藩のような単位でありそこで国意識がありお国訛りがありアイディンティティ化した社会に生きていたのである。

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし 倭建命

くにのまほろば・・・というとき青山に囲まれた所を国として意識していたのである。
それは自然からイメージされた意識化された国である。
そもそもヤマトとは一地域の名前が日本国まで拡大したことでもわかる
国とは今の日本全国のようなものしとて意識されていないのである。
日本全国を国として意識することはむずかしいからである。

愛国心というとき日本全国から起きていない,倭建命(ヤマトタケル)でも国として意識したとき青がき山に囲まれた美しい場所を国として意識した
それは自然と結びついた国である。国家というと行政単位のようにも感じる
自然と自ずから形成されたのが自然村であり国(クニ))であり人工的に作られたのが国家だとなる
国家というとき経済力とか軍事力だけが国家として強調されるが自然村としての国としては意識されないのである。
多国籍企業からも自然の中に生きてきた人間は意識されないのである。
そしてそういうことをグローバルにおしすすめるとどうなるのか?
原発事故でこの辺が住めなくなって荒地化廃墟化したようになる
空間と時間軸で形成されたものが一挙に失うのである。

多国籍企業は現代に最近できたものであるが国の歴史はどこでも古い,民族の歴史も古いそれが一時的なものである多国籍企業が国家の代わりなどなりえないのである。
それは経済からしか世界を見ていないからである。
ダークネスでも株の世界からしか見てないなというふうに見る
国とは経済だけで成り立っているものではない,空間と時間軸で積み重ねられてきたものがある

一自動車会社とか薬会社とかIT会社とか何か現代に突出した生産力のある消費されるものでその国を席巻する,それが多国籍企業だとするとそういうものは国ではありえない
いくら大きくてもそういう一会社の社員として従属することがそこに命までかけることができなるのか?
戦争の是非があるがやはり命をかけてまで守るものが一企業にあるのか?
国には異論はあるが命をかけて守るとういことは以前としてある
もし多国籍企業が国の代わりになるなら国の歴史は否定される
ただ国家がなくて経済だけの世界になる
その時一番力をももつものは金だとなる,貨幣だとなる、それでユダヤ人が世界を支配するのだとか言う,またはイルミナティがそうしているのだともいう
国がなくなり世界を支配するのは経済だけを追及するのに都合がいいからである。

ともかく今や国家といっても企業の交渉役が政府だとかなる,企業の代弁するものが下僕になっているのが国家だとなる
だから国家とは何かとなれば経済力でありGDPであり軍事力とかになってしまう
中国でも共産党幹部が巨万の富を築いた,そしたらその人たちは多国籍企業と同じである国はもうけるためのものでありそこで貧民がいくらいようと関係ない,そういう人達が反乱したら国を脱出する,そのために財産を外国に移しておくとかなる
家族は子供はアメリカ国籍をとっておくとかなっているとしたらそういう人達は国などないのである。多国籍企業でただ利益をあげるものとしての国家なのである。

大和しうるわし・・・というときそういうふうに感じられるのが国である。
だから大都会東京などを国とは感じない,それは経済力だけの国なのである。
国の基は美しい自然がありそこに人間の営みが代々つづけられた場所だとなる
それを破壊するものは外国とは限らない,多国籍企業であり東電のような大企業でもあったことが原発事故で証明されたのである。