2018年04月01日

国家とは何か(2) (多国籍企業が国家を消滅させる?東電は国(クニ)を破壊した)


国家とは何か(2)

(多国籍企業が国家を消滅させる?東電は国(クニ)を破壊した)

トランプとアマゾンの対立の裏側にいったい何があるのか

ここのサイトは毎日読んでいる、一貫した主張があるから反対することがあっても読んでいる,何か主張するとき首尾一貫したものがないと訴えるものがなくなる
だから別に右でも左でも首尾一貫していることが大事なのである

ここでは多国籍企業が国家を消滅させる,それに反対しているのがトランプだから対立するとなる,アマゾンは世界中にあっても商売する国に税金を払わないと責める
そして多国籍企業はみなそうであり国家を越えて商売するから国家はもう消滅するという
それもそういうグローバル化経済の中で起きてきたことである。
国家の力が弱くなり多国籍企業が国家の役割をするともここでは主張している
ということは今国家とは何かがあらためて問われることになる

多国籍企業が国家の役割をになうことはできないと私は思う
企業とは車を作るとかいろいろな物を作り売るにしてもそれは全体から見れば一部のことである。
ただ宮城県のある町ではトヨタの部品など製造して半分が村の収入になる,するとトヨタ村になる,原発事故でわかったように浪江町でも双葉町でも大熊,富岡などその周辺の町は東電村のようになっていたのとにている
東電を多国籍企業として見ることもできるのである。

でも私の考えではそもそも国とは何かとなればそれはその土地の中で空間と時間の中で形成されたアイディンティティ化されたものである。
そこに多国籍企業が入り東電村と町になるのは人間の文化の破壊なのである。
結果的に原発事故で町とか村とかそのもの全体が破壊された,消失させられた
時間軸で築かれた歴史も消失した,代々受け継がれた土地でもそこは不毛の土地となり
先祖は見捨てられ荒地と化した

それは結局村でも町でも時間軸で形成された歴史がありそういうものが政府と一体化した東電によって破壊されたのである。
多国籍企業がまさに国家ではないが一地域の時間軸でアイディンティティ化された世界を一挙に破壊したのである。
それだけ一会社が多国籍企業も国家より大きなものとなり社会を支配する力をもったのが現代だとはなる

アメリカの軍需産業が巨大だから国家を左右する,武器をいくら作っても売れないとなれば戦争して消費してくれともなる怖さが多国籍企業が国家の代りになればそうなる
そこで国家とは何かということが問われているのである。
そのわかりやすい例として多国籍企業が国家の代わりをするとこの辺のように一旦事故が起きたら住むことさえできなくなる
それはあまりにも一企業の力が大きくなりすぎたからなのである。
政府自体がすでに電力会社の言うままであり電力会社の一部門のようになっていたのである。
政府の官僚や検察が天下り先として東電が有力なものとしてあった
それだけ東電は国並の力を持っていたのである。

国家というとき何なのか?経済だけから見たのが国家なのか?
地域から見ればその地域に積み重ねられた歴史がどこにでもある
だから国家の前は国(くに)が国家であり江戸時代になると藩が国になる
日本国とか日本人とは意識しにくい,そこに無理が生まれる
国を守ろうという時,国は江戸時代の藩のような単位でありそこで国意識がありお国訛りがありアイディンティティ化した社会に生きていたのである。

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし 倭建命

くにのまほろば・・・というとき青山に囲まれた所を国として意識していたのである。
それは自然からイメージされた意識化された国である。
そもそもヤマトとは一地域の名前が日本国まで拡大したことでもわかる
国とは今の日本全国のようなものしとて意識されていないのである。
日本全国を国として意識することはむずかしいからである。

愛国心というとき日本全国から起きていない,倭建命(ヤマトタケル)でも国として意識したとき青がき山に囲まれた美しい場所を国として意識した
それは自然と結びついた国である。国家というと行政単位のようにも感じる
自然と自ずから形成されたのが自然村であり国(クニ))であり人工的に作られたのが国家だとなる
国家というとき経済力とか軍事力だけが国家として強調されるが自然村としての国としては意識されないのである。
多国籍企業からも自然の中に生きてきた人間は意識されないのである。
そしてそういうことをグローバルにおしすすめるとどうなるのか?
原発事故でこの辺が住めなくなって荒地化廃墟化したようになる
空間と時間軸で形成されたものが一挙に失うのである。

多国籍企業は現代に最近できたものであるが国の歴史はどこでも古い,民族の歴史も古いそれが一時的なものである多国籍企業が国家の代わりなどなりえないのである。
それは経済からしか世界を見ていないからである。
ダークネスでも株の世界からしか見てないなというふうに見る
国とは経済だけで成り立っているものではない,空間と時間軸で積み重ねられてきたものがある

一自動車会社とか薬会社とかIT会社とか何か現代に突出した生産力のある消費されるものでその国を席巻する,それが多国籍企業だとするとそういうものは国ではありえない
いくら大きくてもそういう一会社の社員として従属することがそこに命までかけることができなるのか?
戦争の是非があるがやはり命をかけてまで守るものが一企業にあるのか?
国には異論はあるが命をかけて守るとういことは以前としてある
もし多国籍企業が国の代わりになるなら国の歴史は否定される
ただ国家がなくて経済だけの世界になる
その時一番力をももつものは金だとなる,貨幣だとなる、それでユダヤ人が世界を支配するのだとか言う,またはイルミナティがそうしているのだともいう
国がなくなり世界を支配するのは経済だけを追及するのに都合がいいからである。

ともかく今や国家といっても企業の交渉役が政府だとかなる,企業の代弁するものが下僕になっているのが国家だとなる
だから国家とは何かとなれば経済力でありGDPであり軍事力とかになってしまう
中国でも共産党幹部が巨万の富を築いた,そしたらその人たちは多国籍企業と同じである国はもうけるためのものでありそこで貧民がいくらいようと関係ない,そういう人達が反乱したら国を脱出する,そのために財産を外国に移しておくとかなる
家族は子供はアメリカ国籍をとっておくとかなっているとしたらそういう人達は国などないのである。多国籍企業でただ利益をあげるものとしての国家なのである。

大和しうるわし・・・というときそういうふうに感じられるのが国である。
だから大都会東京などを国とは感じない,それは経済力だけの国なのである。
国の基は美しい自然がありそこに人間の営みが代々つづけられた場所だとなる
それを破壊するものは外国とは限らない,多国籍企業であり東電のような大企業でもあったことが原発事故で証明されたのである。




春の俳句十句(近辺を回る(続)


春の俳句十句(近辺を回る(続)

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紅梅に鳥の飛びきてなお紅し

十羽ほどはや交差して燕来る

春草や馬駆け少女顔なでる

山に海春望一〇里里めぐる

里山に望む遠くや春景色

木の切られ根っこの残りスミレかな

芽吹きしも空家の庭や淋しかな

川の土手乳母車ゆくや春の雲

誰か住む柳に月や里古りぬ

我が家やなお我生きぬ春満月


紅梅に白木蓮の映えにつつ朝の日さして明るさの満つ

紅梅に鳥が飛んできてとまる,その時紅梅がさらに赤く映える,隣には白木蓮が咲いている,梅は散るも春の盛りである。
近くに牧場がある,その牧場は広い,この辺は野馬追いのために馬を飼っている
でも狭いのが多い,ここの牧場は広いから馬も気持ちいいと思う
その馬を少女がなでていたのである。馬と人間の交流がここにはある

近くの小高い山に登るとここでは山と海が見える,故郷とかどのくらいの広さなのか?
一〇里とすると四〇キロくらいの範囲なのか?
春の日に自転車でめぐってゆく,木が切られた小高い丘がありそこに上ると見晴らしがいい

近くに空家がありそれでも庭に芽吹く木がある,でも人が住んでいなと淋しいとなる
全国的に空家が多すぎるのである。
原発事故で避難区域になったところはまさに空家だらけなのだからあまりにも淋しいとなる
人が住んでいないといくら春となり芽吹いても活きてこないのである。

家族はいなくなったがなお我が家に自分は一人でいる,でもまたこれもいづれはいなくなる,まだ一人でも住んでいるからいいとなる
人間はつくづくいつまでもこの世にいないということを家族の死で本当に実感した
家族すらみんないなくなる,家もなくなる,そういう無常の世なのである。
いくらいようとしてもいられないのである。
結局仮りの住まいになる宿命である。








タグ: 紅梅

2018年04月02日

春の月(自分の一句の鑑賞)


春の月(自分の一句の鑑賞)

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春の月命ながらふ我が家かな

春の月我が家を照らしつくづくにながらふ命いとしむべしかな

二階から春の月が見える,満月である。
なんかそれが不思議である。
みんな家族が死んだのだから我が家ともいえない
家族というとき家というとき家という建物,ハウスではない
ホームという意味がある,ホームとは家のこと建物ではない
家族がいてなごむ愛し合う場である。
そこに安心がある

ただ家族にもいろいろ問題があり争いがある
ただそれでも家族は他人とは違い助け合うのである。
他者になると非情である,その非情を介護で体験した
自分の病気でも体験した
もう他人とは金しか関係ないのである。
だから弱者化したときこれ幸いと金を要求してきた
ある者は盗みある者は借金を要求しと責められただけである。

自分が二〇代では苦しんでいたけどその後は楽だった
したし楽はつづかない,人間には必ず苦がある
楽のままに終わる人がいないのである。
大金持ちに生まれたとしてもそうである
必ず苦しむようになっている
むしろ苦があり楽がある
苦がないとしたら楽もないとなる

自分が楽していられたのはこの我が家があり家族があったからである。
こんな生活を普通はできない,複雑な家庭でも自分は姉とかいて楽できたのである。
でも介護で苦しんだのもその楽があり苦があったからだとなる
人間は夫婦でも楽ばかり与えないのである。
必ずどっちか病気になったり何か困窮したりとある
それで人間そのものがリスクであり苦になる
それは生きている限り避けられないことなのである。

俳句というとき短いが鑑賞力が必要になる,芸術は鑑賞すること自体むずかしいのであるいろいすな解釈ができる,その解釈によっても見方が変わる
この句でも別に自分のことではない,病気になり入院して帰ってきてつくづく我が家にあり命ながらえたなとか解釈する
そういう解釈がわかりやすいだろう。
自分の複雑な家庭をしりえようがないからである。

ともかく命ながらえたなとつくづく思う,なぜなら自分は体が弱いからもう会社勤めでもできない,精神的にもそうだが体力的にもそうである。
だから三〇年間も家に隠者のように暮らしていたということが不思議になる
今はそういう人がニートとかいくらでもいるからめずらしくない
でも団塊の世代ではそういう人はまれだったからである。特殊な環境で自分はそうなったのである。

その人の一生を象徴して感じさせるものが俳句でもある
ただそれを読み込む鑑賞することがむずかしいのである。
俳句は短いから余計にそうであり鑑賞する力がないとありきたりのつまらないものとしてかたづけられる
つまり俳句は短くても奥深いものがある
ただあまりにも月並みも多く俳句は誰でも作れるから何か読み取ることもむずかしい
ただ俳句でも短歌でも何か他の文学と違って短いから鑑賞力が必要となる芸術である。
そのバックとなるものをよみとる力が必要なのである。
そうはいっても自分も他者の俳句をそんなに深く読んでいないのである。
自分のことだからこうして一句でも自ら書いているのである。

2018年04月03日

外国人観光客が増えた問題 (日本の情緒が破壊される)


外国人観光客が増えた問題

(日本の情緒が破壊される)

地域の住民にとって必ずしも歓迎されるものではない。はっきり言ってしまえば、観光客というのはそこに根ざして生活する人間にとっては、根源的に厄介者であり、迷惑以外の何ものでもないのである》

記事は、問題の原因が日本を訪れる観光客が多すぎる点にあるのではなく、「観光客が東京圏、関西圏といった大都市圏に集中しすぎている点」にあると指摘する。

通勤客で混み合う電車に大きな旅行バックを持った外国人が乗ったり、路線バスに大勢で乗ってきて病院へ向かうお年寄りが席に座れなかったりなど、日常生活と観光客との摩擦が起きています。


外国人がカプセルホテルに泊まるのが理解できる,日本はホテル代が高すぎる,自分は旅をして一番困ったのはホテル代だったからである。
カプセルホテルは地方にはない,すると地方の方が宿泊代は最低でもビジネスホテルでも五〇〇〇円以上かかる,すると宿泊代に金をとられて他にしたいことができないというのもわかる
交通費も日本は高いから移動するのは東京と大阪だというのもわかる

外国では安いホテルが多いことなのである。ホテルがそもそも多いのである。
パックパッカー用とかユースホステルも多い,そこは老人でも泊まっているし安いのである。
スイスなどホテルに泊まったら高くて旅行できない,そうしたパックパッカー用の宿が多い、ただなかなか外国人は慣れていないと泊まれないのである。
自分はパリの東駅におりて安宿を探した,やはりあったが泊まりにくかった
自分だけではないパリを旅行していた日本人の若者が夜まで安い宿を探し歩いていたのである。

パリにまで安宿探し落葉かな

こんな句にもなる,パリとか観光の都市でありヨーロッパは本当にホテルが多いし安宿も多い,だから観光しやすいのである。飛行機代とかかってもホテル代が安いと金持ちでなくても旅行できる,自分は50すぎてパックパッカーした
金が意外とかからないなと助かった,その時は自分は金の余裕がなかったからだ
つまり旅行で一番金のかかるのはホテル代だからである。
それで外国人が日本は特にホテル代が高いから若い人などはホテル代をまず安くしようとするのがわかる
ホテルは寝るだけの場所だとするのもわかる,日本では旅館だと食事つきとか何か高く設定されているのである。ただ泊まる場所として提供していないのである。
だからこそ民泊が生まれたのである。

ともかく旅と宿は深い関係がある,宿は旅情を作り出す,その点江戸時代の旅は宿場町があり人と人の交わり出会いがあり分かれがあり情緒があった
それは歩いて旅していたから余計にそうなった
車だったらそうした出会いとか分かれはないのである。
道を旅しないからそもそも分かれるという感じもなくなる
なぜなら分かれる道が分去りとして地名化しているからである。

京都で観光公害になるというのもわかる,京都に外国人が集中すればそうなる
なにか外人に見に来たのかとさえなるだろう。
嵯峨野辺りでも修学旅行生が来ていてうるさかった,それが外国人がおしかけたらさらにうるさいとなり情緒もなくなる
京都に住んでいる人の日常生活まで影響する,観光公害になるというのもわかる

ただ自分でも外国を旅行したとき慣れていないし貧乏旅行者だから迷惑をかけた
必ずどうしても外国では迷惑をかけやすいし観光客は異物になりやすいのである。
特に若い人のパックパッカーとかなるとそうである。
若い人その国の文化とか歴史とか情緒を楽しむというか学びに来るというのではないからだ,ラーメンだけを食べに来ている若者もいたからである。

東京と大阪に観光客が集中しているのも問題である,もっと地方に田舎に外国人を呼び込むべきだというのもわかる,ただ田舎は外国人に慣れていないし言葉もわからない
それで長野の白馬でおばちゃんが外国人とだきあって別れを惜しんでいた
英語も覚えたというしやはり生活するために必死になるとそうなる
でも実際は嫌なのである。沖縄でも実際は日本人が来ても迎えるばあちゃんは表面は歓迎しているが嫌だと言っていた
ただ金のためにそうしているだけなのである。

やはり外国人でも数が多すぎると問題が起きる,数の問題なのだろう。
情緒がなくなる,京都辺りだと着物姿の女性が歩むのににあう通りがある
でもそこを外人ががやがや歩いていたら情緒がなくなる
すでに情緒では日本はいたるところ失っている
若い人はやはり何か行動的であり情緒を楽しむということがしにくい
それは日本人でも同じである。
猪苗代湖でも静かな所があるが水上ボートの音が凄まじかった
それで情緒が破壊されるのである。
それは日本全国で起きていることである。

例えばそもそも現代ではそうした情緒は車社会で破壊されている
江戸時代のように歩いて旅していればその旅人は一つの絵になっていて広重の浮世絵のように残される,今はそうした情緒がそもそもなくなっているのである。
それに外国人が流入してくるとますます情緒はなくなる
何か自分は異常に情緒とか景観にこだわる
この辺は津浪や原発事故で土が大量にとられている,そこで土がとりだされたところがむき出しになっている
それをいつも見ているから嫌になる
そして八沢浦が元の美しい入江にもどったというときそこに住んでいる人にしかられたのは当然だった
そこでは津浪で死んだ子供を泥を掘り出して探していたからである。

ただ人間は意外と景観に無関心なのである。景観は金になるわけでもないからである。
森でも木材の資源としてみていて森全体があることを価値あるものと見ていないのであるだからこそヨーロッパでも森が消失してゆく,世界的にそうである
人間は何でも経済的観点からしか社会を見ない,でも情緒となると経済的観点からだけでは計り得ないものとしてある
その情緒がなくなればその価値もなくなり,京都などは古都でありそうなるのである。
だから今は旅行しないからいいと思った,旅行する気力もなくなったしまたあんなに外国人もいるのも嫌だなとも見るようになったからである。

京都なれ枝垂桜の優艷に夜もふけゆくや泊まる宿かな

京都はそこにいるだけで千年の都の中にいることになる,それは外人があれだけ多くなると情緒がなくなる
やはり数の問題であり限度があるということになる,観光都市ではあるがそこにも古都の生活があって成り立つ
でも寺でも観光収入で成り立つというのも実は批判がある
寺とは修行の場であり観光の場ではなかったからである。そこには本来の生活があって観光とは付随的にあるものが正常だからである。

posted by 老鶯 at 10:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)


鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)

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名もしれぬ霞める里も花盛り

花の影車椅子の女休むかな

春の日や今日も霞むや隠れ里

春の日や里の霞みて隠る石

我が家に貧者来たりて花雲り

燕来て旅人来たらむ我が街に

山中の小径を知りてスミレかな

足元にスミレや愛でぬ小さきもの

この道の行く人まれに花の影

この時を写真に撮るや花盛り



見わたせば、春日(かすが)の野辺(のへ)に、霞立ち、咲きにほへるは、桜花かも

今年は何か山でも霞んで見える,春は湿っぽくなるから霞がたつようになる
冬とはこの辺が景色でも変わる

春なれや名もなき山の朝霞 芭蕉

こういう感じである。この辺の山は高くない,隠れ里とかあり霞に隠れるのもいい
ただ人と交わると必ず問題が生まれる
貧者が来て常に金を要求される,田舎では資産がないと落ち着いた生活ができない
公務員とか銀行員とかは前は安定した職業であった
そういう職業がないと田舎では安定して暮らせないのである。
今や公務員でも原発事故後住民がいなくなったりしてもう成り立たなくなる
激務ともなりやめたいというのもわかる
何かそうして田舎では金銭的にも困る人が回りに影響する
都会だと目立たないが田舎では目立つのである
だから日本では狭い村で生活していたらとてもぜいたくな暮らしをできない
回りと合わせなければならないからである
そういう国がもともと日本だったのである。

写真をとるのもむずかしい,構図ができてとるがちょっとした違いでまるで違ったものになる,やはり遠景とアップで両方とればいいものがとれる
その辺がむずかしい,カメラもいいものではないとうまくとれない
写真は現代の芸術にもなった,写真の時代である。
これは別に絵を描けなくてもできるからいい
ただ人に見せるものとなると簡単には撮れないのである。

真野川の岸辺は散歩するにはいい,休む場ももうけられている
ただ桜の木は若い木であり桜はそれほどは見応えがない
一部が成長して古い桜である。そこは見物である
実際桜は日本全国いたるところに咲く,だから上野の桜は景色が良くない
あのような桜が日本の桜として紹介するのもどうかと思う
皇居辺りの桜だったら背景がいいから映える
やっぱりか背景が良くなければ桜も映えないのである。

桜はどこでも見れる,近くでも見ていない桜はいくらでもある
なかなか桜がどこに咲いているかわからないのである。
桜の名所というけど日本ではどこでも桜が咲くのだから名所に行かないでも桜は見れるのである。ただ吉野の桜とかなると別である
日本はこの季節が一番いいことは確かである。
ただ今は旅行しにくくなった,外国人が多すぎてホテルもとれないとかなると旅行しにくい,ずいぶん旅行したから近くの桜を見てるだけでもいいともなる
何か自転車で行くのも疲れるようになった

ともかくなんとかいい写真をとろうとしたがうまくいかない,霞む山がうまくとれない。ただこれからをは写真をとるにはいいシーズンである。

駅前に開業120年の花文字を作る (地区の人と駅長などが共同で作る)

駅前に開業120年の花文字を作る

(地区の人と駅長などが共同で作る)

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駅前の花壇に黄色のパンジーや紫も見て電車待つかな


今日は駅長もきて駅前に新しい花壇を作っていた
地区の人と一緒に花壇作りをした
駅は鉄道だけのものではない地域が深くかかわっているのである。
あのように共同作業しているのを見ているとそうである。

鹿島駅が開業して120年とあり120と花で花文字を作った
120年となると長い,時々この駅舎を写真に撮りにくる人がいる
それも鉄道で来るのではなく車で来て写真だけを撮ってゆくのである。
この前は神戸から来た人であり遠い所からも来るのである。
でも鉄道で来なくては何か様にならないとなる

もう一つの前からある花壇には黄色のパンジーと紫のバンジーが咲いている
それでその花を見て電車を待つというのが鉄道の旅の楽しさなのである。
なぜなら必ず鉄道の旅は駅で待つ時間があるからだ
その待つ時間が人間的なものを作り出しているのである。

待つということが今はなかなかない,新幹線だともう待つ時間なく来る
その感覚に人間的時間がないのである。
旅すらならやはりこうして待つ時間を楽しむことである。
すると駅前とかに花壇があり花があればそれを見るからである

ただ残念なのは八重桜は一本も残らなかった,切られてしまったのである。
前は何本も咲いていたのである。それが残念である。
何か虫がついて飛んでくるとかで切ってしまったのである。
その八重桜もすでに思い出の中にあったものとなったのである。

何かこの辺ではそうして右田の松原も津浪でみんな消えたし一本松も枯れて切られた
思い出となるものが消えてゆく,ただそういう記憶は残っている
でもそこに木がなくなればこれからの人はその八重桜でも松でもなかったものとして生きるのである。

駅というのは120年もあればそこに実際はいろいろなことがあった
自分が無人駅で一年ほどボランティアのまねごとをしてもいろいろあったのだから120年の間にどれほどのことがここであったのか?
出会いがあり別れがありといろいろあった,集団就職列車もここから出た
第一その前にもいろいろあった,姉から聞いた話では仙台に買い出しに行ったということも聞いた,物不足でそうなっていたのかもしれない,原町駅は空襲された話を聞いた,そうした人間の営みが鉄道とともに駅と共にあった,ただ車時代になりそれが忘れられていったのである。

1893(明治30年)

4月3日:磐城線 原ノ町 - 中村間開業。原ノ町駅、鹿島駅開業。

故郷の駅の八重桜(詩) 思い出のある場所が故郷

2018年04月04日

浪江の人がアル中で入院する (浪江に帰らないとして一体何をして暮らすのか?)


浪江の人がアル中で入院する

(浪江に帰らないとして一体何をして暮らすのか?)

 東北会病院(仙台市青葉区)に8月から3カ月入院し、先日退院したばかり。52歳の時にアルコール依存症で入院した経験があるが、それ以降は断酒会に入って酒と縁を切っていた。眠っていた病を呼び覚ましたのは、震災による生活の激変だった。

 被災者を支援している「ふくしま心のケアセンター」によると、平成24年から26年までの間に約2万人からの相談があり、その多くが精神的に不安定な状態から身体に異常をきたす「身体症状」や、一時的なイライラ感など「気分・情動に関する症状」を訴えているという。


復興住宅に住んでいる浪江の人と良く合う,その人は陽気な人で大工をしていたという
いつも昼間から酒を飲んでいるので赤い顔をしている
大工をしていたがその道具も親戚の人にくれたとか言っていた
そして知っている浪江の人がアル中で入院したという

この辺でも原発避難者でも昼間から酒を飲みパチンコ屋通いでありギャンブルであり遊んでいる人が多かった,そのことに回りの人は不満だった
自分も介護など苦しんでいたのでそうだった
介護でも優先されたのは避難者だったからである。多額の補償金をもらえたことにも不満だった
それで鹿島と小高は仲が悪くなった,今でもそのことを尾をひいている
お前らずいぶん補償金をもらったのだからいい思いしたのだから今度は自分たちで町を復興させろとなる

男性はそうしてギャンブルとか酒を飲んでいたが女性はかえって仮設暮らしを楽しんでいた人達も多い,なぜなら長屋のような暮らしになり隣近所と親しくなって話するから女性はそれほどでもなかったのかもしれない,そして大金も入ったからほくほくだったということもあった
なにしろ毎日のようにボランティアが来てかわいそうだと応援していたからである。
だから自分たちはかわいそうであり支援されるべきものだという意識になった
だから鹿島とかで回りの人がなぜ支援しないのだと怒りになって分断されたのである。
それは今も尾をひいている

今度は浪江の人達が復興住宅に入った,だから良く浪江の人とあう,それも病人とか老人が多いのである。大工をしていた人も年であり大工をこの際やめたとかなる
浪江の人は帰らないというしではその後どうするのか?
結局補償金とかで暮らして帰らないとなるのか?
何か宙ぶらりんになっている,帰って復興してゆくんだという気持ちがない
たいがい帰らないとなっている,では移住先で何をするのか?
何もせず毎日酒を飲んでいるのか,そして入院してまた迷惑をかけるのかとなる

ただそういう人と接してではその回りの人はどう接していいのかわからないだろう
回りの人の目はあいつらはただ昼間から酒飲んで遊んでいるだけだと見られる
でも浪江は近いから車で通っている人もいる,その人は浪江に帰るためにそうしているのかもしれない,ともかくなにか宙ぶらりんな状態になっている

もし大工をしていた人がここでも大工をつづければ別に問題はない
でもそれができない,年でもあるとかできない,では何をするのだろう?
毎日昼間から酒を飲んであとはやはりパチンコ通いだとかなる
そういうことが回りから許されるのかとなる
もう7年も過ぎているしそんなことがいつまでだらだらつづくのかともなる
農業でも3年していないと体がなまりできなくなるという
もう7年も過ぎたら何もできないとなる
それは宮城県の津浪の被害者でも同じである。
アル中になって入院している

ただこれは退職後の人生が長くなり何もすることがない人が増えたのとにている
それが深刻になったのが津浪や原発被害者である
その解決方法は何かとなるとむずかしい,第一復興といっても浪江の人でもやる気がなくなっている,帰らないという人が多い,若い世代はもう別に暮らしがあるから帰らない
その間で宙ぶらりんになっている人達も多い
それも老人が多いのである。その大工さんは娘とかと一緒に住んでいるみたいだからまた違っている

そもそもではそういう津浪の被害者とか原発避難者とかと回りの人がどう接していいのかそれを現実に感じる,あなたはこうしなさいと言うことも簡単にできないだろう
現実問題としてはそういう生活をしている人を回りの人が受け入れことはないことは確かである。帰らないにしてもそうである。
そして小高の場合は南相馬市民だが浪江の場合はそうではない
だから復興住宅に住んでいる浪江の人が行政に不満を言っていたがそういうことも言えるのかときついことを言えばそうなる
そうした権利とかもあるのかとさえ言われるだろう

ただそもそも復興は誰がするのか?誰が主体になるのか?
そのことが自分には前から疑問だった,いくらなんだかんだと外野から言っても一体復興るのは誰なのか?
お前がなんだかんだいうならお前は復興の主体になれといってもなれない
何もできないからだまっていれという人もいた
それも確かである。だから自分は実際は何も言いたくない
でも小高でも南相馬市であり経済的負担とか市政として直接関係してくる
現実に鹿島に補償金を一時的市の財政から出すときそれに強く反対する原町の人がいたのである。それは同じ南相馬市民だからである。
では小高に今度は復興させるとしてやはり病院とか再開すると市の財政から金を出すことになる,そういう要求があるから無下にはできないのである。
同じ南相馬市民だからである。

結局この津浪被害でも原発事故とかでも回りを全体をまきこむものとなった
第一南相馬市に何千人という浪江町民がいることがそうである。
もう浪江町民だからと分けることもできない,一体となっているし生活でもそうである。つまり原発事故はこうして広い範囲の人をまきこむのである。
自分は30キロ圏外だから原発は関係ないと思っていたのである。
でも30キロでも40キロでも鹿島と相馬市でも実際の放射線量は変わらないのである。
それで相馬市の人は補償金をもらえないから不満なのである。

もう浪江町民だからどうのこうのというより福島県でもその被害にまきこまれている
でもその主体となるのは誰なのか?
肝心の浪江町民であれ飯館村民であれ村長は外に出て村の中では暮らしていない
孫でも学校ができても村外から通わせているのである。
ただいつまでもそうして宙ぶらりんな状態にいることができるのか
30パーセントはそういう状態にある,もう若い世代で帰らない人は帰らない
その人たちはかえってすっきりしている
故郷を捨てたとわれてもそれですっきりしているのである。
別に帰るとか帰らないとか悩む必要もないからである。
問題は宙ぶらりんになっている人達なのである。

復興住宅でも浪江町に住んでいれば別だが町外にありそれも復興しにくい状態にしているともかくそういう人達が現実に身近に暮らしているし関係せざるを得ないのである
ではどうしたらいいのかとなると回りの人でも困惑しているのである。
いつまでも昼間から酒飲んでぶらぶらしていては困るとなる
しかし実際はそういう状態がつづいているのである。

posted by 老鶯 at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘(NHK) (地理(川と山)を知らず敗北した)


インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘(NHK)

(地理(川と山)を知らず敗北した)


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チンドウィン河

インパール作戦がなぜ無惨な残酷な敗北になったのか?
それを地理的な面から考察してみる,地理が戦争と深く関係していることは変わらないものだったからだ
日本人は地理を無視して無謀な進軍をしたのである。
まずチンドウイン川という大河がありこれは日本では見られない大河だったのである。
その大河を渡り2000メートル級の山岳地帯を上らねばならなかった
それで武器などを運ぶために牛を利用しようとした,4000頭の牛を用意して河を渡ろうとしたが流されたのである。そしてその山岳地帯で牛も疲弊して役にたたなかったのであるそして撤退するときもジャングルであり白骨街道というふうにバタバタ死んだのである。その死因はマラリアとか赤痢とかの病気になったためである。
暑さも天候も影響した,雨期になり河は増水して渡れなくなった
そしてその河を渡れずに日本へ帰れなかったと慰霊に行った日本人が語る

このことに興味をもったのは自分の姉がシンガボールで今のマレーシアのジョホールバルというところのイギリスの赤十字病院で4年間従軍看護婦として辛酸をなめた
ビルマ進行はシンガボールを昭南島を陥落させてイギリスから奪いとったことから始まっていたのである。
負けた原因は今になると明瞭である,まずロジステック,後方支援がない,食料もなにももたないでジャングルの山岳地帯に進行した,それで食べるものがなくて草を食べていた多くの人が餓死したのである。そこで自殺した人も多かった
その話はジョホールバルの病院でもあった,自殺しようとして飛び下りようとする兵士がいた,やはり傷が深くなれば絶望的になったのだろう。
姉もまた赤痢で苦しんだことを言っていた
この南方特有の病気で死んだ人が多かった
姉の場合は戦争が終わりるころジャングルに逃げて命をつないだのでそこが一番苦しんだのである。

こういうことがあったのだがただ戦争とか歴史を考えるとき自分が興味をもっているのは地理なのである。地政学なのである。
大河があり山岳がありジャングルがあり熱帯であり病気になり死ぬということはやはりまずあまりにもその地理もなにもわからないし後方支援もないのに精神力で突撃したことである。
日本軍の戦争は何かあまりにも無謀だったのである。
ただ負けたというときイギリス軍にはアメリカ軍が加担して後方支援をしていたからだともなる
イギリスとだけ戦うなら日本軍は勝ったのである。アメリカ軍が加わり負けになっていったのである。

自分は海外旅行して河に興味をもった,日本人は河のことを知らないのである。
長大な大河を知らない,それが島国で育ったものの弱点である。
地の利がなければ昔から戦いは敗れることになる,日本人は国内の戦争しか経験していないからだ
大陸の地理とか天候とか風土のことなど知らないのである。
それが致命的となりあまりにも悲惨な敗北となった
わからないのはなぜ日本軍はこんなに無謀な戦争を展開したのかということである。
中国でも西安とか砂漠の入り口のような所まで進軍していることに驚くのである。
そんなに大陸深く進行していったらどうなるのかも考えなかった
ただ無闇に突進して後先も返りみなかったのである。
一時シンガホールを陥落させたときは日本中が湧いたがそれも束の間だったのである。

日本人はやはり島国ということがあり大陸のことを地理でも天候でも風土でも知らなかったのである。だからなぜそれだけの無謀な戦争を大陸に展開したのか?
まず戦略などなかったのだろう,ただ無計画に進軍してゆく
何かそういうふうな無謀さはどこから生まれたのかともなる
上からの指揮でも過ちがあり多大な犠牲を強いたのである。
日本はやはり戦争が下手であり外国を島国だから知らないとういことから起きたのが第二次世界大戦の悲劇だったともなる

歴史をふりかえればローマでもライン河でさえぎられてゲルマン人の侵入できない壁となった,河は昔から自然の国境にもなっていたのである。
大陸には大河があり河の果たす役割が大きかった,それは戦争だけではないヨーロッパでも河は交通路でありそのために川沿いに港があり都市が発達してハンザ同盟とかできた
商人の連合国ができたのは大河がありその河が交通路となり道となるからそうなった
日本にはこうした大河がない,最上川くらいがその大河とにて同じ役割を果たしたとはなる

世界史というときこの地理を知らないと理解ができないのである。
ただ世界地理となるとそれを理解することは相当に現地を踏まないと実感しえないのである。世界になると自分はまだまだ理解できない
日本には大きな河がないということが世界の歴史でも理解できないことになる
ラインが父なる河としてドイツではありライン河があってそこから愛国心も起きているのである。

結局日本軍は山岳とジャングルと大河にはばまれ無惨の死体の山を築いた
そして河を渡れずに日本に帰ることができなかった
その時雨期で増水していたからである。そこでその骨を井戸に投げ入れたというのも無惨である。
どれほど日本に帰りたかったかその無念はあまりにも悲しいことである。
姉は船で日本に帰れたから良かった,でも死ぬ直前までジョホールバルで過ごした四年間が忘れられず語っていた,認知症になってもそのことは忘れずに語っていたのである。
それは本当に死ぬ間際までうなされるように語っていたのである。
いかにそれが忘れられないことだったかわかる,テレビで見た人も認知症になっていた
だから戦争のことも忘れていた,その人は生きる死ぬかの瀬戸際を生き残り帰ってきた
でも記憶もあいまいになり忘れていた,思い出せなくなっていた

日本兵河をわたれず力尽きあまた死して帰れざるかな

何か本当に無惨であり悲しいというかやるせないというかその報いもないというか余りにも悲惨がった,そこで死んだ人は若い人たちだったのである。
自分も海外旅行して日本に帰れなくなるのではないかと何度も思ったことがある。
海外旅行だとそういう気持ちになることがある
エジプト辺りで遂に帰れなくなりピラミッドにとじこめられるという不安もあった
何かそういう恐怖が海外旅行にはつきまとうことがある
戦争で外国で死んだ人はまさに永遠に帰れなくなったのである。
このドキュメントは何か生々しいものに感じた
戦争というときどうももう一つイメージしにくいからだ
やはり直接身内がいて聞いているから生々しいものに感じたとなる
それにしても今もそこで死んだ日本兵がさまよっているというのもわかる
あまりにも多くの人が死ぬと何かそうなる
津浪で死んだ人達でもそうである。以前として津浪でなくなった村の跡をさまよっているというのがわかる
インパール作戦で死んだ人達も日本に帰りたい帰りたいとその霊がさまよっているというのは実感するのである。


posted by 老鶯 at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2018年04月05日

Jpanese style beauty(Japanese abstract beauty) in Kyoto


Japanese style beauty(Japanese abstract beauty) in Kyoto

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京都は千年つづいた日本の都である。水が街中を流れている
鳥居は日本の神社の象徴である。
京都に日本の文化が凝縮されている
大阪は経済都市であり東京は政治都市である
京都は文化都市である。日本の文化を知るには京都である。


Kyoto is the capital of Japan that has been a thousand years. Water is flowing through the city
Torii is a symbol of a Japanese shrinn Kyoto
Osaka is an economic city and Tokyo is a political city
Kyoto is a cultural city. It is Kyoe.
Japanese culture has been condensed ito to know the culture of Japan.

2018年04月06日

人間は生まれつきではない後天的に作られる (体も知能もモラルでも後天的に作られる)


人間は生まれつきではない後天的に作られる

(体も知能もモラルでも後天的に作られる)

人間の現在は時計の振り子の今のように無になってしまうことは絶対ない
それは心にも組織にも血液にも同時に記憶されている
人間は一生の出来事をすべて、器官にもまた体液にも精神にも刻みつけ
それをいだいて生きつづけているのである。
(「人間この未知なるもの」アレキシス、カレル)

この本はいい本である。人間は何でも先天的なもので作られるものではない,もちろん素質はある,だから天才は例外としなければならない、それは普通の人はまねることができないからである。
ただ普通の人でも精進してゆけば一角のものになれるということを目指す必要がある
それは体力と知能は別々のものではない,

器官にもまた体液にも精神にも刻みつけそれをいだいて生きつづけている

その人の一生が体に刻みつけられているというのである。
実際は体すら長い人生の中で作られてゆく,生まれつきのものはある
体力がある人とない人の差も大きいのである。
自分は体力がない,そのことが学校でうまくいかないことになった
体力と知力も関係しているからそうなる

その後なんとか体力をつけようと大学で体育会で武道を一年間したことで自信がついた,何か他の人にとっては楽なようでも自分の20代は苦しかった
それで30ころすでに60歳のようになり老成していたから老人になってもその風貌が変わらないのである。
なんらか自分は二十代でそれだけエネルギーを消耗したのである。

それから30以後は三食昼寝つきというか何の苦労もしていない,本当に楽な生活だったのである。その生活がエネルギーを回復させたのである。
例えば自分は体力がないから山に登ったがその後死ぬように疲れた,それで一週間とか眠りつづけるような状態になった,登山はそれだけ体力が必要なのである。
だから登山はあまりせず自転車旅行に切り換えたのである。

人間は一生の出来事をすべて体でも記憶しているというとき人間は生まれつきもあっても何かいろいろな経験をしてその出来事の中で会得してゆく
それは知識でも本からだけは得ることができない,実感というのは海外旅行でもそうだが実際に海外に行ってその地を踏まない限り理解できないのである。
百聞一見にしかずになる,そういう体験の結果として理解を深める

それから人生の行動でもそうである。一番経験するのが30まででありその間の経験で人間の方向と基礎が定まる,だからこの時期は本当は一番大事である
だからいろいろ人間がいても素質があっても環境に恵まれても金持ちの家に生まれても
青春時代を放蕩とかに費やしたらすべてだいなしになる
それが意外と怖いことでありのちのちまでそのことが尾をひくから怖いのである。

でも青春時代となると江戸時代でも人間のしていることは同じだったなとなる
旗本の若者が放蕩するとういか女をもてあそぶことなど良く映画になっているが
それが慶応大学でも東大でも一流大学でも同じことをしていた
女性をもてあそんでいたのである。レイプしたりしていた
そしてその親は社会の有力者だから金で解決したとか言われるのもにている
ただ侍の場合はモラルが厳しい,切腹させられることがある
そこが今とは違っていたのである。
人間していることは時代が変わっても変わらないのである。

ビジネスしている人でもチャンスは一回だけだとか言うとき人間の一生でそんなにチャンスは与えられない,一回のチャンスで決まることもある,長い人生だから一回くらい失敗してもどうってことないということもないと思う
でもチャンスはそんなに与えられないのである。
一つの出来事によって人間が決められる、そういう出来事は青春時代に起こる
30までに起こる,だから若い時神を求めよとなる,求道でも若い内しなかったらできないのである。
一番血気盛んなときにしないとできない,老人が求める宗教はまた別なのである。
慰めみたいなものだからである。

いづれにしろ体でも人によって相当な差がある,うらやましいのは生まれつき体力がある人になる,その差も大きい,知力にしてもそうである。
ただそれで全部人間が決まるのかというとそうでもない
体もその一生の間の生活で作られてゆく,できあがったものとして変わらないものでもない,いくら体力あるひとでも暴飲暴食ばかりしていたらだめになる
体の弱いひとでも節制して運動しているとそれなりに激しい運動はできなくても丈夫な体になりうる

何かわからないのだがなぜ自分は今になると若く見えるというのも不思議である。
それは自転車旅行をしたりしていたからである。それが習慣になり体が弱いのだが筋肉がついたりしていたのかもしれない,確かに今になると弱ってはいる
自分はどうしても長くは生きられない体に思っていた
ではなぜここまで生きられたのか?それは無理しなかったことなのである。
無理する生活をする必要がなかった,会社で無理に働かされることなどなかったからである。

なぜ今まで日本人でも長生きできなかったのかそれは相当に体力的にも無理していたし栄養もとれなかった,結果として早く死んでいたのである。
それは環境とか栄養とか病気を直せないとか様々な要因があり長生きできなかった
今になるとこれだけ世界的人生百年とかなっているのはそうした環境が改善されたからなのである。
百歳生きた自分の母は長生きの秘訣はなんですかと聞かれたら無理をしないことですと言っていた,自分の母親は本当に家から一歩も出ないで同じことの繰り返しの生活をしていた、無理はしないのである。
人間は無理をすると体に負担になりそれで早死にすることは確かである。
ただこうして30年間楽した結果として介護とかのカルマを背負うことになって苦しんだのである。
介護はエネルギーを消耗させるなとつくづく思った,何か旅行すらしたくないとか消耗したのである。

才能でも人間はいろいろな素質と才能をもってい生まれてくるがそれを活かしきれないのないのである。まず環境がそうである。
例えば音楽でも家にピアノがあり習える環境とそうでない環境では雲泥の差があるからだ音楽を追及するには音楽的環境が必要なのである。
それがものになるならないにしろピアノが家にあり常に触れている人とそうでない人の差はその環境で決まる,才能の前に環境だったともなる
楽器一つにしても覚えるのに手間だし時間がかかりすぎるのである。
そのうちに時間が消えてゆく飛んでゆきもう覚えられないとなるのである。

自分のしているパソコンのソフトの抽象画も不思議である。自分は本当に絵の才能が全くないのである。でも絵を描ければなと思っていた
それがパソコンの抽象画でそれなりに絵が創作できるということで開眼した
もちろんこれの評価はたいしたことはないともなる
でもアメリカ人の人が中心に30人くらい見ているかもしれない
ということはそれなりの評価がある,でなければ見ないだろ
抽象画大量に生産できるから,そうしてアクセスがつづいているのである。
これができたのはまさにart(技術)に左右されていたからである。
新しい技術が生まれて自分のような絵の才能がないのでも絵を描けたとなる
それはパソコンのソフトの習熟の結果できるものであり才能とは違うからである。
ただこれもパソコンが発明されないならできないことだったのである。

体も日頃の習慣で作られる

知能も日頃の鍛練で作られる

人生も体験で変わり作られる

人間は確かに謎である。運命も謎である。でもその運命も生まれつきがすべてではない
その謎はまた人間には神が関与するということもある
いくら才能があっても資質があっても天才でもそれが活かせる環境に時代に生まれなければ活かせないのである。
つまりそういうふうに才能でも資質でもなんでも活かせるのはまれだとなる
なぜなら戦争をとってもどれだけの有為な青年が無惨に大量に死んだかでもわかる
そういうふうに時代によってどうにもならないからである。
だから戦後は才能や資質を活かせる時代になっているが団塊の世代でも貧乏からはじまっているから自分のように恵まれて生きた人はそれほどないだろう。
だから環境が生まれつきより大事だともなるのである。