2018年03月31日

国家は何のためにあるのか? (富裕層をまもるためにある?)


国家は何のためにあるのか?

(富裕層をまもるためにある?)

国家というのはなんのためにあるのか,国家とは何なのか?国家と民族は違うともいう。
日本の場合は国家と民族が一体化しているのは特異なのである。
大きな国家は様々な民族の集合体だからである。
ロシアでも中国でもアメリカでも多民族国家であり民族=国家ではない

国家の歴史をたどれば国家は軍人が作ったものである。
武力で作られたものである。奈良時代でも貴族は天皇守る兵士に由来していることでもわかる,天皇のために死ぬものとして守護するものとしてあった

海うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね
山やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね
大おほ君きみの 辺へにこそ死しなめ
かへりみはせじ
(長閑のどには死しなじ)

それは太平洋戦争でも日本を鼓舞するものしとて利用されたのである。
ただ天皇の場合は権力者とは違っている
ただ天皇でも支配階級側につくものであり守護するものを必要としていたのである。

人間はまず群れをなして生活する,村は群れるから名付けられたとすればそうである。
村というのは最初の国家だったのである。
人間が群れて存在するというときトーテムがあり猿族,犬族とかあり群れがそれぞれ分かれて暮らしていた,でもその群れ同士が何かの理由で狩猟していればその獲物の取り合いで争いになる
何かしたら人間には争いの種は尽きることがないのである。
犬猿の仲というがまさに猿族と犬族も人間になると争うのである。

資源とか財産とか富をめぐって争うのが一番人間では多い
丸森には名前のように豊富な森林資源がありそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いをしていたことは有名である。
そして入会権のある森林資源をめぐって戦国時代が生まれたという説もあながち否定できないのである。
木材資源がそれだけ大きな資源だったからである。
今なら石油資源をめぐって中東で熾烈な戦争があるのとにている
そういうことは人間社会である限り変わらずにある
そういう争いは変わらないからわかりやすいのである。

では兵士が国を作ったとして何を守ろうとしていたのか?
それは当時の支配層の富を守ろうとしていた
それはやはり土地であり森林資源であり何か財産となりうるものである。
そういうものを所有していることは奪われる対象になる
女性もまた略奪されることがあり守る必要がある
遊牧民社会ではそういうことは普通に行われていたからである。
羊でも常に奪われるし牛でも奪われる
つまり盗まれるということである。
財産をもつものは常に奪われるという危険がある
だからどうして財産を守るかが問題になる

個人的にも大金持ちになると都会では高い塀をめぐらしているとか今でもある
ブラジルとかメキシコとかでも大金持ちがいてその人たちは財産を守るために私兵を雇っているのである。そこは一つの小国家なのである。
大国家とはその小国家が発展したものなのである。
要するに財産をもつことはそれを奪われることが盗まれることが常に心配になるのだ
それを守るためにはどうするかが問題になり高い塀をめぐらしたり私兵を雇うことになるそれが国家のはじまりだともなる

貧民から国家は生まれないだろう,支配階級があり国家が生まれる
支配階級の富を守るために国家が生まれる,支配階級が財産を守るために軍隊を作るとなる
だから会津ではあれだけ白虎隊とか美化されているけど城の外に住んでいた人は全く城が萌えることで薩摩長州軍が侵略することでも無関心だったのである。
また庶民は被害をある程度はあったとしても受けなかった,殺されるとういことはなかった,それで会津が落城してなくなるときヤーヤー一揆が起きたのである。

農民、特に戦場にならなかった地域の人々にとっては、かねてからの重税や物産の専売制度による搾取に加え、藩主松平容保が京都守護職として上洛して以来、その経費を賄うために行われてきた増税に対する不満に一気に火をつけることになった。9月22日(1868年11月6日)、会津藩が明治政府に降伏すると、たちまち藩政崩壊による権力の空白状態に乗じた民衆蜂起が勃発した
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かえって城の落城を喜んでいた,これこそ重税とかの日頃の恨みを晴らす機会ととらえていたのである。
貧民と金持ちの関係も同じである。支配者が金持ちが弱体化するとそれが狙い目となり責めてくる,日頃の不満が一気に爆発する,これが人間の歴史の真実でもあった
だから会津武士道とか美化する一方なのもどうかなと思う
回りの庶民にとって武士道など関係なかったのである。
ただ重税にあえいでいたからその負担を減らすために好機となり一揆を起こしたのである
では日本の戦争ではなぜあれほど国家に忠誠を三百万人も犠牲になったのか?
それはただ日本の財産を守るためだけではないとうことは言える
なぜならそこには膨大な貧民が兵士として参戦していたからである。
江戸時代までは貴族を守るための軍隊であり国民の軍隊ではなかったからである。

ただ基本的には支配階級の財産を守るために国家が生まれる
太宰治の家は大地主だった,それで小作から搾取していたので小作の反乱を恐れていた
それで警官に金をやり高いレンガの塀を作って反乱して攻めてくることに備えていたのである。富裕層は財産を守るためにそうするのである。

中国でも共産党の幹部は莫大な富を貯えた,するとどうしてその財産を守るのかと心配する,だから海外に金をもちだすための算段をしている
支配階級もまた膨大な貧民の反乱を恐れているのである。
現実に膨大な反乱暴動は小規模でも起きている,それが報道されないだけだとなる
中国がネットげて盛んに分裂すると言われるのも今度は利権争いであり軍区で争うことになる,軍人が共産党では最大の権力なのである。
軍隊はそもそもそうした支配階級の財産を守るためにあるのが基本である。
だから支配階級に雇われる,でもやがて軍人が事実上の権力をもつとういことで支配者になる,それが共産党では露骨なのである。
共産主義が平等を目指していても極端な格差社会になった

人間の心理として一旦富をもつと金でも減らしたくないのである。
そういう心理が働く,それは例えは一億円もっていても十億円もっていても減らしたくないということでは同じなのである。
だから金を持っている老人でも減らしたくない,今利子がつかないから使わないとなる
ただ老人の金は増えることはない減るだけだからである。
それで老人は消費しないのである。
そんなこと贅沢だというときそれが人間の心理なのである。
財産があれば富を守りたいとなる,それで保守化するのである。
だから革命というとき明治維新でもそうだが支配階級は保守になる
侍でも下級武士がいてその人たちは貧乏だったのである。
だから明治維新では下級武士が革命を起こしたのである。
殿様とかは今の地位を守りたいとなるからそなん革命は起こし得ないのである。

「たとえ政権の正当性が全住民に浸透していなくても,体制そのものに結びつくエリートたち,とりわけ支配政党や軍隊や警察などの強圧権力を一手ににぎっているエリートたちのところでその正当性がゆらぎはじめないかぎり,その政権は危機に陥ることはない
政権をうまく機能させてゆくにはこれらエリートたち団結が不可欠でありそして独裁制度における正統性の危機というのはこのエリート集団内の危機にほかならない」
(歴史の終わり、フランシスフクヤマ)

こういうことは中国で起きている,軍区のエリートたちが分裂して反乱する危機にある
共産党の政権の権力は軍隊に支えられているからだ
選挙もないから軍隊の力関係によって権力の行方が決められるのである。
それは内戦でしか決着がつかないともなるのである。