2018年03月30日

人手不足時代のいい面 (もう物でも売れない,需要がない,無理やり売ることが害になる)


人手不足時代のいい面

(もう物でも売れない,需要がない,無理やり売ることが害になる)

警官まで募集しているのに来ないというのを福島のテレビで放送していた,それで警官になってもらうおうと誘っている警官がいた
いたるところで人手不足になる,それで待遇を良くしないと人が集まらない
時給でもそうだが働く環境でもそうである。

これは働く人にとってはいい時代になった,金がないと無理やりに嫌な会社でも働かざるを得ない,待遇が悪い会社はつぶれる,経営すらできなくなる
現実になっている,その方が労働環境としては正常だったのである。

そもそもなぜ人手不足になるのか?
それが若年世代が減少していることもある,それより何か人間は文明は無駄な労働が多すぎるのである。無駄なものを作りすぎている
その無駄なものを作るために労働させられている人が多すぎるのである。

そして物が売れないとか需要かない時代にもなっいてる,あらゆるものが売られていて売れない,それはもともと需要がないからである。
本当に需要がないものまで欲望を刺激させて宣伝で売るの資本主義である。
ところがそうして刺激しても物があふれているから売れないのである。
物は過剰であり何か特別欲しいものが少なくなった
物の飽和状態になっているからである。

そうして売れないからなんとか売ろうとする,医療関係だといらない薬を患者に買わせる本当はいらなくても病気には必要だとして薬を与える,そこで収入になる
そうして需要を医療関係者が作り出している時代である

そもそも医療関係ならかえって患者が少ないということは健康たからいいことなのである医者に来るということ薬を飲む人が多いはいうことは不健康な人が多いことだから好ましくないのである。
第一医者が病院がもうかるということはいいことではない,なぜならそれだけ患者が増えて病人が増えているからである。

例えば警官とかでも募集しても来ない,人気がないというのは悪いとは言えない
警官が増えることは犯罪などが増えているから必要になる
理想を言えば警官がいないということはいなくてもいい社会は最高にいい理想社会なのである。
兵隊もいない,役にたたない社会もそうである。戦争がない社会になっているのだからいい社会なのである。

なんか人間が無駄なことに労働を費やされている,そしてその無駄なことがただ無駄ならいい,害を及ぼすから怖いのである。
銀行員でもノルマを課せられているから詐欺的な投資信託をすすめる,するとそんな仕事をさせるなとなるが銀行がもうけるために生き残るためにそうしている
すると銀行員は害にもなるなとみるようになった

何かそうして無駄なことのために人は働かせられることが多いのだ
極端な例は兵器を作る会社でありそれは戦争がないと会社は継続できない,つぶれるのである。
アメリカの軍需産業は巨大でありアメリカの屋台骨のようになっている
すると怖いのは戦争しなければ武器でもミサイルでも弾薬でも戦闘機でも何の需要もなく金にならないとなり国で戦争してくれとなる
そのためにアメリカという国は政治を動かして戦争してきたと真顔で言われている

戦争という需要がなければ商売あがったりだと戦争してくれと政治家に頼んでいるとするとそんな会社があること自体がブラックであり無くすべきだとなる
何らかで無害にすべきだとなる
それは病院であれ医者であれ薬会社であれ患者がいなければ薬が売れなくて困るから病気をつくりだしてくれとまでなっていて一部は現実に実行されているのである。

自分は無用の用とか老子の思想に共鳴してきた,文明は新奇なものをいろいす作り出す,一番の味は無味の味であり水がいいというときもそうである。
様々なジュース類も実際は90パーセントは水が成分だからである。
ジュースでもいろいろ飲ませる工夫をするがそれによってまた労働が増えるのである。
そんなに多くの種類のジュースがそもそも必要なのかとなる

それも害にならなければいいが害になる食品だってある,それは無理やり需要を作り出して売っているからである。
そして売れなければ会社がやっていけないとなり躍起になる
ノルマを課して銀行でも投資信託を売らせるしどこでもノルマを課して売らせる
そうしなければ収入がなくなるからそうなる

だからこれだけもう物があふれた状態ではもう売れない,それが自然なのことなのであるもう物はいらないとなる,作る必要もないとなる
必要ないものを,作り出して無理やり売ること自体異常なのである。
少子高齢化でますます需要はなくなる,老人は消費するエネルギーがなくなっている
金をもっても消費できないのである。

老人が求めているのは物ではないからだ,人のあたかいサービスなのである。
それは物では金では計れないものでもある
AI化でも仕事がなくなる,機械がロボットが仕事をしてくれる,それで人手不足も補えるそれでベーッシクインカムが必要だと言われるようになった
これは夢物語かと思っていたがそれも社会の要請でそうなるかもしれない現実性を帯びてきた
なぜならみんなブラック会社では働きたくない,何か意義があることも価値あることを求めて働きたいとなっているからだ
だから人手不足で待遇が悪い会社は淘汰されてつぶれのはいいことだと労働者は言っているのである。

高度成長時代のように物がないときは売れるものが必要だった,今はなんでもあるのだから売れないというのも自然なのことなのである。
その方が正常であり売れるものを無理やり作りだしていることこそ異常だったのである。警官のなり手がないというときもそれは悪いことではない,警官になりたい人が多いということは兵士になりたいという人が多いのと同じである。
そういう仕事はなるべく少ない方がいいのである。
そういう人が増えることは社会が平和ではないということだからである。

要するに兵士とか警官とか医療関係でもそうしたものは少なければ少ないほど実際は平和ないい社会なのである。
需要を無理やり作り出す社会を見直すべきなのである。
そうなると景気が悪いからなんとかしようとする,GDPが減ると国力がなくなり日本は侵略される,だから経済成長はつづけるべきだというのもこれも戦争するためにそうしなければならないとしたら邪道である
戦争に備えなければならないという社会は平和がないからそうなっているのだ

ともかく現代は資本主義でも転換期なのである。
今までのような物を際限なく作り出すのも限界であり資本を無理やり投下して発展させるという思想も無理がある
世界的にも経済が限界にきている,それは悪いことではない,無限の際限のない経済発展とか成長はそもそも無理なのである
それは自然破壊につながり公害にもなるからだ

つまり資本主義でもそうだが社会全体が世界経済でも無限に成長と拡大とか目指す時代は終わったのである。
ローマ帝国は拡大の時代だったし大航海時代でもそうである。
これからは中世になるというのもそうである。中世は修道院にこもる内面化した閉鎖された世界で生きていた
そういう社会に変化してゆく,人間の内面の心の探求に変わってゆく
それは確かに老人はそう自然となってゆく,だから老人的志向であり問題があるというのもある,若者はそういう見方をしないうというのもわかる
ただ時代的にはどうしてもそうなっているしそれに適応しなければならなくなる
これ以上無理やり需要を喚起することは社会に害をもたらすからである

軍需産業→戦争起こして景気よくしてくれ
警官→犯罪者をふやしてくれ
医療関係→病人を増やしてくれ

こういうことは異常な世界である。そのことを二千年前に老子が指摘していたのである。無駄なことに人間の労力が費やされすぎているのである。
それは働く方でも強制されるからそうなる
でもベーシックインカムなどで働くことが強制されなければそうはならないかもしれないそれもまた理想論だから実際は矛盾が出てくるし失敗だったともなる
ただその時代に社会に適応したものがシステムでも何でも生まれてくる
軍需産業の会社が国に戦争してくれとロビー活動していることなど異常だからである。
戦争をなくすことはそうした軍需産業がなくなることなのである。

ただ人間の社会はそもそも戦争が作り出されたりナチスでもカルト教団でも必要ないものが無理やり作り出されて最悪の災禍をもたらしてきた
だからそうした害あるものがなくなることはない
かえってそうした害あるものによって滅びるともなる
宗教でも組織化すると利権団体化して社会に害悪をもたらすし現実にもたらしているのである。
それは宗教でもなんでもない,社会にとって必要でないものだか需要を作り出して利権化権力化しているのである。
もしかしたらこの地球にとって宇宙にとって人間存在そのものが害悪なのかもしれないということである。それは不必要なもの作り出すからである。
文明自体がそうだともなる,それは2000年前に老子が言ったことなのである。


posted by 老鶯 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

風についての考察 (自然や風を感じなくなった現代人,文明人)


風についての考察

(自然や風を感じなくなった現代人,文明人)

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北風の吹くとき山を思いしも東風(こち)吹くときに海を思いぬ

山側の方まで東風が吹いてきたときは春を感じる,この辺では東風は海を意識する
でも阿武隈高原を越えると中通りになるがそこで東風が吹いている
でもその東風に海を意識するかとなるとしにくい
回りが山に囲まれているからだ
でも川俣の峠を越えた辺りでもビュビュー東風が吹いていた
これは福島市まで吹いて原発事故で放射性物質を運んで意識させられたのである。
まず福島市は盆地であり海を意識できない
この風は春になると吹く,3月11日にこの風が吹いたから不運だったのである。

つまりいくら科学時代でも技術が発達しても人間は自然の影響から逃れられないのである津波自体が自然にとっては定期的に起こるものなのである。
ただそのことを忘れていただけなのである。
おそらく科学技術が発達したことで人間は自然のことを実感として知らなくなったこともある
風の影響を受けずに船でも車でも飛行機でも動くからである。
山があればトンネルをほるし自然が障害にならないのである。
そこで自然に無感覚になる,人工的空間で生きることになる
そこに思わぬ落とし穴が待っているのである。

風土というとき風のことである。風が土地によって違ってくる
海側だと海から吹いてくる風が東風があり海を意識するが山だと意識しにくい

菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」

京都は盆地であるが東風が吹いたとき春を意識した,東山がありそこは海を意識するよりは朝日が上る方向として意識された,海は意識されないのである。

風を一番意識するのは船を操る漁師だったというのは当然である。風の影響をもろに受けるからである。それでいろいろな土地の風の名前が生まれた

伊勢で カウヤマ 吉田で ナライ
尾張 北ブキや いつも吹く

同じ風でも土地によって呼び名が違ってくる、カウヤマとは小山であり神山と柳田国男はしている,山から吹いてくる風としてとらいている,ナライとはナラスであり平地から吹いてくる風としての意識なのか?

お伊勢さがるは北のよの西よ,こちゃいなさはもどりの風

桑名四日市から神宮に参る海路は,北の様,すなわち北によった西風を帆に受けて大湊か神社(かみやひろ)の諸港に向かい、帰路は帰路は東風かイナサ風によったのである。

イナサは東南風でありそれは太平洋沿岸伝いに同じ呼び名だというのもやはり海洋民族として言葉を伝えた,それは同じ風が吹くからである。
日本海の風はまた違っているから別な呼び名になっている

ともかく船は風の影響が大きい,風を知らないと航海できないから風について敏感になる

風吹きて進まぬ自転車いづこかな我が旅路を思い出すかな

自転車は風に弱い,すすまなかなる,電動自転車だと風にも強い,その時は電動自転車はなかった、それで峠とか風には苦しんだのである。
今でも風吹くと自転車は出れなくなる

あいが吹かぬ荷が無うて来ぬか,ただしや新潟の川留めか

これもいかに風によって交通も妨げられたかを伝えるものである。川留めでもそうであるこの辺では津浪で新地から一部高架橋になった結果風の影響を受けるようになった
北風が毎日吹く季節がある,相馬の空っ風として有名である。
それで毎日のように電車が風で遅れて困る,一日運休にもなる
それを駅で見ていて経験しているから風の影響は電車でも受ける
電車は本当に風の影響を受けやすくなったのである。
ただバスはまだ原町から仙台まで出ている,バスは風の日も運行しているのである。

風はこうして生活の障害になるのだがまた風を感じることは自然を感じることなのである車では風をさえぎるから風を感じない,ということは自然を感じないのである。
すると旅しても風土を感じないから記憶にも残らないともなる

ともかく現代人は文明人は自然を感じる力がかえって減退している,それは科学技術にみな頼っているからである。みんな機械で計測しているからである。
風をじかに自然をじかに感じることが少ないのである。
旅をすれば方向が気になる,方向感覚がわからなくなる,それは近くでも飯館の山を越えてさまよったときもそうだった,山に入ると盆地だとどこでも山であり太陽が昇るのも山であり沈むのも山だからである。
海側に住んでいれば太陽が昇るのは東であり山側に西に太陽は没するからである。
だから地名の基本が方角地名、東西南北にある,方向がわからないとまず行く先もわからないからだ

航海民は草原とか砂漠で暮らす人達も方向が一番大事であり方向を見失うと死ぬことになる,それで北斗七星信仰が生まれた,それは妙見様であり野馬追いでも相馬藩でも信仰の対象になった,それは大陸からもたらされたものなのである。

自分は旅ばかりしてたから何か航海民とかに興味をもった,移動する民に興味をもった
ただ今になると旅することはしていない,何か体力的にできなくなったのである。
ただ思い出の旅をしているのである。

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