2018年03月29日

abstract forest in spring


abstract forest in spring

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森の抽象画を作るのはパターン化している
ただソフトを同じように操作するとできる
それでもそこに多様な変化がある
その辺かは尽きずにある

そして森の抽象画が大量生産できるのはパタ-ン化して
ソフトで機械的に作り出しているからである。

ただ現実の森がこのように見えるかとなると見えない
それがパソコンの森の抽象画を作っていて不思議なところである。
こんなに多様な森を現実の森から見えないからである。

だからその森は現実にない森なのかともなる
人工的に作り出された架空の森だともなる
ただ暗い森とか青い森とか緑の森はありうる
森が赤く見えることは夕日にそまっても必ずしも見えないだろう
それがパソコンで作り出す抽象画の森の不思議である。


It is patterned to make forest abstract paintings
You can just operate the software in the same way
Still there are diverse changes there
There is nothing left there

And we can mass produce forest abstract painting pattern
It is because it is soft and mechanically created.

However, it will not be visible if the real forest looks like this
It is a strange place to make an abstract picture of the forest of a personal computer.
Because we can not see such a diverse forest from the real forest.

So that forest is also a reality forest
It is also an imaginary forest created artificially
There can be only dark forests, blue forests and green forests
Watching the forest looking red may not necessarily be visible even when it sits in the sunset
It is a wonder of the forest of abstract painting that it creates with a personal computer
タグ:spring forest

地方が田舎が与えるものは何か? (癒しの場であり文化的なものー飯館村には音楽堂が向いている)


地方が田舎が与えるものは何か?

(癒しの場であり文化的なものー飯館村には音楽堂が向いている)

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東京の人とかは田舎は地方は経済的に非効率だから無駄だとかインフラに金がかかるから税金の無駄だとかいろいろ言う
確かにそれもある,では地方の田舎の存在の意味は何なのだろう。
田舎は農業であり食料を提供する場である,それは物質的な面で地方や田舎の評価であり価値である。

しかし価値観は変わってくる,現代では物質的なものは満たされると次に何を求めるのかまず腹を満たす,それが先決なことは確かである。
でもその次にどうなるのか?人間はがつがつ食べていればいいとういものではない
動物とは違うからである。それで今度はそこで食べる雰囲気とか談笑するとか食べることによって仲間意識を作るとか食べるほかの付加価値を求める
レストランでも内装とかで安らぎを与える,それは食べることだけではない価値である。
今までの価値観は貧乏なときはまず腹を満たすことだとなるが今は違う。
もちろん味も大事である,基本的な価値である。
ただそれ以上に今求めているのがある,それは何なのか?
癒しとなるものである。安らぎとなるものである。
ただ立ち食い蕎麦で腹を満たせばいい,食べ物をかきこめばいいとはならない
それは豊かさではない,だから今は都会的なものより田舎的なものを求めるというとき
食べ物だけではない,田舎は癒しの場であり安らぎの場として求める

例えば森があるとして森をただ木材の供給地として見るのではない
森そのものの価値である。それを追及したのが森の中で暮らしたソーローであった
彼はそうして木材だけを森の価値として見ていた商人を批判していたからだ
森というのは荘厳な一つの世界である。
ドイツではそうした樅の木などの森がおおっていた,その森からゴシック建築がイメージされて作られたことでもわかる
自然を基に文化は生まれる,それはヨーロッパでも田舎に地方都市でもはせいみい4,5万の都市であり回りは自然に囲まれていた,森に囲まれていたのである。

ヨーロッパでは地方都市が充実している,そしてその地方都市から文化が生まれた
ルネサンスが生まれたフィレンツは4万くらいの小都市だったのである
そこからあれだけの文化が生まれたというのは驚きである。
天才もあれだけ輩出したというのも驚きである。
ミケランジェロを生んだのは確かに近くに大理石がとれる場があったからだともなる
だから素材が近くにあったから地産地消としたともなる

地方都市でも都会的要素と田舎的要素があり文化が生まれた
メジチ家が薬を売り財を成してそれで富を得て文化が栄えたとういこともある
やはり何らかと富が蓄積されないと文化は生まれないことはある
では今の東京などは一番が富が蓄積しているのにそこに文化は生まれないのはなぜなのかそこには物質的な繁栄しかないのである。
やはりそこには文化の基になる自然から切り離された完全な人工都市化しているからである。
そこでは自然をイメージできない,ビルの谷間と毎日高層ビルを見上げるだけで自然はないのである。一方で田舎だったらここには高い山がないが高い山を仰いでいたらその心も高まるのである
確かに自然ではない人工的美は存在する,それでラファエロのアテネィの学堂の絵では
ローマのア-チの建築がバックになっていて荘厳さを演出する
それは人工的なものである,ヨーロッパにはそうした人工的な美を作り出した
ただレオナルドダビンチのモナリザのバックは幽邃な巌の谷間になっている
処々に岩が描かれて人が天使が描かれている,そういう自然がまだバックにありイメージされていたとなる

山であれ森であれ川であれ海であれ自然がなければそもそも美でも産み出されない
音楽でも自然と結びついてある,何か自然を川の流れと潮騒とか山とか岩の沈黙とかあり森の中で鳥が鳴くとかそういうものは音楽からイメージされるからである。
クラシック音楽だとそうなる,ポピュラー音楽はただ激しいリズムなのである。
だから音楽を聴くには実際は森の中が一番向いているのである。
そこにクラシック音楽は調和してひびくのである。
都会の騒音の中では向かないのである。

だから飯館村は森に囲まれた村である。すると飯館村に本当は音楽堂があるのが向いている,そこでクラシックの演奏することが向いているのである。
震災以後そうした演奏会が行われた,でも音楽堂は人の集まりやすい都会にある
わざわざ飯館村のような不便な所には行かないだろう
でも音楽のクラシックの演奏を心にひびかせるにも森の中がふさわしいのである。

現代は文明都市でありヨーロッパのように文化都市を形成していない
これから求められるのは文化都市である。
最近良く言われるAI化で人間が働かなくてもよくなる,そしてベーシクインカムになるというのは何なのだろうと思う
これも一つの時代が変わることなのか,そうなると必ず価値観が変わる
人間は今ただ食べることだけではない文化的価値を求めることになる
それでみんなアーティストになるとか言われる

田舎に求めるものも食料だけではない,むしろその食料を提供するとしても付加価値が求められる,田舎が癒しの場としての機能がありそういうものが価値として求められる
自分の場合は田舎で働いていない,農業もしていない,ただ自然の中で森とか木とか岩とかにアイディンティティを求めてきたのである。
ただ文明というときカンボジアのアンコールワットでも森に埋もれている,マヤ文明の神殿でもそうである。それは森と切り離されて存在していなかった
深い森のなかにあった文明都市だったのである。
それが古代文明と今の文明との相違である。

今回の原発事故で飯館村などは悲惨だった,今でもフレコンバッグとかあり景観は乱された,ソーラーパネルなどでも景観は乱された
森も確かに放射能で汚染されたのだが別に森そのものは残っているのである。
ただその森で食べるものキノコとか山菜は食べられなくなったのである。
でも森に囲まれた癒しの場の機能は失っていないのである。
だから音楽堂などがあることが向いているのである。
本当に奥の方に太い樅の木があった,それは神殿の柱のように見えたのである。
飯館村は全体が森に囲まれている,原町からでも飯館村に入るには暗い森の中を通るのである。この辺はまだ森におおわれた自然がありそれが癒しとなるのである。



タグ:癒し 飯館村