2018年03月28日

春の俳句十句(新しい自転車で近辺を回る-pas vienta8)


春の俳句十句(新しい自転車で近辺を回る-pas-vienta8)

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新しき自転車に乗り初燕

春風を切って走るやクロスバイク

紅梅に木蓮のつぼみふくらみぬ

沈丁花匂い静かに石のあり

春の日や駅に長くも待てる人

草むしる道具の良しと春の畑

蕗の薹水無し川の流るかな

春の鳥声高に啼く森のあり

牛にさす春日やここにいつくかな

春日さす小池の古墳や祖の眠る

近くなれ安政の墓や落椿


ヤマハの2018年度のVIENTAを買った,これはロードとマウテンバイクの特徴を備えたものだった,ロードは軽くて早い,マウテンバイクは悪路に強いし安定しているから安全である。ロードは早すぎて危険なのである。
それでロードは早く軽く走るが危険だと感じた
大怪我した人もいたからである。
この二つの特徴を備えたこの自転車は使える
多少の悪路もタイヤが太めなので走れるしまたスピードも20キロはでる

ただそれ以上になると出ないがこれだたけ出れば早い
ロードだと20キロ簡単に越える速さになる,だからこの自転車は20キロでありそれだけの速さはでない,やはり電動だから重い感じになる
でも20キロということでこれにした,電動自転車は重いのが多いからだ
自転車はまず軽いか重いかで相当に差があることがわかったからである。

今日この自転車にのって近辺を回った,初燕を河原で見た,今年は早いと思う
普通は4月になってから来るからである。
これも何か原因があるのか,渡り鳥だから渡ってくる場所が南の方だとするとそっちが暑く感じたから渡って来たのかとなる

知っている女性が畑で草むしりしていた,とにかく春になるとまた草がはえてくる
それでその草むしるのにいい道具を使っていた
盗まれたという道具でも自分が払わされるのである。
なにやかにやと金を要求される,別に自分の家では今は三日に一度くらいきて皿洗うとしてもそれも数分で終わるのである。その仕事はしなくてもいいのである。

水無し川は今日は流れていた,蕗の薹がでていた,水無し川はどこにでもある
最近雨があったから水が流れていた
小池は古墳が多い,古墳の町として鹿島区がある,だから古墳を見に来たという人もいる古墳でも小さい古墳が多いのが特徴である。
原町には大きな桜井古墳があるがここは小さな古墳である。

小学校の前のところに竹藪がありそこに不動明王が祭ってあった
そこでもそのために自分が金を払っている,その近くに住んでいる女性が金がないと言われ払っているのである。
何かと金を払っているのが自分なのである。
そこに安政と記した墓があり僧侶の墓である。

安政(1854年)は明治に近い,天保でも明治で活躍した人が生まれている年代である。
それだけ明治時代とつながる時代である。
だからこの年代の墓でも碑が多いのである。飢饉のあった天明は相当に古いのである。
あそこは鹿島村内に入る,近くでも知らないものがある

ともかくこの自転車は近くでも利用できる,買い物でも利用できる,遠出もできるものだから便利だ,ただ本当の自転車の醍醐味はロードにある
風のように走る感覚になるからだ,ただ危険になる
この自転車は何かやはり重い感覚がある,自然な走りではないのである。
ただ十分に遠出できるものなのでもう一つバッテリーを買って行ってみよう。














権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する (なぜ歴史はくりかえすのか?)


権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する 


(なぜ歴史はくりかえすのか?)


人間の歴史をふりかえると同じようなことくりかえしている,だからカルマ論があり歴史はくりかえすとなる
そもそも人間そのものは変わらないからである。人間がもっている欲望がなくなるわけでもない,文明がいくら発達しても人間は変わらない,欲望はなくならない
とすればその欲望があるからカルマとなり同じことをくりかえすとなる
犯罪でもそうである。犯罪の動機でも男女関係などの犯罪は変わりなくある
その動機はわかりやすいのである。
人間そのものが変わらないとしたら社会でも歴史でも同じことをくりかえすことになる

人間は権力を求めるというときもそうである。権力というときいろいろあるが地位とか財力とかである。権力闘争が常にありくりかえされているしそれは凄惨なものになる
ロシア革命でも中国革命でも一千万人が粛清されたとかある
そういう権力闘争は今も変わっていない,民主主義ではその権力闘争を選挙という形で置き換えたから共産主義などと違って凄惨な争いが起きていないのである。

人間の心理をみると富を財産をもつとそれを失いたくないという力が働く
何か金というのはいくらあっても減らしたくないのである。
老人が金があっても使わないというときもういくら貯金していても増えないからである。もし高度成長時代のように利子がついていれば老人でも使う,でも利子もつかないから減るだけなので使わないともなる

人間はなんとか財産をもつと減らしたくない失いたくないという力が働く,保守的になるその財産を富を守るにはどうするのか?
そのために実は警察権力とか軍隊とかもかかわってくる,政治がかかわってくる
アメリカでは金持ちが自分たちの財産を守るために政治でロビー活動して献金するので金持ちに有利な政策にさせる,露骨なのは後進国でも桁外れの金持ちがいてその人たち私兵を雇い自分たちの財産を守る
このようにこうした大金持ちが発見したのが国家だということもある
国家は巨大な権力を利権を左右できるからだ

そしてこうした大金持ちとか権力者が恐れるのは何か?
権力や地位や財産を奪われることなのである。
そのために戦々恐々としているのである。
いつ部下にでも裏切られ権力を地位を財産を失うかもしれないと恐れる
だからこそ粛清して自分の地位の権力を維持しようとしている
権力でも地位でも財産でも守ることが権力者は第一に考える
国民のことなど貧民のことなど考慮しないのである。
だから中国では巨万の富を貯えた共産党の幹部の人達はなにかあったら外国に逃げる算段をしている,金も外国に移してなにかあったら脱出しようとしている
それは日本の金持ちでもそう考える人がいる

その人たちは何を恐れているのか?膨大な貧民がまたいてその人たちが反乱することを恐れている
その人たちに権力も地位も富も奪われることを恐れているのである。
金持ちはその財産をいかに守るかが最大の問題になるのだ
中国で頼りになるのは家族だけだというとき家族のことを第一に考える
財産を維持して家族を守ることを優先させるのである。
貧民は絶えずありその人たちの不満がいつ爆発するかわからないからだ
中国では膨大な数の暴動が起きている,小規模だからニュースにもならないが起きている不満がそれだけあるということである。
コネ社会だというとき賄賂がやらないと何もできないとかでもそうである。
中国では利権を一人じめしようとすることが多いからである。
共産党が平等を目指したのに極端な格差社会であり王朝ができているのと同じであり
これも歴史はくりかえすとなる

そしてこれだけ格差が大きいと貧民が反乱して暴動を起す,それが革命になる
その時今権力をもっている人も地位ある人も金ある人も一挙に失うのである。
そのことを一番恐れているのが権力がある財力がある人達なのである。
日本では中国やアメリカのように極端な金持ちとかはいない
まず歴史的に村社会であり狭い地域で生きていたから突出した富をもてば回りから責められる,田舎に住めばわかる
金持ちではいられない,回りの目が常にありそんな極端な金持ちは田舎に住めないのである。つまり日本はもともと平等志向が強いのである
天皇というのは王様ではない,天皇そのものが質素であり中国とかの王様とは違っているだから天皇を倒すということはしないのである。天皇は必ずしも権力者ではないからである。

革命とか社会が変わるというときこうした既得権者が一掃されることなのである。
明治維新はまたそうした革命とは違っていてもやはり侍階級がなくなり平民の時代になった,太平洋戦争でもそうでありその時の既得権者が軍人でも地主階級でも一挙にその権力と財力を失ったのである。
その結果として新しい国造りができたとなる
人間の歴史もまたそういう繰り返しだったとなる
権力や地位や財力をもてばそれを失いたくない守りになる
それで社会は停滞する,腐敗する,それで権力は腐敗する,絶対的に腐敗するとなる
政権で長期化すると腐敗してゆく,利権かしてゆき腐敗する
だから政権交代が必要として民主主義が生まれたのである。
中国にはそれがない,習近平が終身のトップに君臨する,それはまさに王様であり中国王朝なのである。それは中国では歴史でくりかえされてきたことである。

ただそれが安泰かというとまた同じように反乱が起きてくつがえされるから権力や財力をもつものは恐れる,それがくりかえされた人間の業(カルマ)である
そもそも人間は権力とか地位とか財力を求める,それは貧民でも同じである
むしろそういう虐げられた人達は余計にそうなのである。
だからそういう虐げられた人達を利用して政権の転覆をねらう
それはカルト教団などもそうである。宗教も権力とか金と離れて考えられないのである。カトリックでも権力集団化した政治化したのもそのたである。
そういうことは創価でも他のカルト宗教団体でも同じである。

ではその人たちが権力をにぎるとどうなるのか?やはり同じことをくりかえすのである。
権力や地位や財力をもつとそれを失いたくないとなる
そういう繰り返しが人間の歴史だったのである。

金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい

つまりこの世の欲から人間は離れられないのである。心理的にも一旦富を所有したらその富を失いたくないとなり守りになる
そしてそれが奪われることを恐れるようになる
本当は別にその富を分ければいいともなるがそれもできない,権力と地位でも富でも独占したいからそれができない,それが人間であり変わらないから同じことをくりかえしているのである。
自分もたいして富でもないがそのことを経験した,格差がなくならないかぎりこういうことはなくならないのである。