2018年03月23日

彼岸(家族は悲劇で終わる-家族の詩)


彼岸(家族は悲劇で終わる-家族の詩)


かよわきも遂に生き抜く百歳を母は死にしもここにありなむ

姉と母我が家を支え久しきを争い憎むも墓に眠りぬ

草うもるこの墓あわれ誰と知る彼岸にあれば花を挿しにき

墓参りつとめとあれや故郷に彼岸にあれば花を挿しにき

この家に長くもあれなその思いここに残るや我が跡つぎぬ


一家族の終わり

悲しみも苦しみも喜びも
ともに過ごしてこそ家族なり
それぞれの家に思い残りぬ
憎しみ争いもつづきしを
最後は悲劇となりて終わりぬ
長い歳月に記憶はここに刻まれ
荒れにし家も静まりぬ
蠟梅の庭に咲きつ雪のふり
寒の戻りや我が家の古りぬ

彼岸だけど昨日は寒かった,前には雪もふった
今年は寒い日がまだつづいた
ストーブから離れられない,でもそもそもあたたかくなる
暑さ寒さも彼岸までというからそれにあっている

自分の家族はみんな死んだ,最後は悲劇として終わった
シェークスピアが悲劇を題材にしたのはやはり人間は悲劇的存在だからである。
悲劇になるようにできている,家族でもそうなのである。
家族でもそれぞれ違っている,同じ家族はない
家族というとき必ずしも血縁とは限らない
家族とは悲しみも苦しみも喜びもともにした一つの仲間なのである。

喜びだけをともにした家族は家族とはいえないだろう。
必ず悲しみがあり苦しみがある
それをともにしてこそ家族なのである。
なにがそれは故郷にも通じるものがある
故郷とは本当は仲間であるとしたら悲しみも苦しみも喜びもともにした人達の集まりともなる
戦後開墾に入った人達は結束力が強いというときそういうことを経験しているからであるだから故郷から離れたくないとかもどりたいとなっているのが老人なのである。
若い人はまだそうした苦しみとか悲しみ喜びを経験していないからである。

人間は悲劇的存在である。それで「悲しむのは幸い」なりとキリストは諭した
なぜ悲しむ者が幸いなのか?みんな悲しむようになることは嫌なのである。
それがなぜ幸いなのか?これは本当にわからないことである。
つまり人間は悲劇的存在なのである。悲しみに終わる存在なのである。
そういうふうにあらかじめ定められている,それは死があるから誰でも最後は悲惨だとなる
そして人間は家族でもなんらか必ず争いが起きて一つにはなれない
たからこそ離婚が三人に一人とか多いのである

人間は最後は悲劇的に終わる,自分の家族も悲劇だった,でも何かそれでもその悲劇の中に人生の深い意味があったことを実体験からしる
悲しみの故に人間はあり悲しみの涙を神はぬぐいさってくれるというとき
この世はそういう場所だということである。
正直家族というのは血縁というのをキリストでも仏陀でも否定したのはそこに真の人間としての愛が通わないからである。
家族にはそんなことがあるかというとそれは肉の愛だからである。
そういう悲劇が自分の家にあった,それはどこの家にでもある問題である。
この世の肉の家族には平和はない,そこに争いが必ずある
それで嫁に来た女性が嫁いだ先の墓に入りたくないという人が三分の一でもいるのがわかる,そこに平和がないからこそ血縁を否定したのである。
だからこそ人間の最後はみんな悲劇なのである。
悲しみの中で死ぬのである。それは定められたことである。
この世自体も最後は悲劇で終わる

一個人も悲劇で終わる
家族も悲劇で終わる
人類も悲劇で終わる
それがこの世の定めである
そのあとに神の国が来る

いづれにしろ死ぬとたちまち忘れられる,こんなに早く忘れられることに驚く
誰かその人を思い出すだろうかともなる,それだけ死んだとたんに人間は忘れられるのである。草に埋もれてその墓は誰かもわからなくなる
60年一緒にいてもそれが本当に一緒にいたのかふら定かでなくなる
それだけ人間は家族でも忘れやすいのである。
60年も一緒にいたのにまた現実の生活に追われ忘れるのである。
彼岸だから死者のことを思い出すということで墓参りがあるのはいいことである。
それでこの一文を書いたのである。




大きな時代の変わり目 (銀行であれ大きな会社であれつぶれてゆく時代)


大きな時代の変わり目

(銀行であれ大きな会社であれつぶれてゆく時代)

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文藝春秋(4月号)

時代が変わるとき今までの規制のものが崩壊してゆく
その象徴が銀行だった,銀行などつぶれない安定したものだと思っていた
地方で銀行と公務員と農協職員はエリートであり安定の象徴だったのである。
そういうものが不安定になるということは時代が大きく変化しているからである。

紙幣を金を流通させることは手間がかかりそこに膨大な費用がかかる
それをスマートホンとかで決裁すれば電子情報として金が流通する
すると手間も費用も大幅に削減される
つまり紙幣と金貨は過去のものとなってしまう
そういう時代にすでになりつつあるし中国では実現している
紙幣を使うことは前時代的になる
それも大きな変化であり銀行が無用化する大きな原因である。

自分はスマホは使っていない,そこで遅れるということはある
60代以降はスマホを使わない人が多い
そこに世代間の格差が生まれる
スマホが紙幣の金の代わりになるときスマホをもたないと買い物もできなくなる
中国ではすでに小さな商店でもスマホが紙幣の代わりになっている

銀行にはただ預金だけが増えてその資本を貯えてもそれを活かすことができない
利子もつけられない,ただ金だけが貯えられてもそこで富が産み出せない
それでどうするのかとなり投資信託などを顧客にすすめる
それは銀行にとっては手数料を稼げるものだが顧客にとってはもうからないものである
なぜなら手数料は確実にとれるが客がもうからないものだからである。
そういうものを投資のことを知らない老人にすすめている
でももうからない事がわかれば銀行を信用しなくなる
銀行から客も離れてゆく,自分も銀行の見方が変わったからである。

銀行が窮地にたたされているのは大きな時代の変化のためである。
技術革新があり社会の変化のためである。
金融というときそれが情報時代に最も情報化しやすいものだった
銀行は情報産業だったのである。
一面そうだからこそ情報化しやすいからこそ情報社会で無用化されるようになったのである。

時代の変革期には今まであったものが消失して新しいものが生まれる
その時必ず痛みが生じる,それを今銀行が負っている
大規模なリストラとか合併とか投資信託とか株への移行とか起きている
それは一時的なしのぎのようにもなっている
銀行が生き延びるのはどういうものになるのか見えないのである。

銀行は本当に店舗がありそこに人員を配置して対面的信頼関係を地元で築いてきた,
それが機能したのは高度成長時代だったのである。
それから銀行は貸し渋りとか企業に一般の預金する人にも利子がつかないのでただの貸し金庫のようになってしまったのである。
その放題な金融資産も活かせない,かえって預金してもらうと困るともなって金をあづければ事務費をもらうとまでなってしまった
そして預金がある人は目をつけられ詐欺的な投資信託をすすめられるのである。

もう銀行というシステム自体崩壊しつつある,デジタル化情報化社会に適応できないのである。店舗型経営というとき通販とかもあって書店が消えるように物として管理するものは機能しなくなる,本は情報でありこれも電子化しやすいし例えは絵画とか音楽でも映画でも情報化しやすいのである。
だから別にこれは電子化しても問題ないのである。
ただ対面的なものとして人間しかできないことは残る,AI化しても人間にしかできないことがある
それは愛情とかいたわりとかやさしさとか何か機械ではAIではできないことである。
医者とか看護師とか介護とかにはそういうものが求められるがAIではロボットではできないのである。
物理的な移動とか物をもちあげるとか機械でできるものは機械化されるがどうしても機械化ロボット化AI化できないものがありそれが人間的な労働となり価値を産むようになる

銀行は何か金を扱うのだが数量化しやすいし数値化情報化しやすい,電子化しやすいのである。仕事の性質が何か電子化しやすいものだった,だから情報化デジタル化電子化の技術の変化を一番受けているともなる
株式でも何か電子化しやすいのである。もう人間だけではとてもグローバルした株式市場とか情報化社会のデーターを処理できないのである。

これからの銀行はどうあるべきなのか?
そう考えている余裕もなく時代が進行している,否応なく銀行は時代の変化によって淘汰されてゆく
そういう変化にあることを自分も知らないから銀行で投資信託などすすめられてのったのが失敗だったとなる

一番不要になるのは預金、為替などのテラー業務。 
いわゆる一般職のおねーちゃん達。 
銀行でも渉外や融資管理、債権回収などはむしろ人手不足なんだわ 
銀行総論ではこれから人手余剰だけど、内部では人員足りない部門が厳然としてある 
おねーちゃん達に今更そのへんを教育、再配置する時間がない 
県二番手以下の零細地銀とかは会社丸ごと不要、淘汰だけど

銀行員として本当に相手の人格や事業可能性を見て金貸ししていたならまだしも 
日本の銀行員なんて土地しか見てこなかったからな

銀行は本業だめだから手数料が高い保険とか投信の販売で 
稼ごうとしているが、そんなの証券会社の猿真似でしかない。 
証券会社で以前問題視された投信の回転売買を今頃真似して儲けようとするとかアホの極み。 
銀行としての本来の業務を正常化させないと株が取り扱えない劣化証券会社に成り下がる。

早々に口座解約しようかな 
この人たちは身を切るってことを知らないのかな 
自分たちの給与ボーナスは維持して 
しわ寄せを客に押し付けるつもりか? 
利息もほとんどつかないし
公務員よりも害悪じゃないか

銀行は今まで特別楽だったのである。公務員と変わりなかった,マイナス金利になり金が国から入ってこなくなり窮地にたたされている
やはり楽しすぎると後で人間は苦しいことがやってくる
それは自分もそうだった,社会的に訓練していれば苦しい目にあっていればこうはならなかった
楽しすぎることは後で必ず苦労するのである,銀行は国から資金が出てつぶれなかったりと公務員並だったからである。
なにかこの世で安定しているものがないのかもしれない
津浪や原発事故でも公務員は今生き残るために四苦八苦している
もうやめたいというのもわかる,住民がいない町が成り立つのかとなる
銀行はどう生き残ってゆくのか,そこには相当な痛みが生まれる
その痛みを負わされたのが投資信託をすすめられて損した客でもあった自分にも負わされたのである。だから銀行は何なのだと身内のことのように考えるようになったのである。

タグ:銀行
posted by 老鶯 at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

駅は誰のものか? (JRだけのものではない,みんなが利用するから)


駅は誰のものか?

(JRだけのものではない,みんなが利用するから)

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JRで張ったバス停の表示-時間などはでていない


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自分の作ったもの

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北郷タクシー 電話番号 0244-48-4135

これがわかりにくい,スマホでもわかりにくくすぐ呼び出せない,駅舎を出た所でわかりにくい,
このことをタクシー会社に言ったが変えていないのである。



二カ所駅からバス停の案内を駅にはってあった
自分がはったのは撤去した
ルールだからと他のパンフレットも撤去した
そしてバス停の案内をだしていたがこれは時刻などは書いていない
自分のには「鹿島駅の交通案内」として詳しく表示していた

でも想像するには自分の鹿島駅交通案内を参考にして
バス停を表示したのかもしれない
何かJRは駅を管理するのはJRであり他の人をかかわらせたくないのである。
自分の表示の方がみんなにとってわかりやすいことは確かだからである
ただ別に申請して許可されれば張ることはできる

でも何かJRではJRの縄張り意識がある,それはどこでもある
自転車屋でも医院でも他の医院にかかるなとか占有したいとなる
でも個人経営ならわかるがJRとなると相当に公共性が高い
みんなが利用するからである。
駅という空間は公共性が高いのである。
ただホームとかに入ると危険なこともあり勝手に入るのは問題かもしれない
ヨーロッパでは出入りは自由である

ともかく何かJRは駅はJRで管理するから他のものをかかわらせたくないのである。
それは間違いないと思う
でもなんかJRでも例えば警察でも大きな会社になると公共性が高くなる
それで東電なんかは本当に公共性が高いものであり一旦事故を起こしたら
とりかえしつかないものだから東電とか政府とかだけにまかせておけないものだった
そこは東電のものしか立ち入りできないとなると危険も指摘できないのである。

では外部のものが立ち入るというときマスコミとか記者とかがたちいる
なにかその内部を知らせる人が必要なのである。
それができなかったら内部で何をしているのか?
東電のように外部のものが立ち入ることもできないとき今回の大事故になりとりかえしのつかないようになる
だから誰かが監視する必要があったのだができなかった
できないようにされていたのである。

まず外部から監視するといっても一個人がそんなところに入ることもできない
つまりなんらかの権力をもたされないとできないのである。
それは警察でもそうだしどこでも権力をもつ組織に一個人など入り込めないのである。
ただ記者とかの役目はそうした大きな権力をもつ内部のことを知らせる役目があった
そうしなければ権力の成すがままになり暴走する
原発事故では実際にそうして原発内部のことはしりえようがないからそうなった
原子力のことがわからないから教えても無駄だとか危険だとか立ち入れることはできないマスコミも原発については宣伝費をもらうから追及しなかったのである。
そうして大事故になったのである。

JRはまた別だが駅はJRで管理するから他の人はかかわるなというのがポリシーである
でも駅は公共性が高い,みんなのものなのである。
ただもしJRだけで管理するとなる駅を二分化することが必要になる
駅の待合室は市で管理するとかそこから切符とか鉄道にかかわることは別にするとかなる管理するものを市とJRに分けるのである。
実際はトイレは市で作り毎日掃除を金を払って頼んでいるからである。
そしてホームの内部のトイレはJRで頼んで掃除してもらっているのである
そういうことが可能でもある
ただめんどうになることは確かである。

いづれにしろ自分のしていることは一プライベートな記者なのだろう。
だからなんの力もない,ただプログで報告はできるからしているだけである。
今はそれほどすることはない
ただ良く聞かれるのはわからないのはタクシーの北郷の電話番号である
駅舎を出た所に表示してあるからわかりにくいのである。
そのことを何回も自分はタクシー会社に言ったが変えていない
スマホとかでタクシー会社を調べてもわからない人がいる
スマホだとインターネットでもそうだが検索がめんどうになる,時間がかかる
それで急いでいるとき役に立たないということがある
それは津浪とか緊急時に検索している時間がないということがあり役に立たなかったともなる
一方で緊急時にインターネットが役に立つこともあるからすべてはそうではない
緊急にわからないことがあるとき検索で即座に出てくることもあるからだ

ともかくJRとなると公共性が高いからJRだけで管理することはできない
駅前の広場でもそこはJRの土地だがではみんなが車で利用する場でもある
公共性が高いということは自治体がかかわることになる
その地区の人もかかわる,だから公共性が高いものはみんなが利用するものは
外からの意見とか要望とか監視が必要になる
それがJRではJRで管理するから他の人は立ち入るなという縄張り意識になっている
危険があれば別だがそもそも無人化しているのだから
監視カメラを四台あるとしてもそれで立ち入るなといっても自由に出入りしているのである。
もしJRだけで管理するとなると駅員を置いた方がいいとなる
その人は四六時中監視しているからJRで全部管理できるとなるからである。
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