2018年03月21日

関西生コンに検察の捜査が入った (その事実がマスコミで報道されない怪)


関西生コンに検察の捜査が入った

(その事実がマスコミで報道されない怪)

金をもらうことは義務と責任が生まれると書いたけど報道機関でもテレビは電波の権利を政府から与えられている
すると報道する義務と責任が生じる
重大な事を国事にかかわることを報道しないとしたらその権利を剥奪しろという人もいる森友問題で政府を追及するのはいい,だかそれだけをマスコミは全部一致して追及して
いることが問題なのである。

関西生コンに検察の家宅捜査が入りました

ただこの事実だけを報道すれば何があったのだろうとなる,その事実も報道しないとすると国民は何があったかもわからない,知ることができないのである。
知る権利を奪われているともなる
このことに関して何なのだろうというのは左翼でも言い分がある,検察の横暴だとかなんとかあるしそれを言えばいいのである。

原発でも政府と官僚とマスコミとかで「安全神話」を作ってきた。
報道も99バーセントが安全だとして報道されていたのである。
原発が危険だという報道は一パーセントくらいだったのである。
だからこそ安全神話になっていたのである。
国民も信じきっていたのである。それは原発に関するものが強力な政府とか官僚とか電事連とかマスコミとか一体となり安全神話を作ってきたからである。

なぜこの関西生コンについて全く報道されないのか?
これはマスコミでも報道官制がしかれている
そのことでマスコミに不信感をいだくようになっている
検察が捜査することに是非がある
でも報道することに是非はない
実際NHKでも取材に行っている
でも報道しないのである。

ただここの背後にあるものがそんなに力が権力が強いのか?
それが在日の団体でありそんなに力があるのか?
その辺が東北では部落とか差別された団体のことが実感としてわからないのでぴんとこない
でもこのことを最近はネットでしきりに言う人がいる
それでそういうことなのかとそれなりに右の言い分を浸透してきているのである。
「心に青雲」の都築詠一氏は死んだけど強烈な右の主張があった
また「ダークネスドュオ」のプログも常にそのことを言っている
右もまた過激なところがある,そこで反発されることもある
でも左翼系も学生運動の革マル派とか派生して暴力的なものをもっている
左翼系も平和的なものではない,左翼の背後には在日から北朝鮮とか中国がかかわる

ただ言えることはマスコミは明かに今回の関西生コンのことを一致して報道しないということで左に占拠されていることがこのことで判明したのである。
でも原発だったら政府と官僚と電事連でも一体となっていたからその権力は強力だったのである。
では関西生コンなどがなぜそんなに力を持っているのか?

何をマスコミは怖がっているのか?

暴力団がかかわり暴力で報復されることなのだろうか?
そのことを言っている人はいる
でも自分から見ると原発にかかわった権力の方が怖いものだと思う
実際に検察も原発推進だかち原発訴訟では権力側についていたからである。
だからなぜマスコミが事実だけでも報道しないのか?
もう報道機関としての義務と責任をこのことで放棄したともなる重大なことではないか?

だから今後も国事にかかわる重大なことがあってもマスコミは報道しない
どこも地方紙でも報道しない,そうしたらマスコミに与えられた電波の権利を剥奪すべきだとかもっと他にも電波の権利を与えるべきだという政府の意向は実施されるべきたとなる

とにかく今森友問題でマスコミが一体となり追及しているがこれも冷めた目で見るべきだろう。
もし関西生コンのことも事実だけでもマスコミで報道するなら公正だとなるがみんなが一斉にこのことだけを追及して茶の間を占領するのは偏向報道なのである。
それはもうナチス的やりかたなのである。
左によって言論統制されて阿部政権の転覆だけを目的にしている
森友問題も報道されて追及されるべきである
でも関西生コンに検察の捜査が入ったという事実も報道するべきなのである。

銀行で投資信託すすめるのは銀行側にたった利益追及である,でも投資信託について知りたければ知ることはできた,めんどうではあるがその批判をしている人は普通にいたからである。ただ銀行ということで信用したとなる
これは自己責任として追及される,全部ではないにしろあったとなる
関西生コンについては全く事実が知らされていないのだから検討もできない
ただネットで報道されているから関心をもった
これについては知り得ようがないのだから自己責任もなにもないのである。

その責任は誰にあるのか?

報道の権利を与えられたマスコミにある

NHKでも取材しているのに報道しないから責任がある,つまり報道機関として与えられた権利を行使していない,だからその責任を全うしないからその権利を剥奪すべきとまでなる
金を与えられることは義務と責任が生じると書いたが権利を与えられることにも義務と責任が生じる,民主主義でも報道の自由は守られる
でも報道しない自由もあるとなるがマスコミにはない
それは特別与えられた権利だからである。ネットだと別に報道しなくてもいいとなる
それは特別与えられた権利ではないからである。


posted by 老鶯 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

ボランティアと正規の仕事の相違 (金をもらえば義務と責任が生まれる)


ボランティアと正規の仕事の相違

(金をもらえば義務と責任が生まれる)


ボランティアしてみてわかったことはボランティアには義務とか責任がないことである。それが課せられていない,では一般の仕事はどうかとなると必ず義務と責任が課せられている,自転車屋でも安全に自転車に乗るようにして買うものに与えたり修理したりする
鉄道でもそうである。安全に時刻通りに走らせることに対して義務と責任が生じている
医者でもなんでも仕事は金をもらうしそこに義務と責任が生じる
金をもらうということは義務と責任が生じることなのである。

ではボランティアというとその義務と責任がない,時刻表を駅に置いたとしてなぜJRでは断ったのかというとその時刻表について文句が言われる,責任をおしつけられるからである。
そういうことがあるのかとわかった,確かに時間が間違ってたりすると駅に置いたのだからJRの責任が問われることにもなる,つまり苦情が来るとなる
たから駅に置くものはJRの許可がないと置けないルールになっている
でもパンフレットの類が責任はJRにはないのである。
それは観光案内でありその連絡は発行した商工会などにある
でも相馬市のレストラン案内のパンフレットも撤去されていたのである。
JRの許可がないと置けないということを知らなかったのである。

ボランティアの問題は何か?それは社会にも法的にも守られないし認められていないことである。
自分がしたことは誰も認めなかった,ただ道案内したときありがとうとか言われたからそのことで感謝されたから役に立ったとはなっている
でもこれをJRとか地元の人でも認めていない,ただありがとうと言ってくれたのだからそれが役に立つものとして認めたのである。
そういうことを言われたことがないので気分良くしたということは確かである。
JRでは駅でボランティアしようが一言も言わない,こいつうるさいなとかしか見ていないのである。それは他の人にもそう言っているからである。

ともかくボランティアの問題は義務と責任がないことである。
別に金をもらっていないのだから適当でいいし何かをしなければならないという義務もない,仕事だと定時に出勤しなければならないがボランティアは適当なのである。
金ももらっていないのだから真剣にやる必要もないし義務も責任もないのである。
そこにボランティアが認められない問題があったことに気づいた

まずどんな仕事でも義務と責任がある,それは金をもらい金を動かしているからである。銀行が投資信託をすすめるのはいい,でもその説明もあやふやでありもともと仕組みがむずかしくてわからない,それをいいことに手数料とる商売にはいいとなる
でも金を扱うということ顧客から金をあづかりそれを運用するとなると責任が生まれる
ただ株とか投資信託でも市場の相場に左右されるからどうにもならなといえばそれまでである
結局自己責任だとなる,知らないからあづけたのでありお前が悪いで結局は終わる
それは自己責任だから銀行にまかせたものが悪いのであり銀行は悪いとはならない
責任は全部自分になるとなっている

そうなるとするとよほど慎重にしなければならない,事前の知識も必要である。
経験者にも聞いたりといろいす調べてからしないといけない
なぜなら銀行にまかせたらまかせた方が悪いとなるからだ
だからそうして何も知らないでまかせる方が悪いとなるのだから慎重にすべきだとなる
一方で銀行で投資信託がどういうものかしっていて客にすすめる
そこにもやはり責任が生じていたのである。
なぜならわざわざ株をやりたいとか投資信託したいと銀行までゆく人はまれだからであるそうして一軒一軒回ってすすめることはやはり責任がともなっているのである。
そんなにもうかるものなのですか?銀行自体で投資信託をしていないとういことも聞いているからである。そういうものを客にすすめるのは詐欺的だとなるからだ

金とは何か?金から一秒も離れられない社会である。
たとえ仕事しなくても金をもつということはすでにそこに責任を課せられている
百万もてば百万の責任が課せられ、一千万もてば一千万の責任が課せられている
別に遺産としてもらったからどう使うとも勝手だとはならない
そうしている人もいるが社会から良くは思われないのである。
金とは社会的責任なのである。だからその社会的責任を果たせる者なら金をもってもいいとなる
そうでないものは日々の生活にかかるものはいいとしてもそれ以上の金をもたせるべきでないともなる
社会的責任として仕事があり金があるからだ

だから地区の協議会で地区の振興するというとき市から金をもらったら義務と責任が生じる,何をしたとか何に使ったとか報告する必要もあるし成果も出す必要がある
そうしないとしたらその金は市から出るとしても市民の税金とか国の金も使っていることになるからだ
国の金というときそれは国民の税金なのである。
それで生活保護はうるさくなるのである。

金とはなにか?義務と責任をもたされるのが金である。
だから途方もない金を資本主義の中でもうけたのもはそれだけの義務と責任が課せられているのだ,それをただ私益に贅沢に使うことは本来できないのである。
だから石の貨幣があるとしてそんな大きな石は流通もしないの貨幣だった
その貨幣は威信とかと関係していた,社会的威信として石の貨幣があった
別に流通しないがその石の貨幣をもっていることでその人は社会的威信をもつことができたのである。金だけが社会にとって価値あるものとはならない
その社会の中で何か認められるものがあればその人は価値ある人となる
現代はただ金をどれだけとるかもっているかで評価されるが社会的評価はそれだけではない,ただ金は具体的に人に義務と責任を課すのである。
それを果たせないとすると金は与えられないし与えるべきではないのである。

だからボランティアがいかにも人助けでいいようでもそこに問題があった
ボランティアなど義務も責任もない適当なものだ
だから重要な仕事はまかせられないとかなる
また仕事している人からすると鉄道会社でも義務と責任を課せられているから邪魔だとまでなってしまうのである。
それは自分が経験したことである。
仕事とは何かとなればいろいろあっても義務と責任が課せられたものである。
それは金をもらう報酬をもらうということでそうなっている
ただボランティアが何も与えられないかというとありがとうと言われることが報酬であるでもそれは仕事としてではない,JRの職員だったら給料をもらっているから義務と責任がありそれでクレームが言われるのが嫌だとなり駅に時刻表を置かせなかったのである

まず人間は仕事しないと社会のことはわからない,それで自分は社会性がなく社会のことがわからないとなる,こういうことは実際に仕事にたずさわらないとわからないからである
まず学問だけではわからない,現実の社会の場で実感しないとわからないのである。
ただ別に仕事しなくても義務と責任が社会に対してある。
それは国家に対しても自治体に対してもあるし家族に対してもある
日本国民であること国籍をもつことはすでに日本国に対して義務と責任がありパスポートでも付与されているのである。
ただ国家というと大きいから意識しにくい,でも戦争のときのように命までささげなければならなくなるときもある,その時国家の義務と責任を痛切に感じさせられるのである。
人間は義務と責任から逃れられない存在である。親と子でもお互いにすでに義務と責任がある,結婚でも義務と責任がある,金をもらえば責任が生まれる
でもその金でもいい金と悪い金がある,でも金をもらえば義務と責任がやはり生じる
金をもらったから義務があり責任があるからと悪いことでもしなくてはならなくる
報道関係とかなると大会社から宣伝費をもらうからそのスポンサーの悪口は言えない
そうして原発の「安全神話」は作られてきたからである。
金をもらうにしてもそれによって義務と責任がおしつけられるのである。
そういうことも世の中に多い,金でもなんでもいい面と悪い面に働くのが人間社会なのである。

だから別に金をもらわないから適当でもいいとはならない,出版とかになるとそこにいろいろな圧力がかかる,出版社は売れるものを書けとかなり自由な発言が規制される
ネットだと無料だから自由にみんな発言しているのである。
それは金がかからないからである。金がかかれば逆に今度はその金を払った人達,会社でも義務と責任が生まれる
だから無料だからといって義務と責任がないとはいえない
ただボランティアに関しては金をもらわないのだから適当にやっていればいいとなる
責任は問われないとなるからだ,でも報道関係でネットでも適当にフェクニュースでも流していればいいとはならない,報道するものの責任があるともなる
第一報道しているとしても自分の場合はボランティアでありネットで金をもらっている人は本当に少ないのである。そこにも問題があるが現実はそうなっている
ただ宣伝が全然なされていないかというとグーグルとかでネットでしているしネットが盛んになればグーグルがもうかるようになっているのである。



posted by 老鶯 at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題