2018年03月20日

老人と病人ばかり増えてくる (夕張のようにこの辺もなってくるのか?)


老人と病人ばかり増えてくる

(夕張のようにこの辺もなってくるのか?)


夕張で見たのは辺境の貧しさではなく、唐突に終わりを告げた豊かさと、偽りの希望の残滓だった


昔は市立の総合病院だったものが財政破綻で縮小して診療所に改組したのだ。いまは市内にCTやMRIが1台もなく、人工透析も廃止して、病床数は171から19に減ってしまった。

そもそも貧しい山村であれば、このようなかたちで破綻しない。石炭産業が盛んで人々が集まったからこそ、夕張は他の地域よりもずっと豊かだったし、国のエネルギー政策転換の煽りを受けて急激に寂れてしまった訳だ


夕張と原発事故周辺はにている,そもそもエネルギー政策として石炭産業に頼った街だったからである。10万から一万に人口が激減した
石炭産業により異常に繁栄した結果だった
それはこの辺でも原発ある所は原発に頼る,でも一旦事故になったり石炭から石油とかにエネルギー政策が変わると一挙に衰退する
だからこれは限界集落とまた違ったものとしてそうなったのである。
エネルギーが石炭から石油に変わる,鉄道でも車に変わるというときこうした大きな変化が起きてくる

夕張のような状態が避難区域で起きている,もう町は運営できないような状態になっている,医療でもゴミ収集でも水道でもサービスが受けられない,受けるとしても馬鹿高くなる,すると若い人中心にここには将来がないと移住してゆく
住民がいないと公務員の役所に勤める人も失業したり月給が減りやめる人もでてくるそういうところで働きたくないともなる
それは浪江の人と良くあうけど浪江の人は浪江町であ南相馬市とか相馬市でも相当数復興住宅とか団地に住んでいる
浪江の人達を南相馬市でかかえるようになったのである。
小高はまた別であり南相馬市民としての問題だった
小高は浪江の人から言わせるといいとなっているのだ
実際浪江で電車で行ったとき街中には誰も住んでない,廃墟の街になっていた
あれを見ると帰る気がなくなるのがわかる

この辺の問題は全国的な問題,少子高齢化とかがあるが極端になる,それは夕張とにてくるのである。
ただまだそうした深刻な状況にはなっていないがいづれそういう深刻な状況になってくるなぜなら老人と病人が多いのである。
駅に来た人も浪江の人だった,病院に来る
杖ついてっと歩いている,妻が補佐している,子供たちはみんな散り散りになった
南相馬市でもなく遠くに去ったとなる,つまり老人と病人が南相馬市に移った人でも多いのである。
そうした人達を南相馬市でもかかえることになったのである。
そういう人は補償金で金をもらっているから老夫婦でも家を建てたという
でもそういう人達はもう生産労働をしない,ただ介護とか医療とかで南相馬市の人達に世話になるだけなのである。
一応金をもっているにしても人手不足人的負担も大きくなる
なぜなら浪江町でも若い人が南相馬市に移るというのではなく他に移住してしまっているからである。
そして取り残された老人達が復興住宅や団地に住んでいる

それから浪江町にしても土地があっても固定資産税がとられるとかありそうした家でも土地でも負の遺産になる,補償金がもらえるときは土地や家の賠償があった
でもそれがなくなればもうない,そして生産活動はできないのである。
果たしてそういう社会が成り立つのだろうか?
それは日本全国の少子高齢化の問題が夕張でもそうだが極端なものとして現れている
自分の家に来ている人も毎日のように病院通いである。
それで自分に負担を強いる,つまり老人と病人の街と化しつつあるのだ
そういう人達増えすぎればかわいそうだとか愛だとかも成り立たなくなる
その負担の大きさに個人でも家でも市町村でもつぶれてゆくともなる
もう夕張では透析もないとすると生きるためには外部に出るほかないとなっている

愛とか同情とかが成り立つのは余裕ある場合なのである
現実自分は全く余裕ない人が自分が介護の時とか自分が病気の時来た
だから犯罪にあい,事業に失敗して借金に追い詰められた人は金を欲しいというだけで迫ってくる,死んでくれれば金が入るとまでなってくるから恐怖だった
つまりそういう状態に市町村全体が追い詰められる
財政的余裕もなくなれば今まで受けていたサーヒスすら受けられなくなる
馬鹿高いものとなるからその金も払うことができない

南相馬市ではあと3年で原発の国からの支援が切られる、それで財政的に苦しくなる
それは市全体に影響する,この辺は何かと原発事故でも国からの支援がありかえって潤っていたということがあった
それもなくなる,だから夕張のように深刻な状態になる
それが最も顕著に現れるのが医療とか介護関係でありそういうものは負担が大きいからである。人的にも財政的にもそうである。
それは国全体でもその医療費が膨大なものとなり国がつぶれるとまでなる
つまり老人と病人で国がつぶれる危機とまでなる

そうなると老人を尊ぶ人などいない,今でもいない,早く死んでくれとなり病気になったら治療より早く死なせろとかなるかもしれないし現実になっている所もある
何かこうなるとかわいそうだとかいっていたら若い人たちとか世話する人からみると
もうその負担に耐えられないとなるのだ
それは自分が家族二人の介護で経験したことである。
一人はひどい認知症だった,一人は最後まで死ぬ一週間前まで立ってポータブルトイレに行っていて寝たきりでもなくオムツもしないから自分のようなルーズなものでも介護ができた
そして介護が終わったから自分ではふりかえり恩返しができたから良かったと思っているでもみんながそうはいかない,みんな介護でも事情が違ってくる
それは家族だけで処理できればいいが自治体とか国の負担にもなるし若い人の負担にもなる,実際に介護しなくても税金でひかれるからである。

いづれにしろ地方はさらに疲弊する,地銀も投資信託であこぎに稼ぐほかないとか銀行がなくなるとかあったりこれから地方はさらに衰退する
最大の問題は老人と病人が増えてそれがプレッシャーとなり自治体すら維持できなくなるそして老人が老人をめんどうみれない,頼れないのである。
老々介護とかなると過酷だし老人は将来の街作りをしようにもできない
それで小高に帰った老人が死ぬことしか考えられないという言っていた
こういう人が帰って何するのか,ただそこで死を待つだけにしかならない
そこは墓場の街になるのではないか?

ただそうして老人がみんな無用なものかといえばそうでもない,経験があり次世代に教えることができるものもある
でもとにかく老人と病人が多すぎることなのである。パークゴルフ場では元気な老人がいることはいる,でもどうしても老人はやがて病気になりやすいし介護状態になる人が増えてくるのである。
街に出ると杖ついて歩いているような人が目立つ,そういう人が増えることはとても活気ある街にはならない,地域振興の協議会などがあっても年配の人が多いだろう
すると何か街の将来を考えるとしてもできない,ただ老人クラブのようになってしまうかもしれないのである。

結局病気になったとしても一二週間で死ぬ,介護を最低5年とかさらに十年とかなるともうできなくなる,そうはいっても見捨てるわけにいかない
そういうジレンマにおちいる,家族を介護してもそういうことが起きているからだ
いくら愛だとか言っても限度がある,若い人がそれで人生を犠牲にされたらあとで親だって恨まれるのである。
そういうけど自分でも病気になり介護になれば頼らざるをえないのである。
ただ団塊の世代などは数が多いので2025年ころはもう負担が増して自治体でも国でもつぶれるというほどまでになる
そういう時期はすでにもうすぐであり始まっているのである。





posted by 老鶯 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

鹿島地区協議会で駅の活性化を考えていた (駅を視察もして予算が市より出ていた)


鹿島地区協議会で駅の活性化を考えていた

(駅を視察もして予算が市より出ていた)

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これも知らなかった,駅の活性化を図る駅を視察していたのである。その予算は市からでていた,ここの協議会では10人くらい人が集まり鹿島区の活性化を推進する
その一貫として駅が入っていたのである。

しかしこの会で駅のことを無人化した鹿島駅のことをどさだけ知っているのか?
何かしたのか,要望を聞いたのか?
一番駅に関係していたのは駅前の自転車屋とか商工会で掃除した人とか地区で花壇の手入れをした人とがである。
ではこの協議会で何をしていたのか?
それが知らなかったのではっきりしない

無人化した駅で今何が要望されているのか?
それはいちいち時刻表を見に来る人がいるから大きな時刻表である
それを自分は無料で駅に置き配った
でもそれはJRの許可がないと置けない,パンフレットも置けない
だからそういう要望があるということをまず知らない
それはなぜか?
駅に直接かかわっていないからである。
自分は駅で案内しているからそれがわかったのである。

何か案内のパンフレットなど置けばいい,それは団体になるとしやすいのである。
なぜ駅に置けないかというと責任が生じるからである。
時刻表でももしまちがっていると駅に置くとJRに文句がいくばあいがあるからだ
ただパンフレットに関しては連絡先があるし関係ないと思う
でもルールだからとして食堂の案内をしたものも撤去された
これもルールにしばられた温情もない地域のサービスとか人のサービスを考えないJRだからこそである。

確かにここの協議会ではアンケートとかとり要望を調べている
でも駅に関しては直接関係していないとわからない
それで自分がJRにはじめてくる人が仙台行きと原町行きの番線がわからないので良く聞かれると言ったら表示板を作ったのである。
だから何か要望があれば別に個人でもしてくれたのである。
ただ要望しないとしてくれないのである。
時刻表についてもそれを必要な人がかなりの数いても要望としてまとまらないと作ってくれないのである。

でも自分はそのことを地域振興課に何回か言った,でも関係ないと何も教えてくれなかったのである,ではなぜ他の駅の視察に協議会で行ってそこに市の予算が使われているのか?
十人分の視察費用ならそれなりにかかるのである。
それなら時刻表とか案内とかのパンフレット置くようにJRと交渉すべきだとなる

つまり金をもらうことは責任が生まれているのである。
それは市から出たものとなると南相馬市民から出たものだからである。
勝手にそれを使うということはできない
ただ駅だけではないからそこにも金を使うことはありうる
でも駅の視察まで行っているのだから駅の活性化を計るとしたらやはり駅前の自転車屋と直接駅にかかわる人の意見を聞くべきだとなる

では市はどう関係しているのか?
その人たちの活動を認めて予算をだしている,ではなぜ時刻表が欲しいという要望があるその要望を知るべきだとなる,それはなかなか直接駅にかかわらないとわからないのである。
第一駅長すら鹿島駅に来るけど仙台行きとか原町行きがはじめての人にはわからないということを知らないのである。
なぜなら無人化しているからである。それを伝える人もいないのである。
それは外部からの要望でもあり内部の人もわからない
その駅にいた自分だけが知ったということにもなるのだ
つまりJRでは無人化をすすめている,その数も多い,でも無人化しても困ることがあってもその要望が何かわからないのである。
鹿島駅からの交通案内とういうのも置いたが撤去された
それもやはりはじめてくる人でも地元の人でもわからないことがある

ただボランティアでもなんてもしいいとはならない,何か責任が生まれている
無料でしても責任が問われるからJRでは駅に許可しないと置かせないのである。
ただパンフレットなどは何の責任もとる必要がないのである。
だからこれも置けいなというのはおかしいとなる
杓子定規に考えすぎるとなる
JRはまず人のサービスを全く考慮しない会社だからうそなっているのである。

ともかくこういう団体があるということすら知らない,でも広報誌に入っていたので知った
まず活動を知らせるということも市の予算からもらっているのだから必要となる
ただ報告はだしている,これも印刷などすると金がかかるし知らせるのに金がかかるとなる
インターネットはともかく無料なのである。だからやりやすいのである。
でもみんながしているわけではない,特に年配の人はしていない
そしてその地域活性化協議会でも老人が多いのである。
そこが少子高齢化の問題である。
小高でも浪江でも帰るのは老人であり駅で浪江の人にあうが杖ついて病院に来る人とか良くあう,そうした老人社会だから復興ができないのである。
若い人は外部に流出した
そして原町とか鹿島で相馬市でも新地でも周辺に移住したがそれも老人が多いのである。でも補償金で金があるから二人とも原町に家を建てたという
でもその子供は外部に流出しているのである。
つまり南相馬市とか相馬市とかでもそういう避難している老人をかかえてますます福祉にかねがかかるとなっているのだ

まず地域活性化というとき若い人がいないとむずかしいだろう。
ただ老人でも経験があるし何か教えることはある
ただ地域といっても意外と身近なことを知らないのである。
だから駅でも実際無人化してどうなったかを知らない
知っていたのは駅前の自転車屋と直接かかわった自分だったともなる
その他地区の人とか商工会とかになる
市の職員も知らない,でもそういう協議会に金をだしている
どうしてその金がてるのかというのも政治なのかもしれない
つまりそれも民主主義なのである。
市民が自発的に市政に参加するということである。

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これだけ無人化しているのである。
JR西日本でも東海でもそうなのである。これは多すぎると思う

タグ:駅の活性化