2018年03月18日

自転車は人間の性格などの相違とにていた (その多様性に共通性があった)


自転車は人間の性格などの相違とにていた

(その多様性に共通性があった)

byccc111.JPG

重くて走りが鈍い,悪路に強いマウテンバイクだった

byc22222.JPG

図体が大きいが小回りがきかない
28インチのタイヤが大きすぎる
坂をすいすいと上れない
bycc456.JPG

これは一番いいロードだった,軽快に走る,でも坂をのぼるとバッテリーがすぐきれてしまう
それが弱点だがあとは一番いいものだった
26万とか高いとしてもすでにロードとしてそれだけの価値あるものだった




自転車の種類はいろいろある,メーカーによっても違う。
基本的にロードとクロスバイクとマウテンバイクがある
でも同じロードでも乗り心地とかが違ってくる
百種類の自転車があるとしてその百種類の自転車はみんな乗り心地が違う
それがなんとも不思議なのである。

遠くに行くということで28インチのパナソニックの自転車をすすめられてかった、
それはバッテリー容量が多いということですすめられた
長距離用としてすすめられた,それは28インチのタイヤだから早く進むことは確かだったでも婦人用タイプでありスポーツタイプではない
だからデザインとか乗り心地は違っていた
早く軽快に走るものとは違っていた
そしてパナソニックの電動自転車は坂をスムーズに上りにくいのである。
ヤマハの電動自転車は坂を上り安いようにできている

本当に乗ってみてそれも一年くらいとか乗ってみてわかる
この自転車はこういう自転車なのだとわかる
ヤマハのパスブレイスはずいぶん前である。だから重いし走り自体が重いのである。
でも馬力がすごくて悪路をぐんぐん上るのには驚いた
だからマウテンバイクなのである。
でも遠出をするとなると重くて走りが遅いから向いていなかった
それで今度は軽いものにしようとした

今パナソニックの電動自転車は買い物用にしているがこれもあっているとは言えなかったタイヤが28インチであり大きから小回りがきかない,街を乗るのには適していないし何かぎこちないのである。
一番気にいったのはヤマハのYPJ=Rである。これは26万したとしても高いものではなかった
それだけの価値あるものだった,これ自体優れたロードだったのである。
電動はおまけについたという感じである。
ただこれは坂を上ると電池がすぐきれるので長距離に向いているとは言えない
めしてドロップハンドルだと危険になる,急ブレーキをかけにくいのである。

こうして自転車はつくづく一長一短でありなにもかも満足するものはない
それで人間を考えたら人間も同じだなと思った
人間でも同じ人間はいない,みんななにかしら違っている
性格も違っている,でもその人をわかるには自転車をのりこなして一年二年とかでその自転車の良さと悪さがわかる
人間も同じである。何でもいい人間はいない,何かしら欠点がある
何かが得意であり得意ではないものがある
人間は人間の数だけ多様なのである。だから自転車ともにているなと思った

東北人だからといって社交的ではない,接待とか商売が下手とかではない,一般的にはそういうイメージでも全然違った人もいるのである。
その人は一人親方として庭作りから大工でも塗装でも何でもできる
そして人を接待することがうまいのである。
しゃべることがうまいのである。そういう人は東北人でもいる
だからこそこの人は一人親方として営業もできる
営業となると人と接することであり商売であり話が上手でないとできないからだ
ただこの人の欠点は八方美人なのである。
なんでもできるのだかやらなくてもいい仕事まで手を出している
それも金のためならなんでもするという何でもできるという器用さがそうしている
器用貧乏なのである。こういう人もまたいる

大工というと職人気質であり全然話せない人も普通にいるからだ
でも親方となるとそうはいかないのである。
事業を起こして失敗した人も職人としては優れていたが事業で社長になると仕事をとりにゆかねばならない,営業になるから商売になる
それがうまくいかず失敗したのかと思う
自転車屋でも接待が営業がありそれに向いていないる人といない人がある
でも自転車屋は職人としての技術的な面と客に接するサービス業なのである。
この二つを兼ね備えている自転車は少ないだろう
自分の町の自転車は兼ね備えている,いつも店では誰かと地元の人と話しているのであるそしてその人も人と会話するのがうまいなと思う
だから別に東北人だからといってすべて商売に向いていないとはならない

隣の街の自転車屋は古いタイプの人なのだろう
お前はここで買う必要はない,いつも買っているところで買いと知らないことがあり
ミヤタの最近出た電動自転車について聞きたかったからだ
そこで外国製まで扱っていたからである。
それをただ聞きたいのにお前はここに来る必要ないとまでなっていた
一回も買っていないならいい,パナソニックの電動自転車を買っているしパンクしてタイヤも交換したことがあるからだ

それで開業して5年になり、リコのFC店でも潰れたお店も見てきました。
それを見て感じることは、やはり接客に問題がある店は愛されない。

こういうことは別に他にもある,歯医者とかにもある,そこも接客が悪かった
でも歯医者とか医者だと尊敬されるから低姿勢になって接客する必要もない
だがやはり歯を直すだけではない,接客がある
でも看護師が何人かいて接客を担当してくれからいいのである。
それでも歯医者は対人商売であり人と直接接するからそうして人への気遣いが必要になる客に直接接する仕事はとうしても人とも接しないで物作りに励んでいる人とは違う
相手をロボットのように見て診れないのである。
だからそうした接客AI化しても残るとなる
JRなどでもまず接客のこと人のへのサービスは念頭にないのである。
だから駅を無人化してコストを減らせばいいとしかなっていないのである。

いづれにしろ人間と自転車を比べるのも変だが自転車はそれだけ多様だとなる
一台一台個性をもっているのである。
その乗り心地はまた乗ってみないとわからない,人間一人一人もつきあってみないとわからないのである。
人間の場合は生い立ちも違うし住む場所も違っているし男女もあるし年齢差もあるから自転車より多様なのである。
そういう多様な人達とどう接するかとなると本当にむずかしいとなる
自転車もつくづく一長一短であり人間もそうである。
それがにているということも人間と共通点があるという発見があった
おそらく車でもそうである。それぞれに用途があり乗り心地も違うからである。
ただ車に乗っていないからわからないのである。
家にしてもみんな違ったものになっている,建て増ししたりもするし家の造りは違っている
住む人によっても家は違っていて個性がある,庭でもそうである。
だから時々他人をの庭を自分は見ているのである。
自分は石に興味があるから特別見ているとなる

posted by 老鶯 at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

自転車は人間の性格などの相違とにていた (その多様性に共通性があった)


自転車は人間の性格などの相違とにていた

(その多様性に共通性があった)


自転車の種類はいろいろある,メーカーによっても違う。
基本的にロードとクロスバイクとマウテンバイクがある
でも同じロードでも乗り心地とかが違ってくる
百種類の自転車があるとしてその百種類の自転車はみんな乗り心地が違う
それがなんとも不思議なのである。

遠くに行くということで28インチのパナソニックの自転車をすすめられてかった、
それはバッテリー容量が多いということですすめられた
長距離用としてすすめられた,それは28インチのタイヤだから早く進むことは確かだったでも婦人用タイプでありスポーツタイプではない
だからデザインとか乗り心地は違っていた
早く軽快に走るものとは違っていた
そしてパナソニックの電動自転車は坂をスムーズに上りにくいのである。
ヤマハの電動自転車は坂を上り安いようにできている

本当に乗ってみてそれも一年くらいとか乗ってみてわかる
この自転車はこういう自転車なのだとわかる
ヤマハのパスブレイスはずいぶん前である。だから重いし走り自体が重いのである。
でも馬力がすごくて悪路をぐんぐん上るのには驚いた
だからマウテンバイクなのである。
でも遠出をするとなると重くて走りが遅いから向いていなかった
それで今度は軽いものにしようとした

今パナソニックの電動自転車は買い物用にしているがこれもあっているとは言えなかったタイヤが28インチであり大きから小回りがきかない,街を乗るのには適していないし何かぎこちないのである。
一番気にいったのはヤマハのYPJ=Rである。これは26万したとしても高いものではなかった
それだけの価値あるものだった,これ自体優れたロードだったのである。
電動はおまけについたという感じである。
ただこれは坂を上ると電池がすぐきれるので長距離に向いているとは言えない
めしてドロップハンドルだと危険になる,急ブレーキをかけにくいのである。

こうして自転車はつくづく一長一短でありなにもかも満足するものはない
それで人間を考えたら人間も同じだなと思った
人間でも同じ人間はいない,みんななにかしら違っている
性格も違っている,でもその人をわかるには自転車をのりこなして一年二年とかでその自転車の良さと悪さがわかる
人間も同じである。何でもいい人間はいない,何かしら欠点がある
何かが得意であり得意ではないものがある
人間は人間の数だけ多様なのである。だから自転車ともにているなと思った

東北人だからといって社交的ではない,接待とか商売が下手とかではない,一般的にはそういうイメージでも全然違った人もいるのである。
その人は一人親方として庭作りから大工でも塗装でも何でもできる
そして人を接待することがうまいのである。
しゃべることがうまいのである。そういう人は東北人でもいる
だからこそこの人は一人親方として営業もできる
営業となると人と接することであり商売であり話が上手でないとできないからだ
ただこの人の欠点は八方美人なのである。
なんでもできるのだかやらなくてもいい仕事まで手を出している
それも金のためならなんでもするという何でもできるという器用さがそうしている
器用貧乏なのである。こういう人もまたいる

大工というと職人気質であり全然話せない人も普通にいるからだ
でも親方となるとそうはいかないのである。
事業を起こして失敗した人も職人としては優れていたが事業で社長になると仕事をとりにゆかねばならない,営業になるから商売になる
それがうまくいかず失敗したのかと思う
自転車屋でも接待が営業がありそれに向いていないる人といない人がある
でも自転車屋は職人としての技術的な面と客に接するサービス業なのである。
この二つを兼ね備えている自転車は少ないだろう
自分の町の自転車は兼ね備えている,いつも店では誰かと地元の人と話しているのであるそしてその人も人と会話するのがうまいなと思う
だから別に東北人だからといってすべて商売に向いていないとはならない

隣の街の自転車屋は古いタイプの人なのだろう
お前はここで買う必要はない,いつも買っているところで買いと知らないことがあり
ミヤタの最近出た電動自転車について聞きたかったからだ
そこで外国製まで扱っていたからである。
それをただ聞きたいのにお前はここに来る必要ないとまでなっていた
一回も買っていないならいい,パナソニックの電動自転車を買っているしパンクしてタイヤも交換したことがあるからだ

それで開業して5年になり、リコのFC店でも潰れたお店も見てきました。
それを見て感じることは、やはり接客に問題がある店は愛されない。

こういうことは別に他にもある,歯医者とかにもある,そこも接客が悪かった
でも歯医者とか医者だと尊敬されるから低姿勢になって接客する必要もない
だがやはり歯を直すだけではない,接客がある
でも看護師が何人かいて接客を担当してくれからいいのである。
それでも歯医者は対人商売であり人と直接接するからそうして人への気遣いが必要になる客に直接接する仕事はとうしても人とも接しないで物作りに励んでいる人とは違う
相手をロボットのように見て診れないのである。
だからそうした接客AI化しても残るとなる
JRなどでもまず接客のこと人のへのサービスは念頭にないのである。
だから駅を無人化してコストを減らせばいいとしかなっていないのである。

いづれにしろ人間と自転車を比べるのも変だが自転車はそれだけ多様だとなる
一台一台個性をもっているのである。
その乗り心地はまた乗ってみないとわからない,人間一人一人もつきあってみないとわからないのである。
人間の場合は生い立ちも違うし住む場所も違っているし男女もあるし年齢差もあるから自転車より多様なのである。
そういう多様な人達とどう接するかとなると本当にむずかしいとなる
自転車もつくづく一長一短であり人間もそうである。
それがにているということも人間と共通点があるという発見があった
おそらく車でもそうである。それぞれに用途があり乗り心地も違うからである。
ただ車に乗っていないからわからないのである。
家にしてもみんな違ったものになっている,建て増ししたりもするし家の造りは違っている
住む人によっても家は違っていて個性がある,庭でもそうである。
だから時々他人をの庭を自分は見ているのである。
自分は石に興味があるから特別見ているとなる

posted by 老鶯 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

銀行は江戸時代の金貸しにもどった? (投資信託はだまし的要素があり危険)


銀行は江戸時代の金貸しにもどった?

(投資信託はだまし的要素があり危険)

日本古来のクラウドファンディング「頼母子講」とは

銀行というのがかかわってわからない,わからないのは金融業がわかりにくいからである自転車屋とかでもわからないことがあったがインターネットで調べるとそういうものかと納得する,でもまず銀行とか証券会社とかは理解できない
このサイトでは頼母子講から銀行が分化したとある,保険や投資もしていたのが頼母子講でありこれは相互扶助組織だった,何か協力するものとして生まれた
それは明治以降も活きていたという,つまりまだ銀行はそれほど普及していなかったのである。
自分の父親は酒屋をしていて暖簾分けした,それが双葉の新山だった,そこに姉が良く行っていてそこに銀行があり遊んでいたという,その時銀行はめずらしいものだったのである。

もともと金貸し業が基になっているのが銀行だというのもある
すると江戸時代のようなあこぎな金貸しの面もある
消費者金融の親になっているのが出資しているのが銀行だからである。
ヤクザまがいの人間を雇ってとりたてをするのは江戸時代と同じだとなる
ただ裏でいい顔して役人のようにしているともなる
今までは銀行をそのように見ていない,やはり高度成長が終わって利子がつかなくなったときから銀行は変質した
金を貸すもうけさきがないからそういうあこぎな金貸し業に先祖返りしたのかとなる

ただ資本主義社会では銀行は必要欠かせぬものとしてある,だから銀行の役割はある
ただ資本主義がもうこれ以上投資先がないとかなりただ金をためていても銀行にとっては負債を抱え込んでいると同じだとなる
金をあづかってもかえってそれで投資してもうけが出ている場合良かったのである。
それで地元でも助かった会社いるし育てられた会社もある
ただそれは高度成長時代に銀行は別に悪いものではなく良いものとして機能していたのである。

だから銀行が今地銀などでも苦境にありどうしてもうけるのかとなり投資信託とかすすめることになった,これはとてももうけられる仕組みになっていないのである。
ではなぜすすめるのかというと手数料を高くとれるからである。
銀行自身が投資して株をしているがそれは失敗したら損になる,リスクをかぶらざるをえない,でも銀行が手数料をとって買わせる株でも投資信託でも手数料がとれるから損することがないからである。

でもこうして自分でもそうだが投資信託は詐欺的商品だというとき何かわかりにくいからそうなっている,わかりにくいとごまかしやすくなるからしている
株だと意外と買った時点で安ければ株が上がればもうかるということは子供でもわかる
だから株の方がわかりやすいのだが投資信託をすすめるのである。
それは銀行や証券会社にとって都合いいものだからである。

銀行側にすれば借金している人のように追い詰められている,だからノルマも課せられているから押し売りのようになっている
そもそも貯金をしてもらってもそれは銀行の債務だというときそうなのだろう。
なぜならその金をあづけられても活かさなければただもっているだけでも費用がかかり事務費をとるということにもなる
では銀行自身が投資してもうければいいが銀行とはいえ株の世界では簡単にもうけられない,リスクがあり損することがあるからだ
だから投資信託でも株でも手数料を確実にとるのが一番楽なのである。

銀行はもう社会の中で正業として機能しなくなったのではないか?
それは銀行だけではない,官僚が経営する財務省でも不正が行われていた
財務省とは金融庁であり銀行を監督する立場にある
その大元が不正していたのである。そのために自殺した人まででてきた
財務省そのものが国民から税金をとりたてて不正しているとなる
金融資本主義は世界的にも格差社会を産みわずかの人達が私腹を肥やすものとなっているだから資本主義自体が危機になっているのだ
資本主義はもう機能しなくなっりつつあるのだ
すると銀行も機能しなくなりたまった金を活用できないのである。
もうけ先がなくなり預金者に投資信託などをすすめて手数料で稼ぐ
つまりあこぎな江戸時代の高利貸しのようになっている
銀行はこうなると社会にとっての悪であり必要ないともなる
銀行の役割が喪失したともなる

時代の変化で永続するものなどない,銀行もそのために変質した
何か変化しなければならないのだがそれができない
だから消滅の危機にあるのかもしれない,誰もそんなことしていたらかかわりたくないとなる
最初はいいにしてもいづれみんなそのことがわかる
得するのは銀行だけであり金をむしりとられるだけだとなる
そうなると預金者も銀行にいい顔をしなくなる
かつての銀行のイメージとは違う、あこぎの高利貸しにもどったともなる

そういうところで働いていると人相まで悪くなるかもしれない
消費者金融の人達とにたようになるかもしれない,紳士面していてもその中味はもう高利貸しと同じだとなる
銀行の社会的使命があったがそれが時代が変わり変質してもうその役目は終わったのかとなる
何か正業として利益をあげる方法がないのかもしれない
となると社会にとって害悪な存在ともなる,そういうことが預金者も気づきはじめたらどうなるのか?
銀行は信用されなくなりいらないとなる,でもどこに金をあづけるのかタンス預金なのかとなるとこれも危険である。
するとそれぞれ株をやればいいのかとなるとそれも危険である。
ただ銀行はかつての銀行とは違っていた,それだけはみんなも知るべきである。


posted by 老鶯 at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題