2018年03月16日

グローバル経済の格差から起きた残酷な事件 (国と国の格差が大きくなり起きた事件)


グローバル経済の格差から起きた残酷な事件

(国と国の格差が大きくなり起きた事件)


フィリピン妻は結婚できない中年男を幸せにするか? 奇跡の婚活、夢の果てに=
鈴木傾城


この話はグローバル経済を象徴したものなのだろう。資本主義社会を象徴したものなのだろう。
それが余りにも露骨に残酷に現れたのである。
そこには何の愛情もなかった,ただ金が目的であり最後は金のために殺したのである。
その殺された人間もあわれであるが女性を金で買えるとした社会にも問題がある
グローバル経済では後進国と先進国の為替の差がまだ十倍とかある国がある
フィリンピンとかカンボジアとかがそうである。
カンボジアでは若い女性でも5ドルで売春されているとか安い
その女性にしても眼中には金しかないのである。

日本人の50代の男性もあわれだがもともと金で女性を買おうとしたことに間違いあった
だからその男性も悪いとなる
そしてグローバル経済の格差の中で生きているとこうしたことが露骨に現れる
その女性も金で殺し屋を雇い殺したのだから金がすべてだとなる

こんなことが起きるのはグローバル経済では露骨に国と国の為替が大きいとそうなるからである。
それは国内でも起きる,金持ちの家に今の貧乏人が家政婦であれ家に入ればその暮らしの差が歴然として露骨になるからだ
するともう労働するよりなぜこの家ではこんなに裕福なのだとなりなぜ自分はこの家で働かせられているのだとなる
そして盗みとか犯罪になりやすいのである。

この女性もまた相手が求めたきたものを金をもらい与える,しかし逆に金をとればあとは関係ないとして金で雇った殺し屋に殺させる
そこには非情な金の関係しかないのである。
人間の関係は金しかない、金の切れ目が縁の切れ目である
それを自分も介護十年で自分の病気でも経験した
借金で苦しむ人に殺されようとしたからである。
自分が弱ったとき金を要求する,そして死んだ方がいいとさえ思うようになっていたのである。
すでに心で人を殺していたのである。保険金殺人のようになる
そういうことは遺産相続で普通に起きていることである。

格差社会というときこういうふうに余りにも差があるときもう善悪の問題ではなく犯罪は起こる
江戸時代は身分社会だけど侍が特別贅沢していない,庶民と比べてそんなに贅沢していない,だからフランスのように貴族階級に対しての革命が起こらなかったのである。
身分差があっても日本では暮らしそのものはそんなに差がなかったのである。

グローバル経済がこうした国々の格差を露骨にする,給料が十倍とか違う,それがもし人が交わらなければ問題は起きない,貧乏な国はその国の中でその貧乏の中で生きてゆくほかない,そして貧乏人同士助け合うということもある
格差が国々で拡大して人と人が交わるとき問題が生じるのである。

おそらく物だけが入ってきているとしたら人が交わらないとしたらこういう問題は起きないのでないか?
その国がどんなに貧乏でもその貧乏を知ることはできない,また金持ちのことも知らない人と人が直接交わることは物が流通するのとは全く違ったものになる
一人の外国人がよその国に入ることは全然違ったものになる
様々なも軋轢を産む,文化も宗教も違うし差別なども身にしみて感じるようになる
それで日本に来たベトナムの実習生でも日本を恨んで妬み帰っていい印象をもたないようになるのである。
もし観光だけで来ているのならこうはならない,でも観光するにも金がいる
ただ今は平等に東南アジアでも中国でも日本に観光に来ているから格差はなくなったのである。
そして今度は日本人が中国人より貧乏になり観光に来た人達を接待するようになった
それがグローバル経済でもある
一旦経済の競争に負けたら外国人に使われるようになるのである。
女性も売られたりするようになる,それがグローバル経済なのである。


金,金,金・・・・

借金した者が飢えた獰猛な虎のように襲ってくる
ハエエナが屍をあさる,それは遺産を争う人ににている
弱きものは狙われ襲われ真っ先に餌食になる
弱肉強食の世界に生きざるをえないもの
獣の中で人は生きる
人の世では金がものいう
人は金に泣き金に笑い金に苦しみ金に翻弄されて生きる
一時たりとも金から離れることができない世
金をくれ,金をよこせ,金をください・・・
金でめんどうみろ・・・すべて人の世は金がまとわりつく
金の切れ目が縁の切れ目・・・・
そうしてすべては去った
一日でもいいから金から離れたい
金とは人間の欲でありその欲は消えない
そして心から思う
自ら額に汗して稼ぎ本当の実りを我が手でとる
金で買うのではない,自らの労働で実りを得る
または神から無償で果実が与えられる
あたかもマナのように与えられる
金をめぐってこの世はまわる
金から脱することができない世
家族も肉親でも金で争っている世
何かが間違っているとしても金から逃れられない世
いくらあっても金はたりない
それより人間の欲望は永遠に満たされない
餓鬼地獄に生きている人間
金が悪いのではない,それは手段にすぎぬもの
金にすべての悪をおしつけることはできない
それより金は現物を離れて操作される
我々は今金に操作される世界に疲れた
人間は金ではない,本当に価値あるもの得たい
金で計れない価値あるものもある
値段がつけられないか価値あるもの
そういう価値こそ本当に価値あるもの
それは金で変えられないから・・・・

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posted by 老鶯 at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)


雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)

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新田川瀬音に岸の樹々芽吹く

走り去るあとにひびきぬ雲雀の声

坂を越えて大きく迫る春の山


ふんぷんと梅の香りの放たれる一日田舎をめぐり走りぬ


ヤマハのYPJ-Rは優れものだった,なぜだったのか?
車体が軽いことである。
16キロとかなると相当に軽い,それで電動自転車なのだけどバッテリー500グラムで軽い
他は3キロとか重すぎるのである。

それで悩んでいた人がいた,その自転車を改造してバッテリーを別な大容量のものにしていた,それは自転車屋でしていたのである。
とても坂は上れない,すぐにバッテリーが切れてしまうからである。
そこが最大の弱点であったからだ
それから自転車を軽くするために部品を改造することもしていた
自転車はいかに軽くするかが問題である。軽いと軽快に走る,でも電動自転車だと重くなるからだ

自転車は技術的にもやはり他の機械と車とかとも同じ問題をかかえている

●軽くすること→スピードがでる
●構造的にしっかり作られていること
●バッテリーをを長持ちさせること

自転車が軽いと軽快に走る,それを追及したのがロードである。ヤマハのYPJ-Rは軽いことと構造的にもしっかり作られている
ただバッテリーがあまりにも少なすぎるのである。だから長距離になるとかえって坂があるから疲れるとなる,ただ平地がつづけばこれは楽なのである。
日本では山が多く坂がありすぎるので自転車が使いにくい
オランダなどは坂が全くない,フランスでもドイツでも坂がない広い平坦な地がつづくのである。

長距離になるとこの年でできるのかとなる?
なぜなら筋肉が痛くなるし疲れる,でもしている人はいる
ただ坂が鬼門なのである。
それで今度はクロスバイクを買おうとした,ただミヤタのいいとして田舎では買えないものだった,販売店がなかったのである。
最近はミヤタは販売していない店が多くなったらしい
何か金融商品でも田舎では老人向きのがなく投資信託など銀行がもうかるのもすすめられた,そういう点で田舎は技術的な面でも遅れるのである。
なんでも通販で買えるというが通販では買えないものがあると思った

ともかく相当に自転車に乗ったが自転車のメカについてはわからなかった,自分はメカとかに弱い,それでロードも知らなかったしクロスバイクも知らなかった
ただ自転車は走ればいいと思っていたのである。
ただ坂がいやなので電動自転車を使うようになった
シニア向きに電動自転車が普及した面もある
30万とかで売り出しているのもそうである。
それだけの金をかけるとなるとなかなかできないだろう。
ただ車をもっいればいい車が欲しくなるのと同じで自転車もそうなのである。

自転車の醍醐味はロードにある,走りが全然違うからである。
でも荷物も乗せられないしドロップハンドルだと急にブレーキをかけられないスピードが出るから危険なのである。
坂で一回とめられず転んだのもそうである。そのまま転倒しないと坂をとめれずに下るから死ぬことにもなる,そういう危険なものである。

それで今度はクロスバイクを買おうとしたがいいものが見つからなかった
ヤマハのは30万以上で6月にはでる,でも重さは変わりないみたいだ
どうしてもバッテリーが重くなるからである
ただ30万クラスだとかなり使えるものになる

自転車のいいの自然と一体化することである。
この俳句も自転車で乗ってイメージして作っているし自転車に乗って俳句でも短歌でも作りやすいのである。
それは自然と一体化するからである。
ただこの年になると体がきついなと思う,でもそもそも長寿化社会,人生百年とかなると何か年齢についてこだわることは間違っているのだろう
確かにもう死んでもいい年でも今はそうでもないのだろう
年の感覚は人によって違うが今までの年の感覚ではなくなっている
だからまだ自転車でもロードでも乗り遠く行けるのかとも思う
40キロくらいなら普通に今でも行けるだろう,それこを越えると相当に厳しいなとも思う

ともかくも春なので運動しやすくなった,体を筋肉を鍛えればまた回復するかもしれない,新田川は浅瀬の川であり瀬音が常にしている川なのである。
これは真野川とかと違う川なのである。広瀬川も瀬音ゆかしきとあり瀬音がする街中の川である。川にも特徴がある
こうして音を聞いたり風に吹かれたりするのが自転車であり車ではできないのである
そのために自分はこれまで遂に死ぬまで自転車に乗っていたとなる
自転車人生だったともなってしまったのである。

タグ:雲雀 ロード

brain of woman

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新しいソフトを試しに使ったらこれができた,これは自分でソフトを試しに使っていたら偶然にできた
ソフトによってできるものが違ってくる,ソフトに影響されるしいかにソフトを使いこなすことができるかで抽象画の世界は広がる

I could do this if I used the new software to try it, this was made by chance if I used the software for my own test
Abstract painting world spread with how software can make different things, how software can be affected and how to use software