2018年03月11日

動労は常磐線の浪江から富岡の開通に反対している (放射能汚染の中で働かせられるし人がいない所に通しても無駄)


動労は常磐線の浪江から富岡の開通に反対している

(放射能汚染の中で働かせられるし人がいない所に通しても無駄)

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動労水戸ブログ
12・10常磐線開通反対闘争に際して訴えます!


被曝か貧困かを迫る避難指示解除

安倍政権は、17年3月までに帰還困難区域を除くすべての避難指示を解除しようとしています。対象となっているのは、全村避難となっている飯館村、川俣町山木屋地区、富岡町や浪江町の一部です。富岡町については、地元の意向をまったく無視して、1月に前倒しをして避難指示を解除しようとしています。さらに、年間50ミリシーベルトをこえる帰還困難区域についても「すべての避難指示を解除する


いわき運輸区の運転士や車掌、保線区や電力区の労働者が被曝労働を強制されます。労働組合として当然反対すべきです。しかし、東労組も国労も富岡延伸には一言も言っていません。
 今後、車両の検修問題が大焦点になってきます。いわきから北を走る車両のメンテナンスをするのは勝田車両センターです。車両に付いたたくさんの粉塵を労働者が吸い込む。動労水戸の組合員が被曝するリスクが高まってきます

 動労水戸・會澤憲一君は「私はライフサイクルで水戸駅にいるが、徹夜勤務が一つで4人いればすむのに、5人がライフサイクルで行ったために日勤が発生している。日勤で、毎日除草とペンキ塗りだ。

 すべての業務の外注化―水平分業とローカル線を切り捨てて要員を合理化する、第3の分割・民営化ともいうべき体制を作ろうとしている。


このことは知らなかった,今日テレビで鉄道の復興のことを放送していたとき浪江駅開通の時,そこで反対する人達が騒いでいたのである。
その人たちは動労の人達だった,みんな浪江であれ双葉や大熊や富岡まで開通することは賛成していると思ったのである。
なぜなら駅にいるといわき市まで通じないことで不便を感じている人が多いからである。
それでなぜ労働組合では反対しているのかとなる,それは被爆するのとそもそも避難解除をする必要などなかったということがある
なぜなら人が住んでいない所に電車を通しても無駄とと言っている
それから被爆するから避難解除すべきではないということも言っている
でもそうしたらいわき市まで常磐線が通じなかったら復興はないのである。

労働組合とすると被爆してまで働きたくない,避難解除はするべきでなかった
被爆の危険がまだあるしもう帰らない所に常磐線を開通しても無駄とと言っている
それから外注とかありそれにも反対している,それでは安全が守れないとか正規の社員が言っている
自分が駅で毎日見ていたが本当に安全のためとか除草とか点検保守が大変なのである。
それで外注して下請けにさせているのである。
JRの正社員がしているわではない,外注して極力正社員を使わないで費用を削減しようとしている,その一貫として無人化自動化をすすめているのである。
労働組合としてはそれに反対している

でも鉄道の問題はコスト的に厳しいのである。第一三陸鉄道でももう維持することが前らかコストとしてはむずかしかった,鉄道の維持は保守管理の手間と金がかかりすぎる
鉄道の保守管理は大変なのだから当然それだけの費用がまかなえればいいがまず電車に乗る人が少なすぎる
だから切符を買って乗ったこともない人が多い,みんな車を利用しているからである。
常磐高速のSAのセディティ鹿島に行ってみるとわかる
その数は鉄道と比べると比べようがない,その数は多い,百倍にもなるかもしれない
そのように鉄道がりようされていれば問題は起きなかったのである。
当然コストがかかるからそれでは維持する費用をどうするんだとなるからである。
鉄道を維持したいという町の人が運動していても肝心の町の人すら鉄道をめったに利用しないのである。その費用をJRに負担させるのは無理だとなる
JRからすれば勝手だなとなってしまう。

只見線とかでも観光鉄道として維持するのも無理がある,日常の生活路線があって観光がある,日々の暮らしがあって芸術もありうる
観光だけの路線ではそもそも基本的に成り立たないと思う
ただ将来を見据えたとき一旦鉄道は廃止されたら元にもどらないというのは深刻である。現実に北海道ではそうなっている,もう電車は走らないのである。
そうなると観光としては影響が大きいとなる
地方の活性化にも大きな影響があるのは確かである。

ともかく常磐線開通に反対しているのは意外だった
そうしたら街の復興はない,では街を見捨てて廃止するのか?
そして避難解除しないとなると国では補償金を払い続けなければならない
それが嫌だから避難解除を無理やりにしたということもある
でもそんなに避難し続けているのも矛盾なのである。
なぜなら近くで浪江の人がすることもなく昼間から酒飲んでぶらぶらしているからである補償金をそうして出し続けたらそんな生活が延々とつづく
そしたら避難先でも迷惑だともなる,そのことは小高の人達が仮設で暮らしていたとき毎日パチンコ屋通いでありギャンブルで遊んでいたのである。
それと同じように原発避難者には厳しい視線が向けられる

だから何か動労の主張も全部是認はできない,復興をどうするのか?
では住むことをあきらめるとして鉄道も通さないとしてどうなるのか?
途中で切れると鉄道は活きてこないのである。
バスにもできるししているがそれでは鉄道が活きてこないのである。
だから動労の主張も復興についてどう考えるのか疑問である
では浪江とか富岡間とか住めないとするなら街全体を取り壊してそこに住まないようにするのか?
どうせ帰らない人が多いんだからということで街を捨てるのかとなる
現実を見たときそういうことも決断するのかとなる

鉄道の旅は長いからもともと関心があった,ただ自分は乗せてもらう方であり乗せてくれ人達が働いていて旅できたがそういう人達を考えたこともなかったのである。
だから世話になったと思い今になって無人駅でボランティアのまねごとをしたとなる
鉄道の運営をどうするのかとなるとこれは相当な難題であり自分にはわからない
でも無人駅で鉄道の運営のようなものにかかわったので関心をもったのである。

死者が帰ってきてもよりつく場がない (津浪から7年過ぎてこの世の無常の詩)


死者が帰ってきてもよりつく場がない

(津浪から7年過ぎてこの世の無常の詩)

死者はどこに逝ったのか
津浪が連れ去った
でも死者は霊となって
時々その住んでいた場所にもどる
でもそこによりつくものがない
七年過ぎて過去のものはすでにない
松原でも残った一本松は枯れて切られた
かつての松原を残すものは何もない
それで霊となって帰って来た死者は
ここはどこなんだ
自分の住んだ所なのか?
風力発電の風車やソーラーパネル
盛り上げた台地など
そこに昔あったものがない
津浪から残った社が一つ高台に残っている
これは確かに津浪の前にもあった
しかし住民はそこに住んでいない
死者が帰ってきても死者が帰る寄る場所がない
家があればそこには思い出が残っている
家にも庭にも思い出が残っている
すると死者はその家により昔をなつかしむ
その家もなくただ更地となったら
何をよすがに思い出すのだろう
死者はあまりにも変わってしまうと
昔あったものがなくなると
霊として帰ってきても居場所がない
しかし人間の無常は変わらない
人の世の変化はめまぐるしい
常に変化している
ここに家があったはずだったが・・・
今は何もなく松一本が立って残っている
ここに誰が住んでいたのだろう
ただまだ松一本が立っているから
ここに住んで死んだ霊はその松によりつく
でもこの松が消えると何も思い出す
よすがとなるものはすべて消える
死者は日々忘れられてゆく
今を生きることに精一杯だから
去る者は日々疎しとなる
それは生きているときでもそうである
生きながら忘れられる人が老人に多い
生きていても存在感がなくなり忘れられる
社会的用がなくなり忘れられる
人間とは常に忘却との戦いでもある
どんなことでも忘れられてゆくからである。
人は次々に死んでゆくからである
もう最後はそんな人いたのとなるのが普通である。
死とともに加速度的に忘れられてゆく
その人が存在したのかどうかわわからなくなる
それがこの世の無常である
ただ昔あったものをみんな忘れて新しいものにする
それが人間にとっていいことなのか?
一本の松が空き地となり残っている
そこには人が住んでいた
冬の日がさしてそこにいつまでも立っている
そこに立っていたいのかもしれない
その松に死者の霊はよりつく
この松がなければよりつくものがない
死者は淋しくまたあの世に帰ってゆくほかない
この世とあの世,彼岸がある
そこを死者が行き来するとして
その死者の霊のよりつくものがなければ
死者はただ困惑してここが自分の生きた場だったのか
それを確認もできなくなる
余りに変わり果てたふるさと
それはもう死者の霊が帰ってきても故郷に思いない
そして死者の霊はここは自分の生きた場ではないと
また彼岸に去ってここにはもどらないともなる
それは生きている時でも起きる
あまりにも変わりすぎた故郷はもはや故郷とは思えない
そういうふうに変わることがいいるだろうか?
でも無常の世の中だからどうにもならない
時代は常に変わってゆくのだから・・・・

津浪から七年過ぎたけどあまりにも変わり果ててしまった,
この辺だと風力発電の風車が海岸に並び,盛り土されて台地ができて
ソーラーパネルの工場地帯のようになっている
すると津浪の被害にあった海岸地帯に昔をあったものがなくなり思い出すこともできない右田の松原はいい松原だったけどそこにも人が住んでいたけど
人は住んでいない,松が切られた切り株などが残っていたけど今はそれもない
何か思い出すものがないのである。

すると津浪で流されて死んだ人の霊が帰ってきてもここがとても自分が住んでいた所だと思えなくなる,するとどうなるのか?
ここは自分の住んでいたところではないとなってまた彼岸に帰り二度とここにはもどらないかもしれない,それだけ変わってしまったからである。
これほど変わり果てると生きていてもここが故郷だったのかともなる

とにかく人の世は無常迅速なのだ,人自体も変わる,その人間関係も変わる,そういうことを津浪や原発で加速された,もともと無常の世だったがそれが津浪と原発事故で加速されたのである。そのスピードが早すぎたのである。
自分も家族二人が死んだ,そしてその死者もだんだん忘れすゆく
肉親すら忘れてゆく,現在に生きることが優先されるからそうなる
もう津浪から七年過ぎたら関心が薄れてゆく,だからもう外からの支援はわずかになる
でもここに生きる人達はそうはならない,ここで生きてゆくために苦闘しなければならないことがある

ただ他に移り住んだ人は人ですでに7年過ぎて別な土地で生きて人間関係もできている
するとますます故郷のことが遠のいてゆくのである。
現実は今生活する場となるのが人間だからである。それで復興はさらに困難になる
無常迅速というとき人間がいかに忘れやすいものかということでもある
次々に新しいことが起こり過去は忘れられてゆく
ただ死者の霊でも昔のままにあるものに寄り憑(つ)くともなる

だから家が昔のままにあればそこに死者が帰ってくるというお盆の風習はそういうことにからきた祭りだともなる
でももし家が新しくなると死者の霊が帰ってきてもそこを自分が住んでいた家と認識できないともなるのだ
それでここは自分の家ではないと別な家を探すようになるかもしれない
何か認知症の人とにている,見慣れた知った人はなんとか覚えているがその他は忘れてしまう,人でも何でも忘れてしまうのである。
人間は記憶していれば存在しているのだが忘れれば存在しないとも同じなのである。
旅行しても本当にそこにいたのかいなかったのかすら時間がたてばわからなくなる
数十年と過ぎればそうなるのである。
だから意外と老人になってからそのことがわかる,記憶は大事なものだったなと記憶が消えれば生きた証も消える,それで最後は人生で一番印象に残ったことを延々と語り続けるそれが生きたことだったからそうなるのである。

人間など例えば江戸時代に生きた人を考えるとわかる,その名前すら残っているのはわずかであり名前すら残らず消えている,生きていても今になればその人が生きていたことすらわからないのである。
今でもみんな人間はそういう無常の世に生きているのである。

posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

帰還しない原発避難者 (老人だけが取り残される)


帰還しない原発避難者

(老人だけが取り残される)

なぜ原発避難者が帰還しないのか?それにはいろいろ理由がある
7年過ぎた結果移った先で家建てたり子供も7年過ぎたらその移った先で別な暮らしになった,故郷のことを知らないという子供すらでてきている
津浪のことを知らない子供すらいる
それから放射能が怖いということもある
放射能は実際はどういう危険があるのかわからないものだからである。
もし心配すればきりなくなる,なぜなら遺伝子にどういう影響与えるのかもわからないからである。何世代も見ていないとわからないとしたら長く時間がかかる
それよりそんな長い時間を生きている人は考慮できないのである。

とにかく家を外に建てた人は帰らない,家建てた人は多いのである。
浪江の人でも老夫婦でも原町に家を建てたとか聞いた
そういう人も帰らないのである。
帰った人でも小高で30パーセント帰ったとなると多いがその中味はほとんど老人なのである。
それで困っているのが病院と老人ホームで介護士などで働く人がいないということであるそれはどこでもそうだが老人ホームが人手がなくて運営できないのである。
それは若い世代が流出したからなのである。
でもおばあちゃんとかおじいちゃんとかが住んでいる
すると家族として町を考えるとそういう若い世代が世話するのが責任がある
でもこの際,姑と一緒に暮らすのが嫌だから外に出たという話も聞くのである
そして取り残されたの老人だったとなる
そうした老人の町が成り立つのか?それでもう町は存続できないとみている人が70パーセントとかいるのもわかる
少子高齢化の影響とかが極端なものとしてこの辺では影響している

それはここだけではない,宮城県でも岩手県でも被害にあった人達は65歳以上の高齢者が多いのである。津浪の被害で死んだ人達も高齢者が多いなというときもともと65歳以上の人達が住んで多かったからそうなったのである。
若い人は少ないというときそれだけ少子高齢化であり地方は農業でも漁業でも跡継ぎがいないとやめる人が多かったのである。
大原の農家の人はそうだった,5町の田んぼをもっていても一人で農業していて息子は跡を継がない,公務員になっていて街内に住んでいたからである。
そして今は空家となっている
漁業の場合は事故前から原発の補償金をもらっていたからそれで生活も成り立っていた
事故後も補償金がもらえるから生活には困らないのである。
そうでなければ農業のように廃業する人が多くなっていた

それはここだけではない女川でも原発再稼働してくれとなっている
それだけ原発頼りの町になっているからである。漁業では暮らしていけないからそうなる
また復興できないというとき時代も影響している
復興というときそのレベルが高いのである。病院も必要だ,買い物のためにのスーパーも必要だ,介護施設も必要だ,・・・今まであったものが当然あるべきだとなるからだ
戦後の焼け野原から復興したとき何もない,でも若い人が戦地から帰ってきた不便な所に開墾に入った,そういう所で苦労した人はそこに特別の愛着があるというのもわかる
本当にそうして開墾に入った場所が多いのである。
その時なぜそういう過酷でもそこで生活したかというとそれしか方法がない,職がない
もともと戦争で生きる死ぬかを経験して来た人達だから苦労をいとわないということがあった
今は違う,生活レベルが高く設定されている,元のような町でなければ用意しなければ帰還しないとなっている
そこで自分たちは一からやり直すようなことはしないのである。
それなら外で便利な場所がいくらでもあるのだから移った方がいいとなる
老人はその土地に長く住んだから愛着があるから帰りたいとか帰っているのである。

何かこの問題は津浪でも原発事故があったからというよりその前にそういう問題をかかえていた、それが津浪原発で致命的になったともなる
限界集落とか少子高齢化とかがすでにありそれに津浪原発事故が拍車をかけた
そして立ち直れなくなったともなる
そしてこの辺では補償金をもらった結果,それが頼りになりもっと死ぬまで補償してくれともなる,現実に特別国民年金では足りないからと小高の人達は要求した
それより老人が多いけど補償金を打ち切られれば生活保護にしてくれとなる
そういうことを要求しやすいのである。
それは宮城県でも岩手県でも所得の低い人達とか国から援助されて金を借りたが返せないからその期限を延期してほしいというのも同じである。
それは事業している人達でも利益を上げられないから借りた金を返せないとなっているのと同じである。

それで今までの発想を変えてコンパクトタウン化する縮小経済になる,その規模に見合ったものにして再建を計るというのもわかる
今までのような規模でも経済を維持することは不可能だからである。
それは少子高齢化ではそういうことが全国的に言われた
それがまたどういうものか明確にはわからない、ただ今までのような市町村は維持できなくなる,だから発想を変える必要が生まれているのである。
今までと同じような市町村の復興はありえないということである。

ただ女川でも新しい街並みを作ったが商売にならない,地元の人達ではなく外から来た人を相手にしているとかなり原発再稼働してくれとなっているからいかにいくら発想を変えて新しい街作りしてもうまくいかないこともあるなと思った
つくづくそれだけ復興が困難なのである。
それは日本という国自体が衰退の方向に向かっていてそれも津浪や原発事故で拍車をかけたともなる
でも何かしら希望がある,その希望とは何なのか?
その希望があればそこにみんなで向かっていける
では戦後の焼け野原のときみんなどんな希望をもっていたのか?
不便な地域に開墾した人達も希望があって入ってきた,そしてそこで暮らしが成り立ったということもある,その後高度成長時代になり日本は世界に誇る経済大国になるという希望があったとなる,それは一時的なものとしてもあった
そういう時代を生きたのが団塊の世代だったともなる

ともかく後三年で国からの援助も切れるとなるとさらに厳しいものになる
外部からの工事関係者もいなくなる,今も減少しているのである。
飲食関係でも外部から来た人を相手にしていたところが多くなっていたからである。
それで仙台からユニットバスの会社がこの辺まで仕事を求めてきていたのである。
それは百万だから安かった,普通は二百万する仕事だったのである。
知っている人の40代の息子も除染していたが東京に仕事を求め帰らないという

こうして何か避難区域に残されたのは老人だけというがそうでないところも老人だけが増えてくるのである。
東京辺りから帰って移り住む人も増えているがその人達も老人なのである。
この問題はここだけではない少子高齢化の影響は全国的だからである。
だから市町村のダウンサイズ化,縮小化,コンパクト化を考える
またそうせざるをえなくなる,そうしないとインフラとか百倍もかかるとかなるからだ
そういう限界集落的な所はもう維持できない,それも税金になるので都会からそんなところに税金を使うなとなるからである。
自分としてはそうした地域の中の小さな地域でも人の暮らしがあり継続されてきたからあるべきだとなる,双葉町でも地区ごとに神楽がありその面が違っていたということでもわかるそういう狭い地域でも文化があり歴史が継続されてきたからである。
コンパクトタウンとかなるとそうした地域の中の地域性も失われるから多様性が失われるから文化的な面ではいいものではないのである。
ただ経済効率を考慮するとどうしてもコンパクト縮小化の街作りになってしまうのである




posted by 老鶯 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連