2018年03月10日

駅に表示された上り下りの番線はわかりやすい (民主主義はみんなの要望を代表者が伝えること)


駅に表示された上り下りの番線はわかりやすい

(民主主義はみんなの要望を代表者が伝えること)


timetable11.jpg
railwayss1.JPG

railwaysss345.JPG


駅で常に聞かれたのが仙台行きのホームと原町行きのホームである。
地元の人はそんなことわかりきったことである。
でもはじめての人などはわからなかった
それで最初に向こう側に渡る階段に表示してもらった
それでもわかりにくいと改札口に表示してもらいたいと
駅長に言ったら今回表示してもらった
その表示はわかりやすいものだった

何か要望がありそれを言わないと何もしてくれないのである。
その要望がわかったのは自分がいつもそこにいて案内していたからである。

それから一番要望が多かったのは時刻表なのである。
小さい時刻表は置いてあるがその字が小さいから見にくいのである。
それで自分で大きな時刻表を作って置いた
これは勝手に置くなということで撤去された
何かそれで聞かれると嫌だからという
駅を管理しているのはJRだからである。
それも一理あるが自分がしていることは常に無視されている
邪魔扱いなのである。

なぜそれが必要だと自分が思ったのか?
それは必ず毎日のように時刻表を見にくる人がいる
それは電車を利用してくる人いたり時間がわかる必要があるだ
ただJRでは小さな持ち歩きの時刻表は置いておく
でもそれが字が小さいので家に張っておくには大きな時刻表が必要なのである。

その要望はあるのだがではそれを自分だけでコピーして置くことはできない
一枚コピーすると十円かかるからである
それはJRに要求してもしない,すでに小さな持ち歩きの時刻表は出しているからそれでまにあわせろとなるからだ
ただ必ず駅に時刻表を見にくる人がいる
その人の数は本当に多いのである。
すでに自分が作った時刻表でも何百枚とかなっていたろう
でも置くことを拒否されたのでこれからは置かない
というより自分でも金がかかるから置きたくないとなっていた

ここで考えたのはこれだけ大きな時刻表が欲しいという要望がある
でもそれは個々人としてあっても全体として要望しないのである。
それを自分は駅にかかわり知っているからみんな欲しいとなれば
みんなで要望すればいいのである。
それが民主主義だなと思った
みんなの要望を聞きそれをしてくれる人に訴えることは民主主義の基本だなと思った
そういうことは別に駅だけではないあらゆるところにある
でもその要望をまとめて訴える人が代表者がいないと実現しない
その代表者となるのが議員とかなる
そういう仕組みが民主主義だなと思った

いづれにしろ仙台行きと原町行きが何番線かはわかりやすくなった
駅長にここに表示してもらいたいと自分が言ったとき
時刻表があり一番下に何番線とかでている
でもそんな小さなものを見る人はいないのである。
だから駅というのもその場にいないと何が必要なのかもわからないのである。
確かに自動化しているから地元の人はわかる
でも駅は外部からはじめて来る人も多いのである。
だからはじめてくる人は自動化してもわからなかったのである。
そこが自動化の盲点だったとなる
でも交通とかなるとはじめて来る人がいるからそのことに対して自動化しても対処できなかったとはなる,自動化は万能ではないのである。

そして駅はJRだけのものではない,広場とか待ち合わせとか交流するとか何か街とかかわり活かされる,その意識がJRに欠けている
ただ自動化して通りすぎるだけのものと考えているのだ
人へのサービスが抜け落ちているのがJRだったのである。
だから人のサービスなど考えないからこそ自動化をすすめているのである。

タグ:時刻表

一番の支援は町に人が住むこと (原発避難区域の復興)


一番の支援は町に人が住むこと

(原発避難区域の復興)


富岡町で帰ったのは450人くらである。でもショッピングモールとかができたから買い物はできる,その他の医療関係とかはできていない
そこで人をなんとか集める工夫が必要だと言う,クリエター系とかはパソコン一つで仕事ができるとか原発の廃炉作業員を住まわせるとか外国人でも呼び込んで観光地にするとか都会の老人を移住させて住まわせるかとの提案があった

つまり人が住まなければもう町自体維持できない状態に追い込まれているのである。
自分もそのことを思っていた,いろいろ外部から支援があった

一番の支援は何か

それは町に住んでもらうことである

これだと自分は思っていたのである。人が住んでくれないことにはどうにもならない
450人くらい帰ってどうするのだとなる
小高はそれでも3000人くらい帰ったからいい方なのかとなる
小高の有利な点は原町が近いから車があれば買い物でも何でも困らないのである。
原町は大きい街だから富岡とは違っていたのである。

外部から人を呼んで住んでくれといっても今の状態で町の人も帰りたくないのだから無理である
第一クリエター系というけどそういう人はしっかりと町に生活する人がありその上に存在できるものではないか?
クリエターだけの町とか老人だけの町とか観光地化して外国人だけの町とかなるとそんな街が成り立つのかという疑問もある
ただそれはそれで一つの提案であり何か模索せざるをえないのである。

まずいくら帰りたいといっても家を建てた人は帰らないことは確かである。
それは一つの大きな決断をしたのである。
そういう人達にまた帰ってもらいたいとはならないだろう。
7年もすぎた結果もう仕事をもち生活基盤を築いたとなれば帰らない
その中間で復興住宅とかに住んでいる人はまだ帰ることを模索しているが
実際は帰りたくないと言っている
一方で帰りたいというとき他に移り住んでも居心地が良くない
賠償金で暮らしていけるからいいねとか新しい家を建てたことで移り住んだところで軋轢が生まれる
それでナンバーを見て嫌がらせを受けたというのもわかる

何か今の世の中のことも影響している,金があれば何でもできる,いくら文句言っても金があれば家を建てることができる,第一家を建てているのは地元の大工に頼むわけでもないからである。大手の会社で家を組み立てるだけなのである。
だから地元の人に気を使う必要もないから家を建てられるのである。
ただ移り住んだ所にもコミニュティがありそこで軋轢が生まれる
つまり金が万能になったことでそうしたコミニュティとの軋轢が生まれる
金があればどこにでも住んでいいしそこで家を建てようが買い物でも金があれば何不自由ないとなる社会である。

だからこそ賠償金をもらっていち早く移り住んで家を建てたのである。
金はそもそもそうした人間のコミニュティを破壊するものとしてもあった
グローバル経済になって金だけが世界で通用してなんでもできるとなるとコミニュティも破壊されるのである。金が絶対になると暴力的になるのである。
いちいちコミニュティの許可など必要ないのである。
セキスイハウスでは69億円くらいだましとられても何の影響もない
一兆円産業になっている,それだけ住宅建設でもうけているのである

社会が広域社会になるとそもそもそうして一カ所に代々住むということがなくなる
この前駅であった人は陸前高田で働いて神戸に行くとか福岡に行くとか日本中飛び回って仕事していた,その人は沖縄の人だったのである。
仕事自体が広域化しているから一つの町だけで暮らすという社会ではなくなっいる
そういう社会の影響もあって逆に一つの町でも村でもコミニュティが崩壊しやすいということもあった
それもまたいい面と悪い面をもたらしたのである。

ただ移り住んだ人も苦労している,別な土地に溶け込む必要がある,それをうまくできる人とできない人もいる,何か仕事もしないでぶらぶらしているとあの人達は賠償金で遊んで暮らせるからいいねとかねたまれたりするから受け入れられない
ただ移り住んだ土地で何か貢献するもの仕事でもできる人は歓迎される
会津で職人の技を活かした人とか大工とかはスキルをもっているから歓迎される
農業でも土地を借りてしている人もいる
移り住んだ人は人で苦労していることになる

ともかく7年も過ぎたらもう帰る人とか帰らない人でも固定してしまったと思う
その中間で迷っている人も実際は帰らない方に傾いている
浪江とかに行くと帰りたくなくなるというのがわかる
駅前にも誰も住んでいない廃墟の街になってしまったからである。
あれを見たとき心もなえてしまう,でも人が住まない限り復興はない
その人がそこに住むことが最大の難関になっているから復興はむずかしいとなる

posted by 老鶯 at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連