2018年03月30日

風についての考察 (自然や風を感じなくなった現代人,文明人)


風についての考察

(自然や風を感じなくなった現代人,文明人)

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北風の吹くとき山を思いしも東風(こち)吹くときに海を思いぬ

山側の方まで東風が吹いてきたときは春を感じる,この辺では東風は海を意識する
でも阿武隈高原を越えると中通りになるがそこで東風が吹いている
でもその東風に海を意識するかとなるとしにくい
回りが山に囲まれているからだ
でも川俣の峠を越えた辺りでもビュビュー東風が吹いていた
これは福島市まで吹いて原発事故で放射性物質を運んで意識させられたのである。
まず福島市は盆地であり海を意識できない
この風は春になると吹く,3月11日にこの風が吹いたから不運だったのである。

つまりいくら科学時代でも技術が発達しても人間は自然の影響から逃れられないのである津波自体が自然にとっては定期的に起こるものなのである。
ただそのことを忘れていただけなのである。
おそらく科学技術が発達したことで人間は自然のことを実感として知らなくなったこともある
風の影響を受けずに船でも車でも飛行機でも動くからである。
山があればトンネルをほるし自然が障害にならないのである。
そこで自然に無感覚になる,人工的空間で生きることになる
そこに思わぬ落とし穴が待っているのである。

風土というとき風のことである。風が土地によって違ってくる
海側だと海から吹いてくる風が東風があり海を意識するが山だと意識しにくい

菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」

京都は盆地であるが東風が吹いたとき春を意識した,東山がありそこは海を意識するよりは朝日が上る方向として意識された,海は意識されないのである。

風を一番意識するのは船を操る漁師だったというのは当然である。風の影響をもろに受けるからである。それでいろいろな土地の風の名前が生まれた

伊勢で カウヤマ 吉田で ナライ
尾張 北ブキや いつも吹く

同じ風でも土地によって呼び名が違ってくる、カウヤマとは小山であり神山と柳田国男はしている,山から吹いてくる風としてとらいている,ナライとはナラスであり平地から吹いてくる風としての意識なのか?

お伊勢さがるは北のよの西よ,こちゃいなさはもどりの風

桑名四日市から神宮に参る海路は,北の様,すなわち北によった西風を帆に受けて大湊か神社(かみやひろ)の諸港に向かい、帰路は帰路は東風かイナサ風によったのである。

イナサは東南風でありそれは太平洋沿岸伝いに同じ呼び名だというのもやはり海洋民族として言葉を伝えた,それは同じ風が吹くからである。
日本海の風はまた違っているから別な呼び名になっている

ともかく船は風の影響が大きい,風を知らないと航海できないから風について敏感になる

風吹きて進まぬ自転車いづこかな我が旅路を思い出すかな

自転車は風に弱い,すすまなかなる,電動自転車だと風にも強い,その時は電動自転車はなかった、それで峠とか風には苦しんだのである。
今でも風吹くと自転車は出れなくなる

あいが吹かぬ荷が無うて来ぬか,ただしや新潟の川留めか

これもいかに風によって交通も妨げられたかを伝えるものである。川留めでもそうであるこの辺では津浪で新地から一部高架橋になった結果風の影響を受けるようになった
北風が毎日吹く季節がある,相馬の空っ風として有名である。
それで毎日のように電車が風で遅れて困る,一日運休にもなる
それを駅で見ていて経験しているから風の影響は電車でも受ける
電車は本当に風の影響を受けやすくなったのである。
ただバスはまだ原町から仙台まで出ている,バスは風の日も運行しているのである。

風はこうして生活の障害になるのだがまた風を感じることは自然を感じることなのである車では風をさえぎるから風を感じない,ということは自然を感じないのである。
すると旅しても風土を感じないから記憶にも残らないともなる

ともかく現代人は文明人は自然を感じる力がかえって減退している,それは科学技術にみな頼っているからである。みんな機械で計測しているからである。
風をじかに自然をじかに感じることが少ないのである。
旅をすれば方向が気になる,方向感覚がわからなくなる,それは近くでも飯館の山を越えてさまよったときもそうだった,山に入ると盆地だとどこでも山であり太陽が昇るのも山であり沈むのも山だからである。
海側に住んでいれば太陽が昇るのは東であり山側に西に太陽は没するからである。
だから地名の基本が方角地名、東西南北にある,方向がわからないとまず行く先もわからないからだ

航海民は草原とか砂漠で暮らす人達も方向が一番大事であり方向を見失うと死ぬことになる,それで北斗七星信仰が生まれた,それは妙見様であり野馬追いでも相馬藩でも信仰の対象になった,それは大陸からもたらされたものなのである。

自分は旅ばかりしてたから何か航海民とかに興味をもった,移動する民に興味をもった
ただ今になると旅することはしていない,何か体力的にできなくなったのである。
ただ思い出の旅をしているのである。

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人手不足時代のいい面 (もう物でも売れない,需要がない,無理やり売ることが害になる)


人手不足時代のいい面

(もう物でも売れない,需要がない,無理やり売ることが害になる)

警官まで募集しているのに来ないというのを福島のテレビで放送していた,それで警官になってもらうおうと誘っている警官がいた
いたるところで人手不足になる,それで待遇を良くしないと人が集まらない
時給でもそうだが働く環境でもそうである。

これは働く人にとってはいい時代になった,金がないと無理やりに嫌な会社でも働かざるを得ない,待遇が悪い会社はつぶれる,経営すらできなくなる
現実になっている,その方が労働環境としては正常だったのである。

そもそもなぜ人手不足になるのか?
それが若年世代が減少していることもある,それより何か人間は文明は無駄な労働が多すぎるのである。無駄なものを作りすぎている
その無駄なものを作るために労働させられている人が多すぎるのである。

そして物が売れないとか需要かない時代にもなっいてる,あらゆるものが売られていて売れない,それはもともと需要がないからである。
本当に需要がないものまで欲望を刺激させて宣伝で売るの資本主義である。
ところがそうして刺激しても物があふれているから売れないのである。
物は過剰であり何か特別欲しいものが少なくなった
物の飽和状態になっているからである。

そうして売れないからなんとか売ろうとする,医療関係だといらない薬を患者に買わせる本当はいらなくても病気には必要だとして薬を与える,そこで収入になる
そうして需要を医療関係者が作り出している時代である

そもそも医療関係ならかえって患者が少ないということは健康たからいいことなのである医者に来るということ薬を飲む人が多いはいうことは不健康な人が多いことだから好ましくないのである。
第一医者が病院がもうかるということはいいことではない,なぜならそれだけ患者が増えて病人が増えているからである。

例えば警官とかでも募集しても来ない,人気がないというのは悪いとは言えない
警官が増えることは犯罪などが増えているから必要になる
理想を言えば警官がいないということはいなくてもいい社会は最高にいい理想社会なのである。
兵隊もいない,役にたたない社会もそうである。戦争がない社会になっているのだからいい社会なのである。

なんか人間が無駄なことに労働を費やされている,そしてその無駄なことがただ無駄ならいい,害を及ぼすから怖いのである。
銀行員でもノルマを課せられているから詐欺的な投資信託をすすめる,するとそんな仕事をさせるなとなるが銀行がもうけるために生き残るためにそうしている
すると銀行員は害にもなるなとみるようになった

何かそうして無駄なことのために人は働かせられることが多いのだ
極端な例は兵器を作る会社でありそれは戦争がないと会社は継続できない,つぶれるのである。
アメリカの軍需産業は巨大でありアメリカの屋台骨のようになっている
すると怖いのは戦争しなければ武器でもミサイルでも弾薬でも戦闘機でも何の需要もなく金にならないとなり国で戦争してくれとなる
そのためにアメリカという国は政治を動かして戦争してきたと真顔で言われている

戦争という需要がなければ商売あがったりだと戦争してくれと政治家に頼んでいるとするとそんな会社があること自体がブラックであり無くすべきだとなる
何らかで無害にすべきだとなる
それは病院であれ医者であれ薬会社であれ患者がいなければ薬が売れなくて困るから病気をつくりだしてくれとまでなっていて一部は現実に実行されているのである。

自分は無用の用とか老子の思想に共鳴してきた,文明は新奇なものをいろいす作り出す,一番の味は無味の味であり水がいいというときもそうである。
様々なジュース類も実際は90パーセントは水が成分だからである。
ジュースでもいろいろ飲ませる工夫をするがそれによってまた労働が増えるのである。
そんなに多くの種類のジュースがそもそも必要なのかとなる

それも害にならなければいいが害になる食品だってある,それは無理やり需要を作り出して売っているからである。
そして売れなければ会社がやっていけないとなり躍起になる
ノルマを課して銀行でも投資信託を売らせるしどこでもノルマを課して売らせる
そうしなければ収入がなくなるからそうなる

だからこれだけもう物があふれた状態ではもう売れない,それが自然なのことなのであるもう物はいらないとなる,作る必要もないとなる
必要ないものを,作り出して無理やり売ること自体異常なのである。
少子高齢化でますます需要はなくなる,老人は消費するエネルギーがなくなっている
金をもっても消費できないのである。

老人が求めているのは物ではないからだ,人のあたかいサービスなのである。
それは物では金では計れないものでもある
AI化でも仕事がなくなる,機械がロボットが仕事をしてくれる,それで人手不足も補えるそれでベーッシクインカムが必要だと言われるようになった
これは夢物語かと思っていたがそれも社会の要請でそうなるかもしれない現実性を帯びてきた
なぜならみんなブラック会社では働きたくない,何か意義があることも価値あることを求めて働きたいとなっているからだ
だから人手不足で待遇が悪い会社は淘汰されてつぶれのはいいことだと労働者は言っているのである。

高度成長時代のように物がないときは売れるものが必要だった,今はなんでもあるのだから売れないというのも自然なのことなのである。
その方が正常であり売れるものを無理やり作りだしていることこそ異常だったのである。警官のなり手がないというときもそれは悪いことではない,警官になりたい人が多いということは兵士になりたいという人が多いのと同じである。
そういう仕事はなるべく少ない方がいいのである。
そういう人が増えることは社会が平和ではないということだからである。

要するに兵士とか警官とか医療関係でもそうしたものは少なければ少ないほど実際は平和ないい社会なのである。
需要を無理やり作り出す社会を見直すべきなのである。
そうなると景気が悪いからなんとかしようとする,GDPが減ると国力がなくなり日本は侵略される,だから経済成長はつづけるべきだというのもこれも戦争するためにそうしなければならないとしたら邪道である
戦争に備えなければならないという社会は平和がないからそうなっているのだ

ともかく現代は資本主義でも転換期なのである。
今までのような物を際限なく作り出すのも限界であり資本を無理やり投下して発展させるという思想も無理がある
世界的にも経済が限界にきている,それは悪いことではない,無限の際限のない経済発展とか成長はそもそも無理なのである
それは自然破壊につながり公害にもなるからだ

つまり資本主義でもそうだが社会全体が世界経済でも無限に成長と拡大とか目指す時代は終わったのである。
ローマ帝国は拡大の時代だったし大航海時代でもそうである。
これからは中世になるというのもそうである。中世は修道院にこもる内面化した閉鎖された世界で生きていた
そういう社会に変化してゆく,人間の内面の心の探求に変わってゆく
それは確かに老人はそう自然となってゆく,だから老人的志向であり問題があるというのもある,若者はそういう見方をしないうというのもわかる
ただ時代的にはどうしてもそうなっているしそれに適応しなければならなくなる
これ以上無理やり需要を喚起することは社会に害をもたらすからである

軍需産業→戦争起こして景気よくしてくれ
警官→犯罪者をふやしてくれ
医療関係→病人を増やしてくれ

こういうことは異常な世界である。そのことを二千年前に老子が指摘していたのである。無駄なことに人間の労力が費やされすぎているのである。
それは働く方でも強制されるからそうなる
でもベーシックインカムなどで働くことが強制されなければそうはならないかもしれないそれもまた理想論だから実際は矛盾が出てくるし失敗だったともなる
ただその時代に社会に適応したものがシステムでも何でも生まれてくる
軍需産業の会社が国に戦争してくれとロビー活動していることなど異常だからである。
戦争をなくすことはそうした軍需産業がなくなることなのである。

ただ人間の社会はそもそも戦争が作り出されたりナチスでもカルト教団でも必要ないものが無理やり作り出されて最悪の災禍をもたらしてきた
だからそうした害あるものがなくなることはない
かえってそうした害あるものによって滅びるともなる
宗教でも組織化すると利権団体化して社会に害悪をもたらすし現実にもたらしているのである。
それは宗教でもなんでもない,社会にとって必要でないものだか需要を作り出して利権化権力化しているのである。
もしかしたらこの地球にとって宇宙にとって人間存在そのものが害悪なのかもしれないということである。それは不必要なもの作り出すからである。
文明自体がそうだともなる,それは2000年前に老子が言ったことなのである。


posted by 老鶯 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年03月31日

国家は何のためにあるのか? (富裕層をまもるためにある?)


国家は何のためにあるのか?

(富裕層をまもるためにある?)

国家というのはなんのためにあるのか,国家とは何なのか?国家と民族は違うともいう。
日本の場合は国家と民族が一体化しているのは特異なのである。
大きな国家は様々な民族の集合体だからである。
ロシアでも中国でもアメリカでも多民族国家であり民族=国家ではない

国家の歴史をたどれば国家は軍人が作ったものである。
武力で作られたものである。奈良時代でも貴族は天皇守る兵士に由来していることでもわかる,天皇のために死ぬものとして守護するものとしてあった

海うみ行ゆかば 水み漬づく屍かばね
山やま行ゆかば 草くさ生むす屍かばね
大おほ君きみの 辺へにこそ死しなめ
かへりみはせじ
(長閑のどには死しなじ)

それは太平洋戦争でも日本を鼓舞するものしとて利用されたのである。
ただ天皇の場合は権力者とは違っている
ただ天皇でも支配階級側につくものであり守護するものを必要としていたのである。

人間はまず群れをなして生活する,村は群れるから名付けられたとすればそうである。
村というのは最初の国家だったのである。
人間が群れて存在するというときトーテムがあり猿族,犬族とかあり群れがそれぞれ分かれて暮らしていた,でもその群れ同士が何かの理由で狩猟していればその獲物の取り合いで争いになる
何かしたら人間には争いの種は尽きることがないのである。
犬猿の仲というがまさに猿族と犬族も人間になると争うのである。

資源とか財産とか富をめぐって争うのが一番人間では多い
丸森には名前のように豊富な森林資源がありそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いをしていたことは有名である。
そして入会権のある森林資源をめぐって戦国時代が生まれたという説もあながち否定できないのである。
木材資源がそれだけ大きな資源だったからである。
今なら石油資源をめぐって中東で熾烈な戦争があるのとにている
そういうことは人間社会である限り変わらずにある
そういう争いは変わらないからわかりやすいのである。

では兵士が国を作ったとして何を守ろうとしていたのか?
それは当時の支配層の富を守ろうとしていた
それはやはり土地であり森林資源であり何か財産となりうるものである。
そういうものを所有していることは奪われる対象になる
女性もまた略奪されることがあり守る必要がある
遊牧民社会ではそういうことは普通に行われていたからである。
羊でも常に奪われるし牛でも奪われる
つまり盗まれるということである。
財産をもつものは常に奪われるという危険がある
だからどうして財産を守るかが問題になる

個人的にも大金持ちになると都会では高い塀をめぐらしているとか今でもある
ブラジルとかメキシコとかでも大金持ちがいてその人たちは財産を守るために私兵を雇っているのである。そこは一つの小国家なのである。
大国家とはその小国家が発展したものなのである。
要するに財産をもつことはそれを奪われることが盗まれることが常に心配になるのだ
それを守るためにはどうするかが問題になり高い塀をめぐらしたり私兵を雇うことになるそれが国家のはじまりだともなる

貧民から国家は生まれないだろう,支配階級があり国家が生まれる
支配階級の富を守るために国家が生まれる,支配階級が財産を守るために軍隊を作るとなる
だから会津ではあれだけ白虎隊とか美化されているけど城の外に住んでいた人は全く城が萌えることで薩摩長州軍が侵略することでも無関心だったのである。
また庶民は被害をある程度はあったとしても受けなかった,殺されるとういことはなかった,それで会津が落城してなくなるときヤーヤー一揆が起きたのである。

農民、特に戦場にならなかった地域の人々にとっては、かねてからの重税や物産の専売制度による搾取に加え、藩主松平容保が京都守護職として上洛して以来、その経費を賄うために行われてきた増税に対する不満に一気に火をつけることになった。9月22日(1868年11月6日)、会津藩が明治政府に降伏すると、たちまち藩政崩壊による権力の空白状態に乗じた民衆蜂起が勃発した
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かえって城の落城を喜んでいた,これこそ重税とかの日頃の恨みを晴らす機会ととらえていたのである。
貧民と金持ちの関係も同じである。支配者が金持ちが弱体化するとそれが狙い目となり責めてくる,日頃の不満が一気に爆発する,これが人間の歴史の真実でもあった
だから会津武士道とか美化する一方なのもどうかなと思う
回りの庶民にとって武士道など関係なかったのである。
ただ重税にあえいでいたからその負担を減らすために好機となり一揆を起こしたのである
では日本の戦争ではなぜあれほど国家に忠誠を三百万人も犠牲になったのか?
それはただ日本の財産を守るためだけではないとうことは言える
なぜならそこには膨大な貧民が兵士として参戦していたからである。
江戸時代までは貴族を守るための軍隊であり国民の軍隊ではなかったからである。

ただ基本的には支配階級の財産を守るために国家が生まれる
太宰治の家は大地主だった,それで小作から搾取していたので小作の反乱を恐れていた
それで警官に金をやり高いレンガの塀を作って反乱して攻めてくることに備えていたのである。富裕層は財産を守るためにそうするのである。

中国でも共産党の幹部は莫大な富を貯えた,するとどうしてその財産を守るのかと心配する,だから海外に金をもちだすための算段をしている
支配階級もまた膨大な貧民の反乱を恐れているのである。
現実に膨大な反乱暴動は小規模でも起きている,それが報道されないだけだとなる
中国がネットげて盛んに分裂すると言われるのも今度は利権争いであり軍区で争うことになる,軍人が共産党では最大の権力なのである。
軍隊はそもそもそうした支配階級の財産を守るためにあるのが基本である。
だから支配階級に雇われる,でもやがて軍人が事実上の権力をもつとういことで支配者になる,それが共産党では露骨なのである。
共産主義が平等を目指していても極端な格差社会になった

人間の心理として一旦富をもつと金でも減らしたくないのである。
そういう心理が働く,それは例えは一億円もっていても十億円もっていても減らしたくないということでは同じなのである。
だから金を持っている老人でも減らしたくない,今利子がつかないから使わないとなる
ただ老人の金は増えることはない減るだけだからである。
それで老人は消費しないのである。
そんなこと贅沢だというときそれが人間の心理なのである。
財産があれば富を守りたいとなる,それで保守化するのである。
だから革命というとき明治維新でもそうだが支配階級は保守になる
侍でも下級武士がいてその人たちは貧乏だったのである。
だから明治維新では下級武士が革命を起こしたのである。
殿様とかは今の地位を守りたいとなるからそなん革命は起こし得ないのである。

「たとえ政権の正当性が全住民に浸透していなくても,体制そのものに結びつくエリートたち,とりわけ支配政党や軍隊や警察などの強圧権力を一手ににぎっているエリートたちのところでその正当性がゆらぎはじめないかぎり,その政権は危機に陥ることはない
政権をうまく機能させてゆくにはこれらエリートたち団結が不可欠でありそして独裁制度における正統性の危機というのはこのエリート集団内の危機にほかならない」
(歴史の終わり、フランシスフクヤマ)

こういうことは中国で起きている,軍区のエリートたちが分裂して反乱する危機にある
共産党の政権の権力は軍隊に支えられているからだ
選挙もないから軍隊の力関係によって権力の行方が決められるのである。
それは内戦でしか決着がつかないともなるのである。