2018年03月12日

大規模公共事業としての復興の失敗 (ハードからソフトの時代に変わっていた)


大規模公共事業としての復興の失敗

(ハードからソフトの時代に変わっていた)

誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗

津浪の跡が盛り土とかして高台を作る,高い防潮堤を作る,高台に移転させるとか大規模な公共事業となった、でもそうしているうちに人が流出してそこに住まない
区画整理して人を住まわせようとしたが家が建たない,若い人は流出した
第一商売するにも人がいないのだから商売にならない
女川でも地元の人より外から人が買っている,それは限界が来るし来ている
商売でも買う人が消費する人がいないと成り立たない,その人がいなくなった
残ったのは老人だけだとなる
小高の女性が言っていたけど自分は死ぬことを考えるんだというのもわかる
そういう老人が復興の担い手になれない

そして津浪の被害地にも復興団地が建ったがここは老人ホームだよと言っていた
老人の街であり街自体老人ホームになっている,そこで復興があるだろうか?
少子高齢化でありそこで復興は何かそうした大規模な公共事業のようなものをすることが住民に良く働かなかった
仮設暮らしのときは自治体の職員が回ってきて心配してくれた
でも復興団地に入ったらそれもなくなっ
つまり住む場所を与えたらあとは自治体でも政府でもめんどうみないとなった
それで仮設で暮らした人がおばしちゃんがみんな近くにいて仲良くなって楽しいと言っていた,それからボランティアも絶えず来ていたのでそれで気分良くしていたのである。
だから老人にとって仮設というのは長屋のようになり親しくなる装置でもあった
だから狭いということがあってもそれがそれほど悪いものでもなかったのである。
そこに何か現代の老人問題を考えるヒントがあった
老人の孤立化などが良く言われるが仮設暮らしだとそういうこともなかったのである。
みんな気遣いあっていた,だから一人暮らしの人は喜んでいたのである。
現代は人々が孤立しやすい生活をしているし老人は特にそうなりやすい社会になっていたからである。
復興団地では何か仮設のような人とのつながりがもてない,孤立化しやすく孤独死にもなる,それは神戸地震でもそうだった

要するに民主党のときコンクリートから人へという政策の変換をした,実はこれも問題があったのだがまた公共事業的なものを津浪の被害地にもちこんだのが失敗の原因だった
箱物を作ってもそこに暮らしがない,高台を作り整地しても人が住まない
学校を作っても生徒がいないとかなる
道路を作り高台を作り復興団地を作れば復興するということではなかった
コンクリートばかり考えて人がぬけていたのである。
人へサービスするという観点がぬけていた,それはJRでもそうである。
ただ人を物のように考えて輸送する移動させればいいというだけである。
人へのサービスは欠けている
そこに住む人が望むことと上から大規模な公共事業をするのとは違っている
そうして工事している間には若い人は流出したのである。
それまで待てなかったこともある

というのは3年が限度だというとき農家の人が3年農作業でもしていなと体がなまってできなくなると言っていたからだ
3年過ぎた時点で復興の基礎ができなかったらもう人は流出してゆく
そして他で生活基盤を築くから帰ってこないのである。
盛り土して高台を作り防潮堤を作り復興団地を作っても整地された所に人が住まず空き地だらけになっている
だからコンパクタウンの考えが必要だったという人も今になるといる
元の街の規模の復興は無理だったとなる
小規模の縮小した街を早いときから作り住まわせることが良かったのである。

日本は自然災害が多いのだが自然の恵みも多い,だから災害とも共存すべきだという考えが正しかったともなる
あれだけ大規模な事業をしても徒労だったともなる,肝心の人が住んでいないからである
時代的にもハードの時代は終わりソフトの時代になっていた,それはコンクリートから人へということでありハード面としてはインフラの整備ではない,大規模公共事業ではない志向が必要な時代になっていた,それは津浪の復興のことでも言えたが旧来の方法でしたから失敗したともなる
やはりその時の時代時代でそれに適応したものをしないと失敗するとなる
大規模公共事業として人を住まわせるよりその前に人が小規模でも簡易的にも住まわせる必要があった,だから意外と仮設商店街とか仮設として街を復興してそれから街を拡大してゆくという方法もあった,最初からあれだけの大規模な公共事業となると時間がかかりすぎたのである。
そして3年が限度だというときその時間もすぐに過ぎてしまったのである。

タグ:復興の失敗
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ICE FOREST

ICE FOREST


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春の川(春らしい一日)


春の川(春らしい一日)


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誰か来る駅に待つかな春の雲

我が一人黙深くして梅におふ

夕空に一番星や春来る

一番星希望の星や春来る

春満月二度ほど我が家のぞくかな

水豊か流れてここに猫柳ありしを知るやまた来なんかな

春光の流るる川面にきらめき反射して
白鷺のゆくりかに舞いおりぬ
その優雅さやまた舞い去りぬ
桜はふふみ我が歩む土手の道
故郷のこの道にまた花は咲きなむ

自分はふいっと旅に出ていた,そういうときは恵まれていた
その旅ができたのも家に待っている家族がいたからである。
それがいなくなると何か家を空けると不安になるのだ
別に旅はできるのだが家を空けることが不安になる
火事でも起きないとかも不安になる
盗まれるのではないかとも不安になる
だから何か一人暮らしというのは自由があるようでなかった
何か旅に出にくいということがある
だから今は逆に駅で誰が来るのか待っているだけだとなるのも不思議である。
待つ人がいて旅にもでるとなる

今日は春めいていた,河原を歩くのは気持ちがいい,流れる川の面が春の光りにかがやいている,桜もふふみネコヤナギもあった,徐々にふくらんでくる
この辺では川の土手の道が散歩には一番いい
あそこには鷺の巣があり群れて眠る,なんか飛んで行きたくなる季節である。
ただなんか自転車でも腰いたいと筋肉が痛くなる
遠くに行きづらい,なんか近くを散歩するだけくらいになると行動範囲が狭くなる
でも近くに自然があるから気持ちいいとなる

雨がふったので水は豊かに流れている,今日は春になってきた
なんかだんだん遠くには行かず近くが生活範囲になるのかもしれない
それは介護十年ですでにそうなっていたのである。

一番星がきらめいたから何かこれも春らしかった,何か希望の星という感じになる
希望の星が新たな星が現れともなる
春満月がのぞいていたが月が変化するのは早い,ともかく春らしい日だった


タグ:春の川

2018年03月13日

ベトナム人のIT人材を求める (日本人が後進国に追いつかれてゆく)


ベトナム人のIT人材を求める

(日本人が後進国に追いつかれてゆく)

大学の空洞化が静かに進んでいる。さまざまな世界ランキングでも、軒並み地盤沈下する日本の大学。東京大学はもう眼中にない。そう言い切る高校生も増えている。将来を担う若者に対する教育の劣化は、日本にとって致命傷となりかねない。大学改革は今度こそ離陸するのか。

「やっぱりベトナムの大学かな。技術者の人材の取りあいだよ」。アジア各国で、大学のレベル向上が目立つ国はどこか。日本のIT(情報技術)企業の人事担当者に聞いたところ、こんな答えが返ってきた。別の人材系企業の担当者も「ベトナムの人材は優秀」と同様の意見だった。

テレビでハノイ工科大学の学生をIT人材として採用する,それでベトナムでリクルートに会社が行く,その受け答えはすでに日本語でしている
日本語を勉強させる仕組みができている
ハノイ工科大学はベトナムで一番優秀な人が学んでいる
その学生は日本の会社で働きたいという意欲が強い
なぜなら給料でも六倍になるという,まだベトナムとは為替差が大きいからかつての中国とにている,中国はもうIT分野で日本より進んでいる
新幹線ももは満州のハルピンまできていると自分の町の男性が嫁いだ女性の故郷に行って教えてくれた

ベトナムからはここでも働いているしそれでかつての中国と同じように犯罪が増えている中国に代わりベトナム人になった
ただそうした単純労働者ではない,将来の技術者も少数でも日本に来ている
ベトナム人は日本人より向上心とかが強い,また発展途上だから上昇志向が強い
そこが日本人とは違う,そしてグローバル社会ではこうして頭脳が世界的に流出する
移動する、それでアメリカでは世界から頭脳を集めてIT大国となったのである。
グローバル社会とは物だけが自由に行き来しているのではない
人間の頭脳を流出する,日本でも優秀な人はアメリカに行くとなる
それは積極的にそうした人材を受け入れるからである。

ベトナム人とネバール人もIT人材として日本の会社が求めているという
なぜネパールなのか?それが解せなかったがネパールはインドなんだよというとき納得した
ネパールは文化的にはインドなのである。ヒンズー教だし経済的にインドの影響が大きいのである。物でもインドから入ってくる,出稼ぎでもインドに行く
インドから卵が入ってくるとか言っていた
そしてインドはゼロを発明したように数学が優れているからITに向いている
そのことはネパールに旅行したのでそうなのかと実感したのである。
だから世界でもその場に行かないとわからないのである。
ネパール人も日本に単純労働者も出稼ぎに来ている
英語ができるからベトナム人とは違っているのである
ベトナム人も日本語熱になるのは給料が高い日本の会社に入りたいからである。

文科系でも日本語ができれば日本語を学ぶ
ということは英語を学ぶというとき英語で仕事ができて給料が高くなるから学ぶということであり別にそれは日本語でも良かったのである。
英語の言葉が別に優れいてるからそうなっていたのではないのである。
欧米が世界を支配したからそうなっていたのである
日本人でも明治の時はそうだった,英語を学びヨーロッパに必死になって追いつこうとしていた
それで留学した学生が英語ができないと悲観して自殺したとかある
それだけ英語を学ぶのでも必死だったのである。
それは今ベトナム人が日本語を学ぶのとにているのである。
つまり文明度文化度が高ければその国の言葉を学ぼうとするのとにている
とにかく明治の時日本人の向上心は高かったから今日の発展があった

いづれにしろグローバル経済というとき人でも物でも自由に流通する
それを否定してナショナル経済にもどる,それは単純労働者が流入すること移民することで抵抗がありそうなった
でもそうした優秀な頭脳は日本でも歓迎だしどこでも歓迎なのである。
そうすれば国の発展に役立つからである。
グローバル社会とは知能とか頭脳のグローバルでもある,これはさけられないのである。そうしなければ世界から遅れてしまうからである。
自分がしている抽象画もグローバル社会でしている
やはりITを活用して生まれているからだ,それで定期的にアメリカなどの人が見ているのである。芸術の世界でもグローバル化するのである。


こうして日本は今成熟社会となり少子高齢化となり高度成長時代も終わり停滞している
まずそうしたベトナム人と日本人と比べた場合,その意欲とか向上心とか上昇志向が違う何か日本人はそうしたものを高度成長時代にもっていたものが失われた
非正規とかニートとかが普通にいてそういう人達は向上心もなにもないのである。
そこでグローバル化の競争にさらされて世界が格差社会になるとき日本は後進国においつかれ日本自体が今度は後進国になってゆく
会社の経営はすでに中国人ににぎられ日本人はIT分野で下請けになるとか逆の現象が起きてくるとなる
中国人もやはり向上心が強かったからである。

だから日本はそういう面でも危機であり将来的に後進国に追いつかれる,中国には追いつかれている,するとどうなるのか?
衰退国家になり中国などの従属国家になってゆく,
まず日本人には若者でもベトナム人のような強い向上心とか上昇志向がないからである。そうした意欲がない,成熟社会になるとそうなる
そしてベトナム人は大学の先生からして40代とか若いし若い人が多いのである
日本は少子高齢化だからますます停滞してゆく,向上心がない社会になっている
東日本震災でも復興できないのは少子高齢化のためである。
老人だけが残り復興できないのである。この差も大きいと思った
高度成長時代は子供の数も膨大だし若い人たちの社会だったのである。
そういう社会はどうしても向上心とか上昇志向が強い社会になる

少子高齢化社会は老人社会である,ただ見方を変えれば成熟社会としての良さはでてくるでも全体的にグローバル化した社会では日本は取り残されて停滞して衰退して
後進国に格下げになる,すでになっている
貧困化しているのがそうである。
世界が格差社会になっているというとき世界で頭脳でも競争しているからそうなる
そういう競争から遅れをとったら格差は拡大して日本がさらに貧困化して
遂に中国のようにまた東南アジアから追いつかれぬかれてしまうことになる
そういう危機感をもたないと日本はいつのまにか後進国となり貧困化して世界から取り残されてしまう,その時国防でも中国においぬかれ従属国家となる危機なのである。
ただ日本はそうした危機感をもっている人は少ない
それは高度成長時代での成功体験があり向上心を失っているからである。

posted by 老鶯 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

籠池問題で偏るマスコミの報道 (右に偏り左に偏る,バランスを計り見るのが大事)


籠池問題で偏るマスコミの報道

(右に偏り左に偏る,バランスを計り見るのが大事)


籠池問題は何なのか?わけわからなくなってきた
マスコミの報道だと籠池が一方的に悪く阿部首相が悪いとして追い詰めていた
マスコミがここだとたたみかけてきて政権打倒だと盛り上がった
でも今度は辻本清美が関西生コンとかと結びついて実は工作していたとか
民進党時代には公園の土地に金をつぎこんでいた
その額の方が大きく・・・学園はそこはゴミの廃棄場を学校にするのだから
回りの人たちにとってもいいことであるという
それよりもっと多くの金が民進党の時代に民主党の時代につぎこまれていた
辻本清美は関西生コンとつながりまた北朝鮮に通じてミサイルの資金として提供していたとかなる

それで公安なのか検察が捜査に入ったというのも驚きである。
なぜなら籠池問題では一方的に阿部首相が悪い悪いと野党側が追及してきたからである。何かこれは江戸時代の時代劇のように悪代官の阿部首相をこらしめろとなる

阿部首相が悪い
阿部首相が悪い
阿部首相が悪い
・・・・・・・

阿部首相は悪くない

こうしたマスコミの報道は何か真実より大衆に暗示をかけるものになる
その真実とか細かい事実とかを大衆はめんどうだから調べたりしないからである。
だからマスコミでは大衆に暗示をかけるように何度も同じことを言いそれを見ていると
なんだ阿部首相は悪い奴だとなり怒りにもなり政権打倒へと導く

ただこれは別にここで左翼系がマスコミを支配しているから一方的に阿部首相攻撃になるとか言う,でも逆に右翼系が一方的な報道になる

原発は安全だ
原発は安全だ
原発は安全だ
・・・・・
原発は安全でない

こうして安全神話が作られていたので原発が危険だという左翼系の学者は危険人物とされたしまて地元でも危険じゃないのかと言うこともできないでいた
なぜなら多額の交付金とか入り原発で働く人も多いからそうなっていた
本当にふりかえると報道はどっちにしろ左にしろ右にしろ偏るのである。

常磐線を浪江から富岡までを復旧するな,労働者を放射能汚染させるな,また車両点検で仕事が増えるとか汚染された町に住まわせるな,人のいないところに電車を通しても無駄と動労が前の国鉄の組合員が浪江駅が開通するとき騒いでいたのである。
でもそれはマスコミではテレビでは報道していないがわずかに開通の日に反対する人がいたのである。その騒ぎがテレビの画面に音声だけでも入ってきて
あれ,常磐線開通に反対していた人がいたというのに気づいてネットで調べるとそのことが出ていた,ネットにはどちらの意見も両方出ているのである。
マスコミは一方的になるのである。

もとかく報道はかたよる,籠池問題でも偏っていた,野党側の一方的追及に偏っていたのである。それで逆に今度は野党側の民進党の辻本議員が攻撃されるようになった
そこには裏があり辻本議員は籠池問題に深くかかわる人物だったのである。
つまり追及される側の人物だったということになりをとなっているんだとなる
報道は必ず偏って報道される,なぜなら報道する人が偏っているからである。
マスコミは左翼系が多いというとき偏る
でもまた右翼系でも偏るのである。原発は右翼系であり「安全神話」が作られた
だから武田邦彦氏は私は右翼でも左翼でもない,原発には反対だけど左翼ではない
でも原発に反対しないと左翼系の人は受け入れてくれないという
自分も別に右翼でも左翼でもない,ただ原発はなくした方がいいと思う
それはこの辺でこれだけの被害があったらみんな原発はいらないとなる
それは当たり前のことである,でも前の桜井市長が左翼系で原発反対でまた市長になろうとしたときそれだけの主張で市長になるのはまた納得いかなかった
それはこの辺では当たり前のことになっていたからである。

とにかく報道が偏るのはマスコミの場合はみんな左翼系だからそうなる
でも原発に関しては右翼系になっていた,だからこそ「安全神話」が作られた
朝日新聞でも安全神話に加担していたのである。
それは宣伝費を電事連からもらっていたからである。その額が800億円とかとてつもないものだったのである。
そして朝日新聞社をはじめ全部のマスコミの人が東電で中国に招待されていたとき原発事故が起きたのも皮肉だったのである。

インターネットでこの偏った報道は是正されつつある,でもマスコミの力はまだ強い
現実に関西ナマコン会社に検察の捜査が入ったということは報道されないのである。
報道されなければそれは社会に知らされないのだから知り得ようがないとなる
でもネットで騒いでいたので何だろうとyoutubeを見たら報道していたのである。
これは重大事件であ報道しないということはそれを無きものにしようとマスコミはしているのである。
報道の自由とういけどそれがマスコミにはない,ネットにはある
ただネットでも偏ることはあるがどっちも報道するので偏らない方だとはなる

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2018年03月14日

春の日にロードで走る(自転車談義)


春の日にロードで走る(自転車談義)

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これはいい庭である。,これだけの庭を造るには相当金もかかった
大きな石はなく同じような大きさの石を丁寧に組んで作ったという感じだ


ところえて組まれし石の数十個作りし庭や春の日暮れぬ

一本のすぐたつ銀杏枯れにつつ長くもここに立ちにけるかな

雲雀鳴く声のひびきつ軽やかにロードの走るふるさとの道

春風にロードに走る早きかないづこへ気ままにわがめぐるかな

山鳩の今日も来たりて梅におふつつがなき日のもどるにしあらむ


今日は本当に春だった,あたたかい風が吹いてきた,それでロードで走る
ロードは早いから気持ちがいい,ただこれは早いので危険になる
慣れた道なら飛ばしてもいいが慣れない道だと危険になる
ロードがありクロスバイクがありマウンテンバイクがある
ロードはなにか短距離に向いていた
長距離だと坂を上るのがやはりきつい,それでクロスバイクの電動自転車を買おうかと思った,クロスバイクは何かわからなかった
自転車には長く乗っているけどメカのことはわからなかった

自転車はやはり技術的課題としては同じなのかもしれない,材質によって性能が違ってくる
鉄よりアルミニウムがいいしアルミニウムよりカーボンがさらにいい
軽くなるからだ,この材質の問題は車でも飛行機でも何でも同じである。
それから車の構造とか作り方とかも乗り心地に関係している
安い製品はそれなりのものであり高い製品は部品でも材質でも構造でもしっかり作られている,自転車は値段相応なのである。

電動自転車でE=bikeとかがブームなのだろう,最初に出したヤマハのJPYはロードで電動自転車にしたが16キロとか軽いのである。その軽さが軽快に走るようにできている
これは別に電動自転車ではなくてもロードとして走れるのである。
そういうふうに作られている優れたものだった
ただロードはドロップハンドルでありブレーキを急にできないということがある
何かそれで怖いというものを感じた
慣れた道ならいいが知らない道だと危険になる、曲がって突然に車に出くわしたりするからである。その時急ブレーキをかけられないのである。

その点クロスバイクはブレーキをかけやすい,ただこれは乗ってみないからわからない
一応遅かったが自転車はいろいろ乗った,今になると体力がなくなったから長距離は無理でもクロスバイクに乗ってみたい,それなりの遠出はできるだろう。
ロードは近間でスピードを出すと気持ちがいい,でも坂はすぐバッテリーが切れるので無理である。
ミヤタのクルーズは30万とかするが6月に出るヤマハのはさらに3万以上高いから比べると高いとは言えない
最後の仕上げがこのクロスバイクかもしれない,いづれ後は乗れなくなる

とにかく春になると遠くに行きたくなる,体も動きやすくなった
冬は自転車は風とか寒くて動けなかった
ロードは早くて気持ちいいが遠くになると坂あるので体力がないので行けない
金の問題もあるが年になると体力との相談になるのだ
激しい運動は若いときしないとあとはできない
そして自転車の旅でも旅は長距離をすることである。
そうするとそれが印象に残る,電車の旅だと地点地点の旅であり連続しないからだ
長い距離をとにかく走破することが旅を達成することなのである。
それはあとあとまで達成感として残るのである。

今年は平和な日常がもどってきたのかもしれない,30年間ほどは平和がつづいた
それがここ十年は介護で心身ともに疲れた
自分の家に来たのは金を求めて漁るハイエナの群れだった
それで金は大分使った,ともかく春の穏やかな一日だった

2018年03月15日

関西生コン家宅捜索・ユニオンの闇と、北朝鮮の影。一部野党に激震か? (マスコミで報道しない,もう信用できない)


関西生コン家宅捜索・ユニオンの闇と、北朝鮮の影。一部野党に激震か?

(マスコミで報道しない,もう信用できない)

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このことが報道されないのはおかしい,マスコミはなぜ黙っているのか?
これが重大な問題でてある。
それは国事にかかわることであり芸能ニュースとは違う
国民も関心をもつべきものだからである。

政治とかになかなか関心もてないが北朝鮮もかかわるから国民に関心をもたせるべきなのである。
これを報道しないマスコミはもう国事にかかわる重要なことも報道しない
もうマスコミはこれで信用できないとなる

それは原発でもあった,中で何が起きていても報道されない
そのうち大事故となり国民に知らされることになる
北朝鮮で核開発していてそのミサイルが打ち込まれても報道されないことで日本人が危機感をもたないからそうなる

別に自分は右でも左でもない
これはただ事実だけを報道しろというのは正論なのである。
その事実がマスコミでは報道されないのである。

でもネットをしている人はみんな見ている
今最大の話題なのである。
それはただ芸能ニュースとは違う,国事のことでありこれを報道しないことは
もう報道の役割を放棄したとなる

つまりなぜこれを報道しないのか?

その理由を問いつめるべきである。マスコミはもう報道機関としての役目を放棄した
それはそれでいいとしてただの芸能ニュースとかゴシップとかしか扱わない

国事とか重要ニュースは報道しない

そういうものとして見るべきでありむしろ重大ニュースは国事にかかわる国民のためのニュースはネットで知るべきだとなる
ただヤホーでも報道しないとなるからそうした報道機関も信用できないとなる
ただ自民党側が今籠池問題で追及されているから議員でもとりあげている
そこに偏りがあっても信用できる
別に左翼でもネットだと自由に報道できるから公平だとなる

これでマスコミの報道機関としての信用は墜ちた

重大なことを報道しないことで信用できなとなった,50万人とが閲覧しているからそれなりの影響力はある,youtubeは政治でもわかりやすいから見ている人が増えている
自分も最近見はじめたのである。

posted by 老鶯 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年03月16日

brain of woman

brain of woman


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新しいソフトを試しに使ったらこれができた,これは自分でソフトを試しに使っていたら偶然にできた
ソフトによってできるものが違ってくる,ソフトに影響されるしいかにソフトを使いこなすことができるかで抽象画の世界は広がる

I could do this if I used the new software to try it, this was made by chance if I used the software for my own test
Abstract painting world spread with how software can make different things, how software can be affected and how to use software

雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)


雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)

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新田川瀬音に岸の樹々芽吹く

走り去るあとにひびきぬ雲雀の声

坂を越えて大きく迫る春の山


ふんぷんと梅の香りの放たれる一日田舎をめぐり走りぬ


ヤマハのYPJ-Rは優れものだった,なぜだったのか?
車体が軽いことである。
16キロとかなると相当に軽い,それで電動自転車なのだけどバッテリー500グラムで軽い
他は3キロとか重すぎるのである。

それで悩んでいた人がいた,その自転車を改造してバッテリーを別な大容量のものにしていた,それは自転車屋でしていたのである。
とても坂は上れない,すぐにバッテリーが切れてしまうからである。
そこが最大の弱点であったからだ
それから自転車を軽くするために部品を改造することもしていた
自転車はいかに軽くするかが問題である。軽いと軽快に走る,でも電動自転車だと重くなるからだ

自転車は技術的にもやはり他の機械と車とかとも同じ問題をかかえている

●軽くすること→スピードがでる
●構造的にしっかり作られていること
●バッテリーをを長持ちさせること

自転車が軽いと軽快に走る,それを追及したのがロードである。ヤマハのYPJ-Rは軽いことと構造的にもしっかり作られている
ただバッテリーがあまりにも少なすぎるのである。だから長距離になるとかえって坂があるから疲れるとなる,ただ平地がつづけばこれは楽なのである。
日本では山が多く坂がありすぎるので自転車が使いにくい
オランダなどは坂が全くない,フランスでもドイツでも坂がない広い平坦な地がつづくのである。

長距離になるとこの年でできるのかとなる?
なぜなら筋肉が痛くなるし疲れる,でもしている人はいる
ただ坂が鬼門なのである。
それで今度はクロスバイクを買おうとした,ただミヤタのいいとして田舎では買えないものだった,販売店がなかったのである。
最近はミヤタは販売していない店が多くなったらしい
何か金融商品でも田舎では老人向きのがなく投資信託など銀行がもうかるのもすすめられた,そういう点で田舎は技術的な面でも遅れるのである。
なんでも通販で買えるというが通販では買えないものがあると思った

ともかく相当に自転車に乗ったが自転車のメカについてはわからなかった,自分はメカとかに弱い,それでロードも知らなかったしクロスバイクも知らなかった
ただ自転車は走ればいいと思っていたのである。
ただ坂がいやなので電動自転車を使うようになった
シニア向きに電動自転車が普及した面もある
30万とかで売り出しているのもそうである。
それだけの金をかけるとなるとなかなかできないだろう。
ただ車をもっいればいい車が欲しくなるのと同じで自転車もそうなのである。

自転車の醍醐味はロードにある,走りが全然違うからである。
でも荷物も乗せられないしドロップハンドルだと急にブレーキをかけられないスピードが出るから危険なのである。
坂で一回とめられず転んだのもそうである。そのまま転倒しないと坂をとめれずに下るから死ぬことにもなる,そういう危険なものである。

それで今度はクロスバイクを買おうとしたがいいものが見つからなかった
ヤマハのは30万以上で6月にはでる,でも重さは変わりないみたいだ
どうしてもバッテリーが重くなるからである
ただ30万クラスだとかなり使えるものになる

自転車のいいの自然と一体化することである。
この俳句も自転車で乗ってイメージして作っているし自転車に乗って俳句でも短歌でも作りやすいのである。
それは自然と一体化するからである。
ただこの年になると体がきついなと思う,でもそもそも長寿化社会,人生百年とかなると何か年齢についてこだわることは間違っているのだろう
確かにもう死んでもいい年でも今はそうでもないのだろう
年の感覚は人によって違うが今までの年の感覚ではなくなっている
だからまだ自転車でもロードでも乗り遠く行けるのかとも思う
40キロくらいなら普通に今でも行けるだろう,それこを越えると相当に厳しいなとも思う

ともかくも春なので運動しやすくなった,体を筋肉を鍛えればまた回復するかもしれない,新田川は浅瀬の川であり瀬音が常にしている川なのである。
これは真野川とかと違う川なのである。広瀬川も瀬音ゆかしきとあり瀬音がする街中の川である。川にも特徴がある
こうして音を聞いたり風に吹かれたりするのが自転車であり車ではできないのである
そのために自分はこれまで遂に死ぬまで自転車に乗っていたとなる
自転車人生だったともなってしまったのである。

タグ:雲雀 ロード

グローバル経済の格差から起きた残酷な事件 (国と国の格差が大きくなり起きた事件)


グローバル経済の格差から起きた残酷な事件

(国と国の格差が大きくなり起きた事件)


フィリピン妻は結婚できない中年男を幸せにするか? 奇跡の婚活、夢の果てに=
鈴木傾城


この話はグローバル経済を象徴したものなのだろう。資本主義社会を象徴したものなのだろう。
それが余りにも露骨に残酷に現れたのである。
そこには何の愛情もなかった,ただ金が目的であり最後は金のために殺したのである。
その殺された人間もあわれであるが女性を金で買えるとした社会にも問題がある
グローバル経済では後進国と先進国の為替の差がまだ十倍とかある国がある
フィリンピンとかカンボジアとかがそうである。
カンボジアでは若い女性でも5ドルで売春されているとか安い
その女性にしても眼中には金しかないのである。

日本人の50代の男性もあわれだがもともと金で女性を買おうとしたことに間違いあった
だからその男性も悪いとなる
そしてグローバル経済の格差の中で生きているとこうしたことが露骨に現れる
その女性も金で殺し屋を雇い殺したのだから金がすべてだとなる

こんなことが起きるのはグローバル経済では露骨に国と国の為替が大きいとそうなるからである。
それは国内でも起きる,金持ちの家に今の貧乏人が家政婦であれ家に入ればその暮らしの差が歴然として露骨になるからだ
するともう労働するよりなぜこの家ではこんなに裕福なのだとなりなぜ自分はこの家で働かせられているのだとなる
そして盗みとか犯罪になりやすいのである。

この女性もまた相手が求めたきたものを金をもらい与える,しかし逆に金をとればあとは関係ないとして金で雇った殺し屋に殺させる
そこには非情な金の関係しかないのである。
人間の関係は金しかない、金の切れ目が縁の切れ目である
それを自分も介護十年で自分の病気でも経験した
借金で苦しむ人に殺されようとしたからである。
自分が弱ったとき金を要求する,そして死んだ方がいいとさえ思うようになっていたのである。
すでに心で人を殺していたのである。保険金殺人のようになる
そういうことは遺産相続で普通に起きていることである。

格差社会というときこういうふうに余りにも差があるときもう善悪の問題ではなく犯罪は起こる
江戸時代は身分社会だけど侍が特別贅沢していない,庶民と比べてそんなに贅沢していない,だからフランスのように貴族階級に対しての革命が起こらなかったのである。
身分差があっても日本では暮らしそのものはそんなに差がなかったのである。

グローバル経済がこうした国々の格差を露骨にする,給料が十倍とか違う,それがもし人が交わらなければ問題は起きない,貧乏な国はその国の中でその貧乏の中で生きてゆくほかない,そして貧乏人同士助け合うということもある
格差が国々で拡大して人と人が交わるとき問題が生じるのである。

おそらく物だけが入ってきているとしたら人が交わらないとしたらこういう問題は起きないのでないか?
その国がどんなに貧乏でもその貧乏を知ることはできない,また金持ちのことも知らない人と人が直接交わることは物が流通するのとは全く違ったものになる
一人の外国人がよその国に入ることは全然違ったものになる
様々なも軋轢を産む,文化も宗教も違うし差別なども身にしみて感じるようになる
それで日本に来たベトナムの実習生でも日本を恨んで妬み帰っていい印象をもたないようになるのである。
もし観光だけで来ているのならこうはならない,でも観光するにも金がいる
ただ今は平等に東南アジアでも中国でも日本に観光に来ているから格差はなくなったのである。
そして今度は日本人が中国人より貧乏になり観光に来た人達を接待するようになった
それがグローバル経済でもある
一旦経済の競争に負けたら外国人に使われるようになるのである。
女性も売られたりするようになる,それがグローバル経済なのである。


金,金,金・・・・

借金した者が飢えた獰猛な虎のように襲ってくる
ハエエナが屍をあさる,それは遺産を争う人ににている
弱きものは狙われ襲われ真っ先に餌食になる
弱肉強食の世界に生きざるをえないもの
獣の中で人は生きる
人の世では金がものいう
人は金に泣き金に笑い金に苦しみ金に翻弄されて生きる
一時たりとも金から離れることができない世
金をくれ,金をよこせ,金をください・・・
金でめんどうみろ・・・すべて人の世は金がまとわりつく
金の切れ目が縁の切れ目・・・・
そうしてすべては去った
一日でもいいから金から離れたい
金とは人間の欲でありその欲は消えない
そして心から思う
自ら額に汗して稼ぎ本当の実りを我が手でとる
金で買うのではない,自らの労働で実りを得る
または神から無償で果実が与えられる
あたかもマナのように与えられる
金をめぐってこの世はまわる
金から脱することができない世
家族も肉親でも金で争っている世
何かが間違っているとしても金から逃れられない世
いくらあっても金はたりない
それより人間の欲望は永遠に満たされない
餓鬼地獄に生きている人間
金が悪いのではない,それは手段にすぎぬもの
金にすべての悪をおしつけることはできない
それより金は現物を離れて操作される
我々は今金に操作される世界に疲れた
人間は金ではない,本当に価値あるもの得たい
金で計れない価値あるものもある
値段がつけられないか価値あるもの
そういう価値こそ本当に価値あるもの
それは金で変えられないから・・・・

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posted by 老鶯 at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題