白鳥の短歌十首(白鳥は神々しく魅せられる)
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今日見た白鳥
白鳥の暁に映え凍る湖(うみ)
白鳥の凍れる湖に目覚め鳴くその声ひびきしみとおるかな
白鳥の凍れる湖にその翼広げ飛びたたむあかつきの空
この一日吹雪きけるかな白鳥の鳴く声ひびく北海道の夜
白鳥の北海道に映えるかな神々しくもけがれざるかな
山上の湖美し白鳥やスイスの古都を落葉踏み歩む
スイスなる古城のあわれ山険し湖の清しく白鳥浮かぶ
教会も古りて鐘鳴る白鳥の浮かび静けし湖も古りにき
白鳥の真澄の空に列をなし白さの映えてその飛行かな
白鳥の列を乱さず美しく真澄の空に翔りゆくかな
白鳥の白さの映えて神々し神の使いとふさわしきかな
絶景広がる”砂の岬”尾岱沼はオオハクチョウが見ごろ
北海道の尾岱沼(おだいぬま)の白鳥を見た,冬にも北海道に行っていたのである。
北海道は電車でも自転車でもほとんど回った,十回くらい行っていた
それだけ暇だったのと家族がいて安心して旅できたとなる
白鳥には本当に魅せられてしまうのである。神々しい感じになる,まず人間の社会のことをどうのこうのと語ってみてもそこがどんなことをしても穢れの世界でありブラックなのである。結局資本主義社会であれ社会主義共産主義社会であれ人間そのものが汚れたものだから社会もまた汚れたものになる
人間の社会に理想社会などありえないのである。
一方自然を見るとそこに神の技をみる,神の成したイデアを見る,白鳥などは神々しいものであり魅せられてしまうのである。
その神の作り出した技に美に魅せられてしまうのである。
人間でもいくら美人でも人間である限り醜いものがある
何か白鳥とか見ると自然の花でもそこに穢れない,だから神々しく感じるのである。
そして白鳥でもそのいる場所が問題である。この辺ではその場所としてふさわしくない
きれいな湖とか背景が良ければ一段と映えるのである。
ヨーロッパでは何か白鳥が映える静謐な場がある,それが古い歴史とマッチして映える
スイスで晩秋に見た白鳥がそうだった
スイスのルツエレンで見た白鳥がそうだった,山上の湖から清涼な冷たい水が川に流れそこに白鳥がいた,落葉を踏んで川沿いを静かに歩む,そこには古城もあり険しい山が迫ってくる,あそこはいい場所だと思った
神の目的は何か?神が創造したものその中に神を見る,美に神を見る,その美は神の技でありイデアなのである。神のイデアは不滅でありそこに神の創造の技を見て驚嘆する
なぜ人間はいくら社会が進歩したなどと言ってもその大都会を見ればわかる
そこにいかなる美があるのか?高層ビルを見上げて何かあるのか?
毎日蟻のように仕事に追われている,その仕事がいかにも重要なことのように言うが
それならそこになぜ美がないのか?そこにいかにその労働を強いても賛美しても絶望してしまうのである。
神の世界はそういうものではない,神が作り出した技こそ自然にこそ感嘆する賛嘆するものがありそれに魅せられてしまうのである。汚れた人間社会で死ぬより荒寥としてもそこに美があればそこで死ねば満足だともなる
都会のビルの間で死ぬのは無惨である。富豪でもうらやましくもない,自然の美の中にあって暮らし死ぬなら貧乏でも満足だということはある
ただ正直あまり過酷になると詩人が呪い死んだようになるから嫌だとなる
自分は別にそんな過酷な農業をするわけでもない,ただ旅しただけだから良かったとなる
白鳥は猪苗代湖とかでも見られるしその背景が良くないと映えないのである。
それは何でもそうである。自然の美は背景が良くないと映えないのである。
白鳥の詩
ルツエレン写真
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タグ:白鳥