2018年02月09日

除草剤を線路や.ホームや線路沿いにまいていた


除草剤を線路や.ホームや線路沿いにまいていた

jyosouuu111.JPG

jyosouuuuu12345.JPG

jyosouuuuu54321.JPG


ホースのようなもので水を出していた,何をしているのか向こう側のホームに行って聞いてみた
そしたら勝手ホームに入ってきては困ると言われた

でもなぜそうなっているのか?
ここが無人駅だからである。
普通にホームに自由に出入りしている
駅員がいないからそうなっているのである
それで見送りとか出迎いには便利なっている
ヨーロッパなどでは自由にホームに出入りできる
自転車もそのまま乗せることができるから便利である

二人来ていたが除草剤をまいていたのである。除草しているのをはじめて見た
結構雑草で鉄道は迷惑になっていた
そのことはインターネットで調べられたから便利である
雑草は鉄道にとってはいろいろな障害になっていたのである。
乗る方にするとそういうことは考えられなかった
乗るだけだとサービスを受けるだけだとサービスしてくれる人達の苦労がわからないのである。
駅でボランティアをしてつくづくそれを感じた
何かしら毎日駅に来て仕事がある,こんなに駅が手間がかかるものだと思わなかったからだ

今日は右田の一本松を見に東京から来た人がいた,駅前の自転車屋があってレンタルできると言ったが原町にも行くのでタクシーで行くと言った
あの一本松は切られた、前から枯れることはわかっていた
とても維持できるものではなかったのだ

一本松切られてここに松原のありしは遠く昔となりぬ

こんなふうになってしまうだろう。
今は風車とソーラーパネルと高い土手の風景であり全く昔の面影はなくなった
あそこに植樹しても自然の森にはもうならない
風車とかソーラーパネルと火力発電所の煙が出ているから工場地帯のようになってしまったからだ

ともかく駅とか鉄道を維持するのは手間であり金もかかる,だからとてもローカル線で廃止になるような線は維持できない,それを誰が負担するのだとなる
もっと乗ってくれといっても乗らないし維持しようがないのだ
観光といっても限度があるしJRだけではどうにもならないのである。
バスだと市とかで援助して一部運行している
鉄道はこのように費用がかかるからできないのである。
維持したいならそれだけの金をJRに払ってくれとなるからだ
それが自治体でも財政が苦しければできないのである。
タグ:鉄道の除草

未来は予測できないのか? (常にリスクを感じていればできる)


未来は予測できないのか?

(常にリスクを感じていればできる)

自分の一身上でもこの辺で起きたことでもそれは予測できなかったことだとなる

家族が認知症になった,この病気は何なのだ?そこに恐怖がった
とっさにインターネットで調べて助かったことがあった
でも認知症については不可解なものであり恐怖だった
でも懸命に対処して症状はやわらいだ

次に自分の病気であり一人になり入院した,その時家に入れて働いた人に大金を盗られたこれも突然のことでありどうにもならなかった
でも不用意に家に入れることは一番危険だった,でもその時突然でありどうにもならなかった

次に津浪が来て原発事故になった
これも全く予測つかないし何が起きたかもわからない
こんなことがありうるのかということでただ茫然自失しているだけだった
放射能の危険もわからず爆発したとき外を歩いていた

自分の苦しいとき援助してくれた親戚の人はいい人だと思っていた
ところが事業の失敗で多額の借金をかかえているから金をとることしか考えていないのでひどいめにあった

次に銀行員が利子がつかないとかですすめられたので大丈夫と思い株のこととか投資のことを知らないのではじめて損した

これらのことは予測つかないことだったのか?

自分の一身上のことは自分の普通と違い異常の家族環境にあった
だからそういう不安があった,その不安が適中した

何か悪い予感が当たりやすいような気がする

そんなことで未来を見るのは危険だとも思うが馬鹿にできないものがあるなとは思った
いいことが起こるというのはあまり予感しないが何か悪いことが起こるなというのは当たり安いかもしれない
こういう感は女性の方が働くから占い師とか女性になっている

ただこれらのことが本当に全く予測できなかったのか?
認知症などはわけのわからない病気だから知りえようがないというのもそうである。
直接そうした人が家族にいて看病していればわかるが普通はわかりにくのである。
そして認知症については不可解だからいろいろなことを言う人がいる
それも自分で経験した限りでは間違っていることがあるなとも思う
でもなんらか認知症について知っていれば理解があれば対処しやすいのである。

家で働いてもらう人は家のことがわかるので一番危険になる
でもそういうことを知らずに家に入れた
そこで突然病気になり入院して家は認知症になった母と二人きりになってしまった
そこで大金を失った,その人のことを知らずに信用したためである。

次に津浪が来て原発事故になった
この辺では津浪は400年前に記録があるがその記録さえ知る者はなかった

この辺では津浪は来ない

そういう確信までになっていて逃げない人もいたのである。老人に多かったのである。
津浪に対する危機感が全くなかったのだ
ところが東電で津浪のことを調べていて10メートル以上の津浪が30年以内に来るとか予測していたのである。科学者がいて予測していたのである。
そのことを知っている人もまた地元でもわずかだった
それをマスコミでは公表していないし報道していないからである。
地元の新聞でも報道しない,なぜなら東電などから宣伝費をもらっていたからである。
原発が危険だということも知らせていない,安全神話に与(くみ)する方だったからである。

親戚の人は事業を成功したと吹聴していたから本当に成功していたのだと思っていた
これも実は失敗していて多額の借金をかかえていたのである。
それは家族すら知らなかったのである。
自分の家族が認知症になったりして自分が病気になったりして自分を助けてくれるのかと思ったらそんな状態だからできなかった

では全く事業が失敗したことをわからなかったのか?

何か夜酒を飲んで心配だとか家族が言っていたからその前兆があったがそれを問いただすこともなくわからなかったのである。

次に銀行の投資信託も自分にはわからなかった,調べもしなかった,ただyoutubeで見たらいろいろ詳しく情報はでていた,こういうのを見ていればわかりやすかった
ただその時あまりyoutubeは見ていなかった
こういう新しいものは普及するには時間がかかる
youtubeは意外と信頼性が高く勉強になるなと思った
これを見て判断すれは投資信託はしなかった,これも失敗だった
それよりもう資本主義が行き詰まり終わりだという時代に直面していることも知った
だからもう株とか投資ではもうけられない,そういう時代に来ていることも知った

つくづくこれらのことは何なのか?

すべて知らない,知識がない,情報がない,リスクを感じていない

これなのだろう。知らないから危機感を感じない,津浪は来ないとこの辺で確信していたのも津浪について知らないからである。
原発が安全だと思っていたのもそもそも原発について知らないし知らせられないからである。つまり知らせられないということが危険になる
ここが危険地帯だから入らないようにと警告の立て札があれば入らない
そういう立て札がないと安全だと人間は思うのである。

知らせられないということが危険になる

未来が予測できないというとき実はある程度は予測できる
現実に津浪が30年以内に来ると東電では科学者を集めて予測していたのである。
そしたらその対策をすべきだったがコストの関係でしなかった
防波堤を作らなかったのである。

ともかく自分の一身上のことでもある程度は予測できたことである
ただそれを考える暇もなくそういう現実に突入させられた,自分の場合は社会経験もなくのんびり過ごしていたから対処できなかった
だから社会経験がないということはまた危険なのである。
本ばかり読んでいても社会のことはわからないからである。
そこでニートとかはこれから自分のように悲惨な結果になる
社会経験がないから親が死んだときなどどう対処していいかもわからないからだ
それで金持ちのお嬢さん育ちとかなると危機の時には弱いのである。
社会経験を積んでいればそうはならないからだ
でも人間の弱点はあらゆることを知り得ないし経験でも一部のことだから危機に対処できない,まず認知症のことなどよほどじかに家族がなってみないとわかりえようがないものだからである。

情報社会というとき様々な情報にふれることができる,でも社会経験はできない,経験からしか得られないものも多いからである。そうするとニートなどは社会経験がないから危機になったときどう対処していいかわからず断末魔の苦しみを味わうことになるのだ

人間は未来を予測できない,何が起こるかわからないと言われる
一寸先は闇だというのもそうである。
ところが津浪でも何か前兆はある,予測し得るものはある
現実に東電では30年以内に事故が起きると予測していたからである。
ただその対策しなかっただけなのである。
パソコンは必ずなんらかでクラッシュする,するとデーターを失う,そういう経験を何回かしている
ウィルスとか例えばレンタルサーバーでも故障がありデーターが消える
するとその対策をみんなしている,しない方が悪いと今ではなっているからだ

人間は例え危機を感じても対策をしない,そんなことは起こらないと楽観的に考える
だからこそ生きていられるともなる,そんなに心配したら生きてもいられなくなるからだ明日は明日の風が吹くとなる,今日の重荷は今日で十分だとなるからだ

でもこうして自分の一身上に起きたことや回りで起きたことをふりかえると本当に予測できなかったのか,何も対策をしえなかったのか?
そうではない,できたともなる,ただしなかったのだとなる
それは自分の一身上のことだけではなく社会に起きることでも予測できないことはないのである。

人間は真剣に危機感を持てない,今が良ければいいとかなっている

ここに自分の問題もあり社会の問題もあった,ただ人間は万能ではない,どこかみんな足りないのである。だから社会はそうした足りないものを補足し合うものとしてある
でも社会自体こうした危機にリスクに弱いのはなぜなのか?

リスクを真剣に考えない

コストが優先されたりそんなこと起こらないとか楽観論になり未来の危機を感じなくしている,もしあったとしても目をつぶる,なるようにしかならないとかなる
そうしないと生きること自体苦しくなるし生きた心地もしないともなるからだ

ただ人間は死ぬということは誰でも知っている,とすれば一番の問題はそのことであり
すると求道するということが若いときの最大の優先課題なのである。
でも若いときはそんなことをしない,あらゆる欲望が最も肥大化する時であり欲望に溺れるだけだとなる,そしてもうすぐに年をとり求道しようにもできないのである。
これも人間が根本的な所で危機感を真剣に持たないためなのである。

タグ:リスク
posted by 老鶯 at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連