2018年02月05日

駅に張ってあった広告と働き手の募集 (人手不足は介護に多い)


駅に張ってあった広告と働き手の募集

(人手不足は介護に多い)

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これらは関係あるのかもしれない,街作りというのもこの辺の課題としてあるし駅からの街作りを駅にかかわり考えたりした
ただそれが大がかりになるととても手が負えないものとなる
駅でこの前電車が行ったばかりでまにあわず喫茶店とかで休みたいと言ったがそれがなかった,何か駅前にはそういうものが必要である。
近くに食堂がありもう一つあったみたいだが案内できなかった
今は喫茶店だけしているところはほとんどない,スナックみたいな酒飲む所とカラオケが併用になっている所である。

介護はもう小高でいい施設が建物があっても人が集まらない,介護する人が集まらないから再開できないと放送された
介護は給料が安いししたくないのはわかる,そして重労働の場合もあるから誰もしたくないとなる
でも仕事を考えるとコンビニであれその労働にやり甲斐があるのか疑問だし銀行員と接したがその仕事も今は株とか投資信託とかすすめるだけで何か職業としていいものとはならなくなった、前は郵便局でも銀行でも信用組合でも何か地方ではいい就職先だったのである。
だから孫は銀行に就職したと喜んでいる人がいるのもわかる

信用がないと就職できない所だった,今は変わってしまった,株とか投資信託をすすめる証券会社の支店なのかと思う
部長という人が来たけどその人も真面目そうな律儀な人に見えたのである。
その人は銀行員として真面目な仕事をしてきた
その人は退職した,退職して良かったなと思った,今の銀行はそういう律儀な固い地域に信頼できるものとなっていない,変わってしまったのである。
銀行そのものが存続できるかどうかの瀬戸際になっていたのだ
そういう時代なことも知らなかったのが自分の失敗だった,何か津浪原発事故以来時代が急速に変化して対応できなくなったのである。

職業の問題が重要なのは職業によって人格が形成されるからである。
銀行員であれば人間も律儀な真面目な人になっていた,証券会社化すればそうならない
それに比べると介護などはどうなのか?これもいろいろ問題あるにしろ介護に要求されているのは何なのか?
それは優しさなのである。常にやさしさが要求される職場というのも他にないだろう
銀行員だったら優しさなど関係ない,金をいかにして集めるがノルマになっている
そこでいかに手数料をとるしかなくなる
だから介護職がそういう職業と比べて悪いものでもないと外から見ればそうなる
ただ介護でかえって人格がゆがめられることもある
例えば障害者を相手にしてばかりいた人が遂には大量殺人になったのでもわかる
こんなやつら生きていて何の価値があるんだ,そういうことは老人の介護でもありうる、あまりにも増えたからそうなったのである。
そして介護する動機がもていないのである。

自分はひどい認知症の介護で最後は鬱病になたっけどももう一人も介護したけど自分には強い動機があった,特別自分は60になるまでも良くされていたのからである。
そういう特別な事情があったから懸命に介護したとなる
そういう動機が老人ホームではもていないからできないとなる

ともかく人手不足は深刻であり特に介護関係では深刻なことがこの募集広告でもわかる
駅はこの広告でもそうだが現実に人が出入りすることでも生の情報に触れる場所であることを書いてきた,そういう機能がある場だったのである。

冬の暮(松川浦ー日立木を回る)


冬の暮(松川浦ー日立木を回る)

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海老村
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百間橋渡りて長し冬の暮

村一つ社一つや冬の暮

蔵ありて郊外の農家冬菜かな

百才の間蠟梅咲きて残る雪


碑の一つ金砂神社や津浪にそ流され残り冬の日暮れぬ

松川浦穏やかにして白鳥の河口に浮かび安らぎにけり

立谷川打ち凍りけり祠町場橋一つに薬師堂かな

日立木の家並みの間の道細し昔のままに冬の日暮れぬ

苦しむもここに生きなむ人のあれともにここに歳月刻む

近くにそ四十雀来てしきり鳴く声のひびけり春めく日かな


海老村から松川浦へより日立木を回る,海老村には金砂神社の津浪に流された碑が集められてあった,あそこには良く寄っていた
文政とあるし湯殿とかあるからこの辺では良く見かける碑である。

百間橋とは一間が一メートル以上あるとして百メートルにもなるのか?
これはただ長いということで百間橋と名付けられた,いつかけられたのかわからない,
やはり長い橋だったのでそういう名がつけられた

日立木はいつ行ってもなにか感じるものがある。
それはなぜなのか?そこがやはり村として街道としての歴史を刻んでいるからだろう。
そして村の要として必ず日本では薬師堂があった
薬師堂とは医者とか病院がないから病気になれば薬師堂で祈る他なかったから要としてあった,要するに病院と同じだったのである。

そしてなぜあそこの橋が町場橋になっているのか?これもやはりあそこが町の中心的場所でそうなっていた
薬師堂の中に古い碑が並んでいる,そこは相当に古い場所なのである。
日本は村中心に生活があり行政もあった,村ごとに人はともに住み苦楽をともにしたという歴史がある。だから何かあそこにはそうして生活してきたものがにじみでているのだ
そういう場所が日本にいたるところにあるにしても外から旅しただけではわかりにくいのである。
そこはありふれた何でもない風景と見るからである。

日本の村は相馬藩内でもその場所によってかもしだすもの雰囲気が違うのである。
それは土地土地によって地理によってそうなる,深野というときあそこもありふれた場所でも何かそこだけに感じるものがある
あそこは地名が影響していることもある,だからあそこに新田川ユッサ温泉があるのがふさわしいのである。あれは本当に温泉なのか?それがわからないにしても場所がふさわしいのである。

いづれにしろ冬はまたしんみりとして田舎ではいいのである。
ただ今年は寒かった,ここ二三日は春めいて近くで四十雀が鳴いた
また寒くなり雪がふるのか?
百才の間は母を介護した部屋である,そこに蠟梅が咲くのはふさわしい
田舎で暮らすことはやはりその土地と一体化して生活することなのである。