2018年02月04日

資本主義の崩壊現象が起きている (ビットコインのバブルなど)


資本主義の崩壊現象が起きている

(ビットコインのバブルなど)

資本主義はなぜ起きたのか?なぜ世界に普及したのか?
それはいろいろな見方がある,一つは資本主義はウェーバーによると資本蓄積することであり隣人愛にもとづいて修道院の中で発生した
労働倫理であり労働は神のために隣人のためにするとなった
ただこれも次のように堕落するとウェーバー自身が指摘してその通りになった
宗教というのがその禁欲などが守れないので世俗化してゆくのとにている

1.ウェーバーが見据えた資本主義の末路
ウェーバーは禁欲的プロテスタンティズムのエートスと資本主義の精神を同一と考えたのではない。
資本主義機構の確立とともに両者は決定的に対立する事になる

@金持ち達の信仰心の喪失
A激しい反営利性が邪魔になる
B隣人愛の実践から利潤追求への重点移動
C営利そのものを自己目的とするエートスへ
D禁欲的精神、天職倫理の喪失、機械化の中で精神喪失、意味喪失の時代となる

資本主義を理解するのには社会主義とか共産主義を理解することが必要になる,対比して理解することが必要になる
社会主義とか共産主義は平等を目指した,それは分配の平等を目指したのである。
だからこそ土地まで私有を廃して国のものとして平等に与えることにした
そこにこそ共産主義たる所以があった
すべて共同に使用するものとして国家のものになったのである。
でも皮肉なことに平等を目指すと競争もなくなり悪平等になる,人間は何するにして優れた人と劣った人がかならずいる,才能ある人とない人もいる,努力する人と努力しない人がいる,そういう様々な人達を平等にしたらかえって不平等になり経済は停滞したのである。

現実に前のソビエト連邦や今の中国は最も不平等な国になったという皮肉である。
共産党幹部が何兆もの金をもっているからかつての皇帝と同じになったのである。
共産主義は平等を一番目指したのに一番不平等になっている
だから何でも平等を目指すことは失敗する,いくら働いても怠けても工夫しても何しても同じ給料しかもらえないとなると誰も働かない,適当に怠けて働くのいいとなるからだ
ローマ帝国のゆきづまりは大量の奴隷がいてもその人たちは創意工夫して積極的に働かないからだというのもそうである。
共産主義は一種の国家的奴隷状態に労働者がなったのである。
創意工夫が起きないイノベーションが起きない,ソビエト連邦だと軍事力だけが増大して核兵器が大量生産されたのである。
そして共産党の幹部が神のように祭り上げられて偶像崇拝のようになった
それは中国でも起きていた,共産党幹部が権力を握り皇帝のようになる

資本主義とは資本を蓄積して資本を投下して生産を増大させて経済を活性化させる
資本というとき今は金に紙幣になるのが資本はもともと現物であった,家畜が羊が資本になることもある農業だと麦や米が資本になる,林業だと木材になる
そして土地が資本になる,そういう具体的なものとして資本がある
ローマ帝国の兵士に支払われていたサラリーとは塩のことだったのである。
日本でも江戸時代は石高で米で支払われていたのと同じである。

その資本が土地でなんでも債権化して金融資本主義となったのが現代なのである。
そして今なぜ資本主義が終わりとか崩壊現象が起きているのか?
資本主義が常に資本を投下するものを求めている,資本を投下してそこで利益を出すのが資本主義である。
でも銀行には金融資本があるがそこに預金すれば利子がついていた,それは銀行が金融資本を集めてそれを起業する人などに貸してその会社がもうけを出して銀行ももうけるということをして預金者に利子として与えていたのである。
ところが銀行ではもうその金を貸してもうける先がなくなったのである。
すると金の行く先はどこになるのか?
資本主義にはバブルがつきものである。オランダのチャーリップバブルでもそうである。チューリップにそんな価値があったのか?そこに大金がつぎこまれたのである。
日本では土地バブルになった,今度は仮想通過バブルになった
資本を金を投下する場がなくなりそうなった

そもそも仮想通貨というけど金そのものが紙幣そのものが仮想のものである。
金融市場でも半分は仮想なのである。
仮想の世界で金もやりとりされている感覚になるのだ
仮想通貨は株式市場と違って全くの仮想の世界だったともなる
仮想の中で金がやりとりされていたから破綻したともなる
株式市場は現物が動いて金が動いているということがまだある
仮想通貨にはそういうことがない,現物の裏付けがないのである。
仮想の世界だからバブルであり一挙に無価値と化してゆく
価値となるべきものが仮想だったからだとなる
株式市場でも半仮想の世界である。金融資本主義になるとそうなるのである。

資本主義は資本を有効に投下して経済活動することだが金融資本主義になるとそこは本来の投資家マインドより投機マインドになる
FXとかがそうであり本来の投資とは関係ないのである。
投機でありそれは博打と同じである。博打ではギャンブルでは何も産み出さない,胴元がもうかるだけだとなる,全体としては何も産みださないのである。
資本主義が正常なときは常にイノベーションがありとか産み出していた
それが全体の富ともなっていた,ギャンブルからは何も産み出されない
巨額の金が右から左に動くだけで実際は何も産み出していないのである。
その金はほんの一部の胴元に入るだけだとなる
そこに数パーセントの者に金融資本が流れ格差社会が生まれたのである。
そうなると今一番の経済の問題は分配の問題だとなる
富をいかに分配するかが問題になる,それでアメリカでも社会主義者のサンダースとか大統領になったしトランプが大統領になったのもそうした富が公平に分配されないということでアメリカの不満がありそうなった
それは世界的なことでありただほんの一部の者に金が流れ滞留して金が資本主義本来のものとして回らないから銀行にあづけても利子はつかない,かえって金を預ける方が利子を事務費など負担させられることになった
それはすでに資本主義の崩壊現象なのである。

これから資本主義はどうなるのか?
金とか紙幣が本当に紙屑になるかもしれない,そしてまた現物経済にもどるのか?
土地バブルのときはそうだった,金とか紙幣は紙でしかないのだから紙屑になっても不思議ではない,その金とか紙幣自体に何の価値もないからである。
それで土地バブルのときはそうなったのである。
土地をもっている人が金を持っているより価値がありわずかの土地をもっているだけで売れば億万長者になっていたのである。
金より紙幣より現物をもっている方が強いとなる
資本主義が本格的に崩壊するときそうなる
誰も金と紙幣を信用しなくなるのである。信用がなくなったとき何でも通用しなくなる
地銀などは信用が第一でありその信用が利子をつけられないということで壊れている
その信用が銀行の財産だったのである。なぜならまず人を信用することが最もむずかしいからである。信用とは簡単に築けない,

だから家に入れて働かせるとなると一番危険になる,それで十年とか家政婦として働いているとかになると信用できるとなる
それは金持ちの家でしかできないことである。
そいういうふうに信用は銀行でも地元を一軒一軒回ることで築かれてきた
だから郵便局とか地銀は地元では固い職業でありエリートであり信用される人となっていたのである。それが投資信託と株を売るだけとなるとそうした信用も失われる
その時銀行の役割も喪失していらないとなる,現実はもう証券会社化しているのである。投資信託とかすすめる証券会社化して投資家マインドは銀行には喪失した
銀行は資本主義社会の要としてあったときそれが機能しなくなったことが資本主義崩壊現象の最たるものだともなる

そうして経済がモラルが消失してゆくことがすでに資本主義でも崩壊していることなのである。格差社会でもそうである。
みんな働いたら負けとか働くの馬鹿らしいとかなる,ではどうすればいいのか?
盗めばいいとかなり社会のモラルは維持できなくなる
労働倫理はなくなる,格差社会は確かに上の人にとってはいいのだがそれが上の人にとっても危険なのである。モラルがなくなればその上の人も襲われる,殺されるとういことも起きる,それが社会全体になると暴動となり革命となり上の人は殺されるともなる
そういう危機的状態を極端な格差社会は作りだだすのである。
だから資本主義は崩壊する危機にありその前にまたバブルとか長期停滞とかもう成長できないとか銀行に利子がつかないとかいろいろその前兆現象が起きているとなる


資本主義はすべてが金で計られる,金で計られないものは無価値にされる
でもこれからは金で計られないものの価値を認める,価値を社会的に付与する
何かそういう社会の転換期である。
ボランティアが増えたのもそうである。金にならなくても社会的価値を認めてもらいたいからしている,でも金にならない,利益を出さないものは社会的に価値を認められず無用のものとされる
だからベーシックインカムは衣食住は最低限は補償してそれぞれの価値を追及する
それは金にならない,利益を産まなくても社会的価値を産む,そういう価値を認めることで社会を豊かにする,それはどっちかというと物質的満足というよりは文化的精神的満足になる,そういう文化的精神文化的なものへの変換期になっているのが現代なのである。時代が変わるときは価値の変換が起きる

津浪とか原発事故も大きな価値の変換をうながすものだった
科学文明に対する不信が生まれた,故郷にも住めなくなったらかである。
土も水も森も大気も汚染されたからである,するとそこに今までの価値観ではない
ただ物質的な豊かさを求めてはだめだということが現実問題としてこの辺ではつきつけられたからだ
例えば景観というのは金にならない,森があっても木材を切れば金になる
でも森自体の景観は金にならないから無視される
そして現代は索漠な景観となっている
この辺では海岸は風力発電となりソーラーパネルとなり火力発電所からの煙が出るまで工場地帯のようになった,まずあそこに植樹しても森にしようとしてももう無理である。
松原の景観とかみんな失われてしまったのである。










posted by 老鶯 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題