余裕がないことが社会を害する
(文明は害になる労働が多すぎる)
人類の歴史をふりかえると縄文時代とか狩猟採集時代とかなると最も貧乏でそこには毎日食うだけで精一杯で何もできない社会と考える
でも不思議なのはそうして毎日食うためにだけ追われて何もできなかったのか?
縄文時代なら縄文土器などを装飾性豊かな土器を作っている
そうした装飾をするのはまず食べることだけに追われていたなら時間がないならできないなんらか時間があり余裕があるからそうした装飾をすることができた
芸術が生まれたのである。芸術は暇がなければできないからだ
つまり人間は最も貧しい時代でも食べることだけに追われていたのではない
その時踊りとか祭りとかもしていた,それがなぜ不思議なのかというと現代の文明は最も豊かな文明であり食べることだけに追われないということで対比してみる
でも縄文時代でも人間は食べることだけに追われていないし暇もあった
江戸時代でも仕事は二時で終わったとかなれば暇があり暇を楽しむ文化が生まれていた
ただこの暇が生まれたのは歴史的にふりかえるとギリシャでスクールがスコーレであれ暇だったということで学問が生まれた,ソクラテスなどがアゴラ(市場)をぶらついて青年に話しかけ真理を議論したことなどがそうである。
ソクラテスなどは一日仕事もしないしただ若者と議論していた
そうできたのは奴隷がいたからだとなる,奴隷が食料を供給してくれ食事を用意してくれたとか妻がいてそういう暇が生まれた
暇は今でも誰かに与えられて暇ができるということがある
結婚して妻がいて食事を用意してくれれば暇が生まれる,でも妻が死んだりして全部家事を料理でもさせられたら暇がなくなる,家事は機械化されていないからそれだけで時間が奪われるからだ,それで戦前は中産階級でも二人とか女中を雇っていた
それだたけ家事は時間がかかっていたからだ,ただそれでも縄文時代でも江戸時代でも暇がありその暇を楽しむ時間があり文化が生まれた
文明の目的は何なのか?それは人間に暇を作り出すことである。だから現代はその暇が作り出された,機械化などと豊かになり仕事しない人が老人を含めてニートとかもいるしフリーターとかも働いたとしても不正規であり一年中は働いていていない
その数が膨大でありそれだけ暇が作り出されているから文明化したことは暇を作り出したとはいえる
暇と金銭的余裕とかあれば文化が発達する,それは個々人でもそうなのである。
自分は三流大学で文系であり大学でもほとんど勉強していない,だから就職もできず今の底辺労働者として放浪していたとなる
その後は家族がいて何でもししてくれたから暇で暇でしょうがない身分だったのである。結婚もしないから子供の世話もしないし稼ぐ必要もないから旅ができたとなる
そうして暇と金と余裕が与えられていたから旅もできたとなる
金銭的に十分ではないが一応旅はできていたのである。旅は金より時間が必要になっていたのである。それから体力とか精神的余裕も必要である。
今になると家が留守になり誰もいないから外出するだけでも不安になるとかある
だから旅するにしてもそうした旅をできるような状態にさせてくれる応援してくれるのもが必要だったとなる
現代の問題は何なのか?何から問題が生まれているのか?それはこれだけ文明が発達しても暇とか余裕が産み出されていないことである。
文明は余裕を暇をスコーレを作り出すことは一面してもまた余裕なき社会にもしている,だから人間が時間を文明に奪われていると嘆いている
つまり豊かさの基準を暇とを楽しむことに置いていないのである。
経済成長とか何か常に働くことを強いられる,そしてみんな社蓄だとか奴隷なんだよなと働く人が言う社会は文明の目的に反している
なぜ人はこんなに働くことが必要なのか?働くことが強いられているのか?
日本では働くことは端(はた)を楽にするということである。家族とかを見ていて働く姿をみて楽にさせたいということでその言葉が生まれた
そういうことは極めて人間的なことであり動機としてはいいのである
今の人の働く動機はそういうものとは全然違っているのだ
働かねば食べることもできないし住むこともできない衣食住も成り立たないというのもわかる、それは別に縄文時代から同じだったのである。
でも暇は作り出されていたのである
文明の矛盾は労働量を増やしすぎたことである。その労働が害になることが実は多くなっていたのだ,例えばなぜ銀行で今株とか投資信託をすすめるのか?
それは日銀などがマイナス金利にして銀行に余裕がない,すると金を貸し付ける先もないそしたらどうしてもうけるのかとなり投資信託とかで手数料え稼ぐとかなった
それは余裕がなくなったからである。銀行は何か公務員のようなところがあり地方でエリートであり余裕がある職業だったのである。
その余裕がなくなったとき実際は7割の人が損する株や投資信託をすすめるようになった
それで自分も失敗した,銀行は固い信用できるものだということで信用していたからである。それも銀行自体に余裕がなくなり失われた
そうして余裕がなくなると働いているから有用のようでも社会に害をもたらすのである。銀行員はノルマを果たすことと銀行の利益のみしか考えなくなる
それで実際は株でもそのままにしておけば今上がったからもうかったが手数料がとれる投資信託を買わせたのである。それは自分にも非があっても自分は相手がプロだと思いまかせたのである。
要するに余裕がない人は自分のことしかまた自分の所属する会社のためしか考えなくなるまず相手のことを考えるのは相手の立場になり考えることは余裕がないとできないのである。
だから自分のところにきた人はみんな余裕がない,事業に失敗した人は多額の借金をかかえているから自分が苦しくても何にも考えない,相手のことが考えられないのである。
ただこういう苦しい状態だからこそ金を借りるにはいいと脅迫するようにもなる
そしてこいつが死んだら金になるとまで心ではなっていたから恐ろしいことだが相手は追い詰められているから自分のことしか考えられないからそうなる
犯罪は余裕がないから起きるのである。明日食べるものがないから相手を殺して金を奪うとなる,でももしそこで自分は今日食べるものがない,今日食べるものをくださいとか言えばあげることもあるかもしれない,ただそういうことをしにくいのが現代である
犯罪は余裕がないから起きる,ベトナム人の日本で起きるのは当然なのである。
日本人の最低の生活すらできないとなれば自ずとそうなるのである。
いづれにしろその銀行員でもそうして余裕がない人が働くことは害になる
ただ自分のことしか考えない,会社のことしか考えない,公益性もなくなる
あの人は毎日働いているから会社にとって必要だと認める
社会にとっても必要だみる,でも働くことが全部社会のためになるとは限らない
マスメデアでも働いて甚大な害悪をもたらした,それが一見社会で有益なようでもそうではなかった
戦争も朝日新聞が宣伝して作られたとかなるし温暖化もそうだった
その人達は社会の善として報道で働いていたのである
働くことが社会の害になる
そういうことは意外と多いのである。みんなノルマを課せられては働かせられる
すると何でもその人のためにより自分のもうけのために会社のもうけのためにと働くことになりそれは社会の害になるのである。
火災報知機が義務つけられたけどこれもみんな必要なのか?それは業者のために必要なのかともなる,公共事業でも無駄な道路を作ったりしたのは必要だからではない、業者のためにゼネコンのために国で決めたのである。
それはこの辺の除染作業でも何兆円の金を使った,それもどれだけ効果があるのか疑問である。他にその金を使えばもっと有効に働いたということもある
つまり消費者のためではなく業者とか会社のために義務づけられてもうけさせるためにある
そういうことが現代文明では多すぎるのである,そのために金が必要になりまた働くことが労働が強いられるのである。
原発だってそうである。これは社会の人々が必ずしも必要だから作られたのではない,国家の政策として核兵器の準備として必要だとか強制されたのである。
科学者もそのために働かせられた,その働くことが害になるということがあるのだ
現実にこの辺ではそのために故郷に住めなくなったのである。
原発で働いたために害になり住めなくなった
そうして文明は働くこと労働がなんでもいいものとして是認される,でもそれが害になることがある,甚大な害になることがある
それで老子は無用の用とか成さずして成るとか無為自然を唱えた
それは政治というものが甚大な害を作り出すからである。政治は人間の恣意であり自然に則ったものではないからである
原発は自然に反するものでも国家の政治として作られた,それで安全神話も作られた
そうして働いたことが甚大な害を及ぼすのである。
文明はいらないものを無数に作り出すと老子が言っていたのもそうである。
いらないもの作り出す労働が膨大になり労働がますます増えてくる矛盾がある
お前らが働いているから害悪となっている
こういうことが多いけど誰もそうは社会で思わない,警告もしない
あらゆる場面で働くことがすべていいとはならない
労働は甚大な害悪になる
こういう自覚をしている者がいない,社会でもそうである。働かないものは無職は刑務所行きだとか言うけど害悪の労働を責める人はいないのである。
お前が働いていることがそんなに社会にとって必要なのか有意義なのか?
そう反論する人はほとんどいないのである。働くことがすべて善だとしているのである。だから逆に過剰に働く人は罰せられるべきであり労働をさせないようにすべきだともなるそうした害悪の労働を放置しておくと甚大な影響を社会に与えるからである。
自然環境だって利益優先させると破壊されてきた,つまり文明とは膨大な労働のことだからである。その後は森がなくなり都市化して砂漠化したのである。
エジプトでもメソポタミアでも文明の発達したところから森が消えたのはそうした労働の結果なのである。
そのことを二千年前に老子などが警告していた,キリストでも仏陀でもそうである。
だからすでにその頃人間はかなり高度に文明化していたからそうした思想が生まれたのである。今やその文明も極点に達して遂には過剰な労働のために滅亡するまでなっているのだ,害になる労働が増えすぎたのである
いらないものを作りすぎている,それがかえって人間を余裕なくさせている
労働は社会に害悪をもたらす,すべての労働は是認できない
労働は制約すべきである
文明はいらないものを作りすぎるというとき薬でも過剰に作りもうけるために投与する
病院が減ったら病人も減ったとかなるのも医者が病人を作り出しているともなる
患者にとって医者が必要ではあるが医者にとって患者が病人が必要なのである。
だから極端になれば健康な人も病人にしなければならない,そうしなければ医者の利益にならないからである。製薬会社でもそうである。病人が薬を飲む人が減れば商売にならないからである。
そういう職業は文明が高度化すると多くなる
警官でも犯罪を犯す者がいなくなれば必要がないしそれが理想である。軍隊でも戦争がなければ必要がないものである。
軍隊があるから戦争が必要なのである
兵器があるから売るために戦争が必要なのである。
そういう逆説を説いたのが老子の思想だったとなる,文明に対して警告して予言していたのがその通りになったのである。
政治というのも否定したのもそのためである。政治は害悪になる,害悪を作り出すから無為自然にまかせろとなったのである。
そういうことは聖書に書いてあるから何か宗教は共通したものがある
わが民よ、あなたを導く者は かえって、
あなたを迷わせ、 あなたの行くべき道を混乱させる」
わたしはわらべを立てて彼らの君とし、 みどりごに彼らを治めさせる。 。
嬰児(みどりご)に治めさせよというときそうである。なぜそんな人が治めることができるのか?つまり政治をする人はかえって害悪をもたらすことが多いからそうなったのである
原発など作る必要なくても核が必要だから作るとか害悪をもたらすものが政治なのである
ともかく文明社会は必要ないものが多すぎるのである。カルト宗教団体なども実際は社会の害悪でしかない,でも会員を増やすために一軒一軒回って歩く,それは何のためなのか?勢力を拡大して社会に対して権力をもって社会を動かすためである。
そのために銀行員のように会社員のようにノルマが課せられているのである。
それは社会の害悪でしかない,でもその人たちは社会の善だとして働いているのである。善だとして働いていることが最大の害悪となっていることを自覚させるべきなのである。でも働いているからすべて善だとしている,働くことによって甚大な害悪をもたらすことを指摘する人はほとんどいないのである。
そして高度に文明化した社会ではベーシックインカムが必然的に必要になる
つまり文明社会は害悪の労働を作りすぎるからである。それも働かねば収入にならないとして害悪の労働でも強いられるからである。
そうしたらみんな働かなくなり困るというけど文明とは高度だから知能もAI化するからそうはならない,害悪になる労働を抑える制約できるようになる
ただこれもまた問題が生まれる,でも高度な文明の行き着く点としてベーシックインカムがあるともなる,そうしなければ害悪の労働を制約できないからである。