2018年01月29日

冬籠もる短歌十首


冬籠もる短歌十首


浪江まで電車二両や冬の山


我が庭に石のひそけく黙しつつ母の面影留めてあらむ

我が家の柱に寄りて姉思ふ常に自慢すその柱かな

ストーブにあたたまりつつ自転車屋に駅や街のこと語りけるかな

冬の日に寒しも今日も駅に来て見送る人あり我も見送る

芒枯れ根雪残りて風寒し常に見る川鴨群れよりぬ

移り住む家にしあれや冬の灯のともり庭にし置きし石かな

冬の夜に月のかそけく雲隠れまた現るも消えにけるかな

手水鉢厚く凍りて溶けざりき薔薇一輪のなお咲きにけり

遠くへと我はいでじも冬ごもりストーブにあたたまり記憶をたどる

一本の薪またくべてあたたまり冬の長き日回想にふける


八畳のストーブをあたためるには丸形のストーブにした,これだと二倍の石油が必要である。でも部屋はあたたまる,椅ゆり椅子に腰掛けてなにることもなくいる
暖炉とか囲炉裏とかは寒いときその火を見ると体も心もあたたまる
そうして記憶をたどる,昔を思い出すのにはいい,だから囲炉裏というのは暖炉でも何か想像力を刺激する,そうして一日家にいることが多いからである。
その時何をするかとなると老人だったら回想に耽るのが向いている
そういう生活に憧れて田舎暮らしをしてみたいとなる人がいることがわかる

近くの薪を積んで暖をとっている人は土地の人ではない,どういう人かわからないがそういう人もいたのかとなる
囲炉裏は炭の時代は街内でもあったし自分の家にもあった
今になるとそんな時があったのかということが不思議になる
その記憶も朧になり思い出せなくなる
その時父親が生きていて怖い存在だった,明治の男性だから怖かった
でも今はそうして過ごした家族もみんな死んだ
結局最後は思い出だけになるのが人生である

駅前の自転車屋に同じ丸形の高いストーブが置いてあった,あそこには駅のことなど話すのに時々行く,あそこは駅前でありいつも駅を見ているから駅の案内所とかに向いているのだ,いつも駅を見ているから自分より案内所としてふさわしいのである。
だからあそこで時々の駅のことを話しているのである。
駅は家族がなくなり他人の家族が見送りするのを自分も見送りしたり迎えているのも奇妙である。駅は何かそうして再開とか別離の場として演出するのである
バスとか車では何かそうした感覚にならない、ただ会って分かれるというだけの感覚になる
駅には何かそうして人生の織りなす舞台を作り出している,また広場の役割もあることを知った

今日老人が来て知った,小高の医者がはじめた絆診療所では車で患者を迎えに来るという専用の運転手もいるとか,そんなことしてくれるのとか疑問だった
往診はしても車で迎えに来るというのは知らなかった
ただあそこは外科であり整形外科とかなるから内科と違っている
あれもできたことはこの辺ではいいことである。
小高で営業できなくなり鹿島に移った医院だったのである。
何かそうした情報が入るのも駅だったのである。

ともかく今年は遠くに行かない,原町までは用事があって自転車で行くが仙台だって去年も一回しか行かない,閉じこもる傾向は介護で強いられてその後も家を留守にすることが何か不安になり遠くに行かない,やはり家を空にすることが不安になる
だからつくづく遠くへ自由に旅できたのは留守する家族がいたからだなとも思う
そして何か旅する気にもなれない,じっとしているのがいいとなってしまった


冬の古き家に

古き家に
また一本
また一本
薪を燃やしぬ
ほのぼのと
あたたまる火よ
家の柱の太く
故郷の森より切りぬ
姉の自慢す柱かな
我は今この家の主
巌のごとく動かざれ
姉死すも
母死すも
六十有余年ともにしあれば
なお石のごとくここにあれ
ああ なお幾年ここに生きむ
我は墓守にもあれ
木の根はこの地に根を張り
冬の日はここに深まりぬ

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自分の家にも鉄瓶があった,重いものだった
ここでは薪を燃やしているからあたたかい
炭だと体全体はあたたまりにくい
薪だったら相当に寒くてもあたたまる

囲炉裏の精(民話)

こういうふうに何か囲炉裏には物語が生まれるのはそこにじっとしてあたたまっていると想像力が刺激されるためである

こんなふうになる,家というのは単なる建物ではない,箱ではないそこには家族の思い出とかありふれで付加価値が生まれる,精神的価値が生まれる
そこで人間が家族が過ごしたという思い出があるから違っている
それで病院で死にたくないとかなる,病院にはそうした思い出もないからである。
原発避難区域でもそうした思い出がある家だから老人は帰りたいとなっている
ただ老人ばかりの町とか村になるともう維持できないともなる

とにかく自分は墓守なのか?そういう役割が残れているということもある
供養が残されている,なぜなら自分の家族は本当に全部死んだからである。
残っているのは墓と思い出だけとなってしまったからである。