2018年01月23日

会話なき時代(西部邁の語り) (余裕がないからできない,営業は会話力が必要)


会話なき時代(西部邁の語り)

(余裕がないからできない,営業は会話力が必要)


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●西部邁の語源論

西部邁が死んだのでyoutube で彼の話を聞いた,同じようなことを感じていた
若い人とも会話ができない,彼は良く語源を言う,学者らしいとなる
この人も海外留学経験があるから深い見方ができる
海外経験ある人がなぜ深い見方ができのか?異質な文化を経験して日本文化を見るからその相違を知るからである。それは外国に暮らしてみないとわからないのだ
旅行したくらいではその深い所がわからない,自分はそこで理解力が不足している
武田邦彦氏も海外であの人は仕事していたから深い見方ができる

その語源論だがビジネスがbusyだというのは面白い,ビジネスマンは忙しいのである。

(negotiation)の語源は

イタリア語で、「店」は bottega のほかに、negozio (ネゴーツィオ)といいます。

元はラテン語の negotium で、neg は「否定のNo」、otium は「暇」ということで、「暇がない」→「忙しい(仕事)」→「商売」となったようです。

西部は常に語源から語ることがあった,語源を調べるとその本質がわかることがある
昔からあったこと起源になったことが現代までつづいていることがわかる
busyとネゴシェエーションは共通した言葉だったのである。

会話力がないというとき今は会話ない社会である。物を買うにしてももうコンビニでもスーパーでも自動化する,すると人間そのものがいなくなる
ロボットが店員となっているとかもうすでに実験は始まっている
人間を雇うことはコストだしめんどうだからそうなる
雇う方にすると人間にはいろいろな要求があるからロボットで機械ですませたいとなる
かつての市場は物を売る場だけでなく人々が遠くからも集まり生の情報交換したり結婚相手を探したりとそこにも物を介して人々が交流する場だったのである。
今は物だけが重点になりそうした人間的なものが省かれる,効率化されるのである。

人間は文字がないとき何でももって伝えたのか,それは言葉があっても語ることによって伝えた,音声が先であり文字は後にできたものである。
バベルの塔の崩壊で言葉が通じなくなったというときそれは一つの音声だったものが多くの音声になって通じなくなった,音声で話で語ることにより人間は通じ合っていた
話したり語ることはそこに感情的なものがかなり入るから相当に違ってくる
学問でも問答であり師と弟子が直接言葉を交わして真理を探究したとなる

●機械によるコミニケーション方法の変化

現代のコミニケーションの方法はそうした生の会話でのコミニケーションから急激に変化した,最初はラジオでも絶大な力を発揮してナチスの全体主義はラジオから生まれという人もいる,今ならラジオはにそんな力があったのかという疑問になる
ラジオの方が早かった,戦争集結の天皇の玉音放送もラジオだった
ラジオで戦争が終わったということを国民は確認したのである。
次に映像の時代になり映画全盛時代になり子供のときどこにも映画館があり見ていた
ニュースも映画館の時代だった,それでニュースでも汽車で電車で運んでいたので遅くなっていたのである。
その次にテレビ時代になったのである。
テレビの影響も絶大だったのである。テレビは第三の権力と言われるほど力をもった
映像の力は大きいからである。
マスコミと映像の時代が高度成長で全盛期を迎えたのである。
それはNHKの全盛時代でもあった,みんなテレビに映るならなんでもかじりついて見ていたからである。

それがインターネット時代になるとその影響に翳りが見えてきた,テレビ自体を見ない人もいる,インターネットは分散するメデアなのである。一局集中のメデアではない
だから最初何かアメリカで地方新聞なのか本なのか出版したら3000部売れたとかで驚いたという,そういう時代があった
だからみんなが百万以上の人間がテレビにかじりついている時代は異様だったともなる
ただそれだけマスコミの影響が大きく作用されたのである。
マスコミの宣伝力は絶大だから企業は宣伝の媒体として莫大な金を払ったのである。
東電や電事連でも800億とかなんとか払った,だからこそマスコミと一体となり安全神話は作られていた,原発が危険だと言わせないようになっていたのである。
それはメデアの力が大きかった

会話というとき何か変なのだけどインターネットは文字でもってパソコンの画面で話し合うことが生まれた,これは全く対面的ではない新しい会話の方法だった
これは年配の人にはなじめないものである。そんなことで会話できるのか?
それはパソコンという機械がそういうことを可能にした
ただそこでは対面しないのだから本当に会話できるのか?コミニケーションがとれるのかというと疑問になる,行きずりの人とちょっと会話するという感覚になる
ただ一応会話的なのである。インターネットは何かテレビの一方的な放送とは違って会話的なところがある
だからこそ西部邁と本はあまり読んでいないがちょっとした会話を死んだけどする
あの人は会話力があり話しては面白い人だったとなる
また本を読むのとはそうしたちょっとした会話するのとは違う。
武田邦彦氏もyoutube で放送しているから面白い,あの人も話がうまいなと思う
ただやはり深いところになると本を読まないとわからないかもしれない
しかし本を一冊読むのは今になると疲れるのである。本を読むのは相当に頭脳を酷使するのである。だから老人になると長編は読めないのである。

●営業は会話力がないとできない

ともかくビジネスというと営業があるが営業力は会話力になる
地銀の人は押しが強いけど会話が成立しにくかった
それはなぜなのか?相手は一方的に自分で決めてしまうのである。
説明もなく決めてしまう,自分は言いたいことがあったがプロなのだからと思いまかせていた,でも株が上がっていたのにその株を売って投資信託にしたのは銀行にとって投資信託が手数料がとれるからだと今では思った
ただその時の判断はこれほど上がると思わないからいちがいに悪いとはならない
ただ明かにその銀行員は自分のことを手数料をとれるものを選んで投資したのである。
それよりそこでちょっとでも話すこと会話することが交渉することすらできなかった
それはネゴシエーションできないのは忙しいからだとなる
相手にも余裕がない,成果をあげる,ノルマを果たすということに追われるからそうなる何か歓談するとかとはあまりに違っていた
それでもやはり相手が若いというときそうなりやすいから一方的には責められないことはある

変な話だけど自分もカルト教団のセールスマンをしていたことがある,そこでも目的は一票をとることであり数を集めることである。それは創価でも幸福の科学であれエホバであれカルト教団は同じなのである。ノルマとして会員にすることを課せられているからにているのである。
それは何のためのなか?それは上から指示されてしている,選挙運動だったのである。
会員を一人獲得することは一票を獲得すると全く同じだった
そこではだから折伏とか強引に会員にする手法がとられたのである。
何かビジネスでも営業でもノルマが課せられているから相手に余裕がないから会話が成り立たない,とにかく投資信託を買わせて手数料を得るとういことが先決でありその過程がない、だから勝手に決めて勝手に株も売る,ただ自分はそこでなぜ株を売るのですか,今上がっているのにと言いたかった,それもできなかった,会話ができなかった
こういう営業の仕方はまずいと思った,性急すぎるのである。
それは男女間でも会話より肉体関係を男性は求めるのともにている
そこで男女間の会話が成り立たなくなる
会話が成り立たなくなることは最終的にどうなるか?
全体主義ファシズムになる,カルト教団がそうである。そこでは会話などない
一方的にその教義なりを押しつけて会員を増やすことしかな
そして最後はハイルヒットラーですべてをかたづけるのである。
現代の大衆社会はそうなりやすいのである。テレビメデアなどもそういう大衆社会の煽動役としてあった

とにかくその人だけではない,今や会話ができない,駅でもみんなスマホを見ていて会話ができない,それも問題だと思った,会話が年齢に限らずできなくなっているのだ
そこに互いの意思疎通がなく問題が生まれる,人間関係が築けなくなる
ビジネスでも営業だと会話力であり融和的な人間関係を築くことである。
それが会話が必要なのだがそれができない,営業は相手の話を聞くことだ,会話はまず相手の話を聞くことだというときそれができない,それは若い人はそういうのが苦手だとなるからしかたないということはある
自分がそもそもビジネスを語ること自体おこがましいということはある
ただそういう人とじかに接して考えざるをえなくなった

とにかくなぜ会話が成り立たないか?何か余裕のない人はそもそもその前提として会話が成り立たない,自分の来た人達とは会話が全く成り立たなかった
それはなぜか?その人たちただ自分から金をとることを目的としていたからである。
そうなればめんどうな会話など必要ない,もう盗めばいいんだとなる奪いばいいんだとなる,いくら相手が金持ちでもそうなると敵対関係しかないのである。
やるかやられるかの関係になってしまう
でも金持ちと貧乏人でも会話はありうるのである。その女性は会話力がある
ただ金を何かと要求する,でもいちいち何に使うのだと会話がある
するとそうなのかと払ってきたのである。それは大きな金でないからできた
後の人は百万以上とかの金であり失った
その女性は問題があったが会話が成立していた,金に困っていることをあからさまに訴えるにしろ嫌にしろその女性とだけは会話が成り立っていたのである。
金持ちでも貧乏人でも会話が成り立てばそこに融和が生まれないこともないのである。

●会話が対話がないと喧嘩になり暴力になり戦争になる

人間は会話を対話をつづける必要がある,それはかなり執拗にしつづける必要がある
もし会話が成り立たなくなると喧嘩になり戦争になる
双方ゆずらないと戦争になる,だから会話は交渉は人間にとって大事なのである。
会話とは双方に協力するためにするのであり対立するためにするのではない
対立点があっても和解する方法を見いだすために会話するから会話は大事なのである。
会話が成り立たないとき喧嘩となり犯罪となり戦争となり人間関係が破綻する
それが悲惨な結果になる,そういう自分は付き合いが苦手で会話しなかった
一種の閉じ籠もり生活を30年とかしていたから異常だった
こんな生活を良くしていたなとふりかえると思う
自分自身が会話しなかったのである。
旅するとき何か会話がむずかしいのである。ゆっくりしていられないということもある
いろいろな辺りの状況もわからないということがある,無人駅を見るとそこに無人駅で間に合うようにできている,慣れた地元の人はわかるが本当にわからないのである。
だから外から来た人には無人駅は困ると思った

情報社会に欠けているのは何か?確かに自動化無人化するときそこにさらに会話がなくなり索漠とした社会になるかもしれない,情報とは情に報いるということである。
情報は会話で得るとすればそこに情を通じさせることがある
ところがスマホとかインターネットの会話では情は通じない,無味乾燥な文字の羅列である。それも役立つものがあるがやはり情が欠けている
機械とかインターネットとかデジタルやロボットの世界の問題は情に欠けることなのである。だから人間を豊かにしないということがある,それが進歩してもマイナス効果となる何か人間の社会は進歩すると同時に必ずマイナスが生まれるのである。
江戸時代が貧乏であり暗黒面があってもやはり情に厚い社会であり良かった面もある
情報は対面でしか得られない時代だから情に報いるということがあった
人間社会は進歩する技術が進歩することは何かをまた失うことである。
車だと光りだとか風とか自然をシャットアウトして感じなくさせる
自転車は不便でも自然の風と光りとか直接感じるのである。
だからこの世の中進歩がすべていいものとして反映されないのである。
そして会話というとき介護では特に必要になる,でも老人と会話できる人は若い人にしにくい,世代の相違もあるし若い人には会話力がないからである。
自分は老人と会話できたのである。世代的に共感するところがまだあったからである。

ただインターネットはメデアとしては個々のメデアであり対話的会話的メデアである。
一対一と一対一〇から1000,多くても1000とかなる
プログでもそうである。テレビのように百万以上を対象とはしていない少人数のメデアである,だから直接の接触はなくても何か対話的会話的にもなっている
ベースが個人であり小地域のメデアにもなる,マスメデアは報道するのが全国放送で六局あってもみんな同じことを報道するのである。インターネットでは無数の多様なメデアになる,その地域で起こっていることはみんな違っているからである。
それで成功していたのがyoutube の武田邦彦氏であり西部のyoutube の放送も面白かったこれもインターネット社会での発言方法だった
ただ何か刺激的な映像をビデオを放送するのはテレビとにていて百万とかに見られればそうである。それはテレビと同じだった,それで宣伝効果も出て収入になっているユーチューバーがいるからだ
ともかく自分のプログでもこうして毎日書いているのはそもそも書きやすいからである。これを本に出すとかなるとめんどうになるからだ
そこがやはりインターネットのいい点である。
ただ自分の場合も一方的だということはある,何か答えるにしても相手がそれなりのものをもっていないとできない,どういう人かもわからない,そこではまた会話が深い会話は成り立たないのである。リアルの社会での会話となるとインターネットの中での会話とは違ってくる,何かそうした矛盾で異常なインターネットの犯罪も生まれている
情報のやりとりは会話でも機械を会する別なものに変容しているかそうなる