2018年01月18日

老後の金の計算のむずかしさ (積み立てて月に年金五万でももらうと助かる)


老後の金の計算のむずかしさ

(積み立てて月に年金五万でももらうと助かる)

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これは50から積み立てて90まで5万円もらう年金保険である。

一〇年間毎月60-70の期間を4万もらう保険だった,これは十年間だが民間の年金だった,これは親にかけてもらって役にたった
老後の備えは年金が有効である。毎月もらえるから安心感がある
それが4万でもそうだった,年金がいいのは死ぬまでもらえるものがあることだ
これは十年間だったが年金は死ぬまでだし新商品では九〇まで5万もらえるのは大きい
自分の場合は五〇〇百万かけていたから毎年五〇万くらいもらっていたのである。
これは貯金として五〇〇万円あるより安心なのである。
何か貯金は額が大きくて不安なのである。
老後にいいのは年金なのである。
年金を一定額もらえないと老後は苦しくなる,別に五〇〇万貯金と月々支払われるのと同じじゃないかとなるがそうでもない
これもそういう経験して不思議に思った
考えてみると10年間だと一〇〇〇万になると9万くらい月々支払われることになる

ところが貯金には何かそうした感覚がない,確実に使いすぎたりして目減りしてゆくのだ老後の金の計算はみんなしているだろう。
でも死ぬかわからないしいつ病気になるかもわからないし必ず不測の事態が起きるから困るのである。その時出費が増えて貯金は目減りするのである。
ただ正直金は計算できない,一千万あるとしてもその金がどういうふうになるのか?
みんな20年後まで計算するけどその間に何があるかわからないとしたら不安になるのである。

金はいつも同じ価値ではないからだ,百円の価値が半分の50円に実際はなっているとかなる,金の価値は常に変動しているのである。同じ百円でも千円でも同じ価値ではないのである。
だだ年金として支給されるのはわかりやすいというか安心がある
確実に90まで5万支給されるとなるとそれに厚生年金とかもらえれば安心になるのであるだからそういう保険ができたとんうのもわかる,高齢化社会だからそうなる
自分たちの世代にはまだそういう保険はなかったのである。
でも自分がもらったのはそういう保険の一種だった
ともかく何かと自分は親に良くされたのである。だから懸命に介護するのは当たり前だったのである。

高齢化の問題は実際は様々でありその対策はまだ出ていないのだ,こういう商品が出るのも高齢化社会である。
老後に備えないとならないということが普通になる時代になる
まだ自分たちの団塊の世代はそこまでしていない人が多い,そこまで余裕ある人は少ないだから下流老人化してゆくのが多い,高齢化は日本だけではない中国でも今すでに深刻である,一人っ子政策で親のめんどうみるのが大変なことになっているからだ
その制度も介護保険も整備されていないからだ

老後の問題は高齢化社会の問題はいろいろあるが金の問題が中心になっている
本当はそうではないが金がわかりやすいからそうなっている
現代はこれだけ金の支配する社会になったのだからそれに不満をいってもどうしようもない,金を中心に老後をまず考えるのはやむをえないことである。
なぜなら子供でも金は出せないとか大家族で世話してくれるわけではないからとなる

不思議なのは1000万の貯金を10年間で計算すると月々およそ九万にもなるのかということである。
84000×12=1008000となっている,これがなかなか納得いかないのである。
年金にすると厚生年金とか国民年金を加えると結構大きな額になるからだ
だから金をどう計算するかはむずかしい,とても数式通りにはいかないからである。
一千万の価値がそんなにつづくのか維持できるのかともなるからだ
もしかしたら半分にも低下しているかもしれないからだ

死ぬまでの金の計算などしたくない,でも高齢化ではしたくなくても避けられないのである。金が尽きたら人生も終わりだともなるかもしれないからだ
だからこそ年金は老後には大事なものなのだと最近わかってきたのである。
その自覚が若い人にはない,絶対にもう60代では人は死なない
今の40代は90才が男の平均寿命になるかもしれないからだ
すると60からの生活をどうするか金をどうするかが問題になるから高齢化また金がさらに必要な時代だとなる,それは用意していない人が多いのである。
自分は親に用意されていたが金だけではたりなかった,それで一人孤軍奮闘してきたことを書いた,これからもそうである。

人生は短すぎたから長くなることは悪いことではない,ただそこに数が多いから社会の負担が増えて問題になる
ただ個々人をとってみれば長く芸術でも探求してきたことを追及できる時代だとなるのだ芸術家は特に詩人などでも早く死にすぎたからである。
そうするといい作品も残せないとなる,それより芸術はつくづく時間をかけないと理解できないものだった,それだけ深いものがあるからそうなっていたのである。
鑑賞すること自体がむずかいしものだったのである。

要する高齢化社会は日本だけではない人類の課題として与えられたのである。
高齢を生きることで人生を豊かにする社会なのである。
それが人類史上はじめてのことだから問題が起きているのである。
人間の一つの願いに長寿があったのである。
それはあまりにも人間が早く死にすぎていたからである。
だから長寿が今実現するというときそれは人類の長い間の願いがかなう時代になったということでもある,ただそれだけからこそいろいろな問題が噴出しているのである。

はっきりいって株とか投資信託とかは老人向きではなかった
老後のたしにしようとしたがかえって損したりする
つまり老後に高齢化社会に向いたものでないなと合わないということがあった
それが証券会社でも銀行でも用意していないのである。
投資は若い人向きである。知識も経験も必要だし先が長く考えるのもそうである。
ところが老人向きのはそういう商品ではなかったのである。
東京のメガバンクなどでは老人向きの商品を出していたのである。
やはりこの辺は田舎では不利だったなとつくづく思う
高齢化というとき都会では高齢者だけが集まる食堂もあり高齢者用の食事も出している
それはやはり数が集まるからそういうサービスが生まれる
田舎ではそれだけの金がある老人とかが集まらないから老人向きのサービスが生まれないのである。
ただ高齢化社会ではこうしたサービスを銀行でも証券会社でも考慮せねばならない時代になったのである。
その対応がないから自分は安心安全で冒険したくないと言ったがそういう商品を示してくれなかったのであり
また地銀ではできなかったのである。

地銀などの投資信託でも株でも商品の数が少なすぎる (その説明もないし地銀とか証券会社のもうかるものを提供する)


地銀などの投資信託でも株でも商品の数が少なすぎる

(その説明もないし地銀とか証券会社のもうかるものを提供する)

自分の経験では勉強していないからわからなかったけどいろいろな商品があるし投資信託でも安全に投資できるものがある
地銀には一つ二つしかなく勝手に相手の銀行と証券会社の都合で決められているふしがある
調べればいろいろなものがあった,投資信託でも積み立てとかいろいろな方法があった
でもそんなものは一切紹介されない
そういう商品をそろえられないのである。
メガパンクでそういうものをそろえているからそこの案内に行けば教えてくれる
でも田舎の地銀はそうした商品の知識すらないのである。
大和証券が来たらそこから与えられるものであり地銀はただそれに従う下請けである。
様々な商品を投資の仕方が提示できない,ただ証券会社にとって投資信託などの商品もいろいろあっても銀行がもうかる証券会社がもうかるものを提示するだけである
だからこうした証券関係や投資信託などは田舎では不利である。

要するに地銀では東京のメガバンクなどと比べると格段の商品の差がある
そしてその仕方もいろいろあり安全志向のもある
地銀で損したら半分リスクをとって払いというときそういう商品もあるみたいだ
この世界は商品の種類が多いが田舎に来るときはすでに証券会社と地銀のもうかるものを提示して与える,そしてそれしか方法がないのである。
だから安易に知らないですると損する
本当は少額で訓練してやれば良かったとなる,それなら損しても仕方がないとなるからだそうするとまた証券会社とか銀行でもめんどうだから相手にしないということもある

何も勉強しないで銀行だから安心だとしてまかせたのが自分のもともとの失敗だった
自分では調べることもできない,他にすることがあってできない
だから時間がとられるから頼んだがそこが裏目に出たとなる
つまり人間は何するにも時間が必要であり時間をさかないと実りがないのである。
それは天才とか特別な人でなくても一つのものを探求すればそれなりのものになる
それはそのテーマに時間を費やしたということなのである。
それは株でも投資信託でも同じだった
みんな銀行に一括してまかせたら時間は節約できてもその代わり実りは収入はないのである。

本当は株でもうけるならデイトレイダーのように一日パソコンの画面を見ていることである。だがそうなる他のことは一切できなくなる
その人の時間はパソコンで株をみることに費やしたとなる
ただ結果として大金持ちになることもある
そこに時間を費やして大金を得たのである
ただ貴重な時間はそのために消えた,すると後で老人になって後悔することになる
金はあるけど自分のしたことはパソコンの画面で株の値動きを追うだけだったとかなる
この時間が貴重なことが人間にとって盲点だった
時間などいくらでもあるというが時間は確実に消失する
そして最後は何にもできなくなる,ベッドで病院の天井だけを見て死ぬだけだともなる

だから老人になるとみんなあの時何をしていればよかったとかみんな後悔している
それはどんな優秀な人でもそうなのである。
それだけ時間を有効に使うのはむずかしいのである。
金がいいのは金があれば他人を金で雇うことができる,すると家事してもらえばその人は自分のしたいことに集中できる
金で時間を買うというときはそういうことなのである。
でも人間は何かを経験するというとき家事だって経験なのである。
それに時間をさいて家事を理解する,料理も理解する
それを全部他人にやらせたら経験がないとなり損したともなる
時間はこの世には様々なことがありそれを経験することだからである。

結局株でも投資信託でもそれを経験していないからわからない,わからないのに近くの銀行員だから安心だということはなかった
むしろ東京のメガバンクのような多様な商品がありそれで説明されて入るというものでもない
本当に非常に限られた数個の株でも投資信託しか紹介しないからである。
そのやり方も説明しない,銀行のもうけになるから最初大金を入れてももらうことになるまた売り手数料を稼ぐ,それが全部悪いというのではないが説明もその時ない
それは営業する人にもよるかもしれないが地銀には本当に商品が少なすぎる
メガバンクなら老人にあった投資の商品も仕方もあったのである。
ただ田舎ではそれを申し込むにも店舗に行けないのだからできないのである。
だから田舎では投資信託とか株はすべきではないとなる
すすめれるものでも確かにいいものはある,ただ選べないのである。
田舎はここでかなりこうした商品とか投資では不利になっていたのである。
アマゾンで本を買うなら平等だが投資は平等ではなかったのである。

ただ銀行員は毎日地元の人達の家を一軒一軒回っている,そして何度も来る,それが信用なっていたのである。ネットとは違うリアルな人間が直接来ることが信頼になる
でも証券とか投資信託とか株は必ずしもそしてもうけるものではない
その仕組みがわかればパソコンの画面で取引して一人でもできる
それになるには相当時間をさくし訓練が必要なのである。
そのためには資金も必要なのである。
だからこそ銀行員に頼んだがそれが裏目に出たのである。
銀行員自体が知らないし地銀はそうした老人向きでも多様な商品をそろえられない
またその投資の運用の仕方もいろいろありそれも説明しないのである。

自分は何度もそんなにもうけなくてもいい,、損はしたくないと言っていた
そういう商品が売られていたのである。
銀行員では答えられない,そんな商品をそろえられないからである。
田から証券会社と銀行に都合のいいものだけを紹介されるともなる
確かに一つはなんとか利益を出したみたいだけど元本から分配金はひかれて損もないがもうけもないという感じなのである。

老後に投資などで知らないことで金をとられるな

これは言えたのである。投資は田舎と都会の差が意外と大きかった
地銀では素人に毛がはえたくらいの経験と知識もない
蓄積もないのである。だからそもそもそんな商品を売ることができないから一方的に証券会社の下請けになっている,独自に何か商品をそろえたりその仕方を教えることもできないのである。
ただ銀行に都合のいい商品を売って手数料を稼げばいいとなる
そういうことを知らないで銀行員にあづけたのは自己責任だとされる
ただ何か老人はもう時間がない,将来生きる時間が限られている
それで一から勉強するものは無理になる
その老人の弱点を知ってその需要に答えられる商品があっても紹介されなかったとういことである。また地銀ではできなかったのである。




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自分の失われた金 (カルマの清算のために金は失った)


自分の失われた金

(カルマの清算のために金は失った)

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今貯金を計算したら相当へった,それはこれらの人に使ったからである。
その額は大きい,事業失敗者にも払った
盗難の額が一番大きかった,これは痛手だった
親戚の遺産分配もそれなりに大きかった
困窮者が来て援助するはめになった,これもそれなりに要求されて大きかった
そして地銀もまた同じようにもうけ話をもってきても結果は銀行や証券会社に手数料とかとられるだけだった

結果としてずいぶん減ったと思う,ただ助かったのは介護は手間だったけどそれほど金がかからなかった,それは自分一人でのりきったからである
ただその間に自分が病気になったりして盗難にあったり苦しい目にあった
介護は本当は二人だからもっと金がかかっているのが普通である。
でもここで金がかかっていないから残ったともなるかもしれない
病院に入院して治療代とか安いし自宅で介護していてもベッド代にしても安いから意外と金はかからなっかた,手間はかかったがかからなかった
ここで金を使っていたら残らなかった
介護とか病気とかで金がかかると思っているが意外と保険があるからかからない
ただ保険金を払うことにかかるだけである。
だからそこを心配する人がいるが自分の場合介護医療には意外とかからなかった
ただ私的に介護する人をたのんだら月三〇万とか一千万くらいかかったともなる
つまり自宅介護で自力でできるなら金は意外とかからないのである

ともかく金は要求されて出ていったとなる,それもしかたない面はあるがここでわかることは困窮者が多いからこうなっているのである。
一見銀行が関係しないようでも銀行も地銀などが困窮会社になる
もうけることができない,金を貸さない金貸しがいるのかと揶揄されたことでもわかる
金を貸してもうけるのが銀行だけどそれができないから銀行の役割はなくなり消滅してゆく危機である。

事業失敗者の要求も追い詰められているから余裕がないから介護する自分の家にきても助けることなどできない,ただ重荷となって自分に事業失敗の金をなんとかしてくれとくるだけである。それはだんだん自分が死んだら金が入るのではないかとすら思うようになる保険金殺人のようになるから怖い
人間はみんな金に追い詰められればそうなる
わずかの金でも殺すし借金が犯罪の動機になるのが普通である

なぜ自分がこんなに金で責められたのか?
それはみんな金に余裕がないからである。
差し迫ったものがありそれが強盗のようなものにもなり脅迫めいたものにもなり自分は苦しめられたのである。こういう人は他人に同情する余裕もなにもなくなっているから
そういう人が自分が苦しい時に来ればかえって苦しめるだけだったともなる

ただこうなったのも自分の親のカルマと自分のカルマだったのである。
ふりかえるとカルマの清算を強いられたのである。
必ずカルマの清算時期がある,遺産相続したりすると必ずこうした金のことでもめる
だからカルマの清算は過酷なのである。
必ずそのカルマの清算の時はやってくる
へたすると殺されるということさえカルマが重ければなる
それは自分だけではない,例えば親が金があってもその金がブラックな金だとカルマの清算が強いられる,金があればすべていいとはならない,そのブラックな金のためにカルマがまわってきて苦しめられる
それは人生の法則のようなものである。若いときの過ちもそのままでは終わらない
必ずカルマとなり後年責められる苦しむことになる

ただここで銀行に苦しめられというのは無知だからだろう,銀行に責任があるわけではない,それはただ知識がない経験がないことでのってしまっただけだとなる
ただ銀行も今は困窮者になっているから余裕がないから証券会社化したのである。銀行もまた困窮者だから苦しめる側になったともなる
困窮者になれば明日食べるものがなければ相手を襲ってでも奪っても殺してまで得ようとするだろう。そこまで追い詰められている人間は善悪はなくなるからだ
そういう人に出くわすのもカルマだとなるかもしれない
自分がそうだったとなる,でないとなぜある人がなぜ事件にあい,苦しめられるのか理不尽だとなるからだ,

もう自分は自分の親とか自分でもカルマを清算したとしてくれとなる
これ以上金はもうない,それで許してくれともなる
つまり金をもつことはこうしてカルマになるから気をつけろとなる
金の額にもよるが平均的にしても上回る金だと今は貧困者が多いから責められる
田舎では特にそうである。田舎では大金持ちなどは住めない
なぜあいつは金をもっているんだとなるからだ
ともかく金というのはどこまでもついてまわる,そして地獄の沙汰も金しだいになる
金の恐ろしさがわかる,金をめぐって人生も変転する
だから人間は金から解放されたいと心底願うようになる
そして強欲資本主義とか金融資本主義がやがては成り立たなくなる,そして別なシステムが生まれるのか?そういう時代が来ることを願うほかない

ただ天に宝を積めというときこの世に積んだ宝も金もそれは腐れる,死ぬときは結局そんなものは意味がなくなる,天国ではこの世の金で生きるのではない
天に積んだ宝で生きる,金にふりまわされることはもうないのである。

カルマの精算期にきたら

本当にこういうことがある,もうこれは法則のようなものである。
人はカルマから逃れられないのである。ただ苦しみがないと自覚できないのである。
なんらか苦しみがともなうときカルマを自覚するのである

自分はカルマ消すことをしてきた,だからもう金ではめんどう起さないでくれとなる
金のカルマから解放されたいとなる






株や投資信託は経験知識のないものはするな (老人が金をためこむほかない訳)


株や投資信託は経験知識のないものはするな

(老人が金をためこむほかない訳)

●自分の投資の経験

最初どういうわけか株に投資していた、それは相当前である、もしかしたら20年前とかなるかもしれない、一時その株は民主党時代に半分になったのである。
でも今のように回復してきた,でも地銀の銀行員がその株を売って投資信託とか国債に投資した,そのとき自分は上がってきたのだからもっていればいいのかと思っていた
ただその時の判断はむずかしかった,なぜならまた株が下がるということもありわからちなかったからである。
ただその銀行員は何か強引なことがあり勝手に金を別な投資先に移した
そこでもう少し間を置く必要があったがそれができなかった
投資信託とかに移した方が銀行がもうかるという判断もあったかもしれない
何しろ手数料商売だとそうなる
次々に勝っては売らないと手数料が入らないのである。
だから自分の場合手数料は相当にとられている,銀行と証券会社は相当にもうかっているのである。まず銀行と証券会社は損はしないからである。

ただ自分が直接かかわったのは銀行であり証券会社ではない
投資はカナダの国債を買った、これは石油がとれるということで安定しているということで買った、しかし石油が下がり損した、次に並行してUSリートを買った
ただ円高になりそれが大きく影響して大損になるところだった
これは分配金を見ていてもうかっていたと思った、分配金が月々結構高いのでもうかっていたと思ったら昨日大和証券会社の人が来て下がっているから売るべきだとと言って売った、損にはならなかったがたいしてもうけにもならなかった

次にJ-reitを買った,これも大東の銀行員が今下がっているからこれから上がるとしてさらに余剰金を投資した、何かそのときも自分は間を置いて考えることができない
銀行員が勝手に決めるとなっていた
でも昨日来た大和証券会社の人も同じことを言っていた、J-reitは下がりすぎている
これは共通の認識らしい,だから売るなと言ってきた
証券会社の人はそのことを確信をもっていっていたのである。

●投資は分散することが定則

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投資はどうしたらいいのか?それなりの資産だと分散することだというのは正しいことだった、別に投資信託でもいいが株とか国債でも貯金でも分散してリスクを減らすのであるだから別にカナダの国債とかに投資してもいい、ただここには為替リスクがあった
だから外国だけではない国内にも投資するのが分散することなのである。

だから株を売ったのは失敗だった、株も分散してもっているべきだったのである。
株が上がる時国債は損するが株が下がると国債が上がるとか逆になるからだ
それは金利が上がったり下がったりするからそうなる
金利が今アメリカであがってUSリートが下がったのである。
そういう国際経済でも見る目がないと投資はうまくいかないのである。
そして絶えず経済も国際状況も変わるからリスクがともなうのが株式である。
ただわかったことは株は長くもっていれば上がり下がりがあってももうけがでる
20年前の株が今になるとかなり上がったともなるからだ
そういう経験をしている人が今回多いのである。
それも経験なのである。

●老人は株や投資信託すると失敗が多いのはなぜか?

老人がなぜ株とか投資信託とかで外国の国債でも失敗するのが多いのはなぜか?
株とか投資信託のことを理解できないからである。
これは知識だけではなく経験も必要なのである。
人間は何でも経験であり知識も経験がないと身につかないのである。
だから老人が退職して株をすすめられたり投資して失敗するのが多いのである。
でももしそういうことを訓練していれば失敗の度合いは低くなる
つまり基本的な株のこととか投資信託のことがわからないからそうなる
そして銀行員などがすすめると信用してしまうのである。
銀行員は本当に金を扱うから信用が命である。
信用が失ったら誰も金をあづけないのである。
そういうものだと銀行を思っていたが今それが変わってしまったのである。
銀行はもう消える瀬戸際にきて藁をもつかむ思いで収益を得ようとしている
そうなると顧客のことなどかまっていられないのである。

株や投資信託は証券会社とか銀行員にまかせるな!

そして経験と知識のない人はするなとなる、なぜなら基本的なことすら知らないからである。そして結局自己責任になるからである。
ただ老人は貯金して消費しないから金が回らず景気が良くならないのだということは本当である。今回自分は損しても銀行でも証券会社には金が回っているのである。
社会的には資産が金が金を産み増えたとなるからだ
だから資本主義社会では投資が基本にあり貯金ではないのである。
貯金に利子がついていたときは高度成長時代であったからなのだ
老人は消費できないというときそのことを書いた
食べ物などはいいとして新しい機械などを買うにしても使いこなせなくなる
何か新しいことを始められないのである。
それで今までのようにビデオをやろうとしたができなかった
カメラを買っても使いこなせなくなっていたとかなる

そして株を長期にもてということは株の定則だけど老人は先がわからない,短いとなるとそうできないから株の投資に向いていない
こういうことがあって老人が金を持っていても社会に回らないということは確かである。でも別にそんなに金をもっている老人は一割とか少ない
自分も本当はそんなに金をもっているとは言えない、都会では一億円持っている人など普通にいる、でも自分はそんな金持ちではないのである。
それより下級老人が増大しているし日本は貧困社会になっているのだ
株でトリプルダウンが起きなかったのはなぜか?
株でもうけているのは一割とか二割しかないからである。
高度成長時代のように全体が盛り上がる経済になっていないからである。
老人が金をもっているというときそれは高度成長時代の恩恵なのである。
郵便貯金で利子が7パ―セントついていたから隔世の感がある
この時は本当に楽だった、ただ銀行や郵便局に貯金していればよかったからだ
銀行員もその時は硬い職業として地域で信頼される人たちだったのである。
公務員のような人たちだったのである。

それが今は銀行員などは銀行が消失するという危機に晒されている
地銀などは特に厳しいし大手でも大規模なリストラになっている
それは時代とともに企業でも盛衰があり今安定していたと思っていた銀行が消滅の危機に晒されているのだ
そうなると余裕がないから利益をあげるものは何でもするとなる
それで顧客に投資信託でも株でもすすめる証券会社の下請けになったのである。
でも証券会社の方が株とか投資信託には詳しいからその子会社のようになり地銀としての役割は喪失する、ただ実際は証券会社の仲介役であり使われいるという感じになる
そこに地銀での自負するもの地域に貢献するものがないのである
地銀というと地がありその土地に根ざすものとしてあった
証券会社となるとそういうものではない、地域に根ざしてはいないのである。
だから昨日来た大和証券の人は地銀の人とは違っていた,やり手だともなる
前の部長という人は何か実直な真面目な昔風の銀行員だった
何かそういう人とは違っていた、若い銀行員も別に悪い人ではない,真面目な人である。東京の人と田舎の人はまだ違っているという感じがある
田舎はどうしてものんびりしているタイプが多いからだ

いづれにしろ株と投資信託とか国債でも知らない人はすべきではないとういことは本当だった,経験がない人はするべきでなかったとなる
それで退職金を損したという人はいるのもわかる
何か自分でもそうだがもうかるという甘い幻想を抱くのである。
投資にはそういうことがあるからだまされるともなる
投資は知識とか経験がないとわからないからである。
投資でだまされるのはそもそも知識とか経験がないからである。
ただ銀行員だから信用するとなるが今は違ってきたのである。
投資信託はネットで確かに手数料なしでしているところがあるし情報はいろいろある
むしろ株に詳しい友達に相談した方がいいとなる、利益とか利権がからむと人間は判断を必ず誤るからだ、証券会社の人とか銀行員とかに相談すべきではない
ネットでも勉強することである。ただそれも時間をとられるから老人には向いていないのである。
これまでしてきたことはできるが新しいことは老人にできないのである。

時すでに遅し

これが老人だったのである。



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