2018年01月15日

駅前の公衆電話故障の原因 (十円玉がすりへって合わない,昭和の十円玉は使えない)


駅前の公衆電話故障の原因

(十円玉がすりへって合わない,昭和の十円玉は使えない)

公衆電話にも歴史がある,大正時代からはじまってるとすると古い

新潟県中越地震(04年)の発生の際には、公衆電話が減少していたため被災住民に不便となったことや、岩手・宮城内陸地震(08年)の際に公衆電話が最も通じやすかったことが、過去には報道されていた。

公衆電話が災害時に強いのは、NTTが設置する公衆電話が「優先電話」と同様の扱いとなっているため(総務省HPより)。

東日本大震災で帰宅難民があふれた首都圏で、公衆電話の前に長蛇の列ができたことはまだ記憶に新しいところです。停電や規制で携帯電話がつながらない中、優先的に通話ができた公衆電話はその価値を見直されました。

経済状況などによって硬貨の重さや大きさが変わると、公衆電話も対応する必要が出てきます。

新しい5銭硬貨が公衆電話で使えないことを伝える記事=1920(大正9)年12月17日付東京朝日朝刊5面
拡大新しい5銭硬貨が公衆電話で使えないことを伝える記事=1920(大正9)年12月17日付東京朝日朝刊5面
 1920(大正9)年、新しい5銭白銅貨がつくられました。当時の公衆電話ではこの硬貨が使えなかったため、逓信省と大蔵省で対応策が話し合われます。「旧5銭白銅貨と同じ形の金属をつくって、切手のように売る」などの案も出たようですが、最終的には電話機自体をつくりかえることで決着しました。

このうよな歴史がある

今回の故障の原因は十円玉が古くなりすり減ってあわなくなったためだという
そんなことがあるのか?硬貨自体が変わるとそれに合わせられなくて機械自体を変えることになったことはここに書いてある
でも十円玉がすりへって使えなくなり故障になったというのは驚きである。
十円玉がそんなにすりへるのか?それが機械に影響して使えなくなった

それはスーパーのお釣りがでてくる自動機械でもそうである。古い硬貨を入れて不具合になったことがある,何か使い古したものがそうなりやすい。
ただ十円玉がすりへって使えない,故障の原因になっているのとは思わなかった
昭和の十円玉は使えないという,それだけ硬貨でも使っているとすりへってくるのだ

そのNTTの警備員とかになっている人は浪江の人なのでいろいろ話した
その人も原発で働いていたのである,浪江だと三分の一なんらか原発に関係していたのである。
ともかく駅に関していろいろあるものだと思った
それはただ駅を利用して乗りおりするというのではなく駅員のようになり駅を管理するようになったからである。
奇妙なのはそのNTTの職員にごくろうさまとか言うのは駅員がすることである。
駅の管理者がすることである。JRの人がすることである。
この公衆電話も駅の一部なのである。

つくづく機械には弱点がある,昭和の硬貨はまだ使っていたはみたが平成のがほとんどになっているのかもしれない

29歳平成元年1989年
30歳昭和63年1988年

昭和から天皇が代わり平成になった,それは30年前だった,昭和から30年すぎたのか?
これも早かったなと思う,昭和は長かった,平成は天皇退位で来年は年号が変わる
これも時代だと思う,日本の年号は何なのか?
江戸時代などはめまぐるしち数年でも変わっている,でもその年号が郷土史とかでは貴重である。その年号から時代をみるからである。

ただ昭和の時代は平成の時代と比べるとどういう特徴があるのかとなるとわからない
昭和は戦前もあり戦後も長いからそれも長すぎて時代の特徴を出すことができなかった
時代区分では戦前と戦後になるからである。昭和というのがつづいたのは違和感がある
それは天皇の在位期間によって左右されていたのである。

いづれにしろ何か今回の駅前の公衆電話も一つの歴史だと思った
公衆電話は緊急時に役に立ったということはやはり必要なものなのだろう。
でもカードの時代になった,でもテレホンカードなど使っていない
みんなスマホを見ている,携帯を使っている
ただ携帯を忘れたとか,年寄りとかとかまだ使っている人はいる
でも三分の一に減ったとなるとこれも時代だなと思う

今回の公衆電話の故障では機械は万能ではない,十円玉がすり減ったら使えなくなったとかある,これもやっかいである,何か機械ではすべて対応できないものが出てくる
だからAI化とか自動化が盛んに言われるがそれが万能にはなりえないのである。
必ず不具合が生まれ故障したり事故になったりするのである。
それで駅員が必要だとなるがそれがコストの関係でできない,でも自動化してもたりないものがありそれを補うのが人間なのである。

タグ:公衆電話

深野の俳句やユッサの湯の正月


深野の俳句やユッサの湯の正月

yussaaaaend.jpg

fukounooo123.JPG

fukounooooo123.jpg

深野の隣は大原冬深む

大原に知る人眠る冬深む

深野に大原村や冬日没る

冬の日や長野に古りぬ墓あわれ


石五つつ庭に変わらず正月に活けにし花は葉牡丹なるかな


深野とは名前も関係していて気にいっている,ふこうのであり深野ではないのだ
その雰囲気も何かいいとういうか独特のものを感じる
外から見たらたいした変わらなくなるしその土地のことはわかりにくいのだ
日本では村が生活の基本の単位だった
だから村には歴史がありそこに本当は日本人の心性がある
むずかしくいえばそうなるがやはり日本人は村で生きていた時間が長いからである。
それは悪い面としても反映される,外からの人を受け入れないということである。

ただ現代だともう隣村とか隣の市だろう町だろうが村だろうが関係ないともなる
それだけ広域的にグローバルにも生活しているからそうなった
ただ歴史的には深野と大原は違っている
ここで錯覚しているのは深野が古いということである。
大原は相馬氏が進出してきたとき大原は開墾されたのである。
深野はその前からあった,だから中世の館の地名が二つもある
館とつく地名があるのは古いのである。
飯館村でも館というつく地名があったから中世からあった村なのである。

つまり郷土史は村でもその新旧を知ることが基本にある,だから戦後開墾に入った村が奥地にある,それが何か古い家だとまちがいやすいのである。
そして豪倉という地名は昭和十年だったのであり新しかったのである。
飢饉のために備える倉のことである,米を貯えていた
そして江戸時代のものは墓でも価値があるがこうして新しいものは歴史がないとなり価値がないのである。

ユッサの湯に行った,あそこは時々休息に行くのにはいい,見るべきものもないが庭に石があり森がある,だから安らぐ場である
でもあそこの湯に入ったことはないのである。自転車だと湯冷めするからである。
そして入浴料が750円とかは高いと思う
それが本物の温泉ならいいがどうもそこが良くわからないのである。
確かに温泉は出たとしてもそれがどんな温泉か確かでないらしい
要するに温泉が出てもどれだけ出ているのかもわからない
ただ温泉とすれば価値が上がるから一応そうしているのかもしれない
この辺では温泉は出ないからである。

ユッサの湯に飾ってあった生け花は正月らしくて良かった
生け花は結構センスがないとできないし暇もないとできない
自分もしているが何かうまくいかない
やはりこれも伝統的なものがあるから身につかないし
生け花は金も暇もかかるのものである
それで忙しいからできないということもあった
家事に時間をとられるからである。

田舎の冬はしんとしていいものである。都会だと騒々しいからだ
しんみりと田舎の冬を味わうのがいい,田舎はやはり老人に向いているのである。
ただ何か田舎は恒産がないと住みにくい,家があったり土地があったり田んぼや畑があったりそれなりの財産がないと住みにくいのである。
ただ今はみんな財産は金であり田舎でもほとんどの人が会社員なのである。
それが都会から見ると錯覚しているのである。

深野の豪倉

ユッサの湯

住所

南相馬市原町区深野字荒戸沢15

時間

10:00〜22:00

入浴料

750円

源泉

PH 9.02 源温 28.2℃

泉質

アルカリ性単純泉

効能

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進



間違いなく温泉であるがどれだけの温泉なのかわからない,温泉にも評価がいろいろあるからだ