2018年01月13日

ギャンブルのために費やされる労働の是非 (金になるからいいとすべてなるのか)


ギャンブルのために費やされる労働の是非

(金になるからいいとすべてなるのか)


一時鹿島区では競輪の券売り場で是非を争った,風紀が乱れるとかなんとかあった
でもどちからというと賛成者が多かった,理由は金になるからということである
そこで底辺層は掃除などあるからいいと言っていた
それはパチンコ屋とにている
バチンコ屋があって街もにぎわっているという主張があるからだ

でも問題は何にあったのか?金になればすべていいという論理がまかりとおるのが資本主義であり現代である。
いちいちその金のことなど考えない,金をどう稼ごうとも使うとも自由だというのが資本主義である

しかしそれを深く考えるとそうでもない,そのことが自分の一身上のことで現れたのである。
自分が介護で苦しんでいるときその人は借金してパチンコ屋で働いていたのである。
その時小高の人達が大勢避難してきて仮設に住んですることなくパチンコ屋におしかけた他にも競馬とか競輪とかに通うことになった

別に暇だからいいじゃないか娯楽なんだよという人もいる,気晴らしが人間に必要なんだよという人もいるしいろいろである。
でもその本当の問題は何なのか?
それは金の問題もあるが貴重な人間の労働がそこに費やされていることなのである。
その時介護で自分が苦しんでいたのになぜパチンコ屋で働いていたのか?
それは借金のためしかたなく働いていたとはなる
でも本来は介護して苦しんでいる人のために労力を費やすべきだとはなる
でも金にならないのもは何もしないとなるのが現代である。

自分は駅で案内してそういう競輪の人が来てタクシーを呼ぶ,案内したこともある
でもそんな人のために労力を費やしたくないとはなる
しかしタクシー会社とか金をおとしてくれる人がいいんだという意見の方が根強いのである。

それが資本主義社会に基礎にあるからそうなる
それはいいとして他の人達が困っている時にそういうことで遊んでいる人が許されるのかそういう疑問になる,そんなこといったらパークゴルフ場で老人が毎日遊んでいるではないかともなる
そこにも労力は費やされているのである,そこを作るにもそうだし整地するとかにも今でも金はかかっている,金だけではない必ず労働されて労力が費やされて成り立つ運営されるのである。
だから遊びのためにそんなところに金を使っていいのかという意見もある

ただ自分はパークゴルフはしないけどあそこは気持ちいい場所として散歩に自転車で寄っているのである。
それはレクリーエションで別に今の時代そんなことにめくじらたてる必要もないとはなる
ただ問題はこの世のあるゆるものに人間の労力が費やされて成り立っている
一見それが見えないのである。鉄道など乗っている人にはわかりにくいが毎日のように鉄道の保守点検に下請けの人などが来ている,それだけ鉄道を維持するには金も人手もかかっているのである。
いくら機械化しても自動化しても必ず人手がかかるしそれを全部無くすことはできないのである。
そして人手とは今や貴重なのもでてあり安価には使いないものである。

だから自分には人は使いなかった,使う資格がなかった,そういう立場にもなかったのである。人は単に金だけでは使えない,その仕事にそれだの価値があり社会の用があるとき仕える
医者は看護師を仕える立場にあり社会的にも認められている
それは確かに給料も関係しているが金が関係しているが社会的に必要なものとして認められているから人を使うことができる
自分などの仕事はそんな家事を自分でやれよなとなるのである。
ただ介護のときは苦しいからそうでもなく助けてもらいたかったとなる

まず人の労力は貴重なものでありそれを使える者はそれだけの資格とか社会的必要性があるのかとかで判断される,金があるからは言って人をがむしゃらに使うことはできない
もろろんそれで働く人もいるし資本主義社会では是認されている
でも労働力が貴重であるときすべてが金だけでは決められない
社会的必要性があるもの万人が価値を認めるものでないと人を雇うことはできない

だから例えばオリンピックに今労働力が費やされている,そのために過労で死んだとかいう人もいるし事故で必ず誰かかが死ぬ,ではそれだけの労力を費やしてオリンピックをすべきなのかということになるのである。
それは労働力が貴重だからそうなっている

人生は何か?それは何に時間を費やしたかによって決まる,すると人生は労働なしではありえないのだから何のために何に貴重な時間を労力を費やしたのかとなる
労働というとき必ずしも社会のためにというだけではない,遊びでも旅行とか登山とかその他遊びが貴重な時間を費やして実りとなることもある
ただギャンブルなどがそうして労働の実りとなるとはありえないのである。
ただギャンブルの本当の問題は何か?

そこに貴重な他者の労働力が費やされている

掃除するものも労働だしその労働は本来はもっと社会にとって個人にとっても有効なものに費やされるべきものだからである。
ギャンブルするのはいいとしてパチンコする人が掃除をして他人の貴重な労働を奪うなとなる
それは理想だがそういうことが社会には多いのである。
その時労働をしたくないというのもわかる,自分の貴重な時間をギャンブルする人達のために掃除して他にも費やして何か実りがあるのかとなるからである。
そこまで深く考える人はいないが社会にはそういうことが多いのである。
ただそれが自由社会であり資本主義だとなれば是認される
人はそれぞれの価値観に基づいて金を払うというだけになる
ただその時社会全体が荒廃してゆく,本当に労働の必要な所には労働力が得られなくなるそれは社会全体の被害になる,人手不足の時代は特にそうなるのである。



タグ:ギャンブル
posted by 老鶯 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

避難している浪江町民などの問題 (けじめの時期が来ている-いつまでも被害者なのか?)


避難している浪江町民などの問題

(けじめの時期が来ている-いつまでも被害者なのか?)


小高のときも仮設に住んでいる人が問題になった,毎日パチンコやギャンブルしていて遊んでいた,それでもボランティアが来てかわいそうだからと支援していた
そして鹿島の人は同情もしない冷たい人だと互いにいがみあうようになった
小高の人は鹿島の人の気持ちなど全然考慮していなかったのである。

次に主に浪江町の人が今度は移住してきた,その人たちでもほとんど働いていない,老人が多いということもある
でも不思議なのは他でも問題になったが二本松市とかに移り住んでも以前として浪江町民なのである。だから税金など払わないということが問題になった
それで二本松市に浪江町を作るということを提案した

なぜそうなったのか?浪江町民とは何なのか?それがわからなくなった
漂流する流浪民のようになったからだろう,ただ県と国ではそうしたし人達を援助するから移住先の自治体に金を払うということがあった
だからそうした人達がすべて邪魔者というものではない,それより被害者なのだから保護されるべきだということがあり誰も何も言えないのである。

その保護されるにしてももう60以上は仕事できないから小高の人達は国民年金では足りないからもっと援助しほしてい,年金として死ぬまでもらいたいと現実に要求したのであるつまり被害者だというとき何でも通る,それに批判するのものはなんて非情な人達だとなりマスコミでも応援するから何も言えない
それでNHKでもそのことを言うから余計に原発避難民を非難するものは糾弾されるのである。

でもすでに7年もすぎて以前として同じ状態にある,避難民はどう考えているのか?
誰も小高でも浪江でも帰りたくないという,では他に移りそこで住むのか?
原町とかに家を建てた人が多いのだからすでに浪江町には帰らないのである。
だとするなら南相馬市民として税金も払いとなるだろう。
また南相馬市民として尽くし働いてもらいたいともなる
人手不足で困っているし浪江町の人でも病院とか施設とかその他利用するからである。
そこには金だけではない南相馬市民の労力も費やされているからである。
ただ浪江町の人も看護師とかで働いているとかこの前はnttで働いていたとかありみんながそうではない,それなりに働いている人はいる

ただそれは割合とすると極めて少ないだろう,一割くらいかもしれない,その割合はわからない,ただ小高でもそうだが浪江でも特権意識化してかわいそうであり被害者なのだからいいのだとなんでもなってしまうのも問題なのである。
もう7年もすぎてもそうなのである。

そもそもわからないのは復興するというとき小高でも浪江でも飯館でも誰が復興するのかまたしたいのか?
それもわからない,地元の人達はもうあきらめて家を壊して他の土地に新しく家を建てて生活も別になっている人も多いからだ
公務員などは残り復興したいとしてもその肝心の町民はもう住みたくないとなっている
では一体誰が復興するのか?外部の人がいくら支援しても肝心のそこに住んでいた人が復興とは関係ない,他に移り住み帰らないと言っているからだ

結局それも被害者なのだからどうにもならないとそこに住んでいた人達は言う
それは自分たちの責任ではない,国や東電や原発事故を起こした人達の責任である。
俺たちはもう死ぬまで被害者であり補償されるべきだとなっている
補償金が切られたらあとは生活保護だと遊び人は言っていたからだ

俺たちは被害者だ
俺たちに責任はない
俺たちは最後まで補償されるべきだ
俺たちは働く必要がない
俺たちは被害者だ
回りの人達が支援すべきだ

こうなっているのが原発避難民なのである。でもその責任は一体誰がとるのか?
そこに住んでいた人達にはないと主張するとき誰がとるのか?
そうなら浪江でも小高でも飯館でももうみんな住まない方がいいのではないか?
復興を支援すること自体徒労だとなる
第一そこに住んでいた人達がそこに住むことを拒否して放棄したんだからその人たちはその町村民でもないのである。
ただ補償金をもらうためにそこに土地があれば何か財産があれば金にしたいしかないのである。

それはそれでいいとして別な自治体に籍を移してそこで税金を払いそこの一市民や町民になるべきだとなる,でも現実は南相馬市の市長選挙があっても選挙権はないのである。
南相馬市民の一員ではないからだ,だから権利は与えられないない,でも別な自治体に住むのだからそこで補償金だけをもらいあとはまた生活保護くれとかなると困る
市の負担が増えるからである。

わからないのは浪江町の人が南相馬市であれ相馬市であれ他の市とか町に移り住んでも回りの人があの人達は浪江町民だとか見ていることなのである。
でも実質はもう浪江町とは関係なくなっているのである。
浪江には帰らないからである。家も建てて別な自治体で暮らしているからである。
何かそういうけじめをつける時期に来ている
いつまでもだらだらと訳わからなくしていることはできない
それは浪江町とかの自治体でも公務員でも処理に困る
この人は他に家まで移り住んだし帰ってこない,だから浪江町民ではない
では他の人はどうなのだとか悩むだろう
この人は帰ってくるからなんとか帰ってきてもらい新しい町作りなり復興に役立ってもらいたいとかなる

そういうけじめの時期が来ている
それは自分にも言えたのである。一時は同情してもその人も原発事故とは関係なく被害者でありかかわいそうということがあってもそれなりに援助したのだからだらだらと援助ばかり都合よくすることはできない
現実に一年の内半年も働かない非正規である。そこには確かに事情がある
でもそのために自分が援助するとなると個人的には無理である。
社会的にもなぜ人手不足の時代に正規にもなれるのに定期的に働ける場があるのに働かないのかとなる
自分にそんなに援助する金などないのである
人間はどこかでみんなけじめが必要になってくる,いつまでもだらだらと何か困っていても先伸ばしはできないのである。

タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

非正規雇用の問題 (一年の内に半年も仕事がないのか?)


非正規雇用の問題

(一年の内に半年も仕事がないのか?)

その人は建築関係の仕事である。年齢は40代くらいだろう。去年は3ケ月くらい働いていない,その後仕事探していわき市の方に勤めた、前はこの辺で除染関係の仕事をしていたその時は近くだから楽だった
その仕事を終わってまた別な仕事を探しまたせっかくいろいろ書類をそろえて正式に勤めたのにまた仕事がないと6月まで仕事がないからその母親が金を援助てしくれという
その女性にはいろいろあってずいぶん援助してきた
でも遂に限界に達した,前借りから何かと金を要求されるから限界になった
事情があったときはやむをえなかったが限界になった
そんな親子とつきあっていて金払っていたらきりがないからだ

確かに母親は67才くらいと年でいつも腰痛い痛いと言って皿二三枚やっと洗って終わりである。それはもう必要ない仕事である。ただ事情があってさせていたのである。
非正規の問題はそうして途中でブランクができてまた別な仕事を探すことである。
これは手間になる,建築関係とか土木関係はそういうのが多いからしかたがない面があるでも建築関係でも正規に勤めている人はそうではない,その人の兄は同じ建築関係でも
家族を養い足場を組む仕事をしているのである

だから非正規とかなっている人はその時の社会の事情があり氷河期で就職できなかったとかあった,でもそれを全部社会のせいにはできないだろう。
現実にその時でも正規になって働いて来た人はいるからである。
とにかく非正規はこうして一年の内半年くらいブランクができることが問題なのである
その人はその間に何もしないというのではない,手間賃をもらうような仕事はしていた
でも去年もそうでありまた今年もまた半年も働かないのか?
仕事がないとはこの辺では言えないのである。
全国でもそうである。どこも人手不足で苦しみ会社自体が倒産したり起業できなくなっているからだ

特に原発事故周辺はみんな人手不足で困っている,特に病院とか介護関係で困っている
飲食関係でも募集しても時給1000円以上になっても来ないのである。
だから働く場所が仕事がないから困っているということはないのである。
ニートとかフリーターとかの問題を取り上げたけどこの辺の事情が違うし人によっても事情は違ってくる公式のように社会の問題をあてはめることはできない
この辺では働いてもらわないとみんな困るし復興もできないのである。
それで原発避難者が毎日パチンコでありギャンブル指定ことが避難されるのは当然だったのである。それは被害者だからしかたがない,かわいそうだだけでは許されないことだった,今でも今度は浪江町の人達が遊んでいるけどこれもやはり問題になる
浪江町の問題は不思議は南相馬市に特に原町市に5階建ての団地ができて浪江町の人が入った,原町には何千人と入ってきている
でも南相馬市民ではないのである。浪江町民であり南相馬市民として税金も払っていないのである。そのことが問題になった
そして小高の人達と同じように補償金で働かない人が多数なのである。
老人が多くて働けないとういことがある

いづれにしろ働かない自分がなんか言うことはまた考えてみれば矛盾しているともなる
それで自分は反省すれば自分にはそもそも人を雇う資格がなかったともなる
第一自分には人を雇う経験もないし人を雇うことがどういうことかもわからなっかた
それで大金を盗まれたり次は次々にただ金を要求するだけなのかとなる
そこには事情があってもなぜそうなっているのか?
こういう事態になっていればこの辺ではニートとか働かない人は責められて仕方がない面がある,人手が足りなくて困っているのにパチンコ屋で毎日いりびたりで遊んでいたり他に何もしない仕事をしないということは責められる立場にある
すでに事故から7年も過ぎようとしているからである。

結局労働問題になると生活保護であれ非正規であれ確実にその人の資質とか自己責任はある,ただそれが百パーセントあるとはならない,社会の責任も回りの責任もあるからだ
ただ全く全部社会の責任とはならないのである。
どうしてもそういう人達は怠け者が多いとなる,それが別に他人に迷惑をかけないならいいのである。では仕事あるのに働かずに他人に要求してくる
あいつが金があるからせびればいいとかなっている
そして自分自身も問題があり人を雇う資格などなかったのである。
今になれば自分で家事も全部できるから人など雇う必要がない
人を雇うということがどれだけやっかいなものかわかった
そういう資格のある人はできる,また組織として人を雇うシステムがあり伝統があるとかなればできる,一人の普通の金持ちでもない人が人を個人的に雇うことはその雇う人に問題があったのである。
それは自分のことである,自分など仕事もしていないし会社勤めもしていないし人を雇うことがどういうことかもわからない,だから人をたいした金でもないにしても雇う力量も資格もなかったとなる
ただやむをえない事情でそうなったのである。

だから自分はそんな非正規社員で一年の内半年も働かないで金がないからと自分に要求されては困るのである。それは社会に対してもそうである。
今は現実に人手不足でありいくらでも仕事がある,特に原発事故でこの辺は人手不足で困っているからだ,そしたら正規に勤める場もある,近くでもある
それは町を復興させるためにも必要なのである。
67才で今は働いている人もいる,だから67才でも何か病気でない限り働けないということもない,何か市町村のために働くことはある
結局非正規とかフリーターとかニートとかは現代の豊かさから生まれたものである。
でもそれを個々に事情があるからわからないが全部は是認できない
特にこの辺ではみんなで働いて復興しようとしているとき許されないものとなっている
全体的にそうしてここで働かない働けない人が多すぎるのである。
そうなるともう市町村自体が成り立たなくなる

ただ何が優先順位になるかはわからない,葬儀屋などは自分の価値観ではそんなに重要な仕事なのかとなる,でもそれも重要だと社会で位置づける場合もある
ぎりぎりになれば飲食業でも外食はしない,家で食べていろともなる
金があっても人手がないのだからできないともなるかもしれない
でも外食できなくても死ぬことはないから他の病院のようなものだけは人手不足では困るからそっちに働くことを優先するとかなる
人間はぎりぎりになればそうして働くことを強いられるのである。
この辺はそういう事情があるから他とは違っているのである。

タグ:非正規
posted by 老鶯 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題