2017年12月17日

新地駅俳句十句 (新地から海が見えて景観が良くなった)


新地駅俳句十句

(新地から海が見えて景観が良くなった)

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桜咲き海を望みて新地かな

船の行く山より望み朝桜

草萌ゆる電車の行きて望む海

耕やしや海を望みて新地かな

山鳩や海を望みて春の畑

海の青染まりて新地春の暮

新地より高架になりて夏の海

鴎飛び電車の行くや夏の海

文禄の碑伊達領なれや秋深む

時代毎碑の古り並ぶ秋の暮

新地駅雪の蔵王の迫るかな

新地駅おりたち二本の冬木かな

金華山牡鹿半島望めるや津浪の後の新地駅かな

相馬地方の景観は変化がある,外から見た人は電車などで通りすぎてもわからない,複雑な地形には実際はなっている,その土地のことはやはり長く住んでいないとわからない
新地と相馬市と原町とかで何が変わっているか一回くらい来てもわからない
新地は地勢が浜通りでは同じようで違っている

海と山が近く迫っているのである。海が近くすぐ岡になり山が迫っている
それで手長明神の伝説が生まれた,鹿狼山(がろう)から巨人が手を伸ばして貝を食べていたという伝説である。これは裏付けのある伝説である。
貝塚も丘にあり海に近いからである。地形を見れば納得するのである。
この地形は簡単にはわからないのである。

まず春になると鹿狼山の麓まで上ると太平洋が一望できて牡鹿半島とか金華山が見える
そこに桜が咲いていてあそこは本当に見晴らし良く春は一番眺めがいい
新地駅も高くなり同じように見えるようなったので新地駅におりて一見する価値がある。
ただ快晴にならないと見えないから注意である。

そして新地が津浪で海岸部の村が消失したけど景観的に良くなったという不思議がある。高架橋になり電車が走っている風景はなんともいえぬ海にマッチした風景となったのである。
今まで海は浜通りなのに常磐線では見える場がほとんどなかったのである。
新地から坂元から山下と海が見えるのである。
だから景観的には前より良くなったという不思議がある
松原はいいものだったが海をさえぎり見えなくしていたことがあった

この辺の景観でいいのは新地でもそうだが新地から丸森に入ると丸森も森であり秘境のような所が川を上っていったらあった,その深い森林に迷い入り出れなくなったことがある丸森は森が深くおおっていたのである。だからそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩で森林資源の木材をめぐって争っていたのである。
丸森も阿武隈川があり森が深く景観的にいい場所である。
この辺にはまだ人があまり踏みいらない土地が残されている
飯館村にもそういう場所があったが道路ができて消されたりはした
でも森が深くつづいて森につつまれている地域という感覚はある

ただ山下から亘理までは景観的に見るべきものがない,山は低くなり変化がないのである亘理に来て阿武隈川をわたるとき蔵王が見えて変化をみることができる
だから山下とか浜吉田とかあるが景観的には魅力を感じないのである。

この辺の景観の弱点は高い山がないことである。鹿狼山でも400メートルくらいなのである。あとは高い山がないのである。それがものたりないのである。
日本はここだけではない,狭いのだが地勢が変化に富んでいるからあきないということがある。
まず大陸だ満州でもどこまでもトウモロコシ畑でたまに大きな泥川が流れているくらいで変化ないからあきるのである。
だから日本は旅行するには地形に変化があるから面白いと思う
海あり山あり川あり森ありであきないのである。季節の変化もあるからそれであきないということがある。日本は地形でも季節でも変化が激しいのである。
今年は特に暑かったり寒かったりと変化が激しい年だった

歴史的には新地には文禄の碑がある神社があった,伊達領だったのが新地だから検地のための記念の碑らしい,その神社には時代毎に碑が残されていて興味深いものがあった
新地は伊達領だったということがわかりにくい,なぜなら明治以降は相馬郡に編入されたことでわかりにくくなったのである。
蔵王も新地駅からまじかに見えた,蔵王は相馬地方だと鹿島の八沢浦からも見えていたのである。

俳句も連作でないと一句だけでは文学となりにくい,それで自分は連作を試みてきたのである。四季がありそれを連作にすると一連の作品として鑑賞できるのである。


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