2017年12月07日

冬の日の故郷(写真俳句)


冬の日の故郷(写真俳句)

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前畑を手入れす老人冬の菊

新築の家の隣に冬柳

冬日さし寄り合い並ぶ石残る

山茶花や石の残りて医院かな


この写真家から読み取れるのは何か?
この老人は前の畑だけど手押し車を押してきたのか?手押し車が脇に置いてあるからだ
前畑だからなんとか畑にして仕事しているのだろう。
前畑とか前田というのは家の前だから仕事しやすいのである。
それは姓にもなったのが日本である。後畑という地名も浪江にある

肉眼で見たときはこの車椅子は良く見えなかったしシャベルも良くみえなかった,写真にとると見えないものも写っているのだ
写生俳句が写俳が一つのジャンルを形成したのは時代である。

新築の家に冬柳がしだれているがそこはもともと古い農家であり新しい家はこの辺ではまだ建ち続けいるからこの辺の変化を示している

次にいつも通る路地裏の医院である。これはこの辺では知られていた,母も通っていた
このお医者さんは老人に親切だとかやさしいと言っていた
もう一人の医者はこの辺では有名だった,その話の出ないことはなかったのである。
でも口が悪く母は嫌っていたのである。
ただ医者としては優秀な人だったのである。
不思議なのは死んでから全く話をする人もいないのである。
一時息子が跡を継いでいたが原発事故で東京にもどり母親は施設に入りいなくなった
そういう家の変わりようが普通にある

この医院はいかにも作りからして古いし地域に親しまれた医院だということがわかる
その頃大きな病院は少なく開業医が多かったからである。
この空家となった医院を見ているとだから不思議である。

冬の日がさして庭には石が並んでいる,それがまるで年寄りが肩寄せ合って並んでいる感じに見える,開業医は人間的な所があ地域に土着して根ざしているのが違うのである。
大きな病院は無機質であり人間味がないのである。
そして勤務医と開業医ではかなり違う,開業医は地域の人と親しくならねばならない,そこでコミニケーションもしなければならないから違っている
この医院にはそうしたものが今でも感じるのである。

ともかくその後には人がいなくなっても何かが残る,近くの空き地には一本だけ松が残っている,それが近くでも誰が住んでいたかもわからないのが不思議なのである。
住む人もこの辺では変わった,だから外から来た人がかなり移り住んでいる

ただ人間は常に変わる,人でも何でも変わる,だからこうした変化は世の常だったのである。ただこの辺はその変化が激しすぎたのである。

原町の時刻表 (小高行きの時間が出ていた)


原町の時刻表

(小高行きの時間が出ていた)

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道の駅にあった原町の時刻表に小高行きの時間がでている,こさを見れば小高に行くときは便利である。浪江行きとはなっていないが浪江行きも小高行きだと行くのかもしれないこれは浪江駅が開通する前に作られたので出ていない

これも時刻表として自分の作ったものに入れればいいがめんどうでできなかった
自分が駅に置いた鹿島駅の時刻表は結構枚数を置いたが今でもなくなる
だから相当な量が必要になる,千枚とか必要になるのかもしれない,
それ以上必要にもなる,ただ最近駅でしていることはタバコの吸殻とか拾ったりゴミを拾ったりしているだけである。

駅舎のホームの蛍光灯が二つ点滅していので連絡した,それは了解したから交換するだろう。その他何かいろいろあったが話だけで終わった
ただ一年間ボランティアのまねごとをして面白かった

鉄道の旅が長いし世話になった,でも鉄道員のようなまねをしてみたら鉄道も違ったものにみえる,これは簡単にはわからないものだった
車掌に手をふって電車を見送ったときなんともいえぬ不思議なの気分になった
鉄道員としての鉄道を維持する連帯感を感じたのである。

人間の仕事はいろいろあってわからない,まず鉄道を利用するのと鉄道を維持するために働くのとはまるで違ったものとなる,鉄道会社で働くということは何か義務感とか大げさになれば使命感みたいものが必要になる,だから生きがいになるのである。
自分も鉄道を維持しているんだというものを感じる
それはボランティアのまねごとでも感じたからである。

自分は働いたことがないから会社員になったことがないからそういうことがわからなかったのである。鉄道員が映画になったように何かそこには人生そのものが鉄道とともにあったとなる,だからこそ愛着が生まれたのである。
どんな仕事でも長くしていればそれに愛着を感じる,ガンになった人が倉庫で働いた人とまた働きたいというときもそうである。
なぜなら仕事というときそれが給料をもらうとういだけではない,人生そのものになる
これもふりかえればそれが生きた証だとなってしまうのである。

2017年12月08日

富岡八幡宮4人死傷の深層 (神社も寺も教会も聖なる場ではない)


富岡八幡宮4人死傷の深層

(神社も寺も教会も聖なる場ではない)

  瓦解する神社

神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も

これは何なのだろうとなる,これは急激に起きた事件ではない,前からもめていたのである。
神社本庁と地方の神社の争いがあった,この神社本庁とは何なのか?
これは権力機構としての神社を統括するものだった
悪く言えば地方の神社から金を吸い上げる組織なのとかなる
暴力団の上納金のシステムなのかとなる

なぜなら跡目相続でもめているというとき神社本庁もその地方の神社の宮司になるために争うというからだ
天下り先として地方の神社に神社本庁の職員がなる
そして東日本震災で寄付された御料米が職員に配られていたというのもそうである。
利権化した団体でありただ上納金を吸い上げる本元が神社本庁なのかとなる

そもそも宗教は無形だったものが有形化資産となったときそれをめぐって争いが起きた
カトリックでは土地を所有することによって財産を築き腐敗した
土地をもつだけで相当な財産を所有したからである。それは日本でも寺領がありそこは治外法権のうよになり国のようになり僧侶が支配したのである。
その僧侶が武士になったという説もありえないことではない,なぜなら寺領を武力でも治めていたからである。

平安時代後半は社会が乱れ、強い勢力を持った寺社が自衛するようになり、所有する領地の治安維持や公家・武家・悪党・他の寺社などに対抗するため武装。

ヨーロッパでは騎士団が形成されたし十字軍もあるから宗教は戦闘集団としても形成されていたのである。
そういう歴史があるから権力争いが宗教でも起きてくる

明治維新のとき廃仏毀釈がなぜ起きたのか?それは江戸時代は寺が幕府から役所の一部のようにされ優遇されたからである。それで天皇がもちあげられたとき右が勢いづいて
廃仏毀釈が荒れ狂ったのである。これも宗教の権力争いだったのである。

宗教の争いというとき宗派の争いとかあるがその根底に利権をめぐる争いがある
人間は土地でも建物でも金でもなんでも財産となるものがあればそれをめぐって争いとなる,だから宗教の理想は何ももたない無一物なのである。
キリストやシャカは家もないしこの世に安んじて寝る場所すら確保できなかった
そんなことをまねする人など今はいないのである。

神社も一つの権力化したものとみることができる,神社の意義は何なのか?パワースポットとかとして今では重宝される
神社は土地と深く関係して生まれているからだ,それで津浪で神社が建っている,社がある所が津浪からまねがれたということで話題になったのである。
ここでも烏崎の八幡神社が津浪からすれすれで残ったというのもそうである。
ぴったり津浪の来る高さにあったということも不思議なのである。
そこに霊験があったともなる

神社が場所に関係しているというとき飯館村に山津見神社などもそうである。あの奥深い場所がそうなのである。佐須とは焼き畑地名であり狼は祭っているのは農作物を鹿とかイノシシとかに荒らされるから天敵の狼が神ともされたのである。

神社が場所と深く関係しているというときエレサレムを首都にするということでもめているがやはりそこが聖地だということで争っている
本当は聖地は常に移動している,聖地は常に汚されるからだ,そんなに争う場所に神はいたくないとなるからだ,だから今神は砂漠にその住処を求めたというのもわかる
今はヒマラヤ辺りが聖地となる


古代に度々都を移したのはそこが汚れてしまうからである。政争があったり何やかやと汚れる,平城宮でも呪いの木簡が発見されたりする,それで心機一転するために都を移したのである。それは古代だから移る未開の土地があったかからできたことである。
人間はただ常にフロンティア求めてきたのである。
日本だと北海道になる,そこで空気まで違っているからだ
そのフロンティアが世界的に消失したとき宇宙にフロンティアぁう求めるようにもなったのである。

いづれにしろ東京などに宗教の本部があるとしたらそれは政治化したものであり暴力団の本部と同じである。上納金を吸い上げるためのものでしかない
神社はもともと地域の土地に根ざしたものだとするとなぜ神社本庁に組み入れられるのかわからないからだ,ただ権力機構化して上納金を吸い上げる組織だとなる
ただ巨大組織は宗教でも共産主義国家でも中央集権となり中央に権力が集中されて管理されるようになる

神社でも寺でもカルト教団でもそこは組織化して権力化した団体である。
そういう所に本来の宗教はない,韓国系統のキリスト教団体とかエホバならアメリカ系の政治的団体として日本を支配するための出先機関なのかともなる
そこに自主性はないのである。
宗教をもとるなら組織とか団体とかに入るべきではない,教会にも行くべきではない
そこも組織であり組織的に人を支配するための団体だからである。

創価なども巨大な権力機構であり何をしようとしているのか?
それは権力でもって日本を支配しようとしている,宗教はその道具にすぎない
狙いは権力なのである。どんな人でも人を選ばず会員とするのは票として権力をもつためにそうしている,数を集めるためならどんなことでもするとなる
そして池田大作が死ぬと分裂して内部で権力争いになる
莫大な有形資産をもっているからである。その争奪戦になり分裂してゆく
それがかつて人間がしてきた繰り返しカルマだとなるのだ

何か宗教を看板にしている所はすでに汚れているのだ,だから神社でも寺でもキリスト教関係でもイスラムでもなんでも汚れた場所なのである。
だから奇妙なのはそういう場所に行くと心も汚れるのである。
だからかえって山岳宗教など迷信的だとかなるが山の気にふれて心を清めるのだから宗教施設などで祈るよりいいとなるのだ
まず都会にある宗教施設はもう宗教ではない,政治であり経済であり権力の場として機能しているだけである。

寺には行くな
神社には行くな
教会には行くな

どこに行けばいいのか?山を仰ぎ自然の気に触れた方がいいとなるのだ,そこにこそ神道がある,神がすみ心が浄化される真直になるのである。
posted by 老鶯 at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年12月09日

盛岡短歌十首(秋から冬) (盛岡は芸術都市:詩人の街(続)


盛岡短歌十首(秋から冬)

(盛岡は芸術都市:詩人の街(続)


盛岡は芸術都市:詩人の街


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盛岡の城跡歩み静かかな紅葉に映えぬ岩手山見ゆ

盛岡の城跡に来て寒しかな散れる紅葉を踏みて帰りぬ

中津川岸辺のベンチ石により秋の日さして流れの音聞く

中津川は流れ静かに木の葉散り岸辺をそぞろ歩む人かな

盛岡の中津川の岸老木や秋の日のさしてそぞろ歩みぬ

盛岡に銀行古りぬ秋の薔薇咲きてあわれや街を歩みぬ

盛岡や朝の光りに紅葉映え流れ二筋街中流れぬ

盛岡の公園の池凍りけり城跡静か昔の跡かな

真向かいに迫り望みぬ岩手山雪にし寒し朝の盛岡

雪埋もる小岩井の森聞こゆるはしきりにたたく啄木の音


盛岡は街として東北では魅力がある,東北では街自体に魅力がある市は少ない,
盛岡は街としての魅力もあるし自然環境としてもいいのである。
岩手山があり北上川が流れ中津川が街中を流れている
それで落ち着くのである。城跡もありと城下町の雰囲気もある
そこに啄木と宮沢賢治が詩人が育ったのである。
それは盛岡という街があったからだともなる
田舎だけではそうした文化とかははぐくまれない
ヨーロッパでも中都市にフィレンツとか他でも文化が栄えたのである。

盛岡の雰囲気と仙台の雰囲気はかなり違う,盛岡はなにか鄙びたものとハイカラなものが混合している,それは戦前から明治からでもそうだったのである。
だから賢治みたいな詩人が生まれたのである。
鄙びたものとモダンなハイカラな文学を創造したからである。
それはやはり盛岡という街があったことも影響しているのである。

平泉は古都だとしてもそこにあるのは金色堂だけであり跡は大泉が池とかあるが街はない周りは田んぼだけなのである。だからみちのくの古都として偲ぶといっても金色堂だけだから淋しいとなる,後は北上川と田んぼを見るだけだともなるからだ
仙台も森の都といっても何か盛岡と比べると城下町としてもそうした雰囲気を感じないのである。

街には明かにそれぞれの雰囲気があり個性がある,だから何回も原町市だった,南相馬市の原町区と城があった相馬市が雰囲気が違うと書いてきた
それは外から来た人にはわかりにくいのである。
原町はいち早く明治以降原町機関区としていち早くモダンな近代化した街だったからである。
小岩井農場も牧場も近代的な農業として作られたのである。
それで賢治の「注文の多い料理店」という童話が作られたのである。

他でも街には個性があるが一回くらい行ってもわかりにくいのである。
仙台とか盛岡は近いからわかりやすいとなる,会津若松市は有名だけどあそこに城下町の雰囲気がそんなに感じない,なにか城から離れた所が田んぼになっていて虫が鳴いていたのが印象に残ったのも不思議である。
城下町として感じるものがそれぼとない,ただこれは人によって感じ方が違うから感じる人は感じる,自分が東北で一番魅力を感じるのは盛岡である。
あとは弘前市だけどそこは遠いからわかりにくいとなる

みちのくは平泉までだったというとき盛岡まで芭蕉も行っていないというときみちのくと言っても広いからそうなる,青森はみちのくとしても果てになるからだ
盛岡は仙台からも近いから身近なのである。
新幹線で今や仙台から五十分でありここから仙台へ行くより本当に早いのである。
だから新幹線で盛岡に行くと不思議になる,岩手山でもすぐ近くにあるように見えるから不思議である。新幹線は距離の感覚を変えるのである。

岩手県に盛岡がありそこに啄木とか賢治が生まれたのも育ったのもやはり環境が影響していたのである。詩人をはぐくむ街として盛岡があったともなる
仙台からだと詩人は生まれにくいだろう。ヨーロッパでもフィレンツにルネサンスが生まれたのはそれだけ文化を育む都市だったとなる
ただ一回くらい行ってもわからなかった

盛岡の城跡は石垣でも端正に感じる,平地にあり平城であり落ち着いた感じになる
城跡の雰囲気でも違っている,ただ盛岡の歴史となるとわからないことがある
仙台の青葉城とはまるで違った感じである。山城と平城の相違が大きいのである。
そして何か落ち着く平静の感覚になるのは城の石垣が幾何学的に整然として配置されているからである。ピラミッドを見ると落ち着くというときとにている感覚である。
東北では小高い丘とか山城系統が多い,白河城でも二本松城でもそうである。
会津は平城である。盛岡は城跡と街が調和している,北上川と中津川が街中を流れているのも情緒がある。心洗われる感覚になる

タグ:盛岡

2017年12月10日

地球の驚異(Wonders of the earth)


地球の驚異(Wonders of the earth)

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peaceful paradise,  hidden world

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これらも写真から変形したものである。でも洞窟から鹿が見える絵は自分でも不思議である。
これはインターネットのサイトの絵画にあったものである。
だから鹿とか一部分は著作権違反になる,でもこれが不思議なのはやはり一つの新しい創造となっていることである。
単なるコピーではないのである。
だからやはり創作になっている,それはコンピュターによって作られた新しい芸術である
ただなんらかで原作があり著作権違反となるのがある,そこがやはりこのコンピュター芸術の問題なのである。


These are also modified from the photograph. However, it is marvelous that you can see the deer from the cave.
This is in the paintings of the Internet site.
So deer or part will be a copyright violation, but this is strange is that it is still one new creation.
It is not just a copy.
So it is still creative, it is a new art made by computer
However there is an original in somehow and it is a copyright violation, there is still a problem of this computer art. Of art

常に変わる社会の人間や物の価値 (資本主義社会はその変化に対応するシステム?)


常に変わる社会の人間や物の価値

(資本主義社会はその変化に対応するシステム?)



最も強い者が生き残るのではなく、

最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残るのは、変化できる者である。ダーウイン

人間の価値は常に変動している,農業時代は力持ちが価値があった,だからどこの神社でも比べ石がありその石を持ち上げると一人前として認められた
米俵とかをかつぐことができないと一人前に認められないからだ
女性すら力持ちの方が嫁としていいとまでなった,美人でも農作業ができなければ役にたたないとなるからだ
大きな祭りの藁人形をかつげると一人前として認められたとかもある
それだけの力があれば大人の仲間入りできたのである。
だから農業時代の価値基準は力があることだったのである。
それは男女でもそうだったのである。女性も農家に嫁げば力仕事をしなければ勤まらないからである。

人間の価値は常に変わっている,明治時代になると福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた人間の価値は侍のように刀をさして武道にすぐれていればいいとはならなくなった
学問が立身出世になるから学問に励めとなったのである。
実際学校で勉強嫌いででも自分でもそうだが勉強できないものは力仕事を以前としてしなければならない,建築関係でも力仕事をさせられる,すると体力がないもの力持ちでないものは勤まらないのである。
だから自分は勉強嫌いであり社会のことがわからないで失敗した
なぜなら自分は体力がないのだから勉強して頭を働かす仕事をするほかなかったのであるそういう自覚が全くなかったのである。
自分は他の人と比べて体力がないのだから勉強して頭を使って生きるという自覚がもてなかったのである。

ともかく価値は常に変動している,職業でも前は繊維関係とか石炭関係とか花形産業であった,鉄道も国鉄時代では地方でも有力な就職先だったのである。
国鉄職員が多かった,それで社会党が国鉄の組合をバッグにして野党第一党となっていたのである。そして民営化したとき社会党の力もなくなり消失したのである。
産業自体の価値が時代によって技術革新によって変わるのである。
だから人間社会では変化に対応できないものは滅びるのである。

日本が経済大国になったのは電気製品などの製造業が世界一になり世界に売れた結果として経済成長して豊かになった,その時電器製品がテレビなどが日本の製品が一番すぐれていたからそうなったのである。今ではそういうテレビとか電器製品は韓国と中国とかと同等になり売れなくなった,自動車だけはまだ日本の製造産業を支えている
他は韓国でも中国でも追いつかれて東芝でもシャープでも売られているという時代になった

アメリカがなぜ世界を以前としてリードしているのか?
それは日本のような電器製品からITに移行したからである。インターネットなど通信とかコンピュターなどの技術革新をした結果とてして世界をリードしている
今度はAI化による技術革新時代に入るとまた人間の価値が変わる
常に人間はそうした技術変化がありすると社会自体も変わってしまう
今までの体制では会社でも生き残れなくなる,人間を見る価値観も変わる
新卒一括採用とかも変わる,会社を発展するにはどういう人間がいいのか価値があるのかという見方が変わるからである
今までのように人間を見ない,会社にだけ忠実なロボットのような人間はいらないとかともなる

価値が変わるというとき過去には塩が価値があり塩が経済の重要な産物であった,それで砂漠では塩と金が同等のものとして取引されていた
それだけ塩が価値があった,日本でもいたるところに塩の道があり塩が重要な産物だったのである。
でも今は塩などいくらでもあるし米ですら減反政策とかなり余ると価値のないものになるこうして価値が常に変動している

石油の値段が下がった→アメリカがシェール石油をとる技術を発明したため
ある会社が価値が上がった→何かの新技術を発明したから
ある会社の価値(株)が下がった→技術が停滞して遅れをとったため

会社の株がグローバルに上がったり下がったりしているのは価値の変動が常に起きているからである。それがグローバル資本主義のシステムなのである。
その他でもいろいろな要因が株は上がったり下がったりする
経済も変動する社会に合わせるからそうなるのである。
こうして変動する社会に対応するのが資本主義だからこそ矛盾していても生き残っているということになる
強い者が勝つのではなく適応するものが生き残るというのが資本主義社会の思想だから生き残っているのかとなる

職業でも地方では銀行員などが硬いものとしていい職場とされていた,でも地銀はもう役割がないとかなり証券会社の出先機関の役割しかないとかいづれはなくなるとか言われる銀行自体が事務などがAI化されて不用になり大量リストラに現実にされている
AI化で人間が不用になるのが四十パーセント以上日本であるというのも驚きである。
AI化で効率化されると人間の価値も変わり不用となりリストラされるのである。

そうして価値から考えるとき,みんな金に紙幣に価値があると思っている,でも金といっても紙は紙切れにすぎない,黄金ではないからだ,だから金は数字にすぎないというとき今ではそうである。だから突然その貯金の数字でもゼロになるという恐怖につきまとわれているのだ
それで現物で米俵を蔵に蓄えるとか黄金でもつとか土地をもつとかなったのである。
チューリップバブルではチューリップが異常な高値となり売買されたのである。
それはバブルだからそうなった,つまり金をもっていても金自体には価値がない
その金で買えるものに価値がある,だから投資というとき価値があるとういものに投資しているのである。だから投資先も常に変わることにもなる
それを見抜けば株式市場でもうけられるとなる
それには相当な知識が必要であり素人には無理だとなる
投資信託でもその基本的なことすら理解できないのが自分だったからである。

人間社会は常に価値が変わっている,原子力発電は福島の事故が起きる前は価値あるものだったのである。電気自体の価値は現代社会ではその価値は増大している
電気自動車でも膨大な電気を必要としている,ただ原子力は事故が起きてから中国でもソーラーパネルとか風力発電とかにシフトしている
だから突然に価値が急変することがありそれで株の暴落にもなるのである。

いづれにしろ資本主義社会では今や銀行であれタンス預金であれ金だけ蓄えていてもそれは紙にすぎない,数字にすぎないという感覚をもつ必要がある
金の価値も常に変動している,金をもっていたとしてもインフラになれば半分に価値が下がることもあるし文字通り紙屑にもなってしまうのである。
資本主義社会が投資から成り立っているというときそれは価値あるものが変化する
時代時代によって価値あるものを追及して投資して新しい分野を開きそこに富が生まれる
だからdarkness tigaで多国籍企業の価値は下がらないから株をもてと言っていることはそういうことかと理解する,株というのが投資というのが資本主義社会の基本にある
でもその資本主義社会でどう生きるかわからないのである。
銀行も間接投資会社でありやはり株式会社資本主義社会のシステムの中に作られていた
でも本来は間接投資より直接投資が本来の資本主義なのである。
ただ株のことが投資信託でもわからないから銀行がプロだと思ってまかせている
でも今や証券会社の出先機関が銀行なのかとなっているのである,だからもう必要ないと言われるのである。

これは常に価値が変わっているからそうな,銀行に金を預けていれば利子がつく時代が終わったとき銀行はもう必要ないとなる
だからそもそも銀行員でないにしろ銀行を利用する人も銀行の価値や見方を変えねばならないのである。一体銀行は何するところなのかとなる
それも時代の変化で価値が変わったくるからそうなる
その価値が変わることについていけないから銀行でも今までと同じように見ている
それで失敗するということがある
ただでは正直金をどうすればいいのか?資本主義がそういう仕組みでシステムで動いているということは理解しても現実にどうしてその資本主義のシステムで働いたり利益を得るのかとなるとなかなかわからないのである。
そして自分の場合は他にすることがあるからまかせる,でもその結果としてもうけることができず損するともなるのである。
posted by 老鶯 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2017年12月11日

田舎の冬の一日(写生俳句)


田舎の冬の一日(写生俳句)

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石の庭志操を守る冬薔薇

冬紅葉母の命日偲ぶかな

冬日さし蔵の農家や古りにけり

冬日さし干し物に大き庭の石

冬椿福祉施設を囲むかな


今日でやっと歯医者が終わった,今年は二回歯医者に行った,相馬市の方は遠いのでやめた,ここは原町が近いことで助かっている,なんとか電動自転車で行けることである。
受け付けの女性はそれなりに年配であり感じがいい,治療が終わったら「お疲れさまです」と言われたとき本当に歯の治療もいたいし嫌だから慰められた,そこに癒しがあった,実際は福祉とか医療でも癒しの仕事である。
癒しを与えるような女性だと何か病気すら直る感じになる

正直病院はそういう癒しの場ではない,何か癒しがない無機質の殺伐とした感じなのである。
ただ受け付けでも何か印象がいいとその歯医者はやはり患者が集まるともなる
原町のYという歯医者だった,大学はいい大学ではないがそれもわからない,医者とかは生来のものがある
器用さとは生来のものでありそういうものも大事になってくる
開業医でも病院でもその場を良くするのは看護師が大きな役割をになっている
だから医者だけでは好感もてる医院や病院を作れないのである。

歯医者くらいならいいが他の重篤な病気になると診る人も余裕がなくなるのである。パンを買うのがイオンでもあり何か原町には用事がある
相馬市の距離は倍以上であり最近半年以上自転車で行っていない
相馬市にもまプリントする用事があるのだが行けない

何か家事だけでも忙しい,自分の家は寒いのは古い作りの家だからである。すきま風が入る,すきま風は床下からも入ってくる,前が広くあいて部屋になっていないのもそうである。
店をしていたから広いから風が吹き抜けのように入ってくる
だから下の茶の間は広いし石油ストーブでも部屋中が温まらないのである。
でもこういう寒い家を直さないで良く住んでいたなと今では思う
他はいろいろ直したのに肝心なことが直さなかったなとも思う
ある人は部屋をあたためるようにリホームしたというのもわかる
やはり老後はこれでは辛いとなる

何か家事をしていろいろ気づくことがあった,家事することはいろいろあるからわからないのである。やはりこれも経験していないからわからないのである。
人間は基本的に何でも経験していないとわからない,社会のこともわからないのである。本を読んでもわからない,株だって実際にしてみなければわからないのである。
世の中生きるのに経験することは限られているし知らないことが多すぎるのである

youtube が便利なのはそうした日常の知恵が紹介していることである。
畳の下に何か敷くと風が入らなくなるとかも紹介してあった,リンゴを毎日食べているが良く洗わないで皮ごと食べていた,皮に栄養があるというから食べてたいたのである。
それと早く仕事しないと時間の余裕がなくなるからである。
家事だけ丁寧にしていたら時間がとられ他のことはできなくなる
前は介護もしていたから余裕がなかったのだ

冬の日はやはり田舎がいい,より落ち着くのである。
冬薔薇というとき志操守るというときふさわしいとなる,志操を守るということは大事である。志操を守ることには命もかけることもある,志操が守れなければ死ぬというまでに大事ともなる,それは金より大事にもなるが現実は志操などより金だとなっているのである。何かを守るべきものがある。それを譲れないものがある。
ただその時相当に苦しむことは確かである。

明日は母の命日だけで何もしない,何かやはり師走であり追われている,自分は介護始めてから何か生活が追われている,結局家事とかみんな自分でしなければならないからである。

仕立屋にはじめて行くや冬の日やぬいあわせしてジャンパーを着る

ボケットが切れていてぬいあわせしてもらったのである。300円だった,こんなこと頼んだこともないのである。そんなことしてくれる所がまだあったこともからなかった,いつも通る所に仕立屋がまだあったのである。今はみんな新しいものを買うからそんなことしないと思っていた

明日は母の命日だけで何もしない,何か生活に追われてできない,何でも一人ですることは身にあまることになる,母は一生忙しく過ごした人だから師走に死ぬのは安ていたのである。
そして冬紅葉もあっていたから冬紅葉忌ともなる,一生が何か不遇だったともなるからだ
写生俳句というとき現実の生活そのままを写し取ることでもある,だから洗濯物が干してあってそこに大きな石があるというのも写生であり何かを語っているのである。
大きな石がありどっしりとありそこに生活があるとなる
写生によって何かを語らせるのが写生俳句なのである。

鹿島の福祉施設が集中している所に冬椿が囲み咲いている,それもにあっている,福祉となると冬椿とかがにあう。
でも実際の中味は福祉にはいろいろ人でもなんでも問題がありすぎるのが実情なのである。
ただ冬椿に囲まれている景色は外から見ればいい感じになる

2017年12月12日

母の命日に兄の墓を建てる (これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

母の命日に兄の墓を建てる

(これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

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兄の墓




これも偶然だったのか?母の命日に兄の墓を自分の隣にたてた,それなりに立派である。
原町の実家には骨が入っていたが骨壺もなにもなくなり土と化していたからもってきようがない,だからここには骨は入っていないのである。

でも墓を建てたのは母の実家の墓を守る人が確かに兄と5年間一つ屋根の下で一緒に暮らしていたのに知らないというのである。
そしたら供養にもならないだろう,知らない人を供養できない
そもそも墓の不可解はいろいろ書いてきたけど墓というものを供養しているのではない
人を供養しているのである。

その人を知らないとなれば供養もできない,知らない人でも話を聞いたりしてそういう人だったのかと知ればいいがそれすら知らないとなれば要するにその人は存在しないとなるのだ,存在しないものとして消されたのである。
時間がたてばそういう人はいくらでもいる,歴史的になるとその人が本当に存在したのかどうかもわからなくなるのだ,だからこの人が存在していたということが驚きにもなる

娘はいてもひどい目にあったから供養する気もしないし関心もないから自分が供養する他ない,自分の墓はすぐ近くで毎日その前を通っている,すると毎日手を合わすことすらできるから供養するにはいいのである。
墓も遠くになると疎遠になる,墓参りするのがめんどうになるのだ

墓が大きくしていたのは戦前頃まで焼かないで土葬だった,そういう実話として自分の家でも姉の母は自分の母と違っていたが姉がシンガポールに四年間従軍看護婦として勤めて帰ったとき母が死んでいたのである。
それで母をみたいと墓をあばいて見たら顔でもまだ形をとどめていてきれいだったという土葬だったからそういうことができた,これも戦争の悲しい物語である
その姉も死んで8年とかなる

母も死んで3年がたってしまった,時間の過ぎるのは早い,今日は母の命日であり兄の墓を建てることと命日が重なった,これも不思議といえば不思議かもしれない
自分の家は兄には悪いことをしたということがあり自分が供養した
ただその後の責任は全部自分の家にあるとはならない
なぜなら別に不遇でもそれなりに普通に生活している人は多いからだ
それは結婚してその結婚生活に失敗して経済的に破綻したからである。
そして交通事故で死んだのである。
そうしたことが全部自分の家の責任とはならない,だから娘は父親でも供養する気持ちがないのである。

なんか人間は死んでもめんどうである。墓の問題は結構めんどうなのである。
人間の最後の問題として墓がある,その墓でもなくなるとその人の存在はなくなるのか?
別に墓がなくても人間はいろいろと存在し続ける人はいる
英雄とかなると伝説としていつまでも語り続けられるのである。
人間は最後は物語にストリーになりヒ-ストリーになるのである。
必ず家族でも死んだら物語を残すのである。
だから残された人は自ずと語り部になるのである。

いづれにしろ何か宿縁というのはあるのか?母と兄とはいろいろあり兄は母を恨んでいた
でも大人になってからは恨むこともなかった
そして兄は娘を一時児童相談所にあづけることになった
何か本当に母とにているのである。何かそこにカルマがある,カルマとは同じことが運命的にくりかえされることなのである。

ともかく兄の墓を作ったことでまた母の遺言を果たしたことで楽になった
自分の勤めは果たしたとなる,今墓で母と兄も結ばれているともなる
墓は分離するのは良くない,それは実際の家族でも何でも分離していることになる
不和になって分裂していることになる
母の実家のは墓はそうである。みんな不和分裂している,実家の墓でもその墓を守ってくれと長男にあたる人に300百万で頼まれても墓は維持できなくなる
遠いし墓参りにくるだけでめんどうになるからだ
だから自分は頼まれなくて良かったと思う

つまり墓のめんどうなのは墓の因縁を墓にうめられた人たちの因縁を背負うことになるから簡単に墓など金もらったからと継げるものではない
悪い因縁があり祟るということもありうる,だから墓は墓という物を受け継ぐのではない何かそうしたその家であれ因縁を受け継ぐことになるから金だけでは簡単に受け継ぐことはできないのである。
そして心から供養する気持ちのない人も墓を受け継ぐことはできないだろう
そこに墓のむずかしさがあったのである。

墓建てぬ母の命日寒しきも息子とともに安らぐべしかな

神社には、無念の思いで死んでいった人の祟りを鎮めるために、神として祀って慰める神社があります。
怨霊信仰、御霊信仰といわれる神社です。
平将門や崇徳上皇を祀った神社などは、そういうものに該当すると思います。

確かにみんな死者が往生したわけでもないし成仏したわけでもない,そういう人はまれなのかもしれない,人間はなんらか未練を残して死ぬのが多いのである。
それはカルト教団に入っていても同じである。むしろそこの方が不孝な人達の集まりだから未練を残して怨霊になるような人が多いだろう。

自分でも死者ををどうしていいかわからない,ただ恨んでくれるなとなるのは確かであるその不孝な死は本人の責任も大きいがいろいろ事情あって墓を建てた
安いものだったから良かった,でもそれなりに立派なのである。
墓はあれで十分だと思った,あれならあとかたづけるのにも墓を守る人がいなくなったら楽だからである。

いづれにしろ人は死んでもそれで終わるわけではない,その後も墓とか具体的な問題が残る,明らかに靖国神社があるけど死んだ人の霊が靖(やす)かれということがある
死んだ人に対してそう祈る,そして悪いことが死者が祟らないようにする
でも実際に「ひどい娘だわ」と自分に最後言って恨みを残して死んだ人を知っている
そうなると何か死者の霊は休まらないともなる
自分は祈る必要もないが娘はやはり墓参りする,するとそれを偽ることはできない
だから死ぬときでもそうして恨みとか残して死ぬのはあとあとまで祟るとなるから怖いのである。それで怨霊を祭る神社が生まれたのである。

ただ今回の富岡八幡神社の宮司殺人事件のような人は怨霊にもならない,あまりにも利己的な身勝手なものであり怨霊神社となったのは何か理不尽な結果として死んだ人達のことを恐れたのである。それはなぜか?
そこに心のやましさがありそれで死者を恐れたのである。
今回の事件はそんなこと一切ない,あまりにも汚れた宮司の継承問題であり
その悪は一切事件を起こした人にあったからである。
呪われるのはその事件を起こした人達であり回りの人はなんの関係もないのである。
怨霊として祟るというとき一体誰に祟るのか?
自分自身の不徳に祟るからそれは全部その本人にかえってゆく,回りの人は関係ないのである。

ともかく自分の墓なら毎日通る道にあるからそこを通るたびに手を合わすこともできるし何か死者と一緒に暮らしているという感覚にもなる,離れていると墓だって疎遠になる
だから墓でも親の墓は子供の移った先に移動しているのである。
何か自分は責任を果たしたという感じになり楽になった,死後でも死者が安んじるようでないと祟るとはならないまでも嫌な感じになるからだ
死者とは何かわからないしやっかいな問題だったのである。

遺骨は何なのか死者とは何なのか? (死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


遺骨は何なのか死者とは何なのか?

(死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


死者とは何なのか?生きている人が死ぬと骨になり灰になり消えてゆく,実際に20年すぎたら骨壺もないし骨もなくなっいた,そこには骨も他の人と一緒になり混ざり消えた
そこに個人を特定するものはない,抽出するものはなくなった
骨は物質だからいづれは土になるなり消える

死者とは何なのか?骨がなくなっても死者は存在し続ける,では名前なのか?
奇妙なのは母親の名前を墓に刻まない息子がいた,不肖の息子であり金がないから墓に名前を刻まないのである。だから名前がない墓は誰にお参りしているのか?
供養しているのか?これもなんなのだろうとなった

はっきりしていることは人は墓という物にお参りしているのではない,墓が石であり物なのである。では死んだ人は何なのか?死んだ人と人間がどうつきあうのか問われている
自分の家族は全部死んだ,自分では死者とどうつきあっているのか?
それは死者を回顧してこうだったとかああだったとか語る
その時死者と対話している,別に骨がなくても死者と対話しているのである。
だから骨が大事なのではない,骨がなくても対話はできる

現に自分の兄の母を自分の墓の隣に作った,するとそこには骨もないのである。
でも名前を刻み墓として供養すればそこに死者がいるような感覚になるのも不思議であるその墓の前を毎日通っているから余計に身近に親しみやすいともなるのである。
骨もなにもないのだけどそこに死者がいるような感覚になる
だから死者は骨ではない,骨はいづれ土になるなりなんなりして消えるからである。
でも骨がなくなっても死者は存在し続ける

いつまでも死別した人を忘れられないというときその死者はそうして生者の中に存在し続けているのである。つまり思い出として存在し続けているのである。
最後は人間は思いでだけになのだ,思い出が貴重なもの宝物のようになる
特に死んだ人はもう会えないのだから思い出のなかでしか存在しないのだから余計に貴重なものとして浮上してくるのである。

だから離婚して音沙汰がなくなった夫でも遺骨が行き場がなく元の妻に帰って来たとき子供と遊んだ写真をみてなつかしくなり夫を弔ったとあるのもそのためである。
死んだことで昔の楽しい一こまが蘇ったのである。
子煩悩だった人だったとかありそれで死者を思い出して弔ったのである。

要するに死者はもう二度と会えない,ただ思い出の中で会うだけなのである。
自分は家族と60年間一緒にいたから生きていたときはうざいとか思っていた
そういうことはみんなある,家族なんかうざいなとか普通にある
でも一旦死んだりすると全く違ったものとして浮上するのである。

ともかく60年間一緒にいたらなかなかその存在は消えないものとなる
何か以前として近くにいる感じになるのである。
近くで見ている感じになるのである。
だから以前として死んでも交流がつづけられている感じになる

寒いときスト-ブで沸かした湯を湯たんぽに入れていた,その時姉が必ずいたのである。
そんなことなんでもないことである。でもその時寒いが姉のあたたかさがあったなとか今になると感じる,その時は何にも感じていない,今は一人になったから余計に感じるのである。
寒々として一人寝るだけになったからである。
家族がいない家は本当にわびしいとなるからだ,家族がいれば寒くてもあたたかいということがあった,それがないから余計に淋しく寒く感じるのである。

日常のなにげないことが死んでその人がいなくなったとき感じる
それも貴重な一時としてあったが永遠にないとなるからだ
ただ何かそれだけ長くいるといるような感じになるのだ
人間はそんなに死んだ途端にすべてが消えることはないのである。
確かに人間としての物質としての人間は消えても人間は以前として何かを伝いありつづけるのである。

俳句で死者を考えると

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埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火

死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

ともかく死者とどうつきあうかとなるとこれも一様ではない,でも現代は死者とのつきあい方は何か変だなと思う,死んでから知り合いでもない人が集まり合葬するとかもそうである。それは時代の反映なのである。
なぜならもともと村を中心に生活していたとき人は村でみんなと生活して死ぬときも一緒だったからである。同じ村の中の共同の墓地に葬られたからだ
それはこの辺ではホトケッポとか呼ばれている,仏方とか地名にもなっいるからだ
現代では村とかの親密なコミニュティはない,だから全然知らない人が集まり一緒に葬られる,死んでからそうなるというのも変なのである。

これも生と死は連続したものとしてあるからそうなっているのだ
死によってこれまで生きていたことが全く断絶することなどありえないからそうなっている,死んでもやはり生前の人を思い出して死者を見ているからである。
死者になったからといって全く別人になったものを見たりできないからである。
いづれにしろ今年は寒い,寒い時また感じるものが違ってくるのである。

NHKクローズアップ現代『あなたの遺骨はどこへ〜広がる“ゼロ葬”の衝撃〜』

この番組は深く追及している考えさせる番組である。こういうのがyoutube に見られるからいい,すると何回も見れるし考えることにもなる,他に墓について考えるものが出ているからいろいろと理解が深まるのである。
それがメデアの変化なのである。

2017年12月13日

死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む) 死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む)


●万葉集の恋は死者を思い面影に見ること


陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを

夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ

遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして

年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ


右大将道房の死後、手習いをしていた扇を見付け詠む 土御門右大臣

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

(手慰みの筆の跡と思って見ていたけれど、永久の形見と成ってしまった)


面(かお)とは顔のことである。不思議と顔が浮かんでくる,死者だと余計にそうなる
それで折口信夫は

折口信夫は、「恋」とは昔相手の「霊魂を迎え招く」ことだったと言っている(「恋及び恋歌)。「恋」とはもと「魂()ごひ」だったというのである


万葉集の恋は今の恋愛ではない,死者を乞う(こう)儀式ですらあった
だから実際は死者に関するのだから深刻なものであり恋愛とは違ったものとして恋があった,死者はなんらかでそうした面影として残されたものに映る
それは遠い所に人がされば面影に見る,それは死者を思うのとにている
ただ死者は絶対にもう会うことができないのだから深刻なものとして恋がある

真野の草原の歌は真野の草原(かやはら)という遠い地に恋する人が行ったとしても面影に見えますよということである。草原(かやはら)のことではなかった
真野の草原は遠い地として奈良の人に知られていたのである。

たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして

これは死者のことかもしれない,死者は存在しなけど面影として存在し続ける
そう読めばただの恋愛ではない,深いものとして鑑賞できる

てすさびのはかなきあととみしかども ながき形見と成りにけるかな

こういうことは家族で死んでみるとわかる,こんなものが形見となって死んでしまったなということを感じる人が多い
何かありふれたつまらない日常だったことが貴重な思い出として蘇るのである。
面影として現れるのである。人間が死んで残るのはその人の思い出であり面影なのであるそれはなかなか消えないものなのである。


湯たんぽにストーブにあたたむ湯を入れぬその時姉ありあたたかきかな

我が家になお姉母ありて支えなむ今年は特に寒くなりしも

死してなお我によりくるもののけは姉母にしもありと思いぬ

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る


常に湯たんぽにストーブであたためた湯を入れるとき太った姉が常にそこにいたのであるそれがなんでないが寒いとき姉は太っていたから湯たんぽでも温かく感じていたことを思い出したのである。
そんなときそのことに特別な思いはなかった,でも死んでみたらいつも姉がそこに笑って湯たんぽに湯を入れるのを見守ってくれたとかなる,湯も入れてくれていたのかもしれない。ともかく姉が湯たんぽの湯を入れるときそこにいつもいたことを思い出したのである何か今年は特に寒いからそんなことを思い出すのである。

もののけというとき物につく霊とかなる,この物の怪は悪いものとして憑依するものとしての霊とある,でもそれだけではなく良い霊として死者が自然物に憑くということもある石についたりもする,死者が石と一体化して伝説の石となる
それはもう単なる石ではない,完全に死者と一体となった石だとなる
死者がもののけとなり悪い霊としてつくとは限らないと思う
何か家には死者の霊がもののけとして憑いている感じになるのだ
それは悪い霊ではない,長く住んだ家から離れられずついているともなるのだ
死者はだから骨になり灰になっても消えたとはならない
何かむしろ物の怪となって長年あった場所に憑いているともなる

ものしずか母なりし今日も寒しきも庭の石にし面影残る

ものしずかな母だったというとき自分もそうだった,だから外交的な人には好かれない
外交的な人は好かれやすい,表に現れるからである。
内向的な人は表に現さない,隠忍自重している,だから石にふさわしいとなる
ただ死んでみるとそうして目立たないものが何かいつまでも残る,存在し続けるということも感じた,外交的な人には人のいい面はあるがそれがすべて表にでてでしゃばりになるのが欠点にもなる,ただ外交的とか内向的とかあってもどっちにもいい面と悪い面だしそれは悪い面もいい面となる,その両方を兼ね備えればいいのだが人間はそうなっていないのである。
正直内向的な性格は社会では損する,外交的な人が好まれているからだ
実際母はとても一人で家を切り盛りできない女性だった,何か社会のことがわからないからだ,自分もその血を受け継いでいるのである。
人間はつくづくなにもかも兼ね備えることがないから補い合うようにできているのである社会自体がそうして支えあっているのである。

●埋火の俳句より死者を思う

埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)蕪村

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火


死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

埋火の文は老人問題に書いたがこちらにも移して一つの文にした
またここに文を加えることにもなるかもしれない
こういうことは電子空間では簡単にできる,常に加筆したり変えたりするのが手間にならないのである。だから絶えず更新してゆくのがインターネットの電子空間なのである。こ