2017年11月30日

なぜ死者が美化されるのか? (エゴや欲が消失するため)


なぜ死者が美化されるのか?

(エゴや欲が消失するため)

死者とは何か謎である、だからいろいろなことを生きている人は言う、死者が実際に何か存在しているものなのか?肉体が消失しても何か依然として存在しているものなのか?
それは謎でありわからはない、わからないからこそいろいろ言える

ただ死者に対して確実なこと死者にはこの世から離脱したのだからこの世に対する欲がないのである。
そのことが死者が生者と根本的に違う点である。
だから遺影を見ていると何か心が浄化されるようなけ不思議な気分になる

それは死んだ人にはもうこの世の欲はないことによっていたのである。
人間の問題は限りない欲がら生まれてくる
欲は老人になってもなくならないのである。
人間の欲は食うことだけではない,性欲だけでもない,様々な欲がある,名誉欲とか名声欲とかもある,

ある人は老後に俳句を作りそれでその人は俳人になった、俳句で一角の芸術家となったと思いこんで自慢していたのである。俳句はそうして簡単に作れるかそういう思う人がかなりいるのである。
それも結局人間の欲なのである。何かしら欲があり欲が消えないのである。

人間が欲であるというときカルト宗教団体をみればわかる,そこで人間は巨大な欲の塊りとなっている
あらゆ欲がそこで肯定されて拝めばその欲がかなえられるとなる
そんな教祖を信じているのはなぜなのか?それは自分たちもその欲がありその欲を肯定されるからあがめるのである
もしそうした人間の限りない欲を否定したら誰もついてこないのである。釈迦のように洞窟にこもって修行しろと言ったら誰もついてこないのである。
だからそういう人が宗教を説いていること自体宗教としてありえないことなのである
だから宗教もサタンに支配されるのである。

人間は死者を考えるとき死なない限り欲は消滅しない,死んだならどんな人でもどんな悪人でも欲やエゴが完全に消滅する,だから死者の不思議は遺影を前にするとその死者にはこの世にあった欲やエゴがないので死者は浄化されて見える、まさに仏さまのように見えて先祖崇拝になる、先祖が神となる
つまり死に浄化の作用がある、それで何かそのエゴも欲もない遺影に向かうとき浄化される不思議なの気分になるのである。
いづれにしろ宗教は簡単に人には説けない、なぜならその宗教を説く本人がエゴと欲の塊りだからである。
口で言うことは簡単である,では実際に宗教を実行するとなると不可能になる
まず財産だってもつことはできなくなる、なぜなら貧しい人がいて苦しんでいるとき贅沢ができるはずがないからである。
ただその時代の平均的生活は許されるがそれ以上の贅沢はできるはずがないのである。
結局共産主義でも本当は宗教のように平等の社会を目指したが幹部が大金持ちとなり贅沢をする,権力を手中にしてこの世の欲を満たすだけになったのである。
宗教は口で言うのは簡単である、でも実際に実行するとなると至難になる
だからそもそも安易に宗教を説いて勧誘しているのはそれはこの世の勢力を成すためであり宗教とは何の関係もないのである。

死者は日々浄化されてゆく
この世を離れてこの世の欲から解放される
ただますます純度を増して清らかに星となり
世を離れてかなたに輝く
もう穢されることのないかなたに清冽に輝くのみ

この世は欲で滅びるというとき人間の欲が様々であり深いし消し去ることができないからだ
だから遂にその欲で滅びるのである。原発事故だって欲からこの辺で誘致された
金になるということで誘致された
そして災いがもたらされたのである。もともとは欲があってそうなったのである
つまり人間の欲が消滅しないかぎり天国などこの世に来ることはないのである。
だからこそ欲で滅びると聖書ではなったのである。

人間は一見善を成していきるようでも自分の名声とか欲がからんでいる
純粋に善を成す人はまれである。人間はそもそも善を成しえないのである。
それは欲を絶つことができないからである。
だからいづれこの世の終わりがくる,そして欲が消滅したとき神の国が自ずと現れるのである。