2017年11月27日

死者への供養は愛情である (すべての死者が敬われることはありえない)


死者への供養は愛情である

(すべての死者が敬われることはありえない)

死者を弔う心

日本人は、夏にはお盆をします。先祖の霊を自宅の庭に迎えて、弔い、また家族団らんの時を持ちます。そこには先祖たちの霊も一緒にいる。生者も死者も共に家族一緒になって団らんの時を過ごすのです。あたかも日本人は、死者の霊と共に生きているようだ。また日本人は、神棚や仏壇に食べ物や水など、先祖供養のお供え物をして、死者と共に暮らしている。
 それでラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、そうした日本人の生き方にとても感銘を受けて、日本を「死者の国」と呼びました。これは、日本人は死者の霊と共に生きている人たちだ、という意味です。


死者とは何なのかこれも謎である。確かにこのように日本人は死者を大事にする,月命日とかあるのもそうである。月ごとに死んだ人を供養するというのはそれで死者に対して思い入れがあるということである。
それが仏教では死者の供養の宗教となった,このサイトではそれをキリスト教の信仰と同じだとも言っている,日本人の心は死者と密接に通じたものだというのもわかる

でもみんながそうなのか?そういう日本人の伝統があってもみんなが死者を思っているわけではない,その人は親にひどいめにあったので親が死んでも供養する気も墓も作る気もない,金もないからそうなっているがまず親に対して何の関心もないのである。
親はその子を愛さないわけではなかったがいろいろ問題起こして事故で死んだからであるそれも中学生の時死んだからである。
その人は死んだ親に何の感情ももっていないのである。
だからみんなが死者を思うということはないのである。
いくら日本人の伝統でも個々人では事情が違ってくるのである。

死者というのはまたこれ愛すべき人が死んでみないと何なのかわからないのである。
自分は家族の一人は死んで八年になるしもう一人は二年とかになる
そういうことで死者のことを考える,わかったことは人間はなんでも継続なのだとういことである。人間は死んだからといって突然なにもかも途切れことはないのである。
自分の場合は60年間一緒にいたことが影響した
自分は特別愛されていたからそのことが影響した
ではそうして親が死んだときその愛情もすべてなくなるのかというとそうではない
やはり遺影がやさしく自分を見ているのである。
そして自分も遺影に語りかけているのである。

そこでわかったことは愛されたものがやがて愛する方に回る,それは介護になったときからそうなった,愛される方から介護になり愛す方に変わったのである。
その継続としてまた死者の供養があったのである。
死者は何も答えないしいるのかいないのかもわからない,でも愛情は死んでもとぎれることはない,それは死者でも愛も継続しているからである。
死んだときすべてが無に帰することもない,人間は死んでも継続するものがある

ただそれはあくまでも生きていたときからの継続なのである。だから死んだから死者になったから特別扱して先祖崇拝になることはないのである。
それで毒親のような人は死んでも子供は何の関心もなくなるのである。
生前にひどいめにあったから死んでも愛せない,供養もしないのである。
供養とは愛情のことなのである。

愛情がないかぎり死者への供養はしないのである。死んでからはむしろ生きている人が死者への愛情がなければ供養しない,確かに死者は何も答えない,愛情があってもそれを感じないかもしれない,ただ謎は愛情の交流は死んでもありつづけるのかもしれない
愛が生きている人から死んでいる人に流れてゆく,どっちかというと生きている人から死者へ流れてゆくことが多くなる,それは介護の時からそうなっていたのである。

まず親でも子が愛情がなければ介護もしない,その時からもう親子は愛情もないのだから親子でもなくなっているのだ。だから生前の継続として何でもあり突然に途切れて何か変わることはないのである。
だから日本人の伝統として死者の文化があった,としても全部にあてはまるわけではないのである。
ただ人間が死んだからといって何もかも終わりにはならない,生前からの継続するものはありつづける,生者が死者を偲ぶということはまさにその継続なのである。
でも死んでから偲ばれない人も親もいる,それも生きている時からの継続だからそうなっているのである。
だから人間は生きているときどう生きるかが大事になる,もう俺の人生は失敗だったといってせう一度やり直そうなどできないからである。
ともかく生と死を断絶したものとしてありえないのである。
死んだからといって死者が特別なものとなり敬われることはないのである。
死者が特別扱いされるのも危険なのである。生前がどうであれ死んだ途端に特別扱いはできないのである。

墓をどうするにしろ愛情をもてないことが一番の問題であり墓相がどうのこうのと関係ないのである。

死者とか墓とかいろいろ考察してきたけど前にもこういうことを書いていた

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