2017年11月25日

外交的な人と内向的な人の評価の問題 (人間関係で一番大事なのは誠実さである)


外交的な人と内向的な人の評価の問題

(人間関係で一番大事なのは誠実さである)

内向的な人の12個の特徴や困ったこと


自己顕示型は自慢話がおおく、外交的な人です。

「人間は一人では生きていけないんだ! いつも一人でいたら社会ではやっていけないぞ!」

などとよく言われる。これは「外向的な性格は治す必要ないが、内向的な性格は治す必要がある」と多くの人が思っているからだろう。
内向的な人は、物づくりに向いていると思っています。
高い芸術性や、熟練の技などが必要な職業に就くには、外交的である必要はありません。
プレゼンは、他の人になってもらって、自分はコツコツと自分の仕事に打ち込めばいいのですから。

また、芸術や研究の分野で成功する人は
何でも深く突きつめて考える内向型の人が圧倒的に多いのです。


人間は何でも一長一短である。内向的性格は損であることも確かである,ただ人間は内向的だとか外交的だとか血液型だとか類型化されくけど人間はそんなに色分けはできない,内向的な人間でも外交的な面もあるし外交的な人間でも内向的な面をもっている
外交的な人のいい点もあるし悪い点もある,だから人間は性格で類型化できない
ただ外交的な人間と内向的な人間はいる,それはイヌとネコとにないるのだ
犬は感情を全面的に出して接してくる,ネコはそういうことはない,だからネコは何か冷たくよそよそしく何考えているのわからないとなる

外交的な人間は世の中をわたるには得である。そういう人を身近で接したからわかる,自信家でありどんどん自分を外に向かってだしてゆく,いつも笑っていて陽気なのである。だから人にも好かれるし人の上に立つ,人を導くリーダーになりやすいのである。
そのためにそういう人は何かを成すことができる,内向的な人は何か成すことができない外交的な人は強気で自信家であり他者を話術でも何でも圧倒する
ぐいぐいと人を引っ張ってゆく,だから実業とか政治とかに向いている

では外交的な人が社会では成功しやすいことがあってもそうはならない,自分の家族は外交的な女性と内向的な女性がいた,それははっきりと対称的な性格の女性だった
でも評価はどうしても外交的な性格の女性にあった,自分でもそうだった
内向的な女性だけだったら自分の家はありえなかった,もう家自体が成り立たなくなっていた,だから外交的な女性がいて家が栄えたとなる
でも夫婦ではないが内助の功というのが内向的な女性にあったのである。
それは死んでからわかったのである。

それは誰かに出すつもりだった手紙の草稿にあった,それは拙いものでも母になるが内面を文章にしていたのである,こんな文章を書いていたということに自分は感激して泣いたのである。母の内面の心が文章ににじみでていたからである。
つまり一人は外交的口達者だったが内面性は欠けていた
そして外交的な人にも欠点がある,自分のみを表に出して謙虚さがなくなる
それでそういう女性も他に知っているが口だけはとにかくうまいのである,でも何か実行することはできない,口だけでうまいことを言っているだけなのである。
ただ外交的な人でもまたいろいろいる,自分の家族は口だけではない実行する女性だったからまた違っていた,その女性は口だけなのである。口だけはうまいのである。
でも何か実行することがないのである。

最後に外交的な女性は姉になるが認知症になり悲惨な死に方をした,あれだたけ外交的な自信家だった女性は誰も寄りつかない,話すこともできないので友達が一杯いてもよりつかなくなったのである。そうなると外交的な人は悲惨である。
外交的な自信家は認知症になると暴力になったりする,不満をかかえてそれを外に出すからである。内向的な人はひたすら内にこもるから忍耐強いから暴力にはめったにならないのである。だから最後は外交的な人と内向的な人の価値の逆転が起きたのである。

要するに人間の評価は外交的とか内向的で決まる訳ではないのである,外交的な人がすべていいとはならない,もちろん内向的な人もそうである。
人間関係で何が大事かというと外交的なことでもなく内向的なことでもない
確かに押しが強いと営業でも成績を上げるかもしれない,それは一時的になるだろう。

人間関係で一番大事なのは何か?

それが口をうまく接することではないのである。
巧言令色鮮し仁とは、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ。

つまり人間関係で最も大事なのは誠実さなのである。それは外交的な人であれ内向的な人であれ関係ないのないのである,むしろ外交的な人は「巧言令色鮮し仁」になっている
政治家などは特にそうなっていることでもわかる,ほとんど公約を実行していないし嘘つきだとなるからだ,実行できないことは言うべきではない公約にすべきではないのである
不思議なのはだからこの人は口がうまいとか明るく外交的でいいとかだけで外面的なことだけでその人を判断することである。もちろん自分もあの女性は明るくてはきはきしていいと見る,それは地域を明るくしている,そういうこと現実にあるし社会では明るい人が好まれる,自分でもそうである。

ただそれはあっても人間で大事なのは誠実なのである。
営業でも本当はいいことばかり言う,巧言令色鮮し仁となってしまう
それは後であいつは口うまいだけだとなる,最近は銀行員や証券関係の営業マンとなるとそういう傾向がある,他にも口うまいというだけでいいのかということは社会ではいくらでもあるのだ,だから口うまいだけ成功するするのか?
商品でも誇大宣伝して本当に売れるのか?評価が得られるのか?得られたとしても一時的になるのではないか?
ソニーのアクションカメラが不良品だったとわかった,するとソニーでもそういうことがあるというので会社の評価が落ちる怖さがある,それは大企業でもそういうことが起きているからだ。だから口だけうまくても成功するとはならないのである。

物作りにも誠実さが必要なのである。日本の製品はそれで信用を得てきたからである。
信用が誠実さとかなくなると一挙に崩壊するのである。
もう信用されないとなると世界で日本の製品は売れなくなるのである
信用を一旦失うと回復するのがむずかしくなるのである。
誠実さが必要だというときカルト宗教団体などになぜ人は信用してだまされるのか?
なぜそれほどの数の人がだまされるのか?
これも外交的人間がトップに立ち導いているからなのか?

もし自己の内面を追及する内向的な人間だったからそうはならないだろ
ただ口がうまいいいことばかりいって誠実さが欠けているからこそ人がだまされて集めるともなる,なぜならカルト宗教団体では内向的な人が嫌われているからである。
宗教というとき内面の追及なのだが実際は政治化して外面の追及になっているからである
だから一見,外交的な仕事でも内面的なものの徳が必要になる,誠実さが必要になる
約束を守るということもやはり誠実だからこそできる,借りたものを返さないとかは約束を守らないから信用できないとなる


口がうまいだけで成功することができるのか?一時的には成功しても物作りにしても成功するはずがないだろう。それはいつか化けの皮がはがれる
製品は正直だから壊れたり何かするのである。
とにかく外交的な人間にも欠点があり内向的な人に見習うことがあるのだ
それは誠実さなど内面的なものをもつ必要があるだ
もちろん内面的な人の欠点もあり人は両方を必要としているのである。

自分のことを言うと自分は内向的でありそれが極端化すると異常化することも自分でわかった,引きこもりになるからだ,でも宗教とか特に禅とかなると内面化して修行することになる,沈黙の行をすることが修行なのである。
ぺらぺらしゃべらない,そのために社会から離脱したのである。
何か自分は社会に適合できないで自ずとそうなっていたのである。
普通だったら社会の落伍者であり不適格者となる,でも沈黙の行をすることは人間の徳を高めることになる,人間は無駄なことをしゃべりすぎるから徳を汚すからである。

口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。 
というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのである、 これらのものが人を汚すのである。(マタイ)

人間は口から出るものによって一番心を汚しているのである。だから沈黙守ることは心を清めることなのである。でも社会生活をしていると必ず社会的にすでに心を汚すようになる,そもそも絶えず行われている売るための宣伝がそうである。
マスコミが不誠実なのである。それでもって金をもらっているから社会は常に汚されているとなる,社会そのものが誠実さがないというとき個々人で誠実であることもむずかしくなる,大企業の不正はそうして起こる,原発事故だってただ技術的なものかというとそうでもない,そこに誠実さが嘘をつかないということなどが守れなかったからだともなる
近くの事業に失敗した人も何か誠実さに欠けていたのである。その人の経営に問題があった,それは技術とは別な問題だったのである。

こういう自分も内向的だからこうして文章を書くのは得意なのである。しゃべるとなると自分はできない,それは内向的な人の特徴になる,ただしゃべることは必要でもより深いものを知るためには表現するためには文章なのである。
だから文は人なりと言われるのである。だから人がその人の書いた文章から評価し判断すると間違いないかもしれない,しゃべることだけからは判断しにくいからである。
自分は人としゃべるとか接すると異常に疲れる,こうして文章を書いていると人と接しないから疲れないのである。だから自分にとってプログなどは合っていたからこうて書きつづけているのである。