2017年11月24日

老人は死んだ人の方が親しく感じる (認知症とは老人になれば誰にでもなる感覚)


老人は死んだ人の方が親しく感じる

(認知症とは老人になれば誰にでもなる感覚)

認知症の人は日頃親しくしている人のことがわからなくなる,自分の子供すらわからなくなる「あなたせ誰ですか?」となる,でもそれは日頃接していない遠くにいる子供だったらゆうなりやすい,でも毎日継続して接している人は忘れないと思う
自分の家族は六十年間一緒に過ごしていたから忘れなかった
子供のときから六十年間一緒にいたから忘れなかった

ところが何か最近会う人とか親戚でも二年に一回とか会う人は遠い存在となり疎遠なものとなる,それは血のつながった人でも子供ですらそうなりやすいのである。
何か話をししても合わない,遠く離れているからその事情ものみこめないのである。
あることを知るということは離れて暮らしているとわからなくなるのである。
だから近くで日頃接している人だと新しく接している人でも認識できる

つくづく老人になると見慣れないこととか始めて接する人とかは苦手になる
その感覚は認知症になると極端になるのである。
認知症の人は新しい人は認識できない,親しくなれないのである。
それで親しい人とは死んだ人,長く一緒に暮らした人なのである。

だから死んでもその人は死んでいない

夫でも妻でも死んでいないのである。その死んだ人に延々と話している認知症の人がいるそれを今自分が気づいた,何か自分と六十年間一緒に暮らしてきた家族の方が死んでも親しい,生きている感覚になる,だから認知症でなくても死んだ人と話しているのである。返事はかえってこないのだけど別に認知症でなくても死んだ親しい人の方が現実に新しく知る人より親しいのである。
これは認知症だからなるのではなく老人の特有の感覚なことだなと思った

老人は若い人と違ってもう親しくなれないのである。親しさも時間の中ではぐくまれる
六十年間も一緒にいることはそうして親密な感覚を作っていたのである。
だから遺影を見てもそれが親しい,生きている感覚になるのも不思議である。
こっちを見ている,笑ってやさしく見ている,それは一緒に生きていたときもそうだったからである。その継続としてやはりこっちをやさしく見ているのである。

もうそういう関係は新しく作るのは無理である。だからこそ死んだ人は死んでいないのである,認知症は訳のわからない病気だとされる,でも老人特有の心理の反映でもあったのだ,普通でも去る者は日々に疎しとなるように老人だと一層極端化して全く離れて暮らす子供などはわからなくなるのである。

認知症は訳のわからない病気とされるが実は訳があるきだ,徘徊にも訳があるし怒るのにも暴力になるのにも訳がある,だから精神病とは違うものだろう
精神病は訳わからないで暴力になったりするからである。
認知症には必ず訳がないようでよくよく見るとある,そこが違っているのである。

そして認知症が時々正気になる,死ぬときは正気になるというのもやはり完全に馬鹿になったとは違うからである。個々の症状は違っていても人間として何もわからなくなったとはならない,だからフライドを傷つけられると怒るのである。
フライドはもちつづけているからである。

いづれにしろ認知症は本当に病気なのかどうか?それは老化現象であり病気とは違うのかもしれない,今までなら耄碌したとなっていた,つまり病気とはされなかったのである。認知症とは耄碌現象なのである。
老人は新しい人などでも親しくなることは苦手である。
だから死んだ人の方が現実に死んでいない生きている人として話しかけている
それは別に認知症でなくても老人はそうなるのである。
自分も遺影に向かって話しかけているからだ
そして遺影が自分をいつも見ているのである。それは最も親しい関係でありこういう関係はもう作れないのである。それは子供の時から六十年間も一緒にいたからそうなったのである。

六十年間も一緒にいた家族は憎んでいるようでも喧嘩していても親しい愛する関係になっていたのである。だからその相手が死んだ時悲しいとなっていたのである。
その一緒にいる時間の長さがそうさせたのである。
ともかく死んでも以前としてやさしく自分を見ている感覚は不思議である。
ただそういう親や家族をもたない人もいる,ある人は親のことを関心がない
親に苦しめられたからそうなったのである。
自分は確かに介護で苦しめられたけとそれは自分を良くしてくれたから当然だったのである。そのことで恨んだりする関係ではなかった,かえって恩返しできて良かったなと今では思っている
だから家族の関係も一様ではないのである。離ればなれに暮らすようになると子供でも疎くなり認知症になったりしたら「あなたはどなたですか?」となる
近くでも日頃親密に接していないとそうなりやすいのである。

だから認知症は訳わからないというが老人になるとその心理が理解できるのである。
老人がどういうものか理解することが若い人はにはむずかしい,でも老人になると理解するのである。老人といっても七十以上に今はなるがその頃になると老人の気持ちは理解できるようになる,なぜなら自分が認知症ににた感覚を経験するからである。