2017年11月22日

最近は買って使えないものが多い (使えたのは中古のパソコンだった)


最近は買って使えないものが多い

(使えたのは中古のパソコンだった)

何年前だったかソニーのアクションカメラAKA-LUA四万で買った,その時四万で安いと思った,ビデオカメラは高いと思っていたからだ
ただ時代が変わりつつありビデオカメラはデジカメにもついている
技術の進歩が早いからわからなくなっていた
これは今一万くらいで売っている,かなり前だから高かったのである。

ただこれは本当に不良品だったのである。それで交換してもらった
このビデオカメラはyoutubeは本当に故障品であり使えないものだったのである。
ソニーでそんな製品を出すとは思っていなかった
これは自転車に乗って写そうとしていた
でもそもそもが前もビデオカメラは一番早い時期から自分は使っていた
でもそうして撮ったものを編集もできないしうまくいかなかった
ビデオカメラはうまく利用できなかったのである。

次にASUSのノートパソコンも三万だから安いと買ったが故障した
簡単にパソコンは壊れないと思っていた
これも安いからしょうがいと思ったし通販だから修理に出すこともできなかった
結局何にも使えず終わった

それからレンジは近くの量販店で買ったがいろいろな機能がついているように見えたが実際はそれはただそう見せているだけであり普通のレンジとなんら変わりなかった
そして中が一部壊れていた,ただ今も使えるが一万のと同じだったのである。
これは三万でありいろいすなことはできないのである。
レンジはそれでも使えているからいい
前の二つは全く使えないから損だった

何か最近はこうして買っても使いこなせないのである。
それで十万くらいは損になった,何か今の電気製品は使いこなせない,特に通信関係は使いこなせない,わかりにくくなっているからだ
だから老人は技術に追いつけなくなっているのだ
それで時代から取り残されるということもある
ただ自分はパソコンは二十年以上している
最初はワープロの通信機能がついたものからしているのである
それは今の通信ができるパソコンの最初のものだったのである。

だからその通信世界のことが理解できなかった,今は普通にしているがニフティとかあの頃通信は普通の世界ではない,マニアの世界だったのである。
ただ自分は富士通の親指シフトでワープロをしていた関係でそうなっていたのである。

その頃のパソコンは必ずソフトで不具合がありいちいち初期化して使っていたのである。今は滅多にパソコンは壊れない,通信でも通じなくなったりログは消えたりしない
安定して使えるのである。
自分がパソコンをはじめたのはワープロが出たからであり富士通の親指シフトが文章が打ちやすいからここまでやれたのである。
パソコンの問題はやはりキーボードであり文章を楽に打てないと嫌になりギブアップする人も多いからだ
パソコンに慣れるかどうかはキーボードを早く打てるかにかかっている,その他いろいろあってもそこが基本でありそこに慣れる人はパソコンに親しむのである。

それで買い物だが一番役に立ったのがwim7の中古のパソコンだった,二三万だったが使える,ソフトの関係で買ったのだが二年以上使っているが壊れないのである。
ウィルスにもやられていないのである。
今や中古でもパソコンは技術的に安定しているのである。
だからこれは得しかたなと思う,パソコンの中古品は今は壊れない,安定して使える

結局何か老人は新しいものを買っても使えないということになる
今まで使ったものは使えるが新しいものが使えなくなっているのだ
消費しろと言ってもできないのである。
若いときはいろいろなものに挑戦できるができない
機械でも新しいものを買っても使いこなせないのである。
多機能テレビとかもあり今はテレビすら操作するのがめんどうなのである。

こういう時代になると老人は本当に不利である。社会から取り残される
現実は自分は車を運転しないから社会のことがわからなくなっていたのである。
車社会になっているとき車のことがわからないとしたらもう生活できないのである。
たまたま仕事もしないから車なしでも生きてきたのである。
ただ今の社会のことは車をもたない人はわからなくなるのである。

それはパソコンでも言える,インターネットのことなどわからない人は今や取り残されるそんなものなくてもいいとか言っても社会はインターネット社会化すると車社会と同じように社会のことがわからなくなるのである。
情報でもテレビだけ見ているだけで偏ったものとなる
だからyoutubeで製品の紹介しているからそれを見て買うとういのも今の時代の買い物なのである。
ソニーで不良品のようなものを出しているとは思わないからである。
そして今は製品が多機能化して使いにくいから老人は相当に気をつけないとだめである。
今老人が不利なのは技術の進歩が早いのと様々なものが理解しにくくなっていることなのである。若い内は新しいものを利用しやすい,その時代のものを吸収しやすい
ただ体験が不足しているので深く物事を見れないのである。
だからすべて若い人が有利となるわけではない,老人になると深い見方ができる
理解力と鑑賞力がついてくるから評論に適しているのである。

遺された家の問題 (思い出があるから捨てられない)


遺された家の問題

(思い出があるから捨てられない)

家は何か暗い所は良くない,自分の家は北向きに通りがあり店をしていたときはそこは街のメインストリートだった,でも今になると店になったところは広くあるが暗いのであるだから店としては良くない場所だった,ただそういう風水的なものとは関係なく角であり人通りがあったから繁盛した,繁盛する店は立地が関係している
誰でも暗い店には入りたくないのだ,シャッター通りになった所などは何か暗いのである
ただ日本は狭いところに住んでいるから路地裏とか入り組んだ所があり日当たりが悪い所が多い,田舎でも小さな町でも街内は日当たりが悪いのである。
家の間に空間がないから長く伸びている,それは都会だと鰻の寝床とか言われる所以である。

風水的に飯館村などは一軒一軒が離れて住んでいるから庭も広いし森につつまれているから理想的な住まいだった,何か飯館村にゆくと雰囲気が違うからその気を受けるのである花が咲いていてもそれはこの辺で咲いているのとは違ったものに見える,より自然の中で高山植物のように咲いている感じになるのだ
そこは清浄な気が流れているからそうなる
だから飯館村が不便だとしてもそこに住んでいたら心もやはり浄化されることがある
ただ一方人間関係が濃密になり人間の嫌な面が露骨に見えるということもあり嫌になるということもある

いづれにしろ家だけではない,海側に住んでいれば必ず海の気を受ける,それが心に影響する,海はやはり人間の心を開放的にするからだ
山はどうしても閉鎖的にする,だから海側に住んでいる人と山側に住んでいる人は気持ちが違ってくるのである。

家というのはそれぞれの家で作りが違う,家は何かその家の人間関係も示している
だから家長がいた時代は家長中心に家が作られていたのである。
横座とかもあり上下関係が明確にされて家が作られていたのである。

主人が不在のときも他の者はこの席にすわらず,また横座を譲ることは隠居を意味する。

これも時代だった,家長というのは今はない,みんな平等となったのが現代である。
そして個人化して個室化したのである。今は座敷もないから個室化して家族という形態も変わった,ということは家族の結束力もなくなり個々別々になったともなる
家というときイエは日本では建物だけではない,イエがもつ意味は大きかったのである。
家というのも代々受け継がれたり歴史があれば重みが生まれる,代々つづく家はやはり
何かつづく原因がある,ただ外国でもヨーロッパとかでも一代限りであり長くつづく家が受け継がれことはないという,家の重みがないという,個人主義の社会だとそうなりやすい,家が重要なものとはならないからだ

いづれにしろ自分に遺された家の問題は大きい,ただ空家化しているのが八百万軒もあるから消滅する家が膨大になる,それだけ昔のように家が存続できない,受け継がれない時代なのである。
それで近くの家で蔦が家にからまり遂に家に住めなくなった人がいた
家がいたんでそうなったのだ,それで車で生活していたのである。
買い物はコンビニに車で来ていたのだ這ってコンビニに来ていた,でも誰も助けるものがなかった,そして最後はどうなったのか?
わからないがその老人は死んだのである,今は更地となっているだけである。
つまり自分の家に住めなくなることもあるのだ
それは片づける力も掃除することもできなくなればそうなる
買い物するのもやっとであり後は何もできないとなれば家は汚れ放題になり住めなくなる

現実に自分の家はいたるところゴミがたまっていた,布団は汚れて落ちないものとなり腐るような状態のもあった,使わないとそうなってくるのである。
布団も干したりしないと使えなくなるのである。
とにかく無駄なもの捨てたい,でも捨てるのにしのびない,それで遺品を整理して泣いていたというのがわかる,やはり人間は簡単に物でも捨てられないというときそこに思い出が残っている,家には特に残っている,だから家には霊が住んでいるともなるのである。死んだ人は家から離れられないともなるのだ

エプロンの出てきてあわれ六十年我が家に働く母なりしかも

つまらないものでも何かそうした思い出が遺されたものにあるから捨てにくいのである。

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