2017年11月17日

切れる老人はなぜ? (役割喪失が認知症になる恐怖)


切れる老人はなぜ?

(役割喪失が認知症になる恐怖)

東京・中野区の有料老人ホームで、入居者の83歳の男性を浴槽で溺れさせて殺害したとして、25歳の元職員が逮捕された事件で、元職員は「男性が風呂の床を汚して掃除しないといけなくなり、怒りがピークに達した」などと供述していることが警視庁への取材でわかりました。警視庁は、突発的に暴行を加えたと見て調べています。

亡くなった藤澤さんは、大阪・箕面市にある現在の関西学院千里国際中等部・高等部の設立に携わり、平成3年から7年間にわたって初代の校長を務めていました。 


切れる老人になるのはなぜか?がまんする抑える働きは前頭葉にあるといわれる,前頭葉は理性を司る,脳に命令する働きがある,感情的なものを抑える働きがある
認知症になると前頭葉の力が衰えて感情が爆発して切れて暴力になるのである。
認知症でもいろいろ性格があるし症状が違うのである。

なぜ今高齢化社会で老人がこれほど問題になるのか,それはこれだけ大勢の人が長生きすることを歴史上経験していないからである。
そしてそうした老人が長生きすることに社会でも備えられていないからなのだ
それは日本だけではない世界的ににも長生きに対して備えがないのである。

それは経済的な面だけではない精神的な面でもそうなのである
退職してから20年30年生きるとしたら長いのである。それに経済的にも精神的にも備えられる人は極わずかなのである。
切れる老人というときそれは老人の精神的問題である。

今の社会は老人にやさしくない,敬ってくれないとか老人は邪魔扱いだとか不満になる。能力中心の社会になると能力がないものは老人は無駄であり邪魔であり経済的にも負担になるだけであり社会にとっていらないものだとなってしまうのである。
会社を退職すると老人の居場所は家になるがそこには妻しかないない,すると妻を相手にしか威張れなくなる,誰も会社のときのように部下がいて敬ってくれないのである。

もう人間は年取っただけでは誰も敬ってくれないし特別扱いはないのである。
ただ現代社会だと金がある老人は金があることで表面的には尽くしてくれる
でも教育関係で校長とかしていたいろいろな役職を経験した老人が施設に入って25才の介護士に無惨に殺されたのである。そこは金持ちが入る地位ある人が入る施設だったのである。だから必ずしも金があっても地位があった人でも特別扱いされるということはないのである

かえって低姿勢で世話になるという謙虚な気持ちの人がやさしくされるとうことがある
おばあちゃんでもいろいろいるが私は介護され安いように努力しているんですよと言っていた女性がいるけどそういう人はそんなひどい目にあわないだろう。
何か世話になるのに地位があるとか金があると傲慢になっていたからそんなひどいことになったのかもしれない,その事情はわからないが金持ちは親を金がかかる施設に入れることが多いのである。だから金持ちだからといって老後は幸福になると限らないのである。

はっきりいって本当に病院とか施設とか恐怖である。老人が弱りいじめられる場所だということを経験しているからだ,それは金持ちでも地位ある人でも変わりないのである
そこに高齢化社会の暗黒面が露骨に現れるのである。
だから孤独死で誰にも世話されずに死んだ方がいいというのもわかる,特に身寄りがないとかそういう人が増えると本当に病院とか施設は恐怖の場所になるのだ

ともかく切れる老人とか邪魔になる老人とかが膨大にこれから増えてくる,すでに増えている,そして認知症になる人が800百万人とか空恐ろしい時代になる
認知症になる原因はわからないけど大きな要因として社会で家族でも役割がなくなることなのである。
自分は家族で女性二人を介護したけど一人はひどい認知症になって無惨に死んだ
そのことが今でも自分のトラウマとなり自分自身もそのことでその衝撃が消えないのである。

それは優秀な女性だったが最後の死に方があまりにも無惨だったからである,その優秀さも最後があまりに無惨だったのであ帳消しにもなった,それだけ人間の最後はやはり影響する,だから成仏にこだわる仏教のこともある程度は理解する
でも人間の最後はみんなみじめであり無惨なのが多いのである。
自分の母親は百才生きて最後も安らかに死んだ,楽に死にたいということをいつも言っていたがその願いだけはかなったのである。

いづれにしろ切れる老人の問題は社会的にも家族的にも役割が喪失することなのである。女性でも家事をししていれば家族に役立つものとしてワーキングする,機能する,すると認知症の予防になることは確かなのである。
何もしないテレビばかり見ているとかなると認知症になりやすいのである。
脳が働かなくなるからである。料理するのは結構脳を働かす,一人は料理もなにもしなかった,もう一人は94才頃まで料理していたし家事をしていたからだ

だから男性でも女性でも役割がなくなることは深刻なものになる,楽でいいというがそうはならないのである。そして男性の場合は会社とか退職すると社会的役割も喪失する
地域で何か役割をもつこともできないしボランティアでもなかなかむずかしいものがある社会ではそういうものを受け入れにくいからだ。
これまでは長生きした老人は少ないし価値があった,村とか狭い社会ではその土地のこに通じていて長老とかなり敬われたのである。
その土地に根付いた農業の場合はいろいろ教えることがあった,今はそういう社会ではないから何か地域で教えることもないのである。

自分の場合は会社勤めしていないがライフワークとして追及したものがあり今それをプログで表現している,だからこれからは会社一辺倒ではなくそれぞれかライフワークをもつ必要がある,退職してから長いからである。
ただそこまで人生設計している人は少ない,それは高齢社会と長寿社会というのを人類史上でも経験していないからである。
だからそれに備えられないのである。経済的にも退職してから百年生きることに備えられる人がどれだけいるのかとなる
それは経済的にもそうであ精神的にもそうなのである。