2017年11月06日

JRでは掃除費用を商工会の女子部に払っていた (でも今は掃除しないともめている)


JRでは掃除費用を商工会の女子部に払っていた

(でも今は掃除しないともめている)

鹿島駅は商工会がJRに頼まれて掃除していた,女子部が掃除していた
無料でしていたのかと思っていた
掃除といってもごみ箱にたまるものをとりのぞくくらいである。
駅自体は汚れない,ただタバコ吸う場所に空き缶などがあるので自分がかたづけていた
駅構内にごみ箱があるのでわかりにくいのである。

地区では花壇などを手入れしていた,地区とか商工会が関係していた
それから前の自転車屋の人が言うには市の許可ないと掃除などして金をJRからもらえないという,それも団体などでないと許可しにくいという
老人会などである。でもわずかでも金が払われていたことが意外なのである。
ただなんらかで商工会の女子部は掃除したくないとなったのである。
この理由は良くわからない,金が入るにしても女子部に入れば飲み食いして終わりだろう
市の企画に電話したらJRからそういう相談したことは知らない,別な部署だったのか?
自転車屋の人は名前まで知っていたのである。その人が担当だったから直接話したから知っていたのである。
市が関係しているのはトイレである,毎日福祉関係の人があさがおが掃除している,だからぴかぴかなのである。

金が欲しいわけではないが掃除するだけで金をJRが金をはらっていることは意外だった
なぜなら無人化しているのは人を雇うことが金がかかるのでしているのかと思ったからである。鹿島駅は無人化する駅ではなかったが震災以後の事情でそうなった
ただ駅員でも相馬市でも制服着ていてもJRの正式の職員ではないのである。
委託された人である,何か委託する人が必要なのである。

だから切符を販売ずるとかも頼みたいとか言っていたがそうなるとめんどうになる
掃除だとあそこは楽である。それで金をもらいるとしたらボランティアとも違ってくる
委託されれば制服のようなものを着ることになる
ただ一時間くらいの掃除だとそういうものはいらない

自転車置き場を広げると水戸管理局の人が言ったが原ノ町の人は知らなかった
これもなぜだろうとなる,ただ今回は自転車置き場を見に来ただけだったのだろう。
駅は市も関係している,自治体も関係している,駅は街と直結していることと
駅が街のランドマーク,目印になっているからである。
ここでは道の駅がないからトイレも利用しているからである。

駅の機能は実際は電車を利用するだけではない,街の中心的なランドマーク目印とある,だから一応駅に来る人がいる,でも駅前は駐車場ではないのである。
一時的にしかとめられないからキクチスーパーにとめるとなる
それも駅の問題なのである。

ともかく駅からその街のことがいろいろ見えてくる,それは駅がその街の玄関口になっているからである。駅は本当に前は玄関だった,駅を利用する人が多いときは余計にそうなっていたのである。だから家でも玄関が大事だというとき人が出入りするところだから
玄関でその印象を決めることがあるからそうなる
玄関に花とか飾ればきれいになり入る人も気分良くなるからである。

タグ:駅の掃除

深野から石神の旧家に嫁いだ女性 (紙漉きをして古い鎧があった)


深野から石神の旧家に嫁いだ女性

(紙漉きをして古い鎧があった)


郷土史とかは家の歴史が基本にある,誰でも家のことに一番関心があるからだ:それでおじいちゃんとかおばあちゃんから聞いたか話が郷土史に興味をもつ
だから郷土史でも古い旧家に生まれると郷土史に興味をもつのである。
そうでなくても一軒一軒の家には二代くらいでもそれなりの歴史がある,謂われがある

深野(ふこうの)から石神の旧家に嫁いだ家は古い家だった,野馬追いにもでていて鎧が博物館に飾ってあるという。この辺では野馬追いがあるからそういうことがある

遠き粗(おや)の片身の鎧萬代にいかで我が名を伝えてしかな

これは柳田国男の家の歴史をたどり兄が残した短歌だった,野馬追いにでている家は相馬氏一族につながり相当に古い,戦国時代までさかのぼる,ただなぜか野馬追いの旗の由来はわからないのが多いのである。
なぜなら旗印は鎌倉時代からはじまるとしたらその源をたどると古いからわからなくなる紋を基にしてもそれが古代にもさかのぼる

例えば只野家の由来は郡山の多田野村に由来して南北朝時代に霊山が炎上したとき落ち延びてきた末裔なのである。その旗印は杉だった,その杉の旗印の源をたどると奈良の三輪山にいたる,奈良の三輪山は雄略天皇時代からの信仰の山である
杉が神聖化されていた,杉の旗印はそこから生まれていたのである。

味酒(うまさけ)三輪(みは)の祝(はふり)がいはふ杉手触(てふ)れし罪(つみ)か君に逢ひがたき

杉は神聖なものだった,三輪山は山自体が神になっているから祭るものがないのである。
古い家というとき深野から石神の旧家に嫁いだ女性は紙漉きをしていた家である。
紙漉きは相馬市の山上に紙漉き沢という地名が残っているからどこでも生業となっていたただその古い家を新しい家にした,それは原発の補償金が入ったからだとなる
その女性は深野出身であり実家の母親は臼作りをしていたという

臼作りというとき餅を作るには必ず必要だから各地で作られていた

船引のけやきの森で臼作りで

欅(けやき)は硬いから臼に向いていた,槐(えんじゅ)というのアイヌのお土産屋で聞いたら灰皿にも使えるという,それだけ硬いから火も消えるとなる
ただこの辺で杉は多いけど欅は少ないかもしれない,ただ材料があったから作られたのである。材料がなっかたら陶器でも作れない,相馬焼を庶民化した左馬という人か大堀で陶器になる土を見いだして左馬茶碗が大堀で普及したのである。

木はもともと器として作られていた,茶碗でもなんでも地元の木を利用して作られていたそれで木地師の伝説が生まれたのである。山の奥地に箸だけを作る村があるとか分業化もされていたらしい,船引では臼だけを作っていた
中山道の昔の街道ではおろく櫛というのが有名である。そこでは櫛だけを作っていたのである。
何かそうした生業というのものが今はほとんど忘れられている,生業とは生まれついてする職業のことである。だから自ずと地元に密着したものであった
原発事故で「生業を返せ」東電や政府に訴えた,その生業は農業なら今も通じるが何か工業化自体になると通じにくいのである。
戦後十年くらいは炭焼きもしていたから生業は地元にあるもので生活していたのである。
そしてともかく物は道具でもお碗一つでも貴重なものだった,そこからもったいなという言葉が生まれた,片身分けというのも衣服でも貴重だから片身分けになる
今は物を遺しても貴重なものとはならない,金の方が大事になる
「生業を返せ」というけども何か地元に密着した生活は喪失していたのである。

いづれにしろ郷土史は家の歴史をたどることからはじまる,一軒一軒の家から見えてくるものが郷土史なのである。
注意すべきは深野は大原より古いことである。館という地名が二つあるのはこれは中世のものだからである。大原は相馬氏が開墾に入った場所だったのである。
最近は畑が牧草地になったり小池の親戚が荒地になった所を耕しているというとき近いからそうなる,深野と小池は山があるにしても近いのである。

只野姓の由来
南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎 
posted by 老鶯 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)