2017年11月15日

慶長津浪によって相馬氏がこの辺を支配できた? (海側に敵対勢力の泉氏などの氏族がいた)


慶長津浪によって相馬氏がこの辺を支配できた?

(海側に敵対勢力の泉氏などの氏族がいた)
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相馬氏進出の径路

なぜ相馬藩では津波のことが記録されなかったのかー続編?

慶長三陸地震(けいちょうさんりくじしん)は、1611年12月2日(慶長16年10月28日)

ここでその大意は書いた,その後は補強になる,相馬氏がこの地方に進出してきたときすでにこの辺を支配していた豪族がいた,だから相馬氏と敵対したのである。
それが海側にいたのはすでに海運がありそこからの貿易の収入があって力をもっていた
小高はすでにそうした湊の施設があり船の出入りがあった
現実に今回の津浪では駅まで津浪が来ていた,小高城で海が近いのである。
そして小高には船が相当数出入りしていたのである。船をもっている人達が船主がいた
船主が船をもつことは土地をもつことと同じように力をもつのである。
原発事故で事故前も事故後も補償金をもらって困らないのが船主であった
だから原発御殿が建ったとか周りからねたまれていたのである。
そのことは反面いかに船主が力をもつかということを証明しているのである。

どういうわけか慶長津浪が来る前に相馬市の諏訪神社でも松川浦から神社が移動しているのである。そして舟繋ぎ伝説が生まれた,船が流れてきてとどまったという伝説である。それは小泉川がありそこをさかのぼってきたのである。
まず津浪は川をさかのぼる,それで驚いたのは仙台の多賀城の砂押川である。
あそこに津浪がさかのぼってきたことは驚きである。
その川は小さいしそして海が近いと思わなかったのである。
ビルとか建物にさえぎられていたから海が近いと見えなかったのである。

末の松山は古歌に波こさじかとありそこまでは津浪が来なかったのである。
これはまさにそこまで津浪が来なかったということを短歌で記憶されていたのである。
ただそれは貞観津浪のことだった,慶長津浪はまた違っていた
貞観津浪は京都の方から多賀城に都の人達が来ていて記録されていたのである。

相馬地方でも総合的に見ると鬼越館は磯部館があったのだが鬼越館に慶長津浪の前に移っている,高潮のために移ったとあるがその近くまで今回の津浪が来ていたのである。
津浪の前触れを感じたのか?それも不思議だとなる
北郷では今の南相馬市の鹿島区では海老に伝えられた大工の話も津浪を語っているのかもしれないことは指摘した

その後善次病死して棺を出す。時に大原村二森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。
棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。
知らず「おいか」とは何の言なるか。
ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。

鹿島町誌にある伝説は何を語っているのか?

大原村二森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで雲中に入る。

なぜここに大原と出てくるのか?大原は相馬氏進出の径路で書いたように大原から小池と相馬氏は進出した,支配してきたからである。
山側から片倉村から入り太田神社に入り小高に進出してきたのである。
海側には海運を業として力をもった豪族がいた,岡田氏や泉氏や磯部館のあとで鬼越館に移った佐藤氏などが敵対したのである。
それで牛越城建設に泉氏がその負担を強いられたから火を放ったのである。
つまり慶長津浪が来る前に相馬氏は相当な地元の豪族の抵抗にあっていたのである。

だから不思議なのは中村に城を移転するというのも慶長津浪の一カ月後とういのも何か津波によって敵対勢力がそがれた結果だともなる
そういうことは他でもあったからである。戦国時代は相手が弱ると好都合なのである。
弱肉強食の世界だからである。そういう経験を自分もしているからだ
相手が困ることは借金でもなんでも申し込みやすいし相手を従わせやすいのである。
だから津浪で被害があったとしたら敵対勢力が弱体化するのだから相馬氏にとっては都合がいいことだったのである。

伊達政宗の時代でもあったが慶長津浪は伊達藩にも打撃だったから今の相馬市は中村は伊達氏がその当時支配していた,それで鬼越館の佐藤氏は伊達氏についていたのである。
伊達氏の勢力も津浪でそがれたとなると中村に城を建てやすかったとなる
そこで海老の大工が天守造営に行かされるのに抵抗したのはその土地の豪族の館をもつ支配者の命令でもあったが板挟みになり悩んだのである。
つまり大原と関係しているのは大原は相馬氏の勢力下に入っていたからなのである。

慶長津浪の記録は700人溺死としかないけどその当時の情勢をみると津浪の影響で敵対勢力が津浪で弱体化して相馬氏がこの地を支配できたというのもイメージできるのである。総合的に見て判断するとそれが有力だとなるのである。
posted by 老鶯 at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2017年11月16日

人手不足倒産時代 (特に飲食業が人が集まらない)


人手不足倒産時代

(特に飲食業が人が集まらない)

低価格のラーメンチェーン「幸楽苑」を運営する会社が人手不足で人件費が上昇し採算が悪化しているとして、全体のおよそ1割に当たる50店舗余りを今年度中に閉鎖すると発表しました

サービス業ってのはそもそも半分虚業じゃないの? 
単に自分がやればできることを他人にやらせてるだけの商売は特に

人手不足で休みます

幸楽苑が原町にあるけど二人だけで忙しい,この辺は原発事故で若い人が減ったとかあり人が集まらない時給を高くしても集まらない,それは全国でもそうである。
働く人がいなくなれば会社もやっていけない,しかしもともと飲食業とかしたくない仕事がこの世に多い,だからそうした飲食業は給料も安いとなると人も集まらない
何かそうした仕事は機械化してゆく,事務関係でもAI化してゆく,つまり給料もあるが人間がやりがいを感じないこともある,自分は流れ作業しか仕事していないから仕事のことがわからない,そういう仕事は金をもらってもしたくない,人間の尊厳を傷つけるのである。

こんなことが人間の仕事なのか?そうして遂に自分の場合は仕事をせずに一生終わったのである。ただそれは特別恵まれたからできたことでありニートとか今は普通だけど団塊の世代はガムシャラに企業戦士として働いたのである。
それは何か高度成長時代は働く意欲がみんなあったのである。上昇気分があった,経済成長が国全体として高揚したものとなっていたのである。
日本はアメリカに戦争に負けても経済では勝ったとかなっていたのである。
だから国民全体が今とは違って働く意欲があった,それは仕事がいろいろあっても全般的に言える,そして給料も毎年上がりマイホームとかいろいろ将来への望みがありそれが目標となりかなえられるとなっていた

そもそも時給で働かせることは人間の尊厳を傷つけていないか?
人生は時間を何に使うかで本当に決まる,時間が一番大事なのである。それが安く切り売りされている,でもその時間がもしただ切り売りするのではなく何か自分のスキルを仕事を身につけるならいい,例えば大工なら職人なら職人として仕事を身につける,それが誇りになる,職人は仕事をするというときその仕事に関して専門家だという自負がある
他でも仕事は一人前にになるには修行をする,それはその仕事でスキルでも何か社会で給料だけではないものを身につける,それで社会からも大工なら大工として認められるし自分もそのスキルで誇ることができる
飲食業などはチェーン店などではそうしスキルは与えられたものであり機械化している感じになる

要するには本当は誰でもできないものがあるにしても誰でもできるものでありロボットでもできるのじゃないかと見られる職業が人手不足となる,そうして機械化するとAI化するのである。それは人間はこんな仕事したくないとなるものなのである。
だからたいがいの人か人手不足というときただ奴隷が欲しいだけなんだよとなる
時給2000円くれるのが当たり前だとなる,それも人間になるとそうなるのである。
人間は「俺は機械じゃない」とかなる,そういう人間の尊厳を傷つける労働が多すぎるからである。

では仕事は「俺は機械じゃない」という仕事をしている人は少ない,江戸時代だったら職人は手作りだから一つ一つ丹精こめてその人の技量を活かして独自のものもう作っていただから下駄すら作った人の名前がついている,今でも近くの包丁を作っている店はいい包丁だとして知られている
何かそういうことが江戸時代には手作りの社会だから多かった大量生産の時代になるとそういう仕事がなくなった,みんな型にはまったものを大量生産するだけだとなった,それは人間も同じような型にはまった人間の大量生産だったのである。

それは学校という場がそうした大量生産に向く型にはまった人間を訓練する場として作られたというのもそうである。
江戸時代の寺子屋は机でもばらばらであり自由だからである。
この大量生産の時代は命も安価となったのである。
戦争で大量に何百万人も死んだというのも現代社会の大量生産の結果だという人もいるのがわかる,ナチスをそうして批判している思想家もいる
今まではそんなに大量に死ぬ戦争はなかったからである。

ともかく飲食業でも人手不足でみんな倒産するというのも困る,飲食業は社会にとってただ腹を充たすだけの場ではない,憩いの場だと社交の場だとか気分転換の場だといろいろある,人間のすることはまず一つの機能だけをすることはないのである。
人間の仕事はただ部品を作るということではない,だからロボットのように人間を使うことはできないのである。
自分は外食することが多いから飲食業に関心をもっている
飲食業は実は他者と区別できる,同じ品物を売っていないのである。

料理はみんな店で違っている,最近鹿島の仮設の食堂が一軒残っているけどメニューを変えた,500円のカレーがうまいなと思う,いい肉も使っているから500円では手頃である。そのカレーはそこだけのカレーなのである。
そういうものが別にチェーン店だけではなくても作れるのである。
だから飲食業が誰でもやれるとはならないし個別化できる,他と違ったものを作れるということである。それで人を集められるということがある
ただ商売は場所だから都会のようにある程度人がいないといくらうまいとしても人が集まらないのである。
商売にはいろいろな要素がからんでくるからである。

サービス業ってのはそもそも半分虚業じゃないの? 
単に自分がやればできることを他人にやらせてるだけの商売は特に

別に飲食業がなくても自分でも作れる,でもそうしたら人間の生活は豊かなものにならない,豊かさとはただ食べるだけのことではない,雰囲気とか仲間と親交をあたためるとか人間が食べるというとき腹を充たすだけではないのである。
鉄道の駅だってただ電車に乗るというだけではない,そこは出会いと別れの場であり人間的情をはぐくむ場でもある
つまりメカニカルなだけではない,ヒューマンな場なのである。そこが自動化して無人駅になってもだから駅員が必要だともなる,人間的な場にする必要があるとなる
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メニューをかなり変えた ラーメンでも盛りがいい,いいものを食材に使っている
仮設はここ一軒しかないから淋しいとなる
やはり何軒も食堂でもあれば選べぶからいいのである。
そこに仮設商店街の利点があった


posted by 老鶯 at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

ドイツのライン河の詩 (河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)

  
ドイツのライン河の詩

(河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)

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さわやかなる秋の朝,マインツに船はよる
古い教会のマルクト広場に市がたつ
色とりどりの菊の花が所狭しと並べられる
ラインの岸辺の街の一つ
ポプラの直なる樹々が風にゆれる
悠々とラインは下流へと下る
河は街と街を結び
自由なる商人をはぐくむ
またもの寂びた古城は何語る
城壁は崩れ王の悲劇の物語
ここより下りてケルンの街よ
名高き双塔が天に聳え立つ
その建築の合理性と気高さよ
重々しく貨物船がラインを下りゆく
かなたオランダもイギリスも望まん
一望するドイツの広らかな大地よ
その胸に抱かれてラインは流れぬ
厳かにゴシックの大聖堂に祈りは献げられる 
かなたまで鳴り響く鐘の音よ
その千年の石の重みよ
ここにキリストの信仰ははぐくまれぬ
聖歌はここに荘厳に鳴りひびきわたる
バッハのカント,重厚なベートンベンの音楽
ネッカー河畔の晩秋の哲学者の道
落葉を踏みて深い思索にふける
ドイツは生みぬ世界的哲学者を
ハイデルベルグは中世の最古の大学
ここに学びの歴史は始まる
修道士ありて勤め学問の始まる
ドイツの深き森よ,実直なる樅の木よ
その森厳なる大地に育まれしもの
そこより荘厳なる楽が鳴りひびきわたる
ラテンのフランスと分かつライン河
霧深きドイツの大地と黒い森
独自の文化はここに育まれぬ
ドイツにとどまらじ限りなき霊感を生む地球よ
国々の精神はその土地土地の地勢により作られる
それぞれの土地の魂(たましい)を歌いあげよ
剣を捨て国と国は争わずそれぞれの詩を示せ
その時地球はパラダイスとならむ
国々はただ神の与えしもの
国土は神より賜りしものと知るべし
国は国のものにあらじ神のものなり
国はその国のもののためにのみにあらじ
国々はその神に与えられた天分を果たすもの
地球は壮大な一つものにあれ
誠の詩人は大いなる地球を歌うものなれ
天上の国を歌うものなれ地球を讃歌せよ
ただそれぞれの土地は人の心をしばりつける
しかし詩はその鎖たちきり解き放つ
自由の鳥は境を越えて飛翔する
その憧れはやむことなくも
ペガサスとなり大鵬となり天翔る
その翼は不死鳥となりて燃え上がる
そして天空の星座となり連なり
地を離れて永遠に輝く・・・


ヘルダーリンというとドイツの国民詩人になるだろう。それは父なるライン川を詩にしたからである。
日本人にとって外国がわからないというとき例えば四大文明が河から生まれたというとき理解できないのであるエジプト文明がナイルの賜物というときそうであるか。ナイル河と離れてエジプト文明はありえないからであるその他のインダス文明でも中国の黄河文明でもそうである。
インドのガンジス川を理解せずしてインド文明を理解できない、ヒンズー教でもガンジス川をアイディンティティとしているからである。
日本が世界の文明を理解できないというときこうした大きな長大な河がないからである。
日本の川は山が迫り短いし外国人が滝だというときそのことを語っている
外国の川は流れているのかいないかのかわからない、運河のように見える、現実に川は運河の役割を果たしていたのである。それは最初の交通路になっていたのである。
だからエジプトの河岸からピラミッドに通じていた、港の役割を果たしていたのである。
ナイル河を運行していた船はすでに大きな船だった、その距離も長いから河は最初の道だったのである。
その長大な河に沿ってエジプト文明が成立したのである。

ナイル河の岸辺の神殿に船はよりぬ
月影に照らされてヒエログリフの文字何語る
はるかなる遠き日よ、月影に浮かぶ神殿
船は去りゆく、静かなるナイルを下り・・・
星辰はきらめきピラミッドが砂漠に影なす

船でよった神殿は月影に照らされて神秘的だった、こうしてともかく河がいかなるものか日本人にはわからないのである。ナイルが洪水になってもその泥は肥料となり麦が作られたのである。そしてすでにビールも作られていたのである。
ナイル河とかインダス河とか黄河とか揚子江になると長大な河が一本大地を貫き流れている感じになる
でもヨーロッパの河になるとセーヌ河がありライン河があっても支流がありその支流も日本のような支流ではない、船が運航できる河なのである。だからこそ河が交通路となり商人が行き来してハンザ同盟とか商人の同盟がヨーロッパでは生まれたのである。
ヨーロッパは河が道路となり結ばれたのである。

河というときバイキングとかがセーヌ河を上ってきたのである。バイキングは船でイギリスとか地中海とかまで航海した商人でもあった,川は海からの交通路であり入口にもなり出口にもなっていた、だからライン河の出口にオランダが独立した、オランダは河と海で結ばれた国だったのである。
河といきうとき下に流れるだけのものとみているが海から見ると川を上るものとなる、アイヌでも河口は河の尻として地名化している河で怖かったのは津波がまず川から上ってくる、それは早く上ってくる、あの多賀城の小さな砂押川でも津波がさかのぼってきたから驚いた、海というものがその小さな細い水路に海の水を押しだしてきたのである。   
海から来る水の圧力がもの凄いものだったのである。

河は気高く泡立って流れている−ライン河こそは
更にこのすばらしい仙境の最大の魅力だ
何千回となく曲がるたびに その都度
前よりももっと新鮮な美を展開して見せる
(バイロン)

雪の峯は大地にそそぐ
この上もなく清い水を 生まれながらに
あなたが純一なのは そのためなのだ
根源の近くに住む者は その場を離れない
そしてあなたの子なる もろもろの街
ネッカルのほとりの街
それらの街はみな思う ここにまさる住処はどこにもないと
(ヘルダーリン−漂白)

雪の峯とはアルプスの峯である、氷河と磐のアルプスから清涼な清水の一滴である。
それがラインの上流であり源である。ここではアルプスに通じている、そして黒海で交わる
あとはギリシャがヨーロッパ文明の礎の国としてある
ただ今と違ってヘルダーリンは世界を旅していない、視界は限られているのである。
今は別に特別な人手でなくても世界旅行ができる恵まれた時代なのである。

ライン河沿いの街をその子として表現しているのは面白い、実際にそういうものなのである。
河が産んだ街なのである。こういう感覚は日本では生まれないのである。日本の国は国造りでは海から生まれたからである。
イザナミ、イザナギは海の神だったからである。

美しきラインの眺め
山を離れたその後で
満ち足りながら よき営みの内に
あこがれる思いを鎮める
父なるラインは土地を拓き 愛する子らを
みずから築いた都市に養う
(ヘルダーリン−ライン)    

根源の近くに住む者は その場を離れない

こういう表現もこの時代密接にドイツの大地と結ばれていたから生まれた詩である。
深くドイツの大地とアイディンティティ化されていたからこういう詩が生まれる
それは自分でも自分の住む場所でそうしてきたからである。
根源とはthe fundmental deepest  homelandとなる

そして河が街を養うという感覚は河の文明なくしてありえない表現なのである。それはいかにく深く河と結びついているかを知らねばならない,それはナイル川でもそうだがガンジス川でもそうであり黄河や揚子江でもそうなのである。
河がまさに文明を産みだしているからはそういう表現になったのである。
ヨーロッパの都市は一つの国であり街は独立した市民のものだった,そういう都市が多いというときそこから文化が生まれたのもわかる,その都市を作ったのが河だったのである。

 ■文明はなぜ砂漠地帯に発生したのか?
 
   文明の成立の第一条件は多くの人間が集まり、大社会を作ることにある。集まるための条件の第一は、移動が楽だということだ。砂漠は一般には酷暑乾燥の過酷な土地で、旅行するのも命がけだと思われている。しかし、点在するオアシスを結んで行けば意外と楽である。足もとは砂だからどこでも歩くのは比較的容易だ。砂漠というと歩きづらい「砂丘地帯」を連想させるが、砂ばかりとは限らず、土漠、岩漠などもある。反対に歩くのに難儀するのは、湿潤地帯ではなかろうか?
http://home.e08.itscom.net/21water/bunmei.htm

このサイトでは移動しやすい所に人が集まりやすい所に文明が生まれたという説である。日本はいたるところ湿地帯だから移動しにくい,それで文明を作りにくかった、道がないと大きな国は作りえないからである。大きな国は移動しやすいと作りやすいということがある、それでローマ帝国は道をはりめぐらしたのである。

いづれにしろそれぞれの国はその国土から生まれた,国の精神もそうである。大和魂でもたましいというときその土地から生まれたものなのである。土地から離れて魂(たましい)もありえないのである。日本なら万葉集が日本の国土と一体化したものだった
なぜなら大和とは山の戸口でありヤマトは山を神とする国となるからだ、日本では山にその根源を置いているとなる
三輪山は山自体が御神体になっているからである、それが日本の根源なのである。

ただ日本でもそうだがその国土を歌う詩人は生まれていない、日本の詩人でもそうである。何か芸人的詩人なのである。
ヘルダーリンのような詩人は生まれていないのである。
俳句とか短歌ではどうしても詩としては短いから大きな詩となりにくいからだ
そして現代とは工業とか経済とかに席巻された時代である。
だからシュペングラーの言うように西欧文明の没落とかなる,その本が数からははじまっている
人間は言葉でも商人の言葉となりただ機能的言葉となり本来の詩語だった言葉が数字のようにもなったことを嘆いている
言葉が死んだというときそれが現実の自然の像とも結びつかないからである。
だからそもそも根源なるものから人間は乖離して人間としての像を持ちえないのである。

言葉は本来自然の事物と石でも樹でも山でも一体不二のものだった,だから荘厳なものとして言葉はあった
神聖なものとしてあった,ロゴスとしてあった,言葉は今や貨幣なのである。ただ商業的経済的なものとしての流通物なのである。
そしてその貨幣に人間はけがされて貨幣が神のごとくなってしまったのである。
真実の言葉はそういうものではない、それは大地と自然と一体化したものであり荘厳なものだったのである。
一面言葉をもって人間となったともいえるからだ
だから言葉を軽んじることはできないのである。言葉を軽く扱うことは危険なのである。
それは魂までも心をけがすからさである。だから宗教は山に籠り沈黙の行をしていたというのもわかる

それぞれの国の栄はもともとそれぞれの国土から生まれていた、河の文明は河が都市を街を産んだように河が文明を作ったのである。その大河が日本にないからそもそもその文明を理解できないとなる
外国人が日本は温泉だというときまさに山の国、火山の国、地震の国だからこそ温泉があり日本の国土から生まれた恵みだったとなるそういう恵みはそれぞれの国々に与えられている、砂漠の国にはなにもないかというと石油が与えられていたからである。
神はそういう点公平だったのかともなるのである。

2017年11月17日

切れる老人はなぜ? (役割喪失が認知症になる恐怖)


切れる老人はなぜ?

(役割喪失が認知症になる恐怖)

東京・中野区の有料老人ホームで、入居者の83歳の男性を浴槽で溺れさせて殺害したとして、25歳の元職員が逮捕された事件で、元職員は「男性が風呂の床を汚して掃除しないといけなくなり、怒りがピークに達した」などと供述していることが警視庁への取材でわかりました。警視庁は、突発的に暴行を加えたと見て調べています。

亡くなった藤澤さんは、大阪・箕面市にある現在の関西学院千里国際中等部・高等部の設立に携わり、平成3年から7年間にわたって初代の校長を務めていました。 


切れる老人になるのはなぜか?がまんする抑える働きは前頭葉にあるといわれる,前頭葉は理性を司る,脳に命令する働きがある,感情的なものを抑える働きがある
認知症になると前頭葉の力が衰えて感情が爆発して切れて暴力になるのである。
認知症でもいろいろ性格があるし症状が違うのである。

なぜ今高齢化社会で老人がこれほど問題になるのか,それはこれだけ大勢の人が長生きすることを歴史上経験していないからである。
そしてそうした老人が長生きすることに社会でも備えられていないからなのだ
それは日本だけではない世界的ににも長生きに対して備えがないのである。

それは経済的な面だけではない精神的な面でもそうなのである
退職してから20年30年生きるとしたら長いのである。それに経済的にも精神的にも備えられる人は極わずかなのである。
切れる老人というときそれは老人の精神的問題である。

今の社会は老人にやさしくない,敬ってくれないとか老人は邪魔扱いだとか不満になる。能力中心の社会になると能力がないものは老人は無駄であり邪魔であり経済的にも負担になるだけであり社会にとっていらないものだとなってしまうのである。
会社を退職すると老人の居場所は家になるがそこには妻しかないない,すると妻を相手にしか威張れなくなる,誰も会社のときのように部下がいて敬ってくれないのである。

もう人間は年取っただけでは誰も敬ってくれないし特別扱いはないのである。
ただ現代社会だと金がある老人は金があることで表面的には尽くしてくれる
でも教育関係で校長とかしていたいろいろな役職を経験した老人が施設に入って25才の介護士に無惨に殺されたのである。そこは金持ちが入る地位ある人が入る施設だったのである。だから必ずしも金があっても地位があった人でも特別扱いされるということはないのである

かえって低姿勢で世話になるという謙虚な気持ちの人がやさしくされるとうことがある
おばあちゃんでもいろいろいるが私は介護され安いように努力しているんですよと言っていた女性がいるけどそういう人はそんなひどい目にあわないだろう。
何か世話になるのに地位があるとか金があると傲慢になっていたからそんなひどいことになったのかもしれない,その事情はわからないが金持ちは親を金がかかる施設に入れることが多いのである。だから金持ちだからといって老後は幸福になると限らないのである。

はっきりいって本当に病院とか施設とか恐怖である。老人が弱りいじめられる場所だということを経験しているからだ,それは金持ちでも地位ある人でも変わりないのである
そこに高齢化社会の暗黒面が露骨に現れるのである。
だから孤独死で誰にも世話されずに死んだ方がいいというのもわかる,特に身寄りがないとかそういう人が増えると本当に病院とか施設は恐怖の場所になるのだ

ともかく切れる老人とか邪魔になる老人とかが膨大にこれから増えてくる,すでに増えている,そして認知症になる人が800百万人とか空恐ろしい時代になる
認知症になる原因はわからないけど大きな要因として社会で家族でも役割がなくなることなのである。
自分は家族で女性二人を介護したけど一人はひどい認知症になって無惨に死んだ
そのことが今でも自分のトラウマとなり自分自身もそのことでその衝撃が消えないのである。

それは優秀な女性だったが最後の死に方があまりにも無惨だったからである,その優秀さも最後があまりに無惨だったのであ帳消しにもなった,それだけ人間の最後はやはり影響する,だから成仏にこだわる仏教のこともある程度は理解する
でも人間の最後はみんなみじめであり無惨なのが多いのである。
自分の母親は百才生きて最後も安らかに死んだ,楽に死にたいということをいつも言っていたがその願いだけはかなったのである。

いづれにしろ切れる老人の問題は社会的にも家族的にも役割が喪失することなのである。女性でも家事をししていれば家族に役立つものとしてワーキングする,機能する,すると認知症の予防になることは確かなのである。
何もしないテレビばかり見ているとかなると認知症になりやすいのである。
脳が働かなくなるからである。料理するのは結構脳を働かす,一人は料理もなにもしなかった,もう一人は94才頃まで料理していたし家事をしていたからだ

だから男性でも女性でも役割がなくなることは深刻なものになる,楽でいいというがそうはならないのである。そして男性の場合は会社とか退職すると社会的役割も喪失する
地域で何か役割をもつこともできないしボランティアでもなかなかむずかしいものがある社会ではそういうものを受け入れにくいからだ。
これまでは長生きした老人は少ないし価値があった,村とか狭い社会ではその土地のこに通じていて長老とかなり敬われたのである。
その土地に根付いた農業の場合はいろいろ教えることがあった,今はそういう社会ではないから何か地域で教えることもないのである。

自分の場合は会社勤めしていないがライフワークとして追及したものがあり今それをプログで表現している,だからこれからは会社一辺倒ではなくそれぞれかライフワークをもつ必要がある,退職してから長いからである。
ただそこまで人生設計している人は少ない,それは高齢社会と長寿社会というのを人類史上でも経験していないからである。
だからそれに備えられないのである。経済的にも退職してから百年生きることに備えられる人がどれだけいるのかとなる
それは経済的にもそうであ精神的にもそうなのである。

2017年11月18日

水の力(詩) シーパアーとランドパワー


水の力(詩)

シーパアーとランドパワー

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絶えず生々流動する水
万年雪の氷河の峰より滴る水
その水源から川の物語がはじまる
遠大な流れの物語がはじまる
谷間を流れ碧い淀みをなし
その深みにひそむものは何か
神秘の色に静まりぬその川の上
しかし水はまたやむことなくて流れる
その巌の間を激流となり轟く
激しく磐を打ちひびき流れる
青春の暗き激情か奔騰する流れ
遂に滝となり山々に轟きわたる
やがて平野に河は流れ下り
大地を潤し恵みを与える
ナイルは豊かな恵みを与える
三千年の文明の栄をもたらしぬ
そして大河は街と街を結ぶ道となる
物資は運ばれ人々は結ばれる
かくて大河は穏やかに河口になり
老いの安らぎがそこにもたらす
しかし河は終わるも水のドラマは終わらない
水は躍動して活きている
水は絶えず流動する力である
水は時に津波となり河に押し寄せる
陸に押し寄せて街をのみこむ
ノワの方舟を浮かべる水の力なり
津浪の恐怖は人々にその恐怖を植えつける
水は常に生々流動してとどまらない
海は老いることなく水は老いることがない
船は波にゆられ旅人も波にゆられる
その心はいつも波にゆられている
真っ赤なハイビスカスが咲き朝の見晴らす大洋よ
新たな島にまた船でわたる
海は常に未知の世界へ誘う
島には異国の船が漂着する
それが伝説となるも海の成せる業
水平線を望めば船影が見える
海より湧くように千の船が浮かぶ
海は陸のように跡を遺さない
海底深く船の残骸を沈めるも
その宝も沈みし船は幻なりしを
波は高鳴り潮は流れやまず
帆は風を受けて船を進める
かなた波にゆられて未知なる国へ
鳥が翼を休めるは一時なり
マストにとまる海鳥よ
望むは大海と島と船なり
絶えず生々流動する水よ
それは人間の心でもある
深き入江は休息の港
船のごとそこにしばし心を休める
しかしまた船は港を去り大海に出る
朝日は輝き上り海は船を迎える
波にゆられ心もゆられて
旅の日は終わらず探検の日はつづく
旅人は常に新たな島を地を踏む
そこに知られざる花を見て人の生業を見る
沖縄の遠き小島のあわれかな
井戸の水は枯れて村は移りぬ
島は外部との交流なしでは生きられない
島と島を船が結ぶ
水は激しく流動してやまない
河はまた大地を穏やかに流れて
人と人を街と街を結ぶ
河は文明を作り海は島々を国々を結ぶ
海を制するものは陸をも制す
シーパワーにランドパワーよ
世界の雌雄は海で決する
ギリシャはペルシャ帝国に船団を編成して勝つ
七つの海を支配しイギリスの栄あり
陸の帝国は万里長城を作り国境を作る
そのために中国人民は莫大な労役にあえぐ
海には国境は作れない,海は自由に航行する世界の道
だから光りあれの次は水のあれになる
最初に水が地球をおおうなりしを
躍動する水よ,衰える知らぬ水よ,循環する水よ
地球は水のめぐり活きるなり
陸は老いても海は老いることはない
水は万物を浄化する奇跡であり
海は常に若々しく荒々しく陸に対峙する


人間の歴史をふりかえると陸を中心に展開されてきた,エジプト文明がそうである。陸の文明は川と一体となり作られたのである。エジプト文明はナイルの賜物というときそうである。ナイル河なくしてエジプト文明はありえなかったのである。
ただエジプト文明は地中海があっても海には広く乗り出さなかった,陸にとどまったのである。レバノン杉とか利用するためにその辺までは進出したが地中海の航海はしなかったのである。

人間の歴史は陸を中心に長く展開されたのである。海に乗り出す船の技術がなかったからである。ただ地中海がありそこが船の技術を発展させた,そこは海なのだけど大洋とか大西洋とは違う内海だったからである。それが航海の技術を発展させたのである。
それでギリシャは最初の海洋国家ともなった,ローマとか対岸の中東にも植民都市をもったからである。そこからギリシャのコインが発見されるからである。

イタリアのナポリとかフランスのニースでも新しい都市というギリシャの植民都市の名である,ギリシャ語なのである。そしてギリシャは陸の最大帝国ペルシャと戦争して勝った
それは船団を利用して勝ったから海洋国家として陸の帝国に最初に勝ったとなる
ギリシャはまた島が多いから島を結ぶ航海に適していたのである。

それからローマ帝国に対抗したカルタゴも海洋都市国家であり軍港があり船の技術でローマに抵抗したのである。ローマは陸の帝国だが地中海に進出したからカルタゴと争うようになった
ランドパワーというとき中国でもそうである。万里長城を作らねば敵に攻め入れられると国境を作るために莫大な労力を費やしたのである。
ランドパワーを維持するためにはそれだけのエネルギーが必要だったのである。
そこでエネルギーが消耗してしまうのである。

地中海ではベネチアなどの都市国家が栄えたのもシーパアーがあったからである。
ランドパワーの歴史がつづいてもシーパアーの力もあったのがヨーロッパだった
バイキングなども貿易もしていたとういからシーパアーの力をもっていたのである。
ただ野蛮的なものではなく貿易をしていたからそれだけの国ではなかったのである。

その後もやはりランドーパワーの戦いだった,ナボレンでもそうだし第二次世界大戦はやはりランドパワーの戦いだった,ただ太平洋戦争というようにその時アメリカはシーパワーの国となり日本に勝ったのである。
大航海時代からすでにシーパアーは地中海によって養われていた,そしてコロンブスが新大陸のアメリカを発見したのである。
イギリスが七つの海を支配するというときもシーパアーによっていた

日本の歴史をふりかえっても邪馬台国がどこにあったかというと九州や奈良説があるがやはりそれも地理が関係していたのである。
瀬戸内海は地中海とにていたから船の交通があったからである。
ただ不思議なのは大阪から奈良の盆地に都が作られたことである。
そこでは三輪山が御神体になる山の文化となったのである。それが日本的な特殊性だとなる

明治維新でも薩摩とか長州とかが主導権をにぎったのはやはりシーパアーでもあった
薩摩は中国ともすでに貿易していたのである。
海外の進出も九州とか瀬戸内海とかを中心に展開されたからである。
だから会津となると山国でありそうした地の利がない
幕府でもやはりランドパワーに依存していたのである。
坂本竜馬が海援隊を組織して会社のようなものを作り商船をもった
そういうことは会津などではしにくいからである。
東北はランドパワーでありシーパアーをもち得なかったのである。
江戸幕府も船をもったが遅れたのである。

いづれにしろランドパワーの国は河が交通路となり文明を築く,エジプトはナイル河があり中国は黄河があり揚子江がありヨーロッパでは大きな河が交通路になり結ばれて発展する,河が人々を結ぶ,封建制の王権に対してもハンザ同盟とか商人都市国家を形成したのである。それは河で結ばれていたからである。

世界史でも日本史でもどうしても歴史をみるとき地理がわからないと根本的なことがわからないのである。世界となると広すぎるから日本的感覚では理解できないものとなる
砂漠はないし大草原はないから交通の果たす役割が理解できないのである。
シルクロードとなると長大な道だけどそれも砂漠とか草原を通るから自然の道があるから生まれたとなる,ランドパワーは陸の道から形成されたのである。
でもシーパアーの時代になったとき過去のものとなったのである。

日本の謎は海に囲まれていてもヨーロッパのようにシーパアーが発展しなかった
そして不思議なのは山が多いから大和(やまと)というとき山の国から起きたとなる
海に囲まれていても山の国となったのである。
海に囲まれていても太平洋と地中海ではまるで違ったものだったからである。
ただ韓国とか中国とかの交流は古代から行われていたのである。

その後日本が鎖国したのはなぜかなとる,シーパアーとして発展しなかった
それは山国ということもありそれが影響したのかもしれない
海を渡って貿易するというシーパアー国になりえなかった
日本は山が多く盆地のように閉ざされてしまうこともある,海に囲まれていても精神的にもそうなりやすいともなる
日本は平原とかがないから大きな河もないし交流が山でさえぎられ阻まれるのである。
そうなると大きな統一国家を作ることが困難になる

それで面白い指摘は蝦夷国家襞日高見国家が形成されなかったのは日本海側の新潟県とか秋田県とかが山にさえぎられて交流できず大きな国家形成ができなかったためだというのもそうなのかとなる
福島県は阿武隈山脈がありこれは低いにしても福島市とか中通りとはばまれる
それでかえって地理的には仙台に近く交流も活発になるのである。
交通でも便利だからそうなる
人間社会は歴史でも地理的影響が大きくそれで歴史も決まるともなる

伊達政宗は東北ではめずらしく海に展望を求めた,家康に対抗するためにスペインに船を派遣したからである。そういう発想はなかなか東北ではできない,ただ宮城県は良港が多いからそういうことができたのも地理である
福島県にはそうした大きな港はないからである。入江とか島がないからである。

ともかく水の力は驚異的である。それが津浪で実証された,ノアの方舟もありえると実証された,それだけ水は地球を作ったとなるのである。

船の旅は日本で相当にした,東京から沖縄まで行ったのが一番長かった
貨物船のような船で一週間かかった,その時飯食べるのが楽しみであり飽きた
だから世界一周とかの船旅があるが飽きる,だから食べ物が良くないとまた飽きる
同じようなものを食べていると飽きるのである。
この船旅もまた時間の余裕がないとできない,この世の中金だけあってもできないことが相当ある,会社員だと時間がとれないのである。
自分の場合は時間だけはあった,だから旅しつづけたのである。

外国は五十才から行ったから遅かった,でも地中海を船で行った時は気持ち良かったのである。今はいろいろ旅を回想するだけである。
日本は島が多いから島を船でわたる旅は楽しいとなる,それは沖縄が船旅を楽しむにはいいとなる,日本は島国だけど旅するには変化があるからあきないのである。

2017年11月19日

家政の道徳(詩) (道徳なき経済で社会も衰退し破壊される)


家政の道徳(詩)

(道徳なき経済で社会も衰退し破壊される)

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玄関に置く壺に咲く対なる鶏頭の二つ
長くも咲きて枯れじも
人の交わりも長くあるべし
誠実にして日々勤めつつ
使う者も仕える者も
誠実に勤めべし
巌のごと主は不動なれ
人よ,いづこにあれ良心に恥ざれ
良心を汚すと心は乱れぬ
例え罰せられずとも
良心は痛み苦しむ
村も街も会社も国も誠実なるべし
そして山も大地も木も石とも
人は調和して活きるべしかな
正当な実りはそこに神から与えられる
しかし過剰なる富は与えられじ
相応の富のみ等しく配分されるべし
富をむさぼる者,わたくしする者
それは許されざるべし
上に立つ者の責任は重く
厳しく罰せられべし
人は金により従わすことならじ
人は権力によって支配されじ
良心に従い心の安らぎを得る
社会の安定もまた同じなりしを


【経世済民】は「世の中を治め、 国民の苦しみを救うこと」


道徳を忘れた経済は、罪悪である。

経済を忘れた道徳は、寝言である。

人道は一日怠れば、たちまちすたれる。

誠実にして、はじめて禍(わざわい)を
福に変えることができる。術策は役に立たない。
(二宮尊徳)

「οικονομία(オイコノミア)」という言葉は「オイコス(家)」と「ノモス(法、ルール)」という言葉を組み合わせた言葉で、家族や仲間、国や地域などの共同体のあり方を考えるという意味なんだ。
つまり、「Economy(エコノミー)」=「経済」とは自分だけの幸せを考えるのではなくて、「どのように生きたら世の中のみんなが幸せになれるか」を考えることなんだ。

プロの経済学者の多くが「非現実的」な特定の前提の下で研究を進め、そこで証明された事柄を政府に提言し、それに基づいて「現実的」な政策が展開されているのである。


経済というとき何なのか?エコノミーの語源がオイコノミアであり家政だというとき狭い範囲で考えていたのである。
家政というとき一番身近だからそうなった,まず経済を国家単位とかさらにグローバル単位になると大きすぎてわからかなくる,誰も世界が株で動かされている社会を理解できないのである。それで結局何か極一部のものにユダヤ人だとかロスチャイルドだロックフェラーだとかが支配しているとなる,つまり世界の富が何パーセントかの人達によってにぎられて世界が操作されているとなる陰謀論になるのである。
世界的経済のことなどわかりえようがないし株のことも普通の人はわからないからである見えざる手によって導かれる世界市場とはまさに逆に見えないからこそサタンの手によって導かれるのである。巨額の金の流れは見ることがもはやできない
それで巨額の金が税金逃れのためにタックスヘイブンの国にあづけられるとういのもそのためである。

家政という単位だったから経済は見ることができる,まだ村とかポリスなら見える社会である。もう経済は個々人では見えない世界で操作されている,だから富は世界の極一部の人達に集まり操作されるとなる
そこにはモラルもなにも通用しない,悪魔的なものが世界を支配するとなる
「道徳を忘れた経済は、罪悪である」であるというときまさにこの世が罪悪の社会,ブラック化した社会となる

ブラック会社のことを良く言われるけどそこでモラルが通用しない,雇う人にも雇われる人にもモラルは通用しない,雇う人はただ安く雇いたいとういだけであり人を人とも見ない,だから時給とかで安くこき使い使われる方も奴隷なんだよとなる
でも人手不足になるともうブラック会社が倒産している,会社も起業できなくなっている働く方にするとそれはいいことになる,つまり雇う人をを大事にしないものはつぶれるとなるからだ,つまりそこにはモラルが道徳がないから当然の結果だとなる
モラルが関係しないようで結果として現れているのである。
モラルがなくなるとき荒廃するとき家でも村でも街でも国でも成り立たなくなる

プロの経済学者の多くが「非現実的」な特定の前提の下で研究を進め、そこで証明された事柄を政府に提言し、それに基づいて「現実的」な政策が展開されているのである。

これなどもまさに非現実化しているとき経済が何かグローバル化すればそれを現実のように見ることができない,マネーゲームとなるものもそうである。
そして学者が経済学など役にたたないというとき非現実化している提案をしているというのもそうである。グローバル経済になるとその実体を見える人はいないからである。
エコノミーが家政単位だったら手にとるように見えるからこそモラルも通用するのであるそのモラルも自然にも通じる,二宮尊徳はそうして自然と通じる農業を基本にしていたからそこにモラルと一体化していたのである。

自分の詩のなかでもこれは自分が家政の中で感じたことを詩にしたのである。
人を使うにしても使う方でも使われる方でもやはりそこにモラルが必要になる
だからそういうことが江戸時代では侍に奉公する中で培われたというのもそうである。
相手が身近に人として接するからそうなったのである。
つまり家政の延長としてそうしたモラルが養成されたのである。
人と人が上下の関係なく信頼関係が結ばれたということがあった
現代社会はそうした関係はない,時給でロボットのように時給として雇うという関係だけなのである。そこにモラルもないから雇う方でもそういうロボットのようにしか人を見ていないから遂に雇う人もいないくなり会社が成り立たなくなる,それは道徳,モラルの喪失による結果だともなる

ただ等しく配分するといっても実際は人間は平等ではない,平等にしたらかえって不公平になるのである。真面目に働いた人が能力がある人と不真面目な人と能力もない人が等しく配分されることはかえって不平等となり社会は衰退するのである。
富でもすべて悪いとはならない,それ相応の配分の富だったらそれは公平なのである。
でも貧乏人は自ら努力もしないで才能もないのにただ等しい配分だけを求めることがあるのだ,それもモラルとしては許されないのである。

いづれにしろ理想の経済といってもその逆としてブラックなモラルなき経済が世の中を支配する,グローバル経済とか資本主義でもそうしたモラルが喪失しているから陰謀論になる。誰もグローバル経済のことなど理解できないからである。
こういうことを言う自分だって経済のことはわかっていない,ただ家政を自分一人でするようになって感じたのである。
家政というのはいろいろあるから大変なのである。家事もあり財政もありとその家政は政治でもあり一国を運営するものともにているのである。
だから家政というのはエコノミーの基本にあるからそこから考えるとわかりやすくなるのである。

誠実にして、はじめて禍(わざわい)を
福に変えることができる。術策は役に立たない。
(二宮尊徳)

誠実なことが実は使用する人でも使用される人でも不可欠である。でも富める人と貧乏な人ではそれがありえない,なぜなら貧乏な人は等しい配分を要求しているからである。
するとまず富める人は貧しい人に等しく配分せよとなるからだ
でも富はその人の相応に配分されるというときその相応がむずかしいのである。
それは個々によっても違ってくるからである。
だからみんな平等だ,なんでも平等にしろという共産主義は理論的にも現実的にも無理であり失敗だったのである。
要するにかえって不平等になり特権階級を生んだのが共産主義だったからである。
貧乏にも貧乏になる原因がある,その原因を無視してみんな平等だというのは無理だったのである。

ともかく人間は良心をもっている,だから良心にはじることをすると苦しむようになっている,人をだましたりいろいろ悪事を行うと良心がいたむ,それで心が乱れる
もし人間に良心がなかったらどうなるのか?それはもう本当にこの世は地獄になるだろう
ただグローバル経済社会となるとそうした人間の良心も傷まない,それは見えない世界でありそこに悪魔が活動しやすいからである。
天文学的な金を操作するということ自体がそうなのである。
家政とか村とか小さな共同体単位ならそういうことはないのである。
江戸時代はそういう社会だから二宮尊徳の道徳の経済が成り立っていたのである。
ただ現代でもモラルが喪失する荒廃すると社会も成り立たなくるのは同じなのである。

本当に人間は富で金だけで支配できるのか?力によって支配できるのか?
いくら国が大きくてもその力によってすべての国を支配できるのか?
アメリカが世界を支配できたかとなるとできなかった
力だけでは支配できないのが人間なのである。
また民主主義となると選挙だがこれもまた数だてがすべてとはならない,そこにモラルが欠如すると数の論理がまかりとおると社会は破壊されるのである。
そういうことは国家間の大規模戦争でも起きてきたのが現代だったのである。
数が権力となったのが民主主義だっからである。数が大衆がモラルを破壊したのである。数だけが目的化して破壊したのである。それはカルト宗教団体ともにていたのである。
そこは数だけがすべてになるからだ,モラルも関係ない数だけのマスだけが権力化してくるからである。
posted by 老鶯 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2017年11月20日

森と山と河(forest and mountains and river)


森と山と河(forest and mountains and river)

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あちらこちらいたんでいる築五十年の家 (手紙は残るがメールはどうなるのか?)


あちらこちらいたんでいる築五十年の家

(手紙は残るがメールはどうなるのか?)


今日もお客さんが来るというので家の掃除と直し方した,障子張りとか壁紙はりかえとかした,でもうまくいかなかった,ぴったりと張れない,しわができている
それから布団も古くなっていた,衣服でも古くなると汚れが落ちなくなっていた
もう切れないから捨てるほかない,なんとか無駄なものは捨てたいのである
本も読まないのは捨てて身軽になりたい,でもまた利用するかもしれないと捨てられないことがある

築五十年になると壁も何か汚れている,土壁だから何か汚れている,土が落ちたきたりする,ゴミがしらゆるところにたまっている,樋が壊れて水漏れしている,これも直そうとすると屋根が高いから足場を組まないとできない,するとまた金かかかる
何か家というのは維持するのに金がかかるのである。

でも放っておくわけにもいかいな,雨漏りすると家がいたむからである。
ただ自分の家は昔風の家だから二階に座敷があり広い,八畳間だから広いからゆったりする,狭いと圧迫されるので嫌なのである。
その部屋は一番贅沢な部屋だったのである。
眠りやすい部屋は広い部屋なことは間違いない,廊下も広いから余計に広く感じられるのである。

何か物を書くとするとこの家はいい,私設図書館のようにもなっているからだ
狭い窮屈な所だと人間の思想も狭いものになるかもしれない
やはり人間は住んでいる場所とかいつもいる場所に影響されるからだ
家にいる時間は長い,特に老後はくつろげる家がないと苦しいとなる

老人の贅沢は何か?それは例えば冬なら暖炉があってあたたまり昔を回想することなのである。自分の経験したことを回想することなのである。
自分の場合は日本でも外国も旅したから回想して詩にしたりしているのである。
回想することは楽しいのである。旅では苦しいことがありその時は夢中で何を見たかもわからないことがある,でも後でふりかえるとその場所のことが別な意味あるものとして蘇ることがある,一方で忘れることも多い,人間はとにかく忘れやすいのである。

人間はやはり家がないと安定が得られないだろう,旅をするのもいいが老後は家がないと安定しない,冬は特に家であたたまり回想するのに一番向いている
老後というのはその人がたどった人生をふりえかえり自ら味わうことである。
だから別に苦しいことがあってもあの時は苦しかったなとか思い出にもなるのである。
人間はなんでも過ぎ去ると別な風に見るのである。

自分はとにかく十年間は介護やら自分の病気やら周りからは責められるでは苦しかった
そこに津浪と原発事故が重なり四苦八苦していたのである。
今はなんとか落ち着いている,それで母の唯一の孫が来る
姪子になるがほとんど話したこともないから自分にとっては疎遠なのだが
母が死ぬとき孫に金払いと金額まで大声で言ったので驚いた
なぜなら金のことが認知症のになりわからなくなっていたからである。

認知症の不可解なのは時々正気にもどる,特に死ぬ間際に正気にもどることが多いことは確かだろ,すると認知症の人を馬鹿だとしても扱いないのである。
死ぬ一カ月前くらいに遺言のように大きな声で言ったからそれを守らないと怖いと思った人間は死ぬ間際に言うことの言葉の重みが大きい
別にそれが正式な文書にして遺言でなくてもそれを守らないことは恐怖になる
そのことで母は死んでもまだ生きている,その言葉は活きているとなる

母と孫はずっと手紙で連絡はとりあっていたのである。だからただ血のつながりがあるという関係ではない,子供生む時からも手紙で連絡はしあっていたのである。
ただ直接合うことはほとんどしなかった,だから自分も直接合うことはずっとなかったのである。

母遺す(のこす)手紙を見れば孫の書く手紙の文面何を伝えむ

母あわれ引出し見れば残したる手紙の類や何か伝えむ

人間死んだら何を遺すのか?これも財産もあるが手紙なども残る,写真も残る,手紙は何かを語っている,すでにその手紙でも二十年前くらいのことだからである。
でも電子時代になると手紙のように残るのか?プログなどは死んでもログとして残っていた,でもメールなんか遺(のこ)るのかとなる
電子空間は確かに記録されているのだが手紙のようなものとは違う。
手紙も一つの記録であるが手紙は二十年三十年でも残る,メールとかは残らないだろう
瞬間瞬間に消えゆく感じになる

いづれにしろ築五十年とか自分の家族でもみんな死んだしその後のことをどうしたらいいのかとなる,自分としては身軽にしておきたいということはありいらないものは捨てたいので整理しているのである。

2017年11月21日

遺された母の手紙に感動 (ただ謎が残る手紙の草稿である)


遺された母の手紙に感動

(ただ謎が残る手紙の草稿である)

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 がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば

 おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで


この手紙が母の引出しから出てきた,ただこれは手紙の草稿であり誰に出そうとしたのかもわからない,姉とはいつも連絡していたがその頃死んでいたはずである。
姉が死んでからのことだからもう九十四才くらいになっているとき書いた
がんばりのきく年はすぎたれど・・・とあるからである。

姉のお骨が家にあると書いてあるからだ

この手紙の不思議は

●誰に出そうとしたのかわからない?

●母の手紙であることは間違いない

●母にして書いていることがまともである

まずこの手紙が母が書いたものかどうか?それは間違いないだろう,まずこうした悪筆であり前からも良く読めない字を書いていた,そして辞書をもっていてひいていた
そこでその辞書でひいた字を文面に書いていた
だからどうしてもこれが母の手紙であることは間違いない

でも謎としては誰にあてたのか?それが不可解なのである。こういうことを言う相手は相当に親しい人でないとありえない,でもみんなその時姉も死んでいるとするとありえないのである。姉とは死ぬまで交流があり手紙のやりとりをしていた
だから手紙を書こうとすれば姉しかいないのである。
友だちもいないしあとはそういう人はいないからだ
その時は認知症になるまえであり正気だからこれだけのことを書けた

ただわからないの法身などという言葉を使っているのか?これは結構むずかしい仏教用語である。母はそういう学はなかった,尋常小学校出であり字は書けても信仰もないしこんなむずかしい言葉を使うはずがないのである。

そして短歌を知っていたということの不思議である。そもそも短歌などと全く縁がない人だった,だから短歌というのを知っていたことが不思議なのである。
確かにこの短歌は短歌とも言えない,でも明かに短歌を知っていてこう書いていたのである。

前にも書いたように母はまず働きづめの一生だった,だから花に関心がない,庭を作ったらそんなもの金かかるから作るな血相変えて怒っていたのである。
だからここに書いていることが本当に謎になる
そういうことだか短歌ということを知っているとは思わなかった

この短歌はあまりにもつたないものだが母の心がにじみでている,だから文学とは別に文章がうまいへたでもない,その人の真心を伝えるものだということがわかる
ここには母の真心がにじみでているのだ

母は実家が事業をはじめて倒産してから苦労した,原町紡績で十年間糸取りした,それから女中になるために東京に出た,そこで結婚したが夫が事故で死んだ
そして自分の家に嫁いできた,自分の家では母を歓迎したとはいえない,連れ子もあり冷たくした,自分の家には何か負の暗黒面もあったのである。
そういうことはどこの家でもある,なにもかもいい家族はないだろう。

この手紙で一番感動したのは姉とは六十年間も長く一緒にいた,でも争いがあり自分には憎しみあうものとして見ていた,現実に姉が認知症になったとき暴力になりひど目にあい一緒にいられなくなったのである。その時母は姉を憎んでいた
でもこの手紙を読んだら姉を死んで悲しんでいるしいたんでいるのである。
このところが自分にとってうれしくて泣いた
最後は悲劇的に終わったが六十年間一緒にいてやはり愛しあっていたのだと思った

母は自分のことはあまり関心がなかった,愛もあまりなかった,でも自分は二人の愛を受けていたからそれでも良かった,だから自分が一番悲しかったのは最後に離ればなれになり一緒に住めなかったことなのである。
それは認知症がもたらした悲劇だった,でも最後は姉も正気にもどり母も姉が死んでからその死をいたみ悲しんでいたのである。

これは本当に感動したし泣いた,そして自分は救われた,自分の家族は複雑だけど愛し合う家族だったとうれしかった,自分は家族の過分な愛を受けていたのである。
だが最後は悲劇に終わった,でもその悲劇が実は家族の本当の愛を知らしめるものだったのである。
だからこの遺された草稿の手紙は誰にあてたものか?それはまさに死んで自分にあてたものだったのである。それによって自分は救われた気分になったのである。

この手紙はだから遺された財産より貴重である。ただ自分の家族は理想の家族ではない,金にもこだわる家族だった,それで大喧嘩したこともあった,そして何かケチであり困っている近所の正直な人に金を一二万貸していたがそんな金をくれればいいと思った
なぜなら金は相当にあったからだ,だからそれが自分の家の負の部分としてカルマともなったとなる

ともかくこの手紙の草稿には本当に泣いた,そして自分はしみじみこの家に家族に生まれて良かったと感謝した,つまり家族愛にはぐくまれていたことを感じた
複雑だしこのことは他の人にはわかりえようがないのである。

でも人間の深い意味は悲劇によって示されるというのも逆説である。
それでシェークスピアは悲劇を書いた,キリストは「悲しむ者は幸いである」と言った
悲劇の中に人間が悲しむことのなかに深い意味があるからそうなった
これを理解することは本当にむずかしい,自分もこれだけの苦しみをへて家族がみんな死んでようやく理解したからだ

母は腰が九十度に曲がった時,苦しみ自殺しようとした,それも苦しみでありそこからも生きたから良かった,自殺したら本当に後味が悪いものとなり良い評価にはならなかった

がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば

おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで

ここにその気持ちが現れている,命の日が消えるまで・・・・なのだろう。
九十四才の頃に書いたからこうなっていたのである。

人間のことは死んでみないとわからないことがある,生きている時はわからないのである死んでみてそうだったのかとわかることがある,しかしその時この世にその人はいないのである。だから一層その人のことがわかったときその人のことを偲ぶことになる
家族でも身近でも人間の心はわからない,そんな人だったのと意外なのである。
何か文章でも書かない無口な人は余計にその人の心がわからないのである。
母は寡黙であり目立たない人でおとなしい人だからそうなっていたのである。

人間は死んだ人でも今生きている人を励ますものである。
がんばらねば・・・というとき母は頑張り屋だったからだ,母は懸命に腰が曲がっても生きた,百才生きぬいた,そのことが今になって自分も感動した
その意味は大きいことをこの遺した手紙の草稿でわかったことは大きな収穫である

ここで言えることは人間はどんなに苦しくてもがんばって生きねばならないのである。
それが死者からの母からの最後のメッセージだったのである。

2017年11月22日

遺された家の問題 (思い出があるから捨てられない)


遺された家の問題

(思い出があるから捨てられない)

家は何か暗い所は良くない,自分の家は北向きに通りがあり店をしていたときはそこは街のメインストリートだった,でも今になると店になったところは広くあるが暗いのであるだから店としては良くない場所だった,ただそういう風水的なものとは関係なく角であり人通りがあったから繁盛した,繁盛する店は立地が関係している
誰でも暗い店には入りたくないのだ,シャッター通りになった所などは何か暗いのである
ただ日本は狭いところに住んでいるから路地裏とか入り組んだ所があり日当たりが悪い所が多い,田舎でも小さな町でも街内は日当たりが悪いのである。
家の間に空間がないから長く伸びている,それは都会だと鰻の寝床とか言われる所以である。

風水的に飯館村などは一軒一軒が離れて住んでいるから庭も広いし森につつまれているから理想的な住まいだった,何か飯館村にゆくと雰囲気が違うからその気を受けるのである花が咲いていてもそれはこの辺で咲いているのとは違ったものに見える,より自然の中で高山植物のように咲いている感じになるのだ
そこは清浄な気が流れているからそうなる
だから飯館村が不便だとしてもそこに住んでいたら心もやはり浄化されることがある
ただ一方人間関係が濃密になり人間の嫌な面が露骨に見えるということもあり嫌になるということもある

いづれにしろ家だけではない,海側に住んでいれば必ず海の気を受ける,それが心に影響する,海はやはり人間の心を開放的にするからだ
山はどうしても閉鎖的にする,だから海側に住んでいる人と山側に住んでいる人は気持ちが違ってくるのである。

家というのはそれぞれの家で作りが違う,家は何かその家の人間関係も示している
だから家長がいた時代は家長中心に家が作られていたのである。
横座とかもあり上下関係が明確にされて家が作られていたのである。

主人が不在のときも他の者はこの席にすわらず,また横座を譲ることは隠居を意味する。

これも時代だった,家長というのは今はない,みんな平等となったのが現代である。
そして個人化して個室化したのである。今は座敷もないから個室化して家族という形態も変わった,ということは家族の結束力もなくなり個々別々になったともなる
家というときイエは日本では建物だけではない,イエがもつ意味は大きかったのである。
家というのも代々受け継がれたり歴史があれば重みが生まれる,代々つづく家はやはり
何かつづく原因がある,ただ外国でもヨーロッパとかでも一代限りであり長くつづく家が受け継がれことはないという,家の重みがないという,個人主義の社会だとそうなりやすい,家が重要なものとはならないからだ

いづれにしろ自分に遺された家の問題は大きい,ただ空家化しているのが八百万軒もあるから消滅する家が膨大になる,それだけ昔のように家が存続できない,受け継がれない時代なのである。
それで近くの家で蔦が家にからまり遂に家に住めなくなった人がいた
家がいたんでそうなったのだ,それで車で生活していたのである。
買い物はコンビニに車で来ていたのだ這ってコンビニに来ていた,でも誰も助けるものがなかった,そして最後はどうなったのか?
わからないがその老人は死んだのである,今は更地となっているだけである。
つまり自分の家に住めなくなることもあるのだ
それは片づける力も掃除することもできなくなればそうなる
買い物するのもやっとであり後は何もできないとなれば家は汚れ放題になり住めなくなる

現実に自分の家はいたるところゴミがたまっていた,布団は汚れて落ちないものとなり腐るような状態のもあった,使わないとそうなってくるのである。
布団も干したりしないと使えなくなるのである。
とにかく無駄なもの捨てたい,でも捨てるのにしのびない,それで遺品を整理して泣いていたというのがわかる,やはり人間は簡単に物でも捨てられないというときそこに思い出が残っている,家には特に残っている,だから家には霊が住んでいるともなるのである。死んだ人は家から離れられないともなるのだ

エプロンの出てきてあわれ六十年我が家に働く母なりしかも

つまらないものでも何かそうした思い出が遺されたものにあるから捨てにくいのである。

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