2017年11月01日

黒人はなぜアメリカの国旗に起立しなかったのか? (グローバリズムで国家が問われる時代)


黒人はなぜアメリカの国旗に起立しなかったのか?

(グローバリズムで国家が問われる時代)


人の痛みはわかりにくい,それは自ら経験してないからだ,今回の警察による駅で職務質問はそんなことたいしたことがない,みんなされていることだとなり関心もない
警官自体が相手がみんなの前で職務質問されたことにどんな気持ちでいるかも無関心なのである。

それで黒人が良く警官に殴られたとかそれでひどい傷を負ったとか死んだ人もいる
そのことを考えるときやはり警官というのは暴力を行使できる権力だということを身をもって感じるのである。
その時権力を露骨に感じるのである。普通社会にいてそんなに権力を直接感じることはない,社会での権力は金があるかないかで感じる
金がない人は常に底辺で余裕もなくきつい労働もさせられる,だから奴隷だというとき金がないということなのである。
別に金があかば働かなくてもいいからである。

黒人がアメリカンフットボールの黒人選手が国旗に礼をして起立しない,膝をついて抗議した,それは黒人が警官などに暴力をふるわれたからだという
それでアメリカの白人が怒ってフットボールを見ないとなった
日本でも国歌を歌わないと国旗に向かって起立しないとかの問題があった
左翼系統の教師がそういうことを指示する
それは日本であることだから外国でもあるとなる

でも黒人差別問題は古いし根深いのである。アメリカの分断を考えるとき国家とは何か?
そういう根本的問題になる,誰が国を作ったんだ,白人だとなる
移民ではない,その移民が多くなることは白人の国家でなくなるということでトランプ大統領が指示されたのである。オバマ大統領が黒人だったということで反発がでてきたのである。

ところがアメリカを作ったとなれば黒人も奴隷としてアメリカができたときから国を作ってきたともなるから黒人は他の移民とは違っている,特にヒスパニックとかとは違っている,アメリカで暮らせば日本人などより黒人が人種的には上になる
黒人はアメリカでそれだけ古くから暮らしているからである。
ただなぜ黒人が本当はアメリカの階級でもそれだけ長く住んでいるのだから上のクラスになっていいのにならない,それは人種的な問題なのか黒人そのものの能力のなさによるのかわからない,ただ確かなことは警官が権力の手先となり白人の手先となり黒人を差別して暴力をふるう,そのことに黒人が凄く怒っているのである。


こういう痛みは外国になると余計にわからない,でも明かにアメリカは人種差別の国なのである。例えばなぜ武田邦彦氏などがあれほど白人嫌悪になったのか?
あれだけの学者で世界的に仕事していても差別があったのかもしれない,まちがいなくアメリカで暮らすと差別を受けるからである。
それは観光旅行でも差別を受けることがある,そういう国がアメリカなのである。
人種差別の根が深いのである。だからアーリア人種批判になったのである。
日本人で差別されるとしたら金があるかないかしかない,アメリカでは人種で差別される国なのである。

ただその痛みを共有することは外国になるとむずかしい,ただあれだけ警官に反発しているのは警官が権力の手先であり暴力装置でありそれで直接的に権力を身をもって感じるからである。それは警官が支配しているのではなく白人が支配者であるからそうなると感じるのである。
権力を一番直接的に感じるのは警察と軍隊である。だからぎりぎりになると軍隊が国を支配するのである。暴力で国を支配することになる
共産主義国家は軍隊や警察を幹部で勝手に動かすことができる体制である。
だから権力が一部のものによって使われる体制なのである。

人間はともかくいろんな事件があっても人の痛みを感じないのである。
すぐ隣でも困っている人苦しんでいる人でも直接接しないとわからないのである。
そんな貧乏しているのかとか今では貧乏も見えないのである。
ただ自分が苦しむとその痛みを理解できるのである。

自分は家族で認知症の人を介護したからその痛みを理解したのである。
認知症にはいろいろな誤解がある,それは認知症の人を介護しないとわからないのである自分は認知症はどういう病気か理解した,その苦しみと痛みを分かち合うことになったからである。
つまり介護することは人の痛みをわかちあうことになる,それは介護する人もくるしいのである。認知症の場合は特にそうでてある。また障害者をもつ人でもそうである。
そういう人を介護することは介護する方も同じような苦しみを背負うことになるのである
ただ黒人の苦しみに外国人が共有することはむずかしい,日本は部落差別などあったが差別がない国だからである。ただ人間の歴史をみると差別は常にあった,戦争に負ければ劣等民族とされて奴隷にされるのが普通であった
それでスラブ民族とはスレーブであり奴隷のことだったのである。今でも東欧諸国は遅れているの出稼ぎに出ている,そういう歴史が普通にあったから黒人だけの問題ではないのである。

いづれにしろ国家に忠誠を誓うというとき黒人が古くからいる人達なのに差別されるとなると嫌だとなるのもわかる,国家とか日本なら江戸時代なら侍は藩に忠誠を誓うとなる
藩が国家だから侍が支配者だからそうなる,外国でも貴族が支配者だから国家に忠誠を誓うのである。黒人は奴隷だったから国家意識がないというのもわかる
ヒスパニックでもそうである。アメリカにただ金が欲しくてかせぐために来ている
それは移民はみんなそうである。ただ金がほしい,楽したいために来ているからである。日本国家がどうのこうのとはみんな関係ないのである。
だから一旦そうした移民はもし戦争になったりしたら日本からでも逃げ出すのである。
日本のために死ぬという人はいないのである。

だから国家というとき何なのか?それが今アメリカでも問われているのである。
アメリカの問題はまた世界の問題にもなる,なぜならグローバリズムが否定されてナショナリズムに回帰するというときそれは世界的傾向だからである。
グローバリズムは国家をなくす多国籍企業が支配することである。
そのグローバリストとナシャナリストが世界的に争うようになったのである。
だから国家とかは何かというときグローバリズムで起きてきたことでもある
だから世界的問題となったのである。

国家とは何かというとき単なる利益共同体ではない,多国籍企業は利益共同体である。会社もそうである。国家は歴史的に作られてきたものであり利益共同体という側面があっても違ったものである。そこに軋轢が生じる,グローバリズムが今批判されるのは国家が何なのかそのものが問われているからである。
だからアメリカでは退役軍人が国旗に経緯を払わないフットボールの黒人の選手に怒りを覚えたのである。俺たちは国のために尽くして仲間も死んだとして怒っているのである。それはただ利益共同体ではない,国家を維持するためには死ぬこともあるから言っているのである。ただ今度は世界的に見ればアメリカが世界でアメリカのために戦争して死ぬとういことが世界で認められるかとなるとならない
そこにも国家間での国家とは何かが問われているのである。
世界的に意義がある戦争だったのかともなるのである。本当に正義があったのかとなると国家間ではそうではないからである。
posted by 老鶯 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

一本の樹(詩)から考える (飯館村などの避難区域のこと)

    
 一本の樹(詩)から考える

 (飯館村などの避難区域のこと)
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一本の樹

この道の辺に
一本の樹
秋の夕日のさして
ここに立ちて久しも
そは何を語るや
ここに根づきて
ここにありしことの尊さ
何ごとのなけれど
ここに長くありしがゆえに
人は去りしも
ここに立ちて動かざれ
ここにありつづけるもの
その意味と尊さを知れ
一本の樹
かくもここに長くもありて
その土地の標(しるし)となりぬ
この道を歩みてまた暮るるかな
 
   
 野の樫

野にひともとの樫立つ
冬の日の老いた幹と枝は
いま光る緑につつまれて
野の道のほとりに立つ
行き還りその傍らをすぎるとき
明るい悲哀とものしずかな勇気が
ひとの古い想いの内にひびく
(伊藤静雄)


飯館村でもどこでもそうだがこうした木はある,それは日ごろ意識しない、でも村の中でもどこでもそういう
木は人間化した木になる、だからこそ村に人が住まなくなったとき余計にさみしく感じるのである。
空き家になった庭の木でも石でもそうである。

人間はこうしてしただあるものの価値を感じない、でも一旦この辺のように原発事故で人が住まなくなったときこれは一体何なのだろうと常に考えるようになったのである。
村でも町でもどこでも一本の木はある、そういうものはまるでその村の目印のようにあった
だから一本松とかが地名になり残された、それは意識しないが常にあったものでてある。
人間も生物の一種だから老人になると定着志向になる、その土地に根付きやがてその土地に朽ちてその土地の養分ともなる、それは生物はそういう循環を繰り返してきたからである。
人間もまた同じように自然の中に生を繰り返してきたのである。

ここで見直されたのはただあることの価値である。そこにあるだけで価値あるものがあった
そして長くあるものは価値があった、木とか石とか自然は長くあるから価値がある
人間は変わりやすいから価値が消失してくる
そこにいつまでもあるものはやはり価値を帯びてくる
本当の価値はそこに長くあるものでありそこに価値と意味と尊さが生まれる

それが現代では常に変化して新しいものを求めて古いものが捨てられる、
常に人間の社会は古いものがあって新しいものがある野だが技術の面では常に変化してしそのスピードが早い,
だから老人は技術的には追いつけないから無用のものとされる
でも精神的な価値を求めると老人的な価値がむしろ社会の価値を作ってきた、成熟しなけければ本当の価値は生まれない、
若者的なものが必要でも騒々しいものになる、
自然でもなかなか若いときその意味と価値を会得でとないのである。
それで自然と同化するアイディンティティ化するには時間がかかるから老人にならないと自然でも人生のこともわからないのである。

老人は人生をふりかえるから誰でもそれなりに人生とはこういうものだったのかとわかる
ただその時は時遅しとなっているが老人はそういうことで若者とは違った見方をしている
ただ本当にあるというだけで価値が帯びてくる、そういうものがあるということに気づく
そして原発事故で人が住まなくなった町や村はそこに住む人の担(にな)うものが大きくてなった
村でも町でも市でもそれがなくなるということはイメージもできなかった

そこで意識したのは村全体のこと町全体のことだったのである。
普通村全体でもなかなか意識しない、常に個々人とか家族は意識して暮らしている
でも村の暮らしをどうしようかなどは意識しにくい、飯館村辺りはそういうことが震災前もあった
でもやはり避難区域になったとき人々は補償金をもらい家族だけは守ろうと帰らなくなった
それはやはり村全体を意識することがなかったからでてある。
村があり町があり市があり家族もあり個々人もあると意識しなかったのである。
そういう全体は意識しにくいのである。ただ今回のように村でも町でも人が住まなくなり村自体が町自体が消失する危機となり意識したのである。

木でも川子の農家の二本の木は変わらずにある、ますますそこに結び合い離れないようにある二本の樹である。この辺では木もかなり切られた、ここの木は残っている

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 the twined trees
 in stability 
 the faithful ones
 
それは老夫婦のようでもある、何か顕密に結びあっている、無言ではあるが互いにもの言わずも信頼して結び合っているという感じになる 

二本の樹

常にここに
二本の樹
もの言わずとも
互いにここに
長くしあれば
信頼し結び合ふ
そは離れざるかな
秋の日はさして
秋は深まり
ここに静かに
二本の樹は変わらずに
今日もありしも

この二本の木も変わらないことによって価値が帯びているのである。その意味を深めているのである。
それを感じるのはやはりこの辺が変わりすぎた結果なのである。 

俳句になると

晩菊や牛数頭のここにいる

飯館村は牛の村だった、牛は定着的な価値の象徴なのである。 牛がいるということで定着を示唆している
そこに落ち着きがあり生の充実がある、こころがここの意味というときまさにここにあるのが牛なのである。
とにかく避難区域に帰って住むことは今までは村とか町の価値はその人口分で維持していた、でもその一割とか二割しか帰らないとなるとその減った人の分を村や町で負うことになる
価値が何倍にもなるのである。そしてそこで村や町に継続された歴史を担うことになる
だからそれを思いばやりがいがあるともなる、ただこんなふうに考えるのは思想的哲学的詩的に考えるのは普通はいない
みんな利益からしか考えないからこそ原発だって建てられたのである。
そのあともやはり補償金でもめてもう不便な土地は嫌だと帰らなくなったのである。

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人が減ると同じ地域でもになうものが大きくなる
百人いたのが10人になったら十倍にになうものがふえる
それは生活でもそうだが精神的なものでもそうである。
村や町には歴史をとして残されたものがあるし死者も墓に住んでいたり
他に歴史として生き続けているものがあるからだ

それを人がへれば担うことになり重いものとなってゆく、でもそこに住むことは
価値あることになる
でも不便だからその不便さもになうことになる
それで村や町を捨てるとなるが残る者には前より十倍もの負担があっても価値があるともなる
いづれにしろ村や町がその全体が消失することがいかなることがまだ自覚されていないのだと思う
posted by 老鶯 at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2017年11月02日

自分のプログの「検索方法」


自分のプログの「検索方法」

検索の窓でキーワードを入れてそれからそのタイトル,題名をグーグルの検索で探す
するとたいがいそのタイトルの全文が出てきます

量が膨大なので何を読みたいのか調べたいのかとなると結構むずかしくなっている
自分自身が自分の書いたものを忘れて探している

何らか整理しないとならないけどそう簡単にはできない

ホームページの方で整理したいがこれももう長い間書き込みしていないので使い方が良くわからなくなっている

インターネットの問題はいかにうまく効率的に検索するかにある
それが意外とむずかしい,そのノウハウがわからない,どこに自分の探すものがあるのかヒットしない,どこにあっても知らなければ価値もないということである。

ともかく今も整理はしている,今は一日二回アップしている
午前中に一回午後に一回である。

プログは書きやすいので書いている,でもまた読み返してそのつづきを加筆することができる,それがプログとかのインターネットのいい点である
完成したものとはならない,死ぬまで書き続けることになる

実際にそうして「心の青雲」の著者の都築詠一氏は死んだことに驚いたのである。
それは未完のまま終わったのである。途中で突然死んで途切れてしまったとなる
今やそういうこともある
プログはホームページでも自分の世界を作りだすことができる
本とか雑誌は紙のメデアだと普通はこんなふうにできないからである。

時系列だとここで自分のプログがタイトルごとに読める
タグ:検索

山の変容(Change of mountain)

山の変容(Change of mountain)

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山の断面

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秋も終わる?(俳句十句 ) (俳句は単純でも深い読みで鑑賞するもの)


秋も終わる?(俳句十句)

(俳句は単純でも深い読みで鑑賞するもの)

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加工はしたけどやはり写真が基本である。
どういうふうに撮るかが問題である。
ここで木を写真の中に入れたことで活きた
乳母車の母と子はねらってとった
こういうふうに変化するのを写真にとるのはむずかしい
隠れてなんとか気づかれないようにとった

川上の巌の硬く水澄みぬ

晩菊や牛数頭のここにいる

卵生み鮭の命の尽きにけり

一区画畑の手入れや秋の暮

誰が座る公園のベンチ落葉かな

労務者や仮設のプレハブ秋あざみ

灯のともり空き地にかすか残る虫

晩年に秋夕焼けの色の濃し

帰るとて待つ人なしや冬の来る

田舎駅遠くの人や曇る月


俳句は短いからむしろ鑑賞する方が深い読みをしないと鑑賞できない
「川上の巌の硬く水澄みぬ」この句などなんなのだろうとなる
自分の場合,石と巌とかテーマにしてきた
石でも巌でも山でもそこで人間化する,巌が硬いというとき穢れをよせつけない
真実の巌となりそこに水が澄むのである。
一見単純でもそこに深さがある,ただそれを読み取るのがむずかしいのである。

「晩菊や牛数頭のここにいる」この句でも本当にあまりにも単純なものでありこれが俳句なのかともなる,ただ晩菊屋か咲いていた,そこに牛がいたというだけだからである。
でもこの単純さの中に俳句が活きている,単純だから活きている

今日は原町の歯医者に行ってきた,原町には買い物があり行く,必ずパンを買う,それは鹿島では売っていないからだ,それで困っている,相馬市にもパン専門店がある,焼きたてのパンを売っている,自分はパンは好きな方であり朝はパンを食べている,簡単であり楽だからパンにしていることもある
原町だとまだ近いから自転車で行けるが相馬市となるとなかなか行けなくなった

道の駅に公園がありベンチがある,何かそのベンチには人が座る,でも原町だとまだ都会であり人が往来するから結構人が座るかもしれない,鹿島とかになると公園があってもほとんど利用されていないのである。
あそこの公園は子供でも外からの人も利用しているのである。結構にぎやかな場なのである。だから公園らしいともなる

今日は秋夕焼けが美しかった,秋夕焼けの色はまた独特である。晩年は秋夕焼けがふさこわしい,ただもう冬が来る,今年の天気は変則的だった,秋が来たと思ったら冬のようになりまた秋になりとか季節感がまともではない,だから俳句の季語もうまく使いないのである。

月がでているけど雲にかかり光っている,一応月は出ている,微かに虫の音も聞いた
でも秋も終わりなのか?まだそうでもない,これからが紅葉なのだろう。

立冬は11月8日頃(2017年は11月7日)とあるからやはり冬なのである。
ただ何か秋が普通は長く感じられて晩菊とかの季語があったのである。
それが短く感じられるから季節感が狂ってしまった

今日は月も出て光っているが雲がかかったりしている,駅に遠くから来た人は一時出会う知らない人である。だからこそ気楽にちょっと話して去る,でも何か駅にはそうして外部の人が何かを残してゆくというのは確かである。
駅は何か本当は人間臭い場所なのである。人間が出会い別れる場所でもあるからだ
ただ今はスマホを見てそればかりに集中している人が多くなった

あれはその場の雰囲気を味わうことがない,人との出会いもなく,ただスマホばかり見ているのは何か感覚的にも残るものがなくなる,便利なのことは確かだがスマホだけでは
本当の情報には接しられない,なぜなら情報とは情に報いることだからである。
情報は情を通じ合わせることなのである。それは一時の出会いでもそうであり道を教えたりしてもそうなのである。そこで見知らぬ人でも情を通わすのである。
ただ自分も旅のときそういうことをしていない,何か旅だと次がどこに行くとなりその次の旅先に心が向いて落ち着かないからだったかもしれない,迎える方になると落ち着いているし余裕があるから話しかけたり自分がしているのだと思う

いづれにしろ家には誰も待つ人がいないのも淋しい,それが何なのかまだ良くわからないつまりそういう一人の経験をしていないからである。
家に家族がいないことはそれが家なのかという疑問が常にあった
家とは何なのか?ハウスとなると建物のことでありホームとなるとそうではない
そこには何かあたたかく迎える人がいる,それがなくなったときハウスがあってホーム
がなくなってしまったのかもしれない,ホームは人間の帰るべき場所だがハウスはただの建物なのである。だからそこはホームではない,つまり自分にはホームがなくなってしまったのである。

でも本当にホームがあったのかとなるとそれも疑問だった,今家族も冷たいという人も多くなった,この世に本当にホームがあるのか?キリスト教では天国にしかホームはないのである。この世は異邦人としてありこの世がホームになりえないのだ
家族だって愛がない家族だってあるからだ,そこがホームとはなりえないのである。
ただ自分には理想的ではないにしろホームがあった,待つ人がいたのである。
それがいなくなったとき家はただのハウスであり建物である
それでも家があるというだけでもいいとかなる

2017年11月03日

もらっていい金とそうでない金がある (金もカルマとなり後で苦しむ人がいる)


もらっていい金とそうでない金がある

(金もカルマとなり後で苦しむ人がいる)

金に人々の感情がこもりカルマとなる (親の因果は子に報うはさけられないカルマである。)

金はもらっていい金ともらってはいけない金が確かにある
もらってはいけない金はそれがカルマになりあとで悪い影響がでてくる
自分の経験では自分がもらったのではないが親が交渉でもらった金はもらうべきではない金だった
それは人の不幸によってもたらさこれた金だったからである。
交通事故で死んだ結果もたらされた金だったからである。

その金をめぐってもめた,そのとき弁護士を頼んだが弁護士は何もしなかった
百万払ったが何もしなかった、実際に交渉したのは保険会社の人だった
結局弁護士は漁夫の利を得たのである。実際に本当に何もしない,交渉すらしない、裁判にもならなかったからである。となると一体弁護士はそんな金を受け取っていいのかとなる?
それは悪い金でありそれがカルマとなる、弁護士は何かそうしした紛争になるときにかかわる
だから弁護士という職業もなにかブラックなものとなりやすいかもしれない。

それはどこにでもある,医者でも金持ちから礼金をもらうことは普通にあるし普通に良くしてもらいたいと金を払うことがある、第一医者になるには莫大な金がかかる、だからこそ医者は跡を継がせるために金が必要となる医者は今やいらない薬を与えたりいろいろと患者に無駄な金を使わせる、子供に跡を継がせるだけに金を使うとかなるのもどうかなと思う
なぜなら医者に向いていないものもいるからだ、そうした人も無理やり医者にするのは社会にとっても良くない、それは政治家にも言える、二世議員が多くなるのとにている、職業の適正はそこで損なわれ社会にとっても歪めたものになる
そうしてもうけた金がいいものかどうか疑問になる、医者は仁術だというとき何か人助けがありそうなったが今は医者は算術なのである。あらゆるものがそうなっているから医者だけには言えないがそれで社会が歪んだものとなってしまったのである。

ともかく金はすべていいものではない,何か怖いものがあるのだ、でも人は自分でもそうだが金はあればあるほどいいものだと思っているのだ。金があればこしたことがないしなければいいことはない
現実社会ではそうである。だから金をいらないとか否定しにくいのである。
でも明らかにもらってはならない金はある、人を殺してまで得た金だったらもうそれは恐ろしいカルマとなってゆくだろう。
百万でも拾った金だとそれもどういう金かわからないから危険がある
得たいの知れない金だからである。

例えば株でもうけるというのは資本主義社会では容認される、だから悪いとはならない、でもそれが巨額になると何か悪魔的になる、現実に資本主義社会では極少数のものに巨額の金が流れている、それで世界を支配しているのはそうした金持ちだという陰謀論になるのである。
その金はどうして得られたのか?ただ株に投資して得られた、一方で汗水垂らしてわずかの金を稼いでいる人もいる、それが社会の大半である。そしてグローバル社会では貧乏な国が富裕な国のために低賃金で働かせるとかなりそれが国のカルマともなる
カルマは国だけではない組織とか団体にもカルマとなる、会社でもそうである。
カルト宗教団体でもそうである。そういうところに属しているだけでカルマとなっている
おかしなのはそういう団体に属しているからこそ救われるとか成仏する信じている人たちがいる
でもいづれはそれがカルマとなりその悪が暴かれるときがくる、その責任が問われる
責任が必ず問われる、カルマとは責任のことだからである。
団体にいればみんなでいるから安心だと思っていてもいづれは一人一人がその責任を問われる
みんなが入っているからいいものなんだよとはならないのである。

原発事故でもそうだった、これほど重い責任があるとは思っていなかったろう、原発を金のために誘致した
地元の人たちもそうである。それを運営した政府とか東電とかでもそうである。そこにはあまりにも大きな責任が課せられていたのである。その責任はとらされるが政府でも官僚でも東電の幹部でもとっていないのである。でも誰かが責任をとらされるのである。責任をとらされたのは地元の人だったのである。
空気も水も土地も放射能で汚染されて住めなくなったからである。遺伝子も傷つき子孫すら残せないとかなったからである。
責任は必ず責任があった人がとらされるとは限らない、全然責任もない関係もない人だってその被害を受ける
人間は責任から逃れられないようにできているのである。

ただ地元の人でも金になればいいと政府と東電からも金を受け取ってきたのである。
だからそうした金はカルマとなり事故となり責任が問われた、そして地元の人たちも責任を言われる
お前たちは恩恵を受けていたのだから責任をとれとなるのである。
つまり金ならなんでもいいとはならないのである。
でももう金ならなんでもいいとなるのが今の社会である。
つまりもらっていい金ともらってはならない金があることは確かなのである。
そこに金の怖さが隠されているのである。

この辺では今は船主が批判の矢面にたたされている,原発事故前から補償金で潤っていたからである。
事故後も船主には一番補償金が手厚いのである。だからいち早く立派な家を建てたのは船主だったとなる
でもまわりの人たちは良く思っていない、それは事故前もそうだったのである。
みんなが船主ではないからである。
金をもらっているときは漁業関係者はもらって当然の金だと思っていたのである。
それは海が汚されたら魚も売れなくなるからだ、そのときは周りでも文句も言えないのである。
それは当然の権利だったからである。でもその金はいいものではないもらってはならない金でもあった
だからこそ今になると批判されるのである。

金はともかくなんでもいい、悪い金もいい金もないとかありえないのである。
もらってはならない金は確かにある、それがカルマとなり後で苦しむことになる
それは自分がもらわなくても親がもらっていたりしたらそのカルマを受ける、自分がそうだったともなる
別に親が不正してもらった金ではないにしろ何かそういうものが一部あったことは確かである。
自分もは恩恵を受けているのだから金は怖いものがあると感じたのである。

でもこんなふうに金に敏感になったら金はたまらないだろう、どうしても貧乏になる
金そのものが不潔なものになり金に触れたくないともなる、そうしてインドの修行者は暮らしている人がいる
金をいちいちそうして悪い金だといい金だとか区別しにくいからである。
小さい金はそういうことはない、大きな金になるとそうなりやすい、遺産関係などがそうである。
だから必ずもめるのである。
そんな大きな金をあなただけがもらう権利があるのか?
それもそうなのである。だから親がどうして遺産を残したのかも問題になるのである。
自分の遺産は親が店をやったりこつこつ働いたものである。でも母は年金を一銭も払わないのに月3万もらい
60歳から百歳まで40年間もらって一千万以上になっていたのである。その金は一銭も使わなかったがその大半は盗まれたともなる,だからこれも何なのだったとなる
それはもともと国の金でありみんなが働いて出した金ともなるからだ

ともかく金はもらっていい金ともらってはならない金がある、これは間違いない、でもそんなことをいちいち考える人はいない、でもそうでも後でそれがカルマとなり親でなくても子とかそのほかの人を苦しめることがあるのだ、濡れ手で粟のように入ってくる金はいいものではないのかもしれない、そこには呪いが隠されているかもしれない、そこに金の怖さがある
ただカルマはつぐづくある、その人は子供のために使う金を親が使っていた、今度は子供が親になったときやはり子供のために使う金を親が使うようになったのである。何か間違いなくカルマとは人間が繰り返される業なのである。

「消された王権・物部氏の謎」関祐二を読む (伽耶がいかに大和朝廷の前にかかわっていたかがわかる)



「消された王権・物部氏の謎」関祐二を読む

(伽耶がいかに大和朝廷の前にかかわっていたかがわかる)

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●ツノガノアラシトとは   

関裕二氏は「消された王権・物部氏の謎」

「日本書紀」垂仁天皇2年の条に、「一書にいわく」、という形で次のような記述がある。
「額に角有ひたる人、一の船に乗りて、越の国に泊まれり。
彼、そこを名づけて“角鹿”(つぬが)という」

これによると崇神天皇の時代、“額に角を生やした人”が舟にのって「越の国」に着いたという。
その人物に角が生えていたことから、この場所を“角鹿(つぬが)”→“敦賀(つるが)”と呼ぶようになったというのである。

どこからやってきたのかを問うと、「おお加羅国」の皇子で、名は「ツヌガアラシト」であったという。
日本に聖君がいると聞きつけて、こうして帰化しに来た、と語ったことが記録されている。

一説にはこの人物が王子であったところから、王家出身のしるしとして冠をかぶっていたのではないか、
あるいは「ツヌガアラシト」という名称が、“角のある人”と聞こえることから起こったとも言われるが、これは素直に“鬼”と解するべきであろう。
ツヌガアラシト個人だけではなく、「加耶」という国の有り方自体に“鬼”をめぐる問題が隠されていたためである。
 
 
(中略)

「日本書紀」の「ツヌガアラシト」説話の直後には、「アメノヒボコ」なる人物が半島のもう一つの国「新羅」から渡来した話が載せられるが、 (「古事記」の中で「アメノヒボコ」はなぜか「日本書紀」の「ツヌガアラシト」と同一視されている。)
通説でも、加耶皇子「ツヌガアラシト」を神格化したものが新羅の「アメノヒボコ」であるとされている。

紀元節(建国祭)の起源となたった祭りに、(園神の祭りと韓(から)の韓(から)の神の祭りがあってそれぞれの祭神が園神(国の神)大物主神と韓神(伽耶出身の神)少彦名彦神であった
そして第二に「出雲の国造(くにのみやっこ)の神賀詞(かみよごと)」のなかで、出雲を代表とする四柱の神の一つにカヤナルミの名が登場する、カヤナルミは伽耶の姫の意味である、これを全く日本書紀では無視している

任那日本府は鬼の府ではなかったか、物部−蘇我−伽耶−新羅を結ぶ反天皇家、まつろわぬ者どもの思惑と一致するのである

なぜ大物主神は伽耶の女性と結ばれたのか、伽耶の少彦名神≪ツノガノアラシト,天日槍)との間に起きた鉄の利権争いとその後の和解が大きなヒントになっている
伽耶と出雲の和解の証(あかし)として婚姻関係が結ばれた、この和解の申し子が事代主神−蘇我氏が物部、伽耶双方の血を受けた正当な鬼であった

日本建国の成り立ちが複雑なのは朝鮮半島から始まっているからである。朝鮮半島の争いが日本本土にももちこまれたから複雑になっている
ここで抑えておきたいのは大和朝廷が物部−蘇我−伽耶−新羅の連合軍と対立していたことなのである。蝦夷というのは大和朝廷に対立するものであり野蛮人とかではない、蝦夷とエミシは違っている
蝦夷は広範囲に大和朝廷と対立するものの意味であるからだ、その対立は朝鮮半島から始まっているから複雑になったのである。

●須恵器の歴史

日本書紀に雄略朝のとき、百済から新漢陶部高貴渡来したと伝えられる、新羅の王子とされる天日槍(あまのひぼこ)とともに多くの工人が渡来して近江の鏡谷で朝鮮式陶器を焼いたとある
鉄は朝鮮語で〈スエ)とういう、そこで鉄のように固い焼き物であるから「須恵」と呼んだのだろう、いまでも残る須江、陶、末などの地名はその須恵器の生産に深くかかわったのだろう
最近では仙台でも窯跡が見つかっている
窯跡では3基の須恵器専用の窯が発見されている。製品の供給先については明らかではないが、東方約2.5qのところにある郡山遺跡T期官衙(かんが)との関連が推定される。
http://www.sendai-c.ed.jp/~bunkazai/isekidb/k0000000079.html

昔須恵器を作った部落には今でも陶、須恵、末、主衛などの地名が残っている所が多い
また須恵器の窯跡が集落として場所は近くに古墳群や、府中、国分寺のあっことこやすが多く地方文化の中心地だったところと密接な関係があったようである
須恵器は縄文時代の土器とかとは相当に違ったものである。韓国語でスエは鉄のことだから固いものとして使われていた
中国の黒陶という陶器である。だからその技術はエジフトの古王朝時代にもさかのぼるのである。
すでに轆轤を使われていた、エジフトは先進の文明国だったのである。
「轆轤の起源は車の発見とほぼ同時で,車を縦にしたものが轆轤だ」こういうとき技術は必ず転用されることを古代から示していたのである。

考えてみると縄文時代の火炎土器はどうしてあのような文様になったのか?
それは野で火で土をそのまま焼いたからかもしれない、そのとき火が燃え上がるからである。その火を見て焼いたから火炎土器となった
縄文土器は非常に原始的なものだったのである。だから原始の力をそこに感じる
須恵器となると洗練されたものとなる,縄文土器のような荒々しいものはないのである。
陶器の生産の効率の上昇は、出土する陶器の数や種類が前の文化に比べ増大したことにもみられ、鼎や鬲、9宦A高柄杯など、調理器や食器として使われた多様な黒陶・灰陶の陶器が出土している。

陶器のほか、石包丁など石器や骨器などの武器や道具、ヒスイなどの玉なども出土している。龍山文化の後期には青銅器も出現しており、殷代・周代(あるいは殷の前にあったとされる夏代)の青銅器時代に入る過渡期であったと考えられる。
龍山文化の社会に現れた大きな変化は、都市の出現である。初期の住居は竪穴式住居であったが、やがて柱や壁を建てた家屋が出現した。また土を突き固めた城壁や堀が出土しており、特に山西省襄汾県の陶寺郷の南で発見された陝西龍山文化の遺跡・陶寺遺跡(紀元前2500年 - 紀元前1900年)は龍山文化の都市遺跡の中でも最大級のものであった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%B1%B1%E6%96%87%E5%8C%96

須恵器は韓国経由で日本に伝わった、そのオリジナルは中国にあるのが普通である。韓国独自のものは少ないと思う、なんでも韓国起源にするけど元をたどれば中国になるのである。
すでに紀元前2000年ころにそういう技術があったことに驚くのである。

●須恵器の窯があった場所が福島県では棚倉と浜通りである

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須恵器の窯跡の分布図(森浩一編)

この地図で須恵器の窯跡があるのは福島県に注意すると浜通りと棚倉である。棚倉は古代にヤマトタケルの伝説がある場所である。

この地に八人の土知朱(つちぐも)が居た。一を黒鷲、二を神衣媛、三を草野灰、四を保保吉灰、五を阿邪尓那媛、六を栲猪、七を神石萱(かむいしかや)、八を狭磯名という。それぞれに一族があり、八ヶ所の岩屋に住んでいた。この八ヶ所は皆、要害の地であった。だから皇命に従わなかった。国造(くにのみやつこ、律令施行以前の時代、朝廷から一国の長官に任ぜられた現地の豪族)の磐城彦(イワキヒコ)が敗走した後は、人々を奪い去る事が止まなかった。景行天皇は日本武尊に命じて土知朱を征伐させた。土知朱は力を合わせて防戦した。また津軽の蝦夷と共謀し、多くの鹿や猪を狩る強弓を石の城柵に連ねて張り、

ここに神石萱(かむいしかや)がいる、これは伽耶に由来するのだろう
それは須恵器の窯跡があるように須恵器の技術を渡来人が伝えたのである。

そして浜通りにも末続駅があり真野地域がある、須恵器が福島県ではこの二か所に伝わった、それは考古学的な発見と残された伝説が一致しているからち信憑性が高いとなる
伝説でも何かしらの事実があって伝えられているからである。
万葉集の真野の草原(かやはら)地域にはほかに唐神堤という地名がありこれは唐は韓なのである。なにかしら仏教がこの辺に伝わり地名化したのである。
地名化することはそれだけ定着して住んだ人がいるということになるのだ

出雲には

唐川という地名、これは韓川であり韓窯神社や新羅系統の韓国伊太神社(いたて)
野だだ時代の自然送風神をまつる都武自(つむじ)神社、フイゴによる送風神を祭る伊布伎神社や剣神を祭る都我利(つがり)神社などなどがある
(古代朝鮮と日本の旅(朴春日))

伊太神社(いたて)というとき伊達氏の由来がここにある、するとこれも渡来系に由来するのかとなる
そして気になるのが都我利(つがり)である、つがはつがるにもなる,京都には津軽という地名もある、このつがはツノガノアラシトにも通じている
これは渡来系に由来するのかもしれない、ただ津川とかなると川のことだから関係ない
不思議なのはつがの地名を集めると何か須恵器のある窯跡と一致するのである。

津賀 (つが) [茨城県鹿嶋市]
都賀 (つが) [千葉県千葉市若葉区]
津荷 (つが) [和歌山県東牟婁郡串本町]
笏賀 (つが) [鳥取県東伯郡三朝町]
津賀 (つが) [高知県高岡郡四万十町]
継鹿尾 (つがお) [愛知県犬山市]
都加賀 (つがか) [島根県飯石郡飯南町]
津賀町 (つがちょう) [三重県鈴鹿市]
都賀西 (つがにし) [島根県邑智郡美郷町]
津金沢 (つがねさわ) [福島県耶麻郡猪苗代町]
津金沢 (つがねざわ) [山形県山形市]
都賀の台 (つがのだい) [千葉県千葉市若葉区]
都賀本郷 (つがほんごう) [島根県邑智郡美郷町]
都賀町家中 (つがまちいえなか) [栃木県栃木市]
都賀町臼久保 (つがまちうすくぼ) [栃木県栃木市]
都賀町大柿 (つがまちおおがき) [栃木県栃木市]
都賀町大橋 (つがまちおおはし) [栃木県栃木市]
都賀町合戦場 (つがまちかっせんば) [栃木県栃木市]
都賀町木 (つがまちき) [栃木県栃木市]
都賀町富張 (つがまちとみはり) [栃木県栃木市]
都賀町原宿 (つがまちはらじゅく) [栃木県栃木市]
都賀町平川 (つがまちひらかわ) [栃木県栃木市]
都賀町深沢 (つがまちふかさわ) [栃木県栃木市]
都賀町升塚 (つがまちますづか) [栃木県栃木市]
都賀行 (つがゆき) [島根県邑智郡川本町]
都賀行 (つがゆき) [島根県邑智郡美郷町]
津軽町 (つがるちょう) [京都府京都市中京区]

なぜこれほど栃木県に多いのか?何か関係があるのか?
福島県の猪苗代は別に須恵器の窯跡とは関係ないだろう
いくつかは渡来系と関係しているのか、京都に津軽町があるのはそうなのか?
これも関連性があるものとしてのせてみた
津軽(つがる)はツノガノアラシトであり出雲の都我利(つがり)神社も同じ系統だろうともかくこうして追求してゆくと真野の草原(かやはら)という万葉集の歌は渡来人と不可分に結びついたものだということが積み重ねたもので限りなく伽耶に近いともなる
伽耶ではないにしろ渡来人が関係していたのである



自分は学者ではないし学問というとき研究となるとやはり研究の仕方がわからない、またはできないのである。勉強も実は勉強の仕方がわかればすすむのである。
今回は今まで買った本をさっと読んでつなぎあわせて書いた
相当に本も集めないと研究はできない,でも本でもある目的をもって読むと頭に入るし活きてくる、漠然と読んでいてはダメなのである。
自分のテーマと万葉集の真野の草原(かやはら)の歌の謎に迫ることでここまで研究してきたのである。一つの目的があるとその線にそった情報を集めるから情報も活きてくるのである。

posted by 老鶯 at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2017年11月04日

本の整理に苦労する (本が整理できないのではなく知識が整理できない)


本の整理に苦労する

(本が整理できないのではなく知識が整理できない)

本の整理に苦しむ,本はかさばる,本は重い,整理しにくい,本は物になっているから整理しにくい,読んだ本でも忘れている
なぜそうュのか?本は知識であり知識は物ではないが本だと物となっているから整理しにくいのだ
電子化すれば膨大な本が検索できることが効率的になる,それはインターネットでしている

ただインターネットには本のような専門家の詳しい知識は見つかりにくい,それなりに知識が膨大になっているが専門的な知識は本にある
ところが本は千冊あってもどこに何が書いてあるのかもわからない,ただ本屋の立ち読みのようにランダムに読んでいるとその数行がこれはいいとなり利用する引用するのである気ままにいろいろな本を全部ではなく拾い読みする,するとそこに新しい発見がある
新しい発見があるのはそれは読む方が発見するのであり読む方が引用できるとなると
読む方が独創的になっているからできる

本のあるページの数行からイメージをふくらませて自分なりの文を書いてゆくのである。10冊の本があるとしたらそれが歴史関係だったら世界史とか日本史とかに分類してまとめておいて拾い読みすると相互のつながりが生まれてくる,その時本が活きてくる
だから何かを調べるとか書くとするとき本はその分野のものが多く内容が濃いものだと
自ずと独創的なものが書けるのである。
それはAIのビッグデーターの手法なのである。膨大なデーターから探れば自ずと研究するには有利になるのである。

とにかく知識は膨大である。一生の間に読める本も限られている
千冊読んだとしても忘れるのがまた多いのである。
本でも内容が濃いものは何回も読む,何かあきずに読む,つまらない本はもう何回も読まない,とするともういらない本になっているのだ。
そういう本も多すぎるのである。何か自分は本の中味を読むより本を集めた蒐集家になっていた,本は物だから骨董品のように集めるという人間特有の真理は働く
本を買ったら知識が増えたような気になる,でも実際はそうはなっていなかった
知識は何か物ののように財産とはなりにくい,かつては本が希少価値があったからそうなっていた,今は本はそれほど希少価値がない,情報は本の外でも膨大になっているからだ
ただ本は全部読むのではなく一部分を読むのでも知識の吸収に効果がある
だからものを書くとしたら私設図書館のようなものが必要なのである。
書くときは必ず参考にする本があり知識があるからだ
本が整理できないというとき本ではなく知識が整理できないのである。
一冊の本を読むときでもそこに何が書いてあったのかも忘れているからだ
線を引いていても忘れているから読んだことにもならなかったのである。

本に埋もれてしまったが実際は膨大な知識を消化できなかったのである。
それで本に書かれたものも忘れたとなる
知識も無限だから何かしら消化する必要がある,でもその知識も一部にとどまるのである消化するということは自分なりに自分の体で消化して栄養分にすることである。
ただその栄養となるものも知識の場合は知識の世界にしたらほんの一部だとなる
いろいろ本を買ってもそれを理解する方がむずかしいからそうなる

ただ知識を整理するというとき例えば物だったら四角のものは四角とか丸いものは丸いものとか同じ種類のものを集めて整理する,知識はなかなかそうはいかない,全然関連しないようで知識はみんな関連しているところがある
そういうふうに知識の組み合わせは無限なのである。
だから知識は創造的に利用することがむずかしい,整理もできないのである。

自分の場合は詩に関したもの短歌とか俳句に関連したものとか文学関係は集めた
アマゾンの古本で安いから買い集めた,これはいい方法である。
詩を書くとしたらやはり参考とするものが多いといいのである。
詩は詩でみんな関連しているからである。
最近集めたのは原発関係とか津浪関係であった,これもみんな読み理解すると容易ではない,第一これらは知識として追及していないかったから今になり追及するとなるとむずかしくなる,知識はやはり積み重ねだからそうなるのである。

新しい知識は吸収しにくくなる,若いときからテーマをもって積み重ねたものは理解しやすいが新しいものとなる理解しにくくなるのである。
だからAIとかでてくると理解しにくくなる,新しい機械も操作しにくくなる
それで新しい電気製品を買ったが使いなのが多くなり失敗したのである。
使い慣れたものは使い安いが新しいものは使いにくい
パソコンのソフトでもそうである。これは多機能だから新しいソフトは使いにくいのである。それがいいものでも使いないのである。

情報化社会とか知識社会になってくるのはコンピュターが一般化したとき予想されていたのである,自分はワープロで富士通の親指シフトを使っていたから今も使っている
これで文章が早く打ちやすいから書いている
ローマ字シフトだと遅くなり文章を書くのが嫌になるからだ
知識社会になるとあまり暗記とかは重要でなくなる,創造性とか考えることが大事になる
そのためには暗記中心の教育は受験などは知識社会には適合できなくなる

なぜならAI化すると機械のやれることと人間のやれることが区別されるからである。
翻訳などは相当に進歩したことでもわかる,機械の方が優れてるのである。
それはどういうことなのか?人間にしかできないこと創造することがより重要になるのである。創造することは子供のときからしていなとできない
才能があるないという前に暗記だけの教育ではもう知識情報社会には適合できないからだ今のアナログ的な教育は前時代的なものになっているし変わらることが望まれているのだ暗記中心の教育はAI時代には取り残されてしまうのである。
だから考える訓練を子供のときからしている必要がある

2017年11月05日

像で考えろ,図で考えろ (抽象化された社会で生きる術)


像で考えろ,図で考えろ

(抽象化された社会で生きる術)


抽象化することは具体的な事物から離れてしまう,なぜ勉強嫌いになるのか?
それは学校はまさに抽象的空間しかない,何か具体的に学ぶことがない
教科書中心でありそこに具体的な現実にある事物を通じて学ぶことがない
実習として畑とか花作りなどをすればいいがそういうこともほとんどない
抽象的空間とは言葉がまずそうである。
言葉は現実にある事物を抽象化したものだからである
なぜ英語が身につかないかというと言葉でも実際の生活から具体的なものから
無意識的に覚えているのだ,

だから英語でスティディ(stedy)というのを馬が落ち着かず暴れるのを「スティディ)と言ったのを映画で見た時理解した,「落ち着け」とかの意味だがその他堅実になどいすいす意味がある,言葉そうして現実の生活の中で覚える
英語の場合にそれが結びつかないから身につかないのである。

そして現代はあらゆるものが数値化した世界になっている,数字も抽象化したものであり人間も数値化される世界である。科学は数字で現す,また化学記号化するからこれも抽象の世界になる,まるで人間は記号の中で生きていて人間自体が記号のように数字のようになっている,それで議員が病院で番号で呼ばれて怒ったというのもわかる
人間はおそらく学校でも会社でも工場でも番号化しているのである。
この人は俺は議員様だということ言いたかったのかもしれない,番号だったらどの人も同じになるからである。地位も個性もなにななくなるからである。

今の社会はこして数値化された社会である。銀行などもそうである。
金は実は数字にすぎないというのもわかる,金がもし小判とか銀でもいい金自体が価値あるものだったらその金をもったとき財産をもったとなる
数字だったら一瞬にして消える恐怖があるからだ
そして数字は抽象的だから金をもっていることが実感できないのである。
だから毎日札束を見ていたら実感できる
そしてわかったことは数字をグラフ化すると図形化するとわかりやすくなる
数字だと実感がわかないが図形とグラフ化すると実感として感じる度合いが強くなる

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この辺の放射性物質の被害もすべて数字でしかわからないものだった,それだけ抽象化した世界だから実感がわかないのである。どこに危険があるかも実感できないのである。
0.2と0.3マイクロシーベルトの相違がどれだけあるのか?
それも実感できない,放射能物質に色がついていればわかりやすいにとかなるった
水は透明であり空気もそうでありどこで汚染されているのかわからないのである。

自分は数学とか科学は苦手である。でも今ふりかえると数学の場合,子供のときから試験ばかりであり考えることがなかった,やはり考えることが学問に興味をもつことなのである。
算数も図形で考えれば具体的になり興味をもっていたのである。ただ暗記ばかりだから興味がもてなくなり勉強嫌いになる
不思議なのは一旦興味をもつとのめりこむ,そういうオタクのような人は興味をもったものに集中できるのである。そういう人が理系の人に多いというときなるほどと思う。

ともかく学問は学校で興味をもたなくても現実社会でもし役にたてば興味をもつ,そもそも数学だって実用のために生まれた,土地を計り建物を建てるのにも計測することは不可欠だからである。それはエジプトですでに生まれていたからこそピラミッドが作られたのである。知識とか技術はエジプトが起源になっているのが多いのである。

実用というとき原町の歯医者に行ったら例えば年齢により一割分や二割分や三割分がとられる,だから千円はらったとしたらそれが二割分はらったとなると実質に全部でいくらはらったことになるのか?
それが数学がわからないからなかなかわからなかった

二割ということは0・2であり分数に直すと10分の2であり数式にすると

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となりあらゆるものがこの数式にあてはまる,3割り負担になると10分の3×Xとなる
このように現実社会で役に立つと数学でも興味をもつのである。
いかに現実社会で生きるかがもともと学問だったからである。

それから保険証はもっていったが高齢者用のものをもっていかなかった,でもすぐ近くが市役所だったので市役所の人が連絡して事務ができた,それは市役所でできたのは南相馬市として合併したからできたのである。そういう点は便利になったのである。
その日はどしゃぶりの雨だったら助かったのである。

いづれにしろ現代は数字と離れずにありえない社会である。あらゆるものが数値化されるのである。絶えずどこでも経済でも数字の世界になる,科学は基礎は数字である。
数字の世界を生きているのである。
だから数学ができないと今の社会はいきずらいとなる,でも今や暗記だけの教育ではもうやっていけない,世界の競争に勝つにもそうである。
考える力が創造力がなければ世界から取り残されるのである。
posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

馬が好きで東京から来た女性 (野馬追いで馬を飼っているから馬が見れる)


馬が好きで東京から来た女性

(野馬追いで馬を飼っているから馬が見れる)


今日駅であったのは折り畳み自転車で旅する人だった
その自転車は小さいもので重さは12キロあった
それを袋にいれていた,結構そういう人はみかける
でもロードとかであり小さな自転車ではない

だからめずらしい思って話しかけたら,その人は馬が好きで馬を見るために三連休を利用してきたという
東京の人であり馬が好きというのもめずらしい,競馬が好きなのかとも思ったが馬自体が好きなのである。だから北海道とかにも馬を見に行っている
この辺は野馬追いがあるから馬を飼っているきで馬が見れるから来た

もう一人青森出身の人であり下北半島の尻屋崎に「寒立馬」がいると教えた
下北半島は鉄道で行ったが終点からかなり遠い,馬に興味があるとしたら行きたいとなるのか?

鉄道の問題は駅からの足がないことである。その人もバスがないかと探してもないとか言っていた,都会だと結構バスがあるからだろう
折り畳み自転車は鉄道で遠くまで行けるが自転車が重いしかさばるので嫌になるのであるその女性は相馬市まで行こうとしたが坂があるので嫌なので電車を利用して相馬市に行った

なぜか結構鹿島駅でも遠くから来る人に出会う,遠くから来た人は無人駅になったので
切符代わりの乗車証明書をとるのがわからないから教える
スイカをもっていればいいがもっていな人もいる
だから外から来た人には教えることがある

ともかく馬が好きで馬を見に来るという人はまれだろう,東京辺りではそもそも馬は競馬でしか接しられない,競馬が好きな人は馬も好きだいうことがある
確かにそこでは毛並みのいい馬を見れるからである。

馬が一番あっているのはモンゴルのような草原なのである。
そここそ馬が一番あっている場所なのである。
馬が好きだという女性になると遠野辺りの民話で馬と結婚したという話が伝わっているからそういう女性もいるのかと思った
ただそれは馬と一緒に曲屋で住んでいたからそうなった
東京だとそんなことありえないからなぜ馬が好きになっているのかわからないのである。
ただこの辺が野馬追いということで馬を見に来る人がいても不思議ではない場所である。ただ馬だけを見に来る人はまれだと思った