2017年10月29日

強すぎる司法権 (検察官僚が実質の支配者)


強すぎる司法権

(検察官僚が実質の支配者)


今回の小池百合子の排除の言葉でもそれを良しとする人達と悪いという人達がいる
良しとする人達は右寄りの人に多く悪いという人達は左の人達に多かった
そしてマスコミは悪いとして小池百合子を攻撃したのである。
希望の党を民進党が乗っ取り小池百合子にあやかりあわや政権交代をも目指したのであるだからマスコミにとって民進党の候補者の排除は許されなかったのである。
ただマスコミはみんな中立として見ていたのである。
自分もそうだったしみんなもそうである。でもネットでそうした右寄りの意見が多く出ているので考えるようになったのである。
マスコミは左によって占拠されていてかたよって報道していたのである。
だからあれほどの小池百合子の攻撃になったのである。

だから考えさせるというときかえって反対のことを言うとき考えさせる,考えるきっかけになる,同じようなことを同調することを聞いていたら考えることはないのである。
だから議論することデベートすることは考えることになるから有効なのである。

いづれにしろ民主主義社会では自ら考えることが不可欠な社会である。
でもそれが教育でも社会でも成されていない,考える訓練が成されていない
するとただ同調することだけになりファシズムへと容易に転換してしまうのである
ファシズムは人間を考えなくさせるものだからである。
カルト宗教団体ではそうなっている,そしてマスコミも考えさせないメデアなのである。
なぜならマスコミはただ事実を報道するのではない,何を報道するかも選んでいるし自分たちの主張を通すために報道している,そして巧妙に報道を操作している
記者クラブでも一部の左寄りの人達だけをクローズアップして写していたという
記者クラブ自体が官報であり利権団体化しているにすぎないというときそれは政府の権力側の都合のいいものとして使われているだけだとなる
こうしてテレビを見ている人にはわからないように操作しているのである。
だから知らない間にテレビを見ていると洗脳される,テレビは考えさせないメデアなのである。
ただ自分は今回の選挙では比例は希望の党に入れた,なぜか?

別に排除することはいいことだとネットで右寄りの人達が言っていたからである。
排除を嫌ったのはマスコミであり別にそれなりに筋を通したものだったのである
だから小池百合子は謝る必要がないというのもうなづけたのである。
自分は右でも左でもなく,民主主義社会には政権交代があるべきでありそれは保守の二大政党のようなものの方がいいと思ったからである。
民主主義社会には政権交代があって成り立つのでありなければ一党独裁であり全体主義社会ファシズム社会となるからだ

ネットではいろいろな情報がでてくる,それを読んでいた方が真実に近づける

官僚独裁国家・大日本官僚帝国の官僚の恐怖政治を支える2本の柱が、 
「警察と検察と裁判所が役人の同士として完全にグルになった司法暴力」、 
「記者クラブという報道情報独占利権と平均年収1500万円の特権階級を保証された 
日本の御用マスコミの第4の腐敗権力」だ。 

日本国民が官僚を潰そうと選挙でどんな反官僚の政治家を当選させようと、 
事実上、「司法暴力」と「第4の腐敗権力」を支配する官僚権力が、 
「国会議員の立法権」も「総理大臣の行政権」も脅しをかけて従える事ができる。 

「国民の意思」である選挙も、 
「司法暴力の国策捜査」と「御用マスコミの偏向報道」で 
官僚に都合の悪い政党や候補者を悪徳政党や汚職政治家に仕立て上げて落選させれば、 
幾らでも官僚権力が操ることができる。 

この国の実態は「民主主義国家・日本」ではなく、 
「官僚の恐怖政治が支配する警察国家・大日本官僚帝国」なんだよ。

なぜこれほど司法権が強いのか?それは警察という暴力装置と密接に結びついているからである。議員とか行政でもそうした暴力装置とは結びついていないからかえって司法の力が強いとなり自治体が警察に脅されたことでもわかる
権力の実体は警察権力に露骨に現れているのである。誰でも警察とはかかわりたくないというときもそうだし議員でも行政でも警察を恐れているからだ
それは警察は逮捕することもできるし実行する権力をもっているからである。

現代社会は権力を持っているのが露骨に見えにくいのである。
それで本当は議員などは何の権力ももっていない,もっていたのは東電の幹部のような目立たない人だったというのもそうである。検察官僚も天下りしていたからである。
警察でも必ずしも現場の警官が権力をもっているとは限らない,検察官僚が司法を司る人が実際の権力をにぎっている,警官ばかりに注目するが実際の陰の権力者は検察官僚だとなる,そうなると社会を支配する側に立ちたいなら法律を勉強して検察官になれともなる警官はただ上の検察官に従うだけだとなるからだ。



社会の仕組みがどうなっているのかわからない (民主主義社会に生活ししていてもわからない)


社会の仕組みがどうなっているのかわからない

(民主主義社会に生活ししていてもわからない)


人間はつくづく社会に生きることが何なのか,どういう社会に生きているのかわからない基本的にそういうことがわからないとしたら生きることがむずかしくなる
学校ではなぜあれほど勉強しろとか受験競争とかなったのか?
それは今の社会を生きるために楽して生きるためにそうなった
親が底辺だったのは学歴がないからだとか地位が得られないのは月給が安いのもそのためだとかなる,それで大学でもいい大学に入れば大企業に入れて楽して金になるとなる

勉強の動機は明治から福沢諭吉の立身出世主義になったのである。学問とは立身出世のためであり学問して得した楽な生活を送りたいということでそうなった
何か真理の追究とかもともとあった学問は功利主義の学問になった
利を得るためのものであり利にならない学問はいらないとなったのである。
それで文系はいらないともなってきたのである。

警察のことを取り上げたが警察というのがどういう仕組みになっているのか?
一番トップにいる人は検察でありその人たちは法律家であり司法試験に受かった人なのである。司法試験を受かるということ自体がすでに警察のトップになれるということであるそれは腕力とか体力でとない法律に通暁した人がトップになり警察を支配するのである。侍の時代だったら腕力であり武力がものいう時代だった,力持ちが村でも能力あるものとして認められていた,なぜなら機械がない時代は力仕事をするのに米俵でもかつげる力持ちでないとできないからである。

警察でも現場の警察官は体育系の体力がある腕力が強い人がなる,それは現場では腕力が必要になる,犯罪者を体力で力で捕らえることが必要になるからだ
体力で威圧する必要がある,でも現実に警察を支配しているのはそうした腕力あるとかの人ではない,法律に通じた人なのである。その資格を持った人なのである。
すると社会を知っていれば上に立ちたければ法律を勉強しろとなるのだ
密接に警察と結びついていて警察官僚になるには法律の資格が司法試験を受かっていなければなれないからである。そこで東大閥とかが形成される

上に立つというとき今は腕力でない,頭脳であり知力であり腕力は低いものにみられる
それで子供の時から勉強しろ勉強しろとなるのだ
例えば建築現場で働くものは肉体労働だから辛いことがある,体力がないとできないことがある,でも設計とかしていればそれは肉体労働ではないから楽だし給料を高いとなるのが現代だからである。
そして機械によって肉体労働は価値なくなる傾向にあるのも現代である。
すると機械を作る人間の方が価値あるとなる

また逆に体力がないものは勉強した方がいいとなる,体力があるものは建築現場でもどこでも一応働けるから食べていけるが体力のないものはできないとなるからそういうことを自分自身のことがわかっていれば自ずと勉強するようになっていた
自分も体力がないからそうして勉強すれば良かったとなるが自分のことがわからないと
社会に出て苦労することになるのである。

こういう社会の仕組みを知っていれば自ずと勉強した方が得だとなる,警察でも上にたつの上で命令するのは司法試験を受かった人達であり体力があっても上には立てないからだそんな理屈ばかりを言う人を無視しろというのもある,でもその人は現実社会をわかっていないのである。その人が警察官だったとしたらそうした上の人に命令されて動く人だからである。

民主主義社会に生きていて民主主義のことがわからないのである。
三権分立があり司法,議会,行政に分かれている,司法は法律で決める場所であり議会は法律を決める所であり行政はその法律を執行する場だとなる
そしたら法律がいかに重要な役割を果たしているかとなる,法を決めて法で動いている社会だともなる,その法を無視して民主主義社会は成り立たないのである。
法律が絶対ではない,ただ一応法律に基づいて社会を運営するとなるのが民主主義社会なのである。

特に文系の場合はどういう職業と結びつくのかわかりにくい,ただ法律関係だと警察という官僚組織にトップに立つというたとがイメージできているしわかりやすいとなる
でも経済学部とかいろいろあるけど文系はどういう職業につくために勉強しているのか社会と直接結びつかないのである。だから遊んでいるだけの無駄だとなる
ただ人間は無駄にも効用がありそれですべていらないとはならない

そもそも学問自体何なのかとというときそれは広範囲な人生全般にかかわるものである。大学とかないと時代は境界とか僧院とかが学ぶ場だった,そこでは社会で得するために学ぶとかではない求道心があって学んでいた,修行する場だったのである。
そこは実学の場所ではなかった,そういうものがなくなったとき大学が就職のためにとかなったのである。

いづれにしろこの社会がどういうものなのか?その仕組みもわからない,民主主義社会といっても言葉だけであり現実に社会の仕組みもわからない
だから警察官でも法律を知らないし法律を無視するような発言になる
でも現実は警察は法律を無視してありえないのである。第一警察機構を支配しているのは司法試験を受かった検察官だからである。法律を知っている人が警察官を動かしているのである。

「法秩序を守るための仕事をしている人」は、「法の番人」に入ると思います。
役所用語で「法執行機関」というと、だいたい捜査や調査をしている機関のことで、警察海上保安官や国税査察、税関、証券取引等監視委員会、公正取引委員会も入ります

法の番人が警察であり警官であるときその人が法を無視していたら法治国家も民主主義も成り立たないのである。