2017年10月27日

こころ(心)はここの意味だった (原発事故で失われた心となる場)



こころ(心)はここの意味だった

(原発事故で失われた心となる場)

こころは
ここ
ここに生きる
ここに根付き
ここに生き抜く
ここに受け継がれる
代々の命
ここを離れて
こころはない
こころは失われる

こころとはどこにあるのか?まさにここあるとなる
こことはその人が住んでいる場所のことなのである。
そこに心は育ちはぐくまれる
言葉には何か意味がある、それが意外と見逃されている

人間のアイディンティティはどこで作られるのか?
それはそれぞれに住んでいる場所しかありえないのである。

人間の思考とか生物でもその土地土地に生きることが宿命づけられているからである。
だからその生きる場所を失うことは致命的だとなる
原発事故で避難区域になったところはそうしたこころになる場所を失ったのである。

ただではそこで心となるものを育てていたか、価値を知っていたかとなると知らない
正業(なりわい)を失ったというけどその生業にどれだけの価値を認めていたかとなると
ほとんどない、別にそれは意識されないものだからである。
たからそもそもその価値がどうだこうだと考えないし意識もしない
ただ避難してその心となる場を失ったとき意識したのである。

それで不思議なのはそうして心がある場所が失われたからこそその心があった場所強く求めるということも起きてくる
奇妙だけど自分の心はどこにあるのだろうともなる、それがほかの場所でありうるのか?
それが若い人なら他でその心を育てる場所をもつことができるけど老人になるともうできない
だから老人は心のある場所に帰りたいとなるのである。
その心はもう金では買えないものだった、取り戻せないものだった、第一その心がどういうものか気づいていなかった

人間はなんでも失ったとき意識させられるのである。
失ったときその存在を強く意識する、空気のようにあるものは意識しないのである。
故郷に住んでいるものは別に故郷など意識しないのである。
それは当たり前にあるものだからである。故郷がなくなるなどイメージすらできなかったからだ
心とはまたここで代々受け継がれる命のことでもあった、なぜなら故郷には先祖代々の死者もいるからだ
故郷がなくなればそういう死者の霊も代々継がれてきた命も失われる

つまり町であれ村であれその全体が消失するということなどイメージできなかったから対処できなくなっている
津波だったら被害が大きいにしろん一部でとどまって全体は維持できたのである。
原発事故は全体を喪失したから回復することがむずかしくなったのである。
どうしてどこから手をつけていいかもわからないような状態になったのである。
ともかく心がはぐくまれる場所はそれぞれが生きているここでありほかにはありえないのである。
だからこそここを失ったことがもう心もない状態になったのである。
posted by 老鶯 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

小耳にはさんだこと (避難区域での農業のこと)


小耳にはさんだこと

(避難区域での農業のこと)


昨日原町のレストランでで聞いた,詳しい内容はわからない,何か原発の避難区域で農業している人の話である,一千万で農機具を借りてしているがその一千万が収入となるという,そこにはからくりがあってそうなる,詳しいことはわからない

それで霞が関ではうまく仕事をつくるんだよな
そういったので良く「心の青雲」でそのことを言っていたのでそうかなと思った

原発はもの凄いた利権を生むものなのである。第一こんなに補償できること自体驚きだった,東電がこれだけ大きな会社ということともわからなかった
それは船主とかでは原発前も多額の補償金をもらって原発御殿が建てたとか周りで話題になっていた,ただそれは港近くに住んでいる人達がわかっていたのであり離れていればわからなかったのである。

だから農業関係でもそうした利権化して復興という名のもとに国から金がでる
もともと農業には補助金が出ていたりしていた,その詳しい内容はわからない。
でも何かこの辺はそうした補助金頼りになっていることは確かだろう
浪江の室原の人はヘリポートできる,そこが自分の土地に入れば土地代が入るとか言っていた,なんかみんなそうして帰って復興する気がなくなっているのだ
だから補償金をどれだたけもらうかということが最大の関心事となる

そういうことで復興というのはむずかしくなっている
何かこういうとき苦しいのだけど人間的ドラマが生まれるとういこともある
みんなで団結してがんばって苦難を乗り越えようとかなる
それは奈良の十津川部落で水害で集団して北海道に移住したとき起きた

ここでは何かそうしたことがない,ただ補償金をどさだけもらうかが問題になった
それは30キロ圏外になった自分の住んでいるところでもそうである。
そのしこりは今でもあり南相馬市の一体感は失われたのである。

結局避難区域では双葉大熊などでも帰ることをあきらめた人が多いだろう
するともっている土地を生かし土地代をもらうのがいいとなる
放射性物質の廃棄場になってもその土地代で暮らせればいいとかなる

だから何か避難区域になった所は復興がむずかしい
大切なものうを失った,精神的損害が大きかった
でもそれが何なのか?そのことを自分は追及した

それは金で代えられないものだった,日常の生業であり普通にあった日々の暮らしであるでもそういうものの価値は普通は意識しないのである。
人生でも老人になると思い出がいかに大事になるか?でも思い出などいくら金を積んでももう作れないのである。青春など帰ってこないのである。
それと同じように避難区域になった所で暮らした思い出はとりもどすことができなくなったのである。それは補償しようがないのである。

原町のイオン近くにまた三階建ての復興団地が7棟くらいできていた,原町は広いからすでに4カ所くらいできている,それも一大団地なのである。
そこには入っている人は半分くらいである。だからまたこんなに復興団地を建てる必要があるのかともみる,そして主に浪江の人達だと思うがその人たちは浪江に帰るのか?
もう帰らないという人が多いような気がする
だからその後の暮らしはどうなるのだろうともみる,いつまでも補償金をもらえないからである。

ともかく原町は広いから都会である。原町だとなんとか自転車で行ける,でもこの頃相馬市までは自転車で長い間か行っていない,倍の距離があるし疲れるようになった
原町には用事があるし自転車で行けるうちはいいが行けなくなったら不便になる
そういう不安が自分にはある
posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連